「お邪魔はしないので、見てていいですか」
「もちろん!別に面白いもんじゃないけどね!」
次の町へ向かいたいから、と懸命に早起きした様子の少女とヌメラ。
ジムチャレンジャーらしい意欲を見せつつも眠気とは継続して戦っているようだ。
気を紛らわすためであろう外にやって来たナナシは、他愛もないルーティンワークから目を離さなかった。
「ナナシちゃん!あんたこのタマゴ持ってくかい?!」
「え」
視線の先が、手元ではなく背中にあるとわかってから、話は早い。
昨晩も興味津々にタマゴを観察していた姿が頭を過ぎる。
「孵化させるには色んな刺激を与えなきゃいけないからね!」
「刺激?」
「そうだよ!歩いている時の振動や外気温の変化…野生の鳴き声とか!」
新しい生命を誕生させるには多くの刺激が必要だ。
しかしながら仕事上、自分が足を運ぶエリアは限られている。
孵化させることは可能だが、やはり色んなことを教えてあげたい。
「世界を見せてあげるのさ。あんたが生まれたのはこんな世界だよ、って!」
己が腹を痛めて産み落としたわけではないが、愛おしさに変わりなく。
どうかその殻の中で健やかに成長し誕生してくれという、発見したブリーダーなりの親心。
「チャレンジャーなら色んな場所に行くだろう?ピッタリだと思ってさ!」
「なるほど」
一般のトレーナーより、こうして若き挑戦者に託すことの方が多かった。
年齢は低い傾向にあるが、柔軟性を持ち合わせる彼らは大抵二つ返事で受け取ってくれる。
未知のタマゴへの期待、新たな仲間を迎える高揚感。
「仲間も増えるし、どうだい!?」
もちろん、100%幸せな未来が約束されているわけではない。
それでも、やはり賭けたいのだ。少しでも可能性のあるトレーナーの方に、と。
「…お気持ちはすごくありがたいんですけど、今はちょっと難しいです」
しかしナナシは悩む素振りもなく、あっさりと断った。
抱えているヌメたに視線を落とし苦笑いをする。
「あたし自身そんなに余裕なくって。ヌメたと一緒に育てられるようになるのは、まだ先かなと」
―――ほんのちょっとした、でも確かな衝撃だった。
彼女は、このタマゴをヌメラと一緒に育てる気でいる。
「ンメ?ンメララ、ヌリャーヌラ」
ポケモンの面倒とは、飼い主であるトレーナー、即ち人間が見るもの。常識だ。
これまでにタマゴを受け取ったみながその前提の元、一様に意気込む。
自分の力で孵化させ立派に育ててみせるぞと。
「軽く考えちゃだめだよ。お兄ちゃんになるのはまた今度、ね?」
「メェエー…」
呼吸のように、当たり前すぎること。
それがポケモンと人間の明確な線引きの表れなどと、誰ならいったい気付けただろう。
「あの…せっかくご提案いただいたのに、すみません」
「!いやいや!ただの思い付きだったからさ、気にしないでおくれよ」
ふと思い返す。これまでの選択肢を、そして自分の決断を。
全てが正しかったとは言い切れない。悔やんでも悔やみきれないような結末もあった。
「嬉しいよ。ちゃんと答えてもらって」
「え」
ポケモンと真摯に向き合っている。胸を張って言えるだけの自負はある。
ただこの少女のように同じ目線でないことだけは確かだ。
なぜなら自分はブリーダー。ポケモンはケアする対象。
「みんながみんな。そうやって考えてくれるといいんだけど」
その事実が未来永劫、覆ることはないだろう。
だからこれからも送り出し続ける。変わらぬ覚悟を持って。人間とポケモンの間に線を引いたまま。
「その気持ち、忘れないでよ」
けれど自分と違うその価値観もまた、未来永劫、変わらずあってほしいと。
「既に出発しバウタウンへ向かっています」
「おやおや。ずいぶんと早い出発だ」
タクシーに揺られながら報告を受け、ローズは瞳を細めた。
始まりを告げる眩しい朝日。眼下に広がる風景。
―――やはりガラルは美しい。
「お召し物はそのままでよろしいのですか」
どことなく呆れた表情を浮かべる秘書。
平素と違う服装を苦く思っている彼女に笑みで答える。
「もちろん。わたくしは ”ジョギング” に行くのだからね」
「まだジム開いてないし、お散歩しよっか」
「ラン!」
「おや。ナナシくんではありませんか」
手間なく見つけた少女の後ろ姿。
必要なものは揃っている。それを確認してから、ローズは彼女に声をかけた。
「奇遇ですね。今日はルリナくんに挑戦ですか」
「おはようございます。はい、もう少ししたらジムに向かおうかと」
「これからモーニングを取りに行くのですが、一緒にいかがかな?」
「ありがとうございます。お茶だけでも差し支えなければ」
「もちろん歓迎しますよ!では行きましょう」
