「もう一人…ああ、もしかして先日言っていた少女ですか」
「はい」
ローズタワー最上階、委員長の執務室。
そこでダンデはローズと向かい合っていた。
推薦状に関して責任者への報告は必須であったし、イレギュラーな参加者がいるからだ。
「最初に話を聞いたのは先月頃でしたね。まだ身元が?」
「ええ…警察も手を尽くしているようですが、なかなか」
ナナシが実家で保護されてから、既に一か月以上が経った。
当初は捜索願が出されている少女に限定していた警察も、手がかりのなさに範囲を広げている。
「それでは保護者の登録からになるでしょうか。弁護士にも確認してみましょう」
「ありがとうございます」
委員長本人の助力が得られれば、これほど力強いことはない。
ダンデは深々と頭を下げる。人当たりの良い笑みで、ローズはそれを受け入れた。
「それにしてもおかしなものだ…家族の情報すら得られないとは」
「ええ。本人も、ジムチャレンジに参加すれば自分を知っている者が現れるのではないかと」
「その可能性はありますねえ。ちなみに、どんな子なんです?その少女は」
尋ねられ、ダンデは改めてナナシのことを思い出す。
初対面でも壁を作らぬ、年下で子供の彼女。
「…とても不思議な子です。俺に物怖じも憧れもしませんし」
「ほう。チャンピオンにそんな態度とは珍しい」
「あとは、考え方がやけに大人というか。俺が質問されたことは、政治や経済についてでしたよ」
「ハッハッハ!それは驚いた。キミにそんなことを聞く人間がいるとは」
ポケモンのことならわかりますけどねえ。愉快そうに目を細めるローズ。
全くだ。ダンデ自身、あの日そんなことを聞かれるとは想像もしなかった。
「それに―――」
『ガラルの企業ロゴってオシャレなんだね』
スケッチブックに書かれる文字のようなもの
『フーッ゛、フゥ゛ーッ…!』
野生ポケモンたちが向ける畏怖のような視線
『どうしたんですか、ダンデさん』
あの夜月の光を浴びた彼女の姿は
「……」
「どうしました?」
「いえ…とにかく、不思議な子です」
いくつもの情報が錯綜し、説明の難しさに言葉を濁す。
ローズ氏は特段追及せず、ナナシが参加できるよう手配を整えるそうだ。
早速秘書に何かを依頼する様子に再度感謝しつつ、ダンデは不思議なあの子を脳内で追い続けた。
「ここが博士の家かあ」
「いや研究所だぞ」
室内を見渡しのんびりと間違った事実を口にするナナシ。
ホップは訂正しながら、ユウリと揃って彼女をソニアに紹介した。
「ナナシもジムチャレンジ参加すんの?」
「はい。それで図鑑頂けたらと思って」
「もちろん!おばあさまも喜ぶよ。それじゃあちょっと待っててね」
図鑑は必須ということで、ユウリからもらったスマホを手に三人で研究所を訪れる。
ロトムスマホと違ってひと手間かかるらしく、持ち主だったユウリと奥へ引っ込むソニア。
ヌメたは本日お留守番ということで、これ幸いとナナシはワンパチに構っている。
たしかに彼が傍にいたら嫉妬するに違いない。
なんせあのヌメラ、それはもうナナシにメロメロなのだから。
(元気になってよかったな…)
昨日兄が連れて帰った時の衰弱ぶりには肝を冷やしたが、もう心配はなさそうだ。
相棒を持ってからというものの、最初家に来た時のような遠い目をすることもない。
その理由が自分ではなくポケモンというのは少々寂しいが、笑顔ならそれでいいとも、思う。
(…ん?)
キャッキャとはしゃぐナナシとワンパチを眺めていると、ある種の違和感を覚えた。
うまく言い表せないのだが、何かがおかしい。
気のせいだろうか。でも念の為、と注意深くホップは観察して息を呑んだ。
ナナシに撫でられ、嬉しそうに目を細めるワンパチ。
口元を緩ませながら、ワンパチに触れているナナシ。
彼女の手が触れているフワフワの頭、そこにある二つの耳。
その両方の根元まではっきりと見えた。
細い腕に遮られて見えないはずの、片方の耳の根元まで。
「ナナシ!!」
「な、なに!?」
「あ…ごめん」
ゾッとした瞬間、大声で名前を呼んでいた。
ナナシもワンパチも目を丸くしている。
ビックリしたねえ、と抱っこして立ち上がった彼女の腕に、もう異常はなかった。
「どうしたの?」
「ホップ?ナナシちゃん?」
タイミングよく設定が終わったソニアとユウリも怪訝な顔をしている。
けれどホップの心臓はまだバクバクと騒いでいた。嫌な汗がドッと出る。
「ホップ、もしかして…あたし透けてた?」
「!!!」
深刻そうな面持ちで、ナナシは口を開いた。
まさか。彼女自身も認識しているのだろうか。先程の異変を。
「下着の色」
「なっ…そんなわけないだろ!」
まるで明後日の方を向いたことを言い出すナナシ。
拍子抜けすると同時にホップは何度も心の中で繰り返す。
そんなわけない。あの手が透けていたなんて、そんなわけないのだ。
「なあ、今日一緒に寝てもいいか?」
「え?うん、いいよ」
あの後、何度もナナシを確認したが、おかしなことはなかった。
それでも不安は募り、結果彼女の寝室を訪れる。
普段ならベッドを共にすることに恥ずかしさがあるのだけれど。
「はい、どーぞ」
「ん」
ナナシは異を唱えることなくホップを迎え入れる。
こんなに近い距離で向かい合っても安心することはできない。
「あのさ、ホップ。大丈夫だよ」
「…ほんとに?」
機微を察したらしいナナシは、その腕でホップを抱き締めた。
存在する体温。優しい声。透けていない。消えていない。
自分でもそれを確かめたくて、小さな身体をしっかりと包み込む。
「うん。へーきへーき」
「…そっか」
頭を撫でられ、いつもと変わらない暢気さが心地よい。
張り詰めていた緊張が解かれ緩やかな睡魔が襲う。
「おやすみなさい、ホップ。よい夢を」
ある日突然、まどろみの森に現れた女の子。
ある日突然、消えてしまいませんように。
切に願いながら、ホップはその夜を迎えた。
→