なんだか、元気なのよねえ。
自分のお家のことなんか、ちっとも恋しがったりしないんだよ。
一回だけ聞いてみたんだけどね。やっぱりケロッとしてたわ。
失くしたってことはいらないってことかも、なんて言って―――
「はじめまして、ダンデさん」
「やあ、キミがナナシくんだな!ホップからアレコレ聞いているぜ」
母から少女を保護したと聞かされたのは、つい先日のこと。
身元の確認に難航しているらしく、溜息混じりの声音がそれを伝えてきた。
危険性はないものの、生家で発生していることなら他人事ではない。
時間を作り帰省すると約束したダンデは、この日初めて例の少女と対面した。
「ヌメラがキミのパートナーなのか。この辺りじゃ珍しいな。どこで捕まえたんだ?」
「空から落ちてきました」
「落ちてきた?ははっ、それなら運命だな!」
「ヌメッ!」
ひょんなことからヌメラを相棒にしたらしいこの少女は、ホップ曰く“かわいいけどメチャクチャ”らしい。
今の所その片鱗は見えないが、なるほど確かに整った顔をしている。
おまけに立ち振舞がどこか大人びていることから、ホップよりも年上に見えた。
「ナナシ、早く来いよ!アニキの話が始まっちゃうだろ!」
いつ帰ってきてもダンデに話をせがむ弟は一番のファンだ。
キラキラとした憧れに染まる瞳が、チャンピオンとしての誇りを意識させる。
そしてそれはホップ以外からも、ありとあらゆる場所で向けられるものであり、ダンデが慣れている視線だった。
「あたしはお茶入れてくるから、先に始めてもらいなよ」
ところが、ナナシは一向にその気配がない。
記憶喪失がそうさせているのかもしれないが、無感動なその眼はダンデにとって今や慣れないものになってしまった。
大抵の場合、同年代でも年配でも、ダンデの前では一定の壁が積み上げられる。チャンピオンであるが故の、距離。
その壁が子供で年下のナナシに存在しないこと。彼にはそれが不思議で仕方なかった。
「どれがクッキーかわかる〜?」
「ヌメ〜?」
用意に時間がかかっているらしいナナシを確認する為、キッチンに向かった時。
ヌメラと会話したりちょこまかと動き回ったり、じっと立ち止まったり。
その小さな背中を眺めていると、以前ホップの言っていたことが理解できてしまう。
「クッキーであってるかなあ」
いるのに、いない。
「それはクラッカーだぜ」
「ぅあ゛っ」
「ヌンメッ゛!!!」
自分は夢の中に迷い込んでしまったのだろうか。
現実味のない姿へ声をかけると、それはもう飛び上がる勢いで驚かれてしまった。
「すまない、驚かせるつもりはなかったんだが…」
「い、いえ。あたしの方こそ、過剰に反応しちゃって、すみません」
振り返ったナナシは当然そこにいる。
一瞬で消えた違和感に疑問を覚えつつも、ダンデはお目当てのものを拾い手渡した。
「…なあ、ナナシくん。もしかして」
「はい。文字読めないです」
一大事のはずなのに、ナナシは相変わらず淡々としている。
『なんだか、元気なのよねえ』
腑に落ちない電話越しの母。こういうことだったのか。
「アニキ、ナナシ!早くしてくれよ!」
複雑な面持ちのダンデを置いてヌメラと共にリビングへ向かうナナシ。
ホップへ笑いかけるその姿におかしな所は何も無かった。その時は。
「色々と聞きたいことがあって…すみません、こんな遅くに」
「気にしないでくれ。俺で良ければ力になろう」
意外なことに、その夜ナナシの方からコンタクトを取ってきた。
願ってもないチャンスだ。こちらとしても聞きたいことが色々とある。
昼間と違って、遠慮がちにダンデを窺う表情は幼い。
「それじゃ、お言葉に甘えて。まずは公的機関についてなんですけど、司法の管轄ってどこなんですか?」
「……」
「警察以外にも治安を維持する組織ってあります?」
「……」
「政治家はいないんですか?というかガラルの政治ってどんなものなんですか?国のトップは?」
「……」
「…あの、ダンデさん?」
しかしまさかこの手の質問が飛んで来るとは。それも矢継ぎ早に。
ダンデはてっきり、チャンピオンってどんな感じなんですか?レベルの話かと思っていた。
なぜなら彼女はホップと同じくらいの年頃なのだから。
「ダンデさん」
「あ、ああ…すまない。想像していた質問と全然違っていたから」
よもや政治的かつピンポイントな疑問を投げかけてくるなど、誰なら想像できただろう。
ふいうちに固まったダンデを、ナナシは訝しげに覗き込んできた。
我に返って、羅列された質問に順序よく回答していく。
「うーん。なるほど、なるほど…」
スケッチブックに取られるメモ。
一応隠しているつもりらしく角度をつけているが、そこはチャンピオンの慧眼。
それとなく観察すると、グラフや図形などが描かれていた。
だが。
(…何だ?それは)
至る所にならぶ、記号のようなもの。
サラサラと淀みなくペンを走らせる様子から、間違いなく文字だろう。
しかし生まれてこの方、見たことがない形だ。別地方のものだろうか。
「いつまでもご厄介になるわけにはいきませんから」
熱心にその文字のような何かでメモを取り続けるナナシ。
真剣な表情は、どうも子供というにはかけ離れている。おまけに考え方も自立へと向かっているようだ。
識字もできないというのに、独立する手段を模索しているとは。
「ナナシくん、キミはまだ子供だ。そんなことは考えなくていい」
「それはダメです。保護者のいない子供にも、然るべき場所がありますよね」
正直なところ、この家に子供が一人増えたくらい、どうということはない。経済的にも精神的にも。
現に母は、複雑な立場ではあるものの、娘ができたようだと喜んでいる部分もあった。
ホップとも良好な関係を構築しているのだから、素直に滞在すればいい。
本来帰るべき所が判明するまで。失くした記憶を取り戻すまで。
「いくら子供だからって、素性のわからない人間を預かるのは危ないですよ」
「……」
「もしも記憶喪失を装って、何か企んでいたらどうします?たとえば…弱いフリしてチャンピオンに近づこう、とか」
それなのに、ナナシはいやにキッパリと現状を不適切だと言い切った。
おまけに不穏なことまで仄めかす。ダンデから視線を外し、流し目でニヒルな笑みを口元に浮かべた。
だが無礼な発言という自覚はあるらしい。目が合った途端、しまったと苦い顔を作るのだから。
「キミは面白いことを言うんだな」
「ええー…今笑うところありました?」
ダンデの反応に不満そうだが、変に悪ぶっているナナシにいたずらごころが湧くのは仕方ないだろう。
小生意気なことを言う割に、申し訳なさそうな色を隠せていないのがいけない。
「キミはわるい子じゃないよな」
「どうでしょう。悪いやつかもしれませんよ」
適当に受け流すダンデに、だんだんむくれて行くナナシ。
あまりいじめすぎると警戒されるかもしれない。
それもそれで愉しそうだが、先にナナシの方が一歩引いた。
発想を変え、ジムチャレンジへの参加を主張する。
「ジムチャレンジに参加してたら、あたしのこと知ってる人がいるかもしれませんし…」
ひどく悲しそうな横顔。伏せられた睫毛は影を落とす。
流石のダンデもこれにはまいった。今にも泣き出しそうだ。
「来月、俺はまた帰ってくる予定だ。その時にまだ意志が変わらなければ…検討しよう」
とは言え、現状全く身元のわからないナナシに推薦状を発行するのは骨が折れる。
保護者をどうするか、リーグカードのベースとなるIDはどうするか…対応がいかんせん複雑になるのだ。
「ありがとうございます。それまで、色々と勉強しておきます」
その場でOKをもらえないのは予想の範疇だったようで、ダンデの返答に落胆せず、礼を告げて部屋を出るナナシ。
「おやすみなさい、ダンデさん。よい夢を」
おやすみなさい、よい夢を、か。
わるい子にしては随分と愛らしいセリフを使う。
「ああ。おやすみ、ナナシくん」
メチャクチャで大人びてて素直で謎まみれでワルぶっているキミ。
そんなキミに、どうかよい夢が降り注ぎますように。
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