「あたし、絶対にバッジ集めて来ますから。待っててくださいね?」
ナナシが起きるのを察しながら、敢えて眠ったふりを続けていたキバナは笑いを堪えた。
あれだけ乗り気ではありません、という体を装いながらも、本気中の本気である。
おまけにコソコソと身支度を整え退出する様子が、ワンナイトをしでかした大人のようで、殊更可笑しかった。
「おもしろいヤツ」
冒頭の捨て台詞の後、扉が閉まり、ようやくキバナは身体を起こす。
律儀に感謝を記したメモをサイドボードに置いているが、意外にもその字は文字を覚えたばかりの子供のようだ。
「ハハッ。へたっぴだな〜」
ベランダからその小さな背中を目で追う。幸いパパラッチもいないので心配することはない。
てっててってと足早に大通りへと向かうナナシは、次のジムへと心新たに向かうのだ。
「さっさと会いに来いよ。ナナシちゃん」
拙い字に軽く口付け、キバナは室内へと戻った。
彼もまた、新しい一日が始まるのだから。
「もっと!もっと壊しなさい!ねがいぼしを掘りだすのです」
今なら思い出せる。
「ねがいぼしを集めれば委員長が認めてくれます!」
あの時、ナナシちゃんは行くのを止めようとしていたな、って。
「やれやれ。あなたたちですか……」
いくつものジムチャレンジを乗り越えてきた。
だから、
「ですがそんなことは認めません!だれにもジャマは「このクソガキー!!!!」
『私なら解決できる』 そう考えていた。
「っ!?な、なにをするのです!放しなさい!」
「放すわけないでしょこのクソガキ!!!」
「なっ……」
あのコが大声を出すところを初めて見た。多分、ソニアさんも。
だから私たち、呆気にとられて動けなかったんだ。
「あんたね!これ作った人に許可取ってんの!?壊していいって許可もらってんの!?!?」
「はあ!?!?そんなものあるわけないでしょう!!!」
「じゃあ壊しちゃダメに決まってんだろクソガキ!!!」
ナナシちゃんは。出会った時からすっごく大人びていた。
それも、背伸びをしている?って感じじゃない。
意外と冷静で、物怖じしなくて、
「さっきから人をなんだと…!」
「勝手に人のもんを壊すのがクソガキじゃなくて何なのさ!バカ!!」
でもどこか、私たちと違う境界線の、向こう側にいるような。
「〜〜うるさい!ダイオウドウ!やりなさい!」
「あ!だから止めろってバカ!!!」
だから。綺麗な顔を歪めて怒っているのを見た時。
ちょっとだけ思ったの。
ビートが羨ましいなって。私にもそんな顔してくれるのかなって。
「危ない!」
あれはきっと、そんなくだらないことを考えている私への、罰だった。
「ナナシちゃん!!!」
せめて、と崩れる身体を抱きとめる。
先程自分にぶつかってきた時もそうだった。
あまりにも軽く、あまりにも線が細い。
「だから言ったでしょ」
それなのに、ドロリと流れる血だけが生命をしっかり表している。
イレギュラーな状況に凍り付く自分の耳にも届く声。なぜか可笑しそうに。
こんなはずではなかった。
「バカビート」
こんなはずでは。
「誰も触らないように!」
狼狽えながら介抱を試みる面々にピシャリと放たれた一言。
水を打ったように静かになったその場で、ローズは責任者としていち早く指示を出す。
「素人が下手に動かすと危険だ。キミたち、至急彼女を搬送したまえ」
並行して病院への連絡を行う秘書を横目に、彼は改めて現場を見返した。
負傷する瞬間を目撃した三名とも真っ青で、震えている者さえいる。
しかし倒れている少女本人は、不釣り合いなことに少しだけ笑っていた。
そのまま目を閉じている様子がさながら眠り姫のようで、余計に不吉だ。
「必ず助けなさい」
だが、このまま延々と眠っていられては困る。
「是が非でも、彼女を助けるのです」
“彼”があなたを待っているのだから。
「ナナシちゃん…!ナナシ、ちゃん…!」
「ユウリ、しっかり!ナナシなら大丈夫だって!」
動揺して泣き出すユウリを励ました。
実際のところ、わたしも泣きたい気分だった。
「委員長に任せておけば心配いらないよ、そうでしょ?」
年下の女の子相手に弱気じゃいられない。
仮にも先輩として、しっかりしなきゃ。
そう奮い立たせることで、なんとか保っていたと思う。
「でも…わ、わたしが…ナナシちゃん…」
「ユウリのせいじゃないよ。最初に向かったのはわたしでしょ?」
胸をチクリと刺す。
好奇心も行き過ぎれば危険と、おばあさまに教わっていたのに。
今更ながら迂闊だった。もう遅すぎるけれど。
「いったんホテルに戻ろ?委員長からの連絡を待とうよ」
「っ、は、はい……」
泣き止む気配のないユウリにそう声をかけて、わたしはナナシのバッグを拾いに行った。
倒れた時、ビート選手が急いで外していたから、あの子が横たえられたすぐ傍に…
「―――え?」
むず痒くなるような違和感。
その正体に気づいた瞬間、伸ばしていた手が止まった。
「…ソ、ソニアさん?どうかした、んですか」
「!ううん、なんでもない。行こうか」
ユウリの涙ぐんだ声で我に返る。
大丈夫、と何度も繰り返しながら階段を降りていく時、わたしはもう一度遺跡を見た。
やっぱりそうだ。
――― …血の痕が、ない… ―――
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