13


「困ったわね…」
「どうしたのおばあさま」

ナナシがホップに連れられ、ねがいぼしを渡しに来た日の夜。
難しい顔で溜め息を吐く祖母を見かけたソニアは声をかけた。

「ナナシが持ってきたねがいぼしに、エネルギーが入っていないのよ」
「え?でも昼間は…」

確かに、瓶の中にある小さな星は赤い輝きが失われていた。
しかし彼女が持ってきた時は何も問題なかったはずだ。こうして預かっているのだから。

「これではダイマックスさせることができないわ」
「そんな…もうすぐジムチャレンジが始まるのに」
「代わりを委員長に用意してもらいましょう」

マグノリアの隣でソニアは再度ねがいぼしを見つめる。
ナナシの手のひらであんなにも煌めいていた星はそこになかった。



「おはようございます」
「おはよう、ナナシ。遅くなってごめんなさいね」
「いえいえ。依頼したのはこちらですから」

開会式の前日。朝、珍しく一人で訪れたナナシをマグノリアは迎え入れた。
事前にトラブルがあったことは伝えていたため、詳細を伏せ取り寄せた新品を渡す。

「わーお。ピッカピカ」
「ソニア、機能を説明してあげて」

丁度支度の済んだらしい孫を捕まえて自室へ向かう。
マグノリアは研究対象として、輝きを失った例のものをデスクにしまっていたのだ。
ところが。

「ン…メッ……ンメラッ!」
「おやおや」
「メリャッ!?」

ごそごそと机の中からお目当ての物を引っ張り出した、紫色のポケモン。
なんとナナシの相棒・ヌメたが物色しているではないか。

「人の物を盗るのはいけないことよ」
「メラ!?ヌメメンラ、ヌメーメ!」
「さあ、返してちょうだい」
「ヌ…ンヌ…!」

返してもらえればそれでよかったのだが、頑なに拒否するなら主人を召喚しなければ。
マグノリアはナナシのいるリビングへと踵を返そうとした。

「メ、ヌンメ!ヌメェラ!」
「…?」
「リャッッヌメリャ!ヌメメンメ、リャーメンラ!!」

そんなマグノリアの行く手を塞ぎ、ヌメたは何かを訴えている。
彼の瞳に盗みを働こうとする狡さはなく、いっそ縋るような目付きだ。
小さなツノ二本でしっかりと瓶を掴み、残りの二本でしきりにリビングの方向を指す。

「メララ…メラランリャ……」
「ヌメたー?」
「!…ヌメ、ァ…」

ナナシの声にビクリと揺れたヌメたは、泣き出しそうな表情で俯いてしまう。
マグノリアは理解した。彼は怒られるのが怖いのではなく―――

「ヌメた。それをナナシに返したいのね」
「!!!ヌン、ヌンメラ!!!」

理由は未だに謎であるが、やはり悪事を働いたわけではなさそうだ。
顔を上げパアッと表情を明るくさせたヌメたにマグノリアは微笑む。

「けれど勝手に取っては駄目よ。もうしないと約束できるなら」
「ンメ!!メメーラ、ンメラ!!」

全身を使って頷く彼から一度小瓶を受け取る。
蓋を開きとコロンと出てきたねがいぼしをヌメたに渡すと、ちょうどナナシが顔を出した。

「いたいた。何してるのー?」
「メ、メラァ」
「私にねがいぼしを見せに来たのですよ」

くすんでしまったねがいぼし。
それは研究者としての、またトレーナーに力を貸す者としての優しさであった。

「エネルギーは失われているけれど」

バンドを作ってもらおうと直接博士の元を訪れるトレーナが持参するのは、ねがいぼしだけではない。

希望もだ。

自分の願いはきっと叶う。本気の願いはきっと叶う。だってねがいぼしは降ってきたから。
彼らのそんな想いは、いつだって星自身の輝きよりも眩しくて、美しくて。

「ねがいぼしに変わりはないわ」

だからこそ。
エネルギーが失われたと知った時の落胆を、マグノリアは想像したくない。
赤い光と共に願いも消えてしまった。
ナナシにそう捉えてほしくないからこそ、事実を隠していたのだ。

