「…ンメ…」
ベッドに横たわるナナシを見つめるヌメラ。
ひどく悲しそうなその横顔に、普段の強気さは微塵もない。
「ヌメた、ナナシくんなら大丈夫だ。疲れて寝ているだけだからな」
「…ンメ…」
ダンデの言葉にもこれと言って反応せず、ナナシを見つめ続けている。
心配でたまらないのだろう。そして、己を責めているのかもしれない。
自分は主を守れなかった、と。
「ヌメた。オマエは凄いポケモンだな」
「…ンメ…?」
だが、それはこのヌメラに相応しくないことだ。
ダンデは取り除かなければならなかった。
不要な自己否定は害悪である。人間にも、ポケモンにも。
「オマエがああして鳴いてなければ、間違いなく辿り着けなかった」
フォローアップの嘘や世辞ではない。
一定の音程で、アラームのように絶えず叫び続けていたヌメた。
だからダンデも彼の呼びかけに反応できたという、純然たる事実。
「ナナシを助けたのは俺じゃないぜ。オマエだ、ヌメた」
まどろみの森に生息するポケモンには、ヌメラが苦手とするフェアリータイプも多い。
現にダンデが駆け付けた時、刺さるような数多の視線が彼らに向けられていた。
どれほど心細いことだったろう。トレーナーは倒れ、頼れる仲間は他にいない。
それでもヌメたは逃げなかった。彼女の傍から一歩も離れなかった。
助けが来ることを信じ、あらん限りの大声を張り上げて。
「オマエは立派に主人を守り抜いたんだ」
トレーナーとポケモンは、得てしてお互いを守り合うものだ。
それが強固な絆を生み、バトルに発揮されることもあれば、こうして危機を打開することもある。
短い期間の中でナナシとヌメたが築き上げたそれは、心の底から賞賛に値するものだった。
「…メ…ェ…ッ…ヌメ…ッ」
ダンデを見上げていたヌメたの瞳に、じんわりと浮かんでくる涙。
溶け出した不安がそのまま滲んでくるかのようだ。
フ、と優しく笑ってダンデは言葉を紡ぎ続ける。
「オマエのような相棒を持って、ナナシも幸せだな」
「…ンメリャ!メーア!」
てっきり泣き出すかと思ったが、ぶんぶんと勢いよく身体を振ったヌメたにもう弱気な表情はなかった。
「さあ、オマエも休むんだ。そんなしょぼくれてちゃ、ナナシも起きた時悲しむぞ」
「ヌンメ!」
わかってらあ!とでも返事をしたのか、フンフンッと定位置のボウルに収まるヌメた。
素直ではないが、きっと人前で涙など見せたくないのだろう。男の意地といったところか。
「もう少ししたらナナシも起きるだろう。それまでよろしく頼むぜ、ヌメた」
「メリャ!」
護衛を任されたヌメたは意気揚々に胸を張る。
小さな騎士の大きな責任感に、ダンデは改めて賛辞を贈るのだった。
「結構食べるんだな」
「だってペコペコなんですもん」
目覚めたナナシは意外にも食欲旺盛だ。
ダンデの持ってきた食事を平らげていく様子に安心する。
あからさまにピーマンを避けているのはいただけないが。
「まどろみの森で倒れていたんだ。覚えてないか?」
「あーやっぱりそうなんですか」
多少会話したことも覚えていないようだ。
当然、手負いのポケモンさながら牙を剥いたことも記憶にないのだろう。
丁寧に礼を告げる彼女のどこに、あの獰猛さが潜んでいるのか。不思議なものである。
「それに、礼ならヌメたにしてやってくれ」
「ヌメたに?」
「そうだ。キミを守る為に、必死で俺を呼んでいたんだからな」
まだ寝ている彼を褒めてやるべきは、ダンデでなくナナシだ。
朽ちかけた自尊心も瞬く間に戻るだろう。
なんせこのヌメラ、それはもう主人にメロメロなのだから。
「…あ」
「どうした?」
「あの、あたしたちの近くに、野生のポケモンとかいませんでしたか?」
「いや…近くにはいなかったな」
「そうですか。ヌメたが威嚇していたようだったので…」
腑に落ちないといったナナシに、ダンデも発見した時のことを思い出す。
それはなんとも異様な光景だった。
遠巻きにナナシとヌメたを観察している野生のポケモンたち。
木の陰から、離れた草むらから、ありとあらゆる所から息を殺して窺っていた。
だが。ダンデも肌で感じたその視線は、敵意というより畏怖のようなものだった気がする。
そして注がれていたのは、ヌメラではなく寧ろ―――
「…もうひとつ聞きたいんですけど、あの森に、ちょうちょに纏わる話とかないですか?」
「ちょうちょ?」
「はい。例えば、伝説とかおとぎ話とか」
「ちょうちょ…ああ、バタフリーのことか?俺の知る限りではないな」
「えっ」
「?どうかしたか?」
「い、いえ」
ダンデの観察眼は、確かにナナシの動揺を見抜いていた。
誤魔化すように咀嚼しているが、心ここにあらずだ。何かを思案している。
しかしおかしなことを言った覚えはない。
まどろみの森にバタフリーは生息しているものの、特別な言い伝えは聞いたことがない。
(キミは…何者なんだ?)