委員長からの誘いにも動じず、相棒をボールに戻したナナシを連れ歩く。
目当てのレストランに到着した彼女を予定通り案内させ、二人は腰を下ろした。
「やはり食べるなら現地でとれたものだね!すべてのメニューがデリシャスです」
「そうでしたか。今度は食べに来ます」
朝食を済ませた彼女には、この店自慢の香り豊かなブレックファスト・ティーを。
温かい紅茶にミルクを入れかき混ぜる様子を見ながら、緩やかに口を開いた。
「初日でターフジムを突破するとは、さすがダンデくんの推薦者だ。テレビもキミの話題で持ち切りでした」
バトルが放送されていたことを知らされても、ナナシは一向に興味がなさそうだ。
想像の範疇だとやはり穏やかな笑みを浮かべたまま、彼も話を続ける。
「しかし…残念ながら、問い合わせはなかったんですよ」
「問い合わせ?」
「キミのご家族や知人からね。ガラル中に放送されていたから、必ずあると思っていたのですが」
ピクリ、と。カップを持つ手が反応を示す。
その証拠に小さな水面が波紋を作っていた。
「気を落とさずに!何かあれば、必ずダンデくんにも伝えるからね」
悲しそうな雰囲気を瞬時に纏い、長いまつげを伏せるナナシの器用さには内心驚く。
少女らしからぬ強かさだが、生憎と駆け引きならばお手の物。
「ところで、ナナシくんはムゲンダイナをどう思いますか」
「ムゲンダイナ、ですか?」
しおらしい態度を装い始めた彼女の意識が何かに向いた隙を狙って。
空模様でも尋ねるような軽やかさで、本題へと切り込む。
「ええ」
「どう、って…」
唐突な質問に詰まり、真剣に考え出した様子を眺めながら軽食を摘まんだ。
引き出そうとすれば気取られる。焦ってはいけない。
「…かっこいいと思います。紫も赤も好きな色なので、あたしは好きです」
―――やはり彼女は知っている。
「なるほど。それを聞いたらきっと彼も喜ぶだろうね」
「?そうですか…」
「遠くないうち、必ずキミは彼に出会う」
「はあ…」
つい上機嫌になってしまったが、ナナシは不思議そうにしているだけ。
肝心な時に警戒を解くとは。得られた証拠と相まって、喜びが込み上げる。
「その日がとても楽しみだ」
「朝からごちそうさまでした」
「こちらこそ素晴らしい時間を過ごさせてもらったね」
教育を受けた履歴がないにも関わらず、彼女はマナーがきちんと身についていた。
言葉遣い然り、立ち振る舞い然り。今も手を前に揃えお辞儀をしている。
「引き続き活躍を楽しみにしていますよ」
「ご期待に沿えるよう努めます。…あの、お伺いしたいのですが」
「何かな?」
「ローズ委員長は、こんな朝早くに何用でバウタウンへ来られたんですか?」
澄んだ瞳でこちらを見上げるナナシ。単純な疑問のようだった。
勘は鈍くないものの確信に届かないところが実に惜しい。
「この町は潮風が気持ちよくてね」
「?」
「ジョギングをしに来たのですよ」
港へ視線を向けながら返事をする。
意外に思われたのか、彼女は目を瞬かせていたが、それも数回で終わった。
「健康第一、身体が資本だからね」
「なるほど。貴重なお時間ありがとうございました。失礼します」
改めて礼を告げ立ち去る少女の後ろ姿を、ローズはしばらく見つめていた。
朝の陽を受け輝く未使用のダイマックスバンド。
「わたくしはね、約束を守る性質なのだよ」
「…灯台って昔は船の道標だったらしーよ」
「ヌメリャララ?」
「『みちしるべ』はねえ…マークっていうか…。…目印…うん、目印かな」
「ラアラン」
灯台にいたルリナは遠くから聞こえてくる声にクスリと笑みをこぼした。
話題の彼女は思った以上にマイペースのようだ。
「ジムチャレンジャーですね」
「すごすぎです。はじめまして、ナナシと申します」
呆れた顔で主人を見上げるヌメラ。
言い当てられたことに驚いているナナシは噂に違わぬ可憐な少女だった。
整った顔立ちに大人びた空気を持つが…相棒の様子から察するに案外抜けているのだろう。
「ダンデの推薦でしょ?あなた、ジムリーダーのあいだでちょっとした有名人なんだよ」
「へえー」
「はい、有名人さん。わたしのことも知っておいてね」
ダンデから推薦状をもらい、開会式でマクワに声をかけられ、ターフタウンでダイマックスせずヤローを突破した女の子。
最早リーダー勢だけの注目に止まらないが、本人は然したる興味もなさそうだった。マクワの称した『大物』とやらに納得する。
「ありがとうございます。ルリナさんのこと、もっと知りたいです」
「じゃあ、バウスタジアムにおいでよ。大好きなつりよりも大好きなポケモン勝負で教えてあげる!」
リーグカードを受け取った後はにかむナナシにルリナも勝気な笑顔で返した。