「へえーヌメたもねがいぼし見つけたんだ」
「ン、ンメララ」
「赤くないねがいぼしかあ。こっちの方がレアじゃない?やりましたねヌメたくん、幸先いいですよー」

当然、何も知らないナナシは博士の言い分を信じ茶化している。
キョトンとするヌメたへウィンクすると、察した彼はナナシに近寄りその星を差し出した。

「ラン」
「え、くれるの?でもヌメたが見つけたんでしょ?」
「ヌーンメ!メーンリャ!」
「そんなごり押しする?わかったわかった、大事にするね」
「ヌヌンヌ!」

遠慮は許さんとばかりにグイグイ押し付けるヌメたと苦笑するナナシ。
この少女が持ってきたのは、ねがいぼしと希望と…不思議で不思議な出来事だった。



「申し訳ありません。コールしたのですが、お出になりませんで」
「そうか」
「外出はしていませんから、当施設内かお部屋にいらっしゃるかと」
「ふむ…」

ホテル・スボミーイン。そのフロントでダンデは腕を組み唸った。
目当ての人物に会おうとしたのだが、レセプションからの呼び出しに応えなかったようである。

「(メッセージの返信もないし…大丈夫だろうか)」

昼間、ホップとユウリに街中で遭遇したものの、ナナシは会っていない。
エントリーにやって来るスタジアムなら確実だと思っていたが、タイミング悪くダンデが不在の時に訪れていたようだ。

ナナシはしっかりしている。思考も、立ち振る舞いも。
だからこそ周囲は忘れがちである。記憶喪失だということを。身寄りもないのだということを。

「彼女の部屋は何号室だ?」
「503です」
「外から見るとどの辺りに位置している?」
「裏側ですね。1フロアにお部屋は5つございますから、丁度真ん中です」
「なるほど」
「…ダンデ様。くれぐれも騒ぎなどは…」

考えを見抜いたスタッフはやんわりと釘を刺す。
ダンデ自身も面倒事は避けなければならない。細心の注意を払って実行しよう。

「もちろんだ。教えてくれてありがとう」

天を翔け、キミの元へと。



「あそこか」

自身の滞在するホテルまで戻り、完全に暗くなってからダンデはリザードンへ飛び乗った。
幸いにも距離は近く、またスボミーインの裏手側はこれといった建物も人気もない。

「リザードン、あの辺りまで頼むぜ」

地上から1,2…と何度も数え目星をつけた窓の明かり。
教えてもらったとおり、窓は5つ整然と並び、真ん中を選ぶのに苦労はなかった。
問題は階数である。違う人間を訪ねてしまっては大騒ぎだ。

「(間違いないか…?)」

あっという間に辿り着いたダンデは、再び目的のフロアであるかを確認しようとした。
一時滞空させた相棒の背から地面を見下ろした時である。

「ンメ!?メ、メーリャ!!」
「(ん?今の声は…)」

視線をずらすと、カーテン越しにうっすらと見覚えのある丸いシルエットが。
どうやら正解らしい。だがゆっくりとガラスをノックしても反応がない。

「ナナシくん?もう寝たのか?」

そっと、他人に拾われない程度の音量で呼びかける。
これでも返事がなければ退散するつもりだった。

「…何してるんですかダンデさん」



「ホップとユウリくんには会ったが、キミを見かけなかったし…電話も出ないから何かあったのかと」
「電話はタイミング悪かっただけです。見ての通り、あたしは何ともないですから」

無事なことがわかった以上、長居は無用である。
風呂上りの良い香りがするだとか、またうまそうに見えるだとか、後ろ髪を引かれる要素が多々あったとしても。

「それならよかった。突然来てすまなかったな」

仕方がないとダンデは立ち上がった。
その刹那。


「ダンデさん」


ナナシの瞳が暗く染まる。


「心配かけてすみません」


自分が飛んだ夜空より、もっともっと暗い、


「明日からちゃんと連絡しますね」


数多の色を混ぜに混ぜた果ての、純然たる黒。


「おやすみなさい、ダンデさん」


それなのに、声だけは落ち着いていて、いつもと変わらぬトーンだ。
唇だけが本人の意識と無関係に動いているような。

「…しまったな」

極力自然を装いながら、しばし滞在することをダンデは仄めかす。
この状態のナナシを独りにすることはできなかった。

「…お茶、飲みませんか。リザードンと帰るなら温まってからの方がいいと思います」

ダンデが座ったことに、わずかながら頬を緩ませるナナシ。
その瞳から闇は既に消え去っている。



「それに…ナナシ。オマエにはやってもらわなければいけないことがあるんだ」

マントの中、ナナシはダンデにぴったりとくっ付いていた。
それは以前タクシーで見た、チョロネコのような甘え方ではない。
弱点を曝け出さないようにひたすら身体を小さく、小さく。防御を上げるための”まるくなる“だ。

『フーッ゛、フゥ゛ーッ…!』

森から連れ帰った後の、野生ポケモンそっくりな姿を思い出す。
平気な振りをして外敵に狙われないようにする性質まで持っているとは。

「そんなことをされちゃ、離してやれなくなるぜ」

何かを堪える表情。固く握りしめられた拳。
ダンデの観察力だからこそ捉えられた異常。
このまま攫って