03
両親は仕事で家を留守にすることが多かった。
小さい頃はほとんどの家事を家政婦に任せていたけれど、自発的に動ける年齢になってくると、軽い食事くらいは自分達で用意できるようになっていた。
「朝はどうする?」
「パンケーキ」
「私もそう思ってた」
「そんな顔してたから言った」
「私そんなに顔に出てた?」
「嘘。僕もそんな気分だっただけ」
「なんだ。また同じこと考えてただけか」
好き嫌いはほとんど一緒だから、お互いが用意するものに不満が出ることはあまりなかった。
「五枚になっちゃった」
「一つは半分にしよう」
「そうだね」
数が合わなければ、当たり前のように二人で分けた。分けられないものなら、前に多く貰った方が譲った。兄だから我慢するとか、妹だから優先されるとか、そんな理由付けは僕達にはなかった。対等な存在だった。
◇
彼女には、食材の調理の仕事を回した。
まだあの家から連れてきてさほど日が経っていない上、疲れているだろうからやめた方がいいと僕は止めたし、仲間たちにはボスの知り合いに手間をかけるなんて畏れ多い、なんて言っていたのだけれど、本人が手伝うと言って聞かなかったからだ。
「差し入れ…?」
その日の丁度昼頃だった。彼女が作ったというパンケーキと紅茶を持って、僕のところまで持ってきたのだ。
「あ、あの、お嫌いでしたか?」
「いや、有り難くいただく」
ナイフとフォークで切り分けて、口に運ぶ。数年が経過していてもわかる。あの家で、いつも食べていた味だ。ここはあの家ではないのに、懐かしい味に脳が混乱しそうだった。
「…お味はどうでしょうか?」
「…悪くない」
「よ、良かったです」
パンケーキと一緒に出された紅茶に口をつける。飲みやすい温度だ。彼女はもしかして全部覚えているのだろうか。或いは習慣だった行動が、身体に染み付いているだけなのだろうか。
「あの、少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「あの日の火災現場、ほかに生存者っていましたか?」
その一言にひやりとする。僕があの屋敷で見かけたのは彼女だけだ。ニュースを確認しようにも、火事はバーニッシュが存在する以上は日常茶飯事なので、大々的に取り上げるニュースは減っている。確かにあの家はそこそこ大きい家かもしれないが、だからといって火事程度ではニュースにまで安否情報が出たりしないだろう。警察に聞くのが一番手っ取り早いが、僕達のようなマッドバーニッシュでは警察に近づくことすらできない。
「…家には他に誰かいたのか?」
「はい、お見合いの相手がいたはずなんです」
お見合い、彼女はそう言った。僕があの場所にいた頃には一度もなかった話だ。彼女が何故そのようなことをしなければならないのか。大方、跡継ぎの僕がいなくなったから、彼女に勉強をさせるか、他所に嫁がせるしか会社を存続できないと踏んで、一番手っ取り早い後者を選んだのだろう。僕が家を出たことでさらに彼女を窮地に追いやってしまったことを、今更ながら悔やんだ。
「私、なかなかご縁がなくて、あんまりお相手の方に気の利いた会話ができなくて、断られてばかりだったんです。一ヶ月前くらいにお会いした方が、何となく趣味が合う人で、やっと上手くいっていた感じ、だったんです」
それは確かにわかる。彼女は活発で、どちらかというと女の子の遊びよりも男の子のような趣味が多かったから、僕とばかり遊んで、お淑やかな振舞いというのをしたことはなかった。加えて僕ばかりが会社の用事に連れまわされていたので、彼女は大人や知らない相手との対応を覚える機会がなかったともいえる。今の落ち着いた敬語口調になったのは、お見合いをする上で叩き込まれたからなのかもしれない。
「それで、あの日は…その、初めてお泊まりをしようって話だったんです」
その一言で、僕の心がどす黒く染まっていくような気がした。お見合いなのだから、いずれそのようなことが起きるのも当たり前だというのに。
「お風呂に入った後、ベッドに連れられて、それから…」
言葉に詰まっている。内容が内容だからだろうか、それとも、
「怖かったんです。すごく。ただ、触られただけなのに、普段からその、手を繋いだりとかは、したことはあったんですけど…」
恐らく、僕のせいだ。布団に入ってからのその先のことなら、僕しかしたことがないはずだ。あの晩のことを恐怖体験として脳が記憶をシャットアウトしていながら、身体がその恐怖を覚えている、と考えれば辻褄が合う。僕は自分の身勝手で、それほどの恐怖を与えていたことになる。
「何か違う、って思ったんです。こうじゃなかったような、もっと優しかったような……私は、その、初めてのはずですし、私が勝手に想像していたのと実際に触られた感じが違うから、驚いただけじゃないかなと思うんですけど…」
いや、これはどういうことだろう。僕の時とその相手の対応が違いすぎて、脳が処理しきれなかったということだろうか。それにしてはあまりにも、僕の時の方が良かったみたいな言い方に聞こえてしまう。僕自体を忘れているのだから、そんなことあるはずがないのに。
「それで私、お相手の方を突き飛ばしてしまって。怒らせてしまって、怖くて、それで…」
「…火が出たのか」
「…はい。気づいたら、燃え広がっていて…」
まるで僕の時を再現しているみたいだ。
僕も彼女に初めて拒絶された時に発火した。彼女は相手に恐怖を抱いた時に発火した。する側とされる側の違いはあるけれど、どちらも目の前にいる人物への負の感情がトリガーになっている。
「私が、燃やしてしまったんでしょうか」
それは、僕達がいつも思うこと。
自分の意に反して燃え広がってしまう、そんなことは日常茶飯事だ。普通の人間がバーニッシュの炎を恐れるように、僕達にとっても自分たちの炎が恐怖の対象ということに変わりはない。もし制御できなくなったら、もし大切なものを壊してしまったら、もし誰かを巻き込んでしまったら。バーニッシュはその恐怖と常に隣り合わせでいなければならない。
「嫌いだったわけじゃないんです。ただ、怖かっただけで」
「もういい」
「私は消えてほしいなんて、思ってなくて」
「もういい、考えるな」
これ以上喋らせないように、僕は彼女の手を引いて、その身体を自分の胸に閉じ込めた。彼女はこんなに小さかっただろうか。前はこんなに小さくなかった気がする。僕達の体格差が、また大きく開いてしまったみたいだ。
暫くして僕は気づいた。先程彼女は、触られるのが怖かったと言っていたじゃないか。だとすればこの行動は逆効果だ。余計に恐怖を与えてしまう。
「す、すまない。触られるのは怖いと言っていたのに」
僕はすぐに彼女から離れた。
「…い、いえ、大丈夫です。ありがとう、ございます」
そう言ってその場に座り込む彼女の目は潤んでいた。それが恐怖心からなのかはわからないけれど、確実に泣いていたみたいだ。彼女に対していつも浅慮な行動ばかりしてしまう僕自身に憤りを覚えた。
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