狼の毛が抜けても悪癖は治らない


俺の心臓あたりに繋がったコードが外されていく。トリオン器官から吸いきれなかったトリオンがちょっとだけ漏れて、開発室のお兄さんはあぶなっと言いながらそれを手で払った。

「調子悪いところとかない?」
「大丈夫、どうもありがとう」
「はいはーい」

抽出したトリオンはタンクのような容器に詰め込まれていて、いつ見てもこの毒々しい赤黒い色には落ち着かない気持ちになる。自分の身体の中にこれが流れているのかと思うと、なんとも言えない寂寞感を覚える。
つい半年前まで俺を苦しめ続けた毒性トリオンは、侵攻の際にボーダーに保護されて以来こうして定期的に専用の機器で抽出することで体調に影響を与えなくなった。今までは毒性を持つ物質が体内を循環していたことで諸器官の活動を妨害し、結果的に免疫系疾患を引き起こしていたらしい。
ちなみに開発室のお兄さんはトリオン体で俺のトリオンを少しばかり吸ってしまったことがあるらしいのだが、数分もしないうちに身体がダルくなっていって驚いたと言っていた。研究者の血なのかどこか嬉しそうに「ミリ単位で摂取量を変えて症状に差が出るのか試したい」だの「あのままトリオン体を解除していなかったらどうなるのか気になる」だの語っていて、危ないからやめておこうねと言っておいた。
現代医療ではトリオン反応を感知することが不可能であるため長らく原因不明の免疫不全と診断されていたが、ボーダー開発局の尽力によって毒性トリオンが見つかり、ようやく治療法が確立した。治療法といっても上述した通り定期的にトリオンを抽出するか、トリオン体になってトリオンを消費しまくるだけなんだけども。ただし現時点ではボーダーの偉い人の許可なくトリオン体になることができないため、後者の方法でトリオンを放出することはできない。まぁ毒物を垂れ流すのはよくないよね。
おおよそ1週間に1度は一定量のトリオンを体外に排出する必要があり、ボーダーに保護されてからは週1ペースでボーダーの開発局に訪れトリオンを抽出してもらっている。幸いなことに、こうしてボーダーに通い始めてからは生身の体調は頗るいい。初めて全力疾走できたときは本当に感動した。筋肉痛にすら嬉しさを覚えた。両親も泣いて喜んでいた。
ただ、身体が思うように動かせるようになったからといって元々病弱で運動なんてほとんどしたことなかったから体力なんてものはほぼほぼ皆無だ。

そこで目をつけたのが最近ボーダーに加入したレイジくんである。体格のいい彼は趣味が自己鍛錬というなんともストイックな男の子だ。年齢も近いし気軽に筋トレの方法を教えてくれないかと頼んでみたら、俺でよければと快諾してくれた。
最初はマジで体力がなさすぎたのでウォーキングや軽いランニングなどの基礎体力をつけるとところから始まって、徐々に筋トレのメニューが増えていった。あとはレイジくんが昔使っていたという自家用ダンベルをもらったり、2人で市外のトレーニングジムに行ってみたり。
そうして半年経つ頃には、俺はすっかり健康優良児になっていた。食が細かった頃と比べると食事量は倍以上に増えていて、もちろん目に見えて体格もよくなった。レイジくんほどとまではいかないが、平均と比べてガタイはいい方だと思う。

「國彦ー久しぶりー……え、なんか急にデカくなってない?」

久々に会った迅くんも驚いていて、俺とレイジくんは顔を見合わせて誇らしげに笑った。身体がガッシリしただけでなく、健康体になった俺は近頃ぐんぐん背が伸びていた。迅くんとの初対面が酸素マスクと点滴に繋がれた状態だったので、余計に驚いたらしい。視えてはいたけど人間って短期間でこんなに変わるんだ、と迅くんは目をぱっちり開けて俺を見ていた。
未来視の能力を持つ迅くんは、あのとき病室で力なく横たわっていた俺を見て何やら俺がボーダーにいる未来が視えたらしく、あのとき俺を病院から運び出したんだとか。未来視と初めて聞いたときは信じられない気持ちでいっぱいだったが、そもそもトリオンという概念がなかった人間からしたら俺の免疫不全がすっかり治っただけでももう十分にファンタジーなのだ。今更細かいことを気にするのは合理的ではない。

「よし、迅くんちょっと持ち上げさせてくれ」
「え、なに? 持ち上げるって? えっえ!」

そしてあのときのお返しをするべく、俺は迅くんの横に立ち背中と膝裏に手を差し入れた。そう、お姫さま抱っこだ。第一次侵攻のとき迅くんが俺をこの体勢で運んでくれたので、いつかお返しがしたいと思っていた。
俺より1つ年下の迅くんはまだヒョロっと細長い少年らしい体型をしていたから、筋トレによって筋肉量が増えた俺は簡単に迅くんを持ち上げることができた。

「わぁ、待って!ちょっと、これ思ったより恥ずかしい!ねぇ!」
「ハハハ、どうだ迅くん、お姫さまになった気分は!」

ウワーー離せーー!と言いながらも落ちないよう迅くんが首元にしがみついてきたので、よかれと思い本部の中を動き回る。遠くの方でレイジくんが呆れたようにため息をついていた。

「何それ!あたしにもやって!」
「おー桐絵ちゃん、ちょっと待ってな。すぐお姫さまにしてあげる」
「早く下ろして……」

普段は林藤さんの背に隠れてあまり話したことのない桐絵ちゃんが羨ましそうにこちらを見ている。顔を赤くして身動ぎしている迅くんをそっと下ろして桐絵ちゃんに向かって両手を広げると、きゃーっと笑いながら俺の腕に飛び乗ってくる。
その勢いのままくるくる回ってやると桐絵ちゃんは少女らしい高い笑い声をあげた。2人してきゃっきゃと遊んでいたら、いつの間に来たのか林藤さんがカメラを構えていた。適当にカメラ目線で静止すると林藤さんは親指を立ててOKをくれた。
なんだかよくわかんないけど、身体が丈夫って素晴らしいな。