04 


「ねえねえ、ちゃんとリオに見える?」
「大丈夫だと、思う…僕は、どうかな」
「大丈夫、わたしに見えるよ」

幼い僕達がよくしていた、お互いの着替えを取り替える遊び。この遊びをすると、大人達が僕達を間違えたり、人によっては的確に当てたりして面白かった。今でこそ、この遊びは大人側からみればとても厄介だということはわかるけれど、いつも事務的にしか相手をしてくれない大人達が、色々な表情を見せてくれるのが、この頃の僕達には嬉しかったのだと思う。

「ねえなまえ、今日誰にもバレなかったら、ご褒美のキスしていい?」
「キス?いつもしてるじゃない」
「おでことかほっぺたじゃなくて、その…唇に…したい…」

成功した後を想像してしまって、声が尻すぼみになってしまった。ちゃんと聞こえていただろうか?
すると、急に目の前のなまえが僕の頰に触れて、一気にその顔が近づいてきた。驚いて目を瞑ると、唇に、柔らかい感触。

「……え、え?」
「したよ?」

目を開くと、なまえは既に僕から離れてこちらを見ていた。今のは、何だったのだろう。したって言ったのは、まさか。

「…い、今の…」
「だから、唇にキスしたよ?」
「…ま、待って、さっきのは、バレなかった時のご褒美って、言ったのに」
「ん?そうだったの?」

聞こえていなかったどころか、最初の提案すらまともに聞いていなかったみたいだ。元々注意力散漫なところはあるとは思っていたけど、話を聞いていないなんて、早々ないことなのに。

「でも、別にいいじゃない。父さんや母さんとは、帰ってきたときによくしてるんだし」

「ご褒美に欲しいってことは、今の時点で欲しいっことでしょ?そのくらいわかるよ。私とリオなんだから」

なまえはあえて話を聞かなかったのだと、それと同義の内容を答えた。確かに、仕事で滅多に帰ってこない両親とは唇にすることもある。それほどに気にすることではない事柄だと思っているらしい。それは僕を家族としか見ていない、という意味になるのだけれど、お互いの気持ちが同じだと言われれば、それは家族以上の関係に違いない。そう思った。

「じゃあ…もっとしていい?」
「もっと?」
「もっと…口にしたい」
「あれ?ご褒美じゃなかったの?」
「……もう、なまえ!」

ふざけているなまえの手を引いて、今度は僕の方から君に口づけた。こんな強引な方法、いつもの僕じゃできないことだ。今の僕がなまえだからできたことだと思う。そう考えると、先程君が僕にしてくれたあの口づけまでの動きは、なまえのイメージした僕の動きなのだろうか。或いは、あんな風にしてほしい、ということだろうか。





「す、すみません、急に…」

事の発端は数十分前。村の子供たちと遊んでいる途中で水を被ってしまったそうだ。ほとんど着のみ着のままで屋敷から出た彼女には着替えが最低限しかないため、困っていたのだという。
僕は彼女に自分の服を貸し与えた。シャツの方は少し大きいようだが、ボトムの方は丁度、いや少しきついのだろうか。見た感じではあるが、自分で同じものを着ている時よりも、下半身がむっちりしているような気がする。

「…サイズはどうだろうか」
「…ごめんなさい、伸びちゃうかもしれないです…」
「いいんだ、予備の服だから、そのまま君が使ってくれ。それとも、あまり窮屈なら別のものを…」
「い、いえいえそんな、大丈夫です。乾くまでの間ですから」

見れば見るほど目に毒だと思った。彼女が僕の服を着るなんてすごく変な感じだ。シャツが大きすぎて首元が見えてしまうからだろうか。足にベルトが食い込んでより柔らかそうに見えたからだろうか。僕は平常心を保つように自己暗示しながら、彼女に着せたボトムのベルトをひとつひとつ緩めた。

「…これで動けるか?」
「はい、ありがとうございます」
「じゃあ僕は…」
「あ、あの」

これ以上同じ場所にいると変な気を起こしそうな気がしたので、その場を離れようとした。しかし、それは彼女に袖を引っ張られることで阻止された。

「もう一つ、お願いがあるんですが…」

そう言った彼女は、僕に目を合わせようとせず下を向いていた。人払いをしている部屋の中でさえ目を合わせられないなんて、余程聞きづらいことなのだろう。全く見当がつかない。

「…聞こう。言ってくれ」
「…ま、前みたいに触ってもらっても、いいでしょうか…」

彼女から発せられたのは、想像もしていなかった言葉だった。

「…前みたいに、というと」
「その、前にパンケーキを作った日の…」

思い出す。その日は彼女の最初にバーニッシュに覚醒した時の状況を聞いて、触られることが怖いという話を聞いておきながら抱き締めてしまった日だ。信じられないことに、あれをもう一度してほしい、と彼女は言っている。

「…本当に、いいのか?」
「はい。手に触れるくらいは、できるようになりましたけど…もっと慣れないと」
「君は君のできることをすればいい、無理することはない」
「でも、このままだと不便なことに変わりはないですし、慣れたらもっとお手伝いできますから」

彼女にしてみれば置いてもらっている身の上だ。だからこそ、この村に貢献したいのだとわかる。だが、できれば無理はしてほしくない、と僕は思う。今でも十分に働いているし、住人とも随分打ち解けてきた。苦手なことの一つや二つくらい、あっても別にいいはずだ。急がなければならない理由が他にあるのだろうか。
そして、不明な点はもう一つある。

