沈黙は同意の証


ボーダー本部で小説を読んでいた。最近は学校が終わると直接ここに訪れるようになった。
小説なんて普段はほとんど読まないけど、学校の課題で読書感想文があるので仕方なく適当な本を買って読んでいる。俺が通っている学校は三門市外にあり侵攻による被害がほとんどなかったから通常通り機能している。俺がボーダーの医療技術のおかげで病気が治りこれからは毎日学校に登校できるることを担任に伝えると、情に熱い担任は涙ぐみながらよかったなぁと喜んでくれた。ついでに元気なら宿題もできるよなぁと早速出された課題がこれというわけだ。
古本屋で160円で買ったその小説は戦前に執筆されたもので、本文は随分と古めかしい文語調で書かれているため読みにくい。だが一文一文が丁寧に綴られていて、現代の作家にはない重々しい偉容さを感じるというか、なにか崇高なものに触れているような感覚は心地いい。
1日に2章ずつくらい読めば1週間もしないいちに感想文を書けるだろう。テーブルに置きっぱなしにしていた冷えた紅茶を一口含んで読書を続けようとしたとき、誰かからの視線を感じて顔を上げると、見上げた先には自分と同じくらいの年齢の男の子が遠目にこちらを見ていた。腰に下げた2振りの弧月は忍田さんを彷彿とさせる。彼は俺に見られていることに気付き、大股でこちらに近付いてきた。
なんだなんだと思いつつ小説に栞を挟んで傍に置き、話しかけられてもいいように準備する。案の定あのさぁ、と好奇心の隠しきれていない声色で話しかけられた。

「夜堂ってアンタのこと?」
「そうだけど、どこかで会ったことあったっけ?」
「いや? 忍田さんが白いブレザーの奴見かけたら挨拶しとけって言ってた。同じ年だからって」
「へー。俺は夜堂國彦。君は?」
「太刀川慶。好きに呼んでいいよ」
「よろしく、太刀川くん」

太刀川くんは俺の向かいに座ると、忍田さんから聞いた俺の話をし始めた。忍田さんとはあまり話したことはないけど、こんな俺にまで気にかけてくれるなんて優しい人だなぁと思った。

「夜堂は戦闘員じゃないの?」
「戦ってみたい気持ちはあるんだけど…まずトリオン体になるのに城戸さんの許可が必要なんだよね」
「許可?」

生身を傷つけられてもただ血が出るだけだが、俺のトリオン体はもちろん俺の毒性トリオンから形成されるのでトリオン体を傷つけられたら毒性トリオンが遠慮なく溢れ出る。要するに戦闘員になって市街地に出て傷を負ったときに何があるか分からないのだ。定期的に開発局でトリオンを抽出してもらうときも、開発局のお兄さんはトリオン体になったうえでガスマスクをして部屋の排気は常に完璧にしている。そういった毒物に対する万全の対策をとった空間でトリオン体になることは許可されているが、トリオン体ではない人々、ましてや一般市民のいる街中でトリオン体になるわけにはいかない。
毒性トリオンについて太刀川くんに話すと、彼は顎に手をやってうーん…と考えだした。

「でもさー勿体なくねぇ? その毒トリオン? を戦闘に使えたらめっちゃ強ぇーと思うんだけど」
「やっぱりそう思う? 俺も毒を戦闘に利用できたらって思うんだけどさぁ、万が一の事態になったら責任とれないから」

万が一の事態、というのは即ちボーダーが守るべき一般市民が俺の毒性トリオンを摂取したときの話だ。俺は今まで毒性トリオンのせいで身体が弱かったけど、エンジニアのお兄さん曰く幼少期から毒性トリオンが体内に蓄積していたからそれに対する免疫が作られていて、トリオン器官が成長して毒性トリオン量が増えても死に至ることはなかったらしい。免疫のない人が毒性トリオンを体内に吸収したとき、俺と違ってその人は死に至る可能性が十分にある。
そんなわけで今のところ戦闘員になるという選択肢はない。

「じゃあカイドクヤク作ればいいじゃん」
「カイドク…………? あ、解毒薬のこと?」
「あれゲドクヤクって読むの? まぁいいや、開発局の人に頼めばやってくれんじゃね?」
「そんな簡単にいくかなぁ」
「いけるいける。最近なんか新しい技術者増えたみたいだし」
「へー…じゃあ頼んでみようかな」

机の上に置いた小説の表紙をなんとなくなぞりながら笑う太刀川くんを見る。よくよく注目してみると、太刀川くんは不思議な目をしていた。太刀川くんは毒でできた弧月があったら〜とかなんとか俺の戦い方の話をしていて、よっぽど戦うのが好きなんだろうということが伺える。身振り手振りを交えてシミュレーションしている姿は心底楽しそうだ。

「自分で自分の身守れる方がボーダーでは安全だろ? お前さ、体格いいし戦闘員向いてるよ。いつか一緒に戦おうぜ」
「うん、俺も太刀川くんと戦ってみたい」
「よっし、じゃあOK出たら一番最初に声かけろよ!俺が最初に夜堂と戦う」
「えー…太刀川くんって強い?」
「強いよ。忍田さんの弟子だもん」
「じゃあイヤかなー」

太刀川くんがなんでだよ、と机越しに身を乗り出したとき、遠くから慶!!!と大きな声で彼を呼ぶ人がズンズン近付いてくる。太刀川くんのお師匠さんである忍田さんだ。ロングコートを揺らしながら弧月を両手に持っている。

「あれほど歩き回るなと言っただろう!!」
「だって待機任務って結局は本部の近くにいればいいんでしょー? そんな離れてるわけじゃないし別に……っい゛て゛ー!!!」
「言い訳するんじゃない!」

おお、見事なげんこつ。ていうか太刀川くんは任務中だったの? 忍田さんは「こんな奴だが仲良くしてやってくれ」と言いながら太刀川くんを引きずっていったので、適当に手を振って見送っておいた。


戦闘員かぁ。
たしかにこの毒を戦闘に応用できたら面白いんじゃないかとは思っている。俺が見たことある武器は刀のような弧月くらいしかないけど、銃型の武器であれば銃弾に細工をして被弾したときに毒が飛び散るようにするとか、毒混じりの煙幕とか、考え出したら意外と応用が利くんじゃないかなと思う。
ただ、やっぱり何かあってからでは遅いのだ。開発室のお兄さんは俺の毒性トリオンを体内に吸い込んでしまったとき、倦怠感を感じて思うように身体が動かなくなっていったと言っていた。当然トリオン体と生身は構造が違うから、トリオン体で毒を吸ったときと生身で毒を吸ったときは症状が異なる可能性がある。
ボーダーは近界と地球を繋ぐと同時に、市民を守るための機関だ。市民を自ら危険の晒すことはあってならない。
人生で初めて身体を思いっきり動かすことができるようになって、同じ年代の子たちが近界民と戦う姿を何度も見てきた。俺だって力になりたいし、武器を扱ってみたい。悩んでいても仕方ないから、とりあえず明日にでも開発局の人に解毒薬について話してみよう。
今日はとりあえず小説の続きを読むことにする。