「ンエ〜」
「うんうん。怖かったよね」
「ゥンメ〜」
「うんうん。ありがとね」
「エア゛〜」
時刻は夜。庭へ出るナナシを見つけ、ダンデは後を追った。
彼女に依頼されていたこともあるし、それ以上に一人でいるべきではない。
危機感のなさに対する説教を忘れていたのは不覚である。
「夜泣きとは大変だな」
「あらダンデさん」
「ヌ゛!?…メリャ!」
ヌメたをあやすナナシは、まるで我が子を抱く母のように穏やかな空気を身に纏う。
微笑ましいその姿に、ダンデはわずかの揶揄いを口にした。
主人との甘いひと時を裂かれた彼は大層ご立腹なようで、乱暴に水場へ飛び込む。
よくも邪魔してくれたな!と言わんばかりの彼を素知らぬ風で再度揶揄すると、非難は勢いを増した。
「バタバタして聞きそびれていたが…まだジムチャレンジをするつもりはあるか?」
「!あ、はい!めっちゃあります!」
ダンデはなにも彼らの時間をわざわざ邪魔しに来たわけではない。
以前にナナシから提案されたジムチャレンジへの参加を確認したかった。
意欲も十分らしい彼女は、ダンデの問いに二つ返事で答える。
「そうか。なら手続きをしないとな…これから忙しくなるぜ?」
「お手数おかけします」
バトルコマンドの工夫や、相棒との絆。彼女はきっと優秀なトレーナーになるだろう。
その未来を想像すれば、手続きの大変さなどわけもない。
新しい芽が育ち行くのを時に助け、時に立ち塞がり、花咲くのを見届けるのが目標なのだから。
「そろそろ戻ろう。眠くはないかもしれないが、ちゃんと横になるんだ」
「はーい」
ナナシ自身にもやってもらうことが山ほどあるだろう。
明日からまた忙しくなるな。そう思えど、ワクワクするのは止められない。
その為にも就寝を促し、振り返ったダンデはその瞬間息を呑んだ。
(ナナシ!!!)
「…?どうしたんですか、ダンデさん」
「あ、いや…」
条件反射だった。
とっさに腕を掴んでしまった自分にも困惑してしまう。
一方ナナシは何も気にせず、いつものように笑っていた。
「ヌメ!ヌメ!」
「ほらほらヌメた。たいあたりしてないで、お部屋戻るよ」
池から出たヌメたは、その手を放せと足元で抗議している。
だがその意見をダンデは受け入れることができない。
細い手首を改めて握り直す。絶対に、離さないように。
「おやすみなさい、ダンデさん。よい夢を」
できることならベッドに入る所まで見届けたかったが、既にホップは寝ているのだ。
弟の睡眠を邪魔することは避けたく、歯痒くもドアの前で手を離した。
お決まりのセリフを受け取り自室へ戻ったダンデは、彼女の体温がまだ残る手のひらをじっと見つめる。
(さっきのは…いったい…)
拭えない不安。見えない何か。じわりと嫌な汗が浮かぶ。
残念ながらダンデはこの日、よい夢を迎えることはできなかった。
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