「…聞いてもいいだろうか」
「何でしょうか?」
「どうして、僕なんだ?」
「え、えっと、何度か触れているので、多少は大丈夫じゃないかなと、思って…」

確かに、この村で彼女に直接触れたのは恐らく僕だけだろう。最初は窮地から救うために咄嗟の判断から、その次は浅慮な行動から。どちらも僕が自発的に行ったものだ。
こんな状態の彼女に面と向かって触ってほしい、と言われると、本当にしていいのだろうかと躊躇ってしまう。緊張して、思わず唾を飲んだ。

「…じゃあ、少しずつにしよう」

僕は彼女の手を取った。少し前に水を被ってきたからだろうか、彼女の指先はひんやりとしていた。その手を包んで暖めるように手を握る。

「…問題ない、だろうか?」
「は、はい、大丈夫です」
「…本当か?正直に言っていいんだぞ」
「い、いえ!まだ、平気ですから、もっと、お願いします…!」
「…わかった」

暫く彼女の手を撫でた後、ゆっくりと手を滑らせて、肩と背中に回した。身体がより近くなる。僕の唇の前に彼女の額があって、今にも口付けできそうなほどの距離になった。

「…怖くはないか?」
「…大丈夫、です…」
「あまり大丈夫そうには見えないが」
「…すみません」

流石に近すぎるのはまだ辛いのだろう。触れている指先から、少しだけ震えているのが伝わった。

「無理はしないほうがいい、今日はここまでに…」

そう言いかけたところで、彼女が急に動いた。もう限界が近いのだから離れるだろうと思った直後、彼女の身体が急にこちらへ倒れ込んできた。僕の唇を掠めて、彼女の頭が僕の首元に埋まる。

「ど、どうしたんだ」
「…す、すみ、ませ…」

緊張しすぎて気を失いかけたのだろうか。僕が触れたせいとはいえ、この状態で離れることもできないため、身体を支えながらゆっくりとその場に座らせた。

「もうやめよう。流石に負担が…」

その時、気がついた。彼女から火が出ていた。耳の端が火の色に変色し、頭からも煙が上がっている。気を失うほどのショックを受けて、火の制御ができなくなっているらしい。
まずは落ち着かせなければ。この状態で布団やソファーの上に乗せることはできないため、その場に横にするが、そのために僕が新たに触れた場所からも火が上がりはじめた。すぐに手を離すけれど、火は身体中に拡散し荒い呼吸からも火の粉が出るようになっていた。

この状態で放っておけば確実に灰化が始まってしまうだろう。これを止めるには、僕がこの火を吸い取るしかない。しかし、相手は僕が手を出したことで記憶をなくしてしまうほどのショックを一度受けている。僕のせいでこうなってしまったのに、さらに口づけてしまえばあの日のことを思い出してしまうかもしれない。それが怖くて仕方がない。でも、ここで見殺しにしてしまえば絶対に後悔する。

「……すまない。我慢してくれ」

もう一考の余地もない。覚悟を決めて、僕は再び彼女に近づいて、苦しそうに口呼吸を続けていた彼女に口づけた。
目の前のバーニッシュを助けるために、今まで色々な相手と口づける場面はあった。それでも、この感触を覚えている。小さい頃に何度も口づけたこの感触を、忘れるわけがなかった。

「…ん、むっ…!」

気がついた彼女が身動ぎする。暴れて中断させられるのは困るので、抑えるために口内へ舌を入れて絡ませた。動けないことを理解したのか、彼女の身体が強張った。僕は少しずつ、彼女の身体に棲まう火を吸い取っていく。僕が火を取り込む度に、彼女の身体から徐々に力が抜けていくのがわかった。

「…っはぁ…り、お、さん…」
「…おさまったみたいだな」

火の熱にやられただけだとわかっているのに、やっとの思いでこちらを見つめるその表情が、妙に煽情的に思えてしまって、苦しんでいる相手に欲情してしまう自分を恥じた。昂る感情を顔に出さないようにするのが精一杯だった。

「す、すみません、ご迷惑をおかけして…」
「それは気にしないでくれ。しかし、やはり慣れる練習は…」

そこまで言っていて気がついた。僕は、何をしているんだ。何故僕の手は、まだ彼女の頬に触れて、撫でているのか。
完全に無意識だった。これでは、言っていることとやっていることが一致していない。自分の身体なのに制御が効かないなんて、そんなことがあるのだろうか。僕はすぐに手を離すけれど、

「…つ、続けて、ほしいです。少しずつでいいので…」

彼女に、その手を取られてしまった。僕よりも小さくて細いその両手で掴まれると、振り払うのを躊躇ってしまう。

「何か、思い出せそうな気がしたんです」

触れられている手が熱い。これは彼女の熱が残っているからだろうか。それとも、吸い取った彼女の火が、元の場所を感知して戻ろうとしているのだろうか。或いは、僕が、

「たまにでいいので…手伝ってくれますか?」

僕の身体が、僕の炎が、彼女を欲しているのだろうか。彼女を欲したあの時のどうしようもない感情が、僕の中に残っているのだろうか。僕の中で封印した感情を、呼び覚ましてしまったのだろうか。
 
 back