あなたが好きです♡と口ほどに物を言う彼女の目はなんとも厄介だ。
「リャァラッ!!」
「一番好きなのはヌメただよ?」
「ンメエリャア〜〜♪」
キバナ曰く『ヤラレちゃう奴もいそうなコ』も、強ち間違いではないだろう。
「よくぞいらっしゃいました!ナナシ。あらためまして、わたしはルリナです」
パズルをノーミスで解き、フィールドへやって来た少女を迎える。
興奮も見せない真っ直ぐな瞳は、凪いだ海を思い起こさせた。
「あなた……ポケモントレーナーとして冴えた頭脳の持ち主なのね」
「必死に勉強した甲斐がありました」
「でも、その冴えた頭でどんな作戦を繰りだそうとも、わたしと自慢のパートナーがすべて流しさってあげるから!」
けれど海は荒れ狂うもの。その二面性こそ本質であり美しさと言える。
みずタイプのスペシャリストとして立ちはだかるジムリーダーに、唇だけで笑うナナシ。
「あたしたちも全身全霊で挑みます。だから、教えてください―――ルリナさんのこと、ポケモン勝負で」
こちらを挑発する瞳。
その奥に、ルリナは何かを見た気がした。
「次に挑むのはほのおのジムリーダーね」
「エンジンスタジアムまで結構かかりますか?」
「そうでもないわ。第二鉱山を抜ければすぐよ」
試合後、ルリナはナナシを誘い、広場にて共に一息をつく。
次の挑戦者が来るまで時間が空く以外に、話をしてみたかったというのが本音だ。
「でもなんか癖になりますね。嫌じゃないっていうか…疲れが取れるっていうか」
「そうなの!見た目は普通だしオシャレでもないけど、身体にいいからオススメよ」
親友から聞いていた通り、チョロネコ感のあるナナシは同じく猫舌なのか、チビチビとホットティーを飲んでいる。
彼女の横に鎮座するヌメラは漢方のニオイに大きく顔を顰めているが。
「ダンデがあんなに気にかけるなんて、いったいどんな子だろう?ってみんなで話してたの」
「みんな、とは」
「他のジムリーダー。言ったでしょ?あなたちょっとした有名人なんだよ」
「ええ……ダンデさん、一時的にあたしの代理保護者になってくださってるんです。そのせいですよ」
注目されている事実に恐縮するでもなく、逡巡の後、それらしい理由を告げるナナシ。
代理とはいえチャンピオンが保護者になっているという状況は、人によればひっくり返ってしまうだろう。
そんなことがあるのかと、ルリナ自身信じられなかった。最初にソニアから聞かされた時は。
「知っているけど。それだけかしらね」
「ええ……」
事の重大さを理解していないながらも、言い触らすような性格でないのは見受けられる。
落ち着いてはいるし、何より必要以上のことを語らない。
その一方で雄弁な眼を持っているのだから、なるほど、これは確かに
「なんとなくわかるわ。あなたのこと、つい気にしちゃうもの」
「ルリナさんに気にされるのは嬉しいです」
「ダンデが聞いたら嫉妬するわよ」
「じゃあここだけの秘密ということで」
内緒♡とご丁寧にハートまで語尾に付けて悪戯な表情をするナナシに、ふと友人の姿が思い浮かぶ。
年上ではあるものの、果たして彼はこの少女を自分の思うように扱えるだろうか。
“代理保護者”の苦労をそれとなく察したルリナは、今夜メッセージでも送ってやろうと心の中で決めた。
「そろそろ行かなきゃ。ナナシはもう少しここにいる?」
「あたしも鉱山に向かいます。今日中にエンジンシティへ着きたいので」
「この時間なら余裕で間に合うわよ」
期間中とはいえ、リーダーとしての仕事はジムチャレンジを受ける以外にも色々だ。
ほんのわずかな休憩と気分転換に満足したルリナは席を立った。ナナシも一緒に大通りへ出る。
が、その様子がまさにトボトボ…ションボリ…と擬音が付きそうなほど寂しそうだったから、ルリナはつい吹き出してしまった。
「そんな顔しなくてもまた会えるわ」
「えっ」
「ソニアは知っているでしょ?彼女、わたしの親友」
「えっ」
「あなたのこと、実はソニアからも聞いていたの」
「えっ」
「驚いた?あなたが仕掛けたブラフのお返しよ」
存外、かわいいところもあるものだ。
目を丸くして自分を見上げるナナシにたたみかける。
バトルで受けた”ちょうはつ”のお礼だと言い添えて。
「また会いましょう、ナナシ」
締め括りに、モデル業で培った最高のスマイルを。
そうして一拍置いた後に、ようやくナナシが反応した。
「…はい。また、会いたいです…!」
恋する乙女よろしく、頬を染めて心の底から嬉しさを噛み締める美少女の破壊力と言ったら。
改めて彼の苦労を察したルリナは、必ず今夜労いの言葉を送ってやろうと心の中で誓ったのだった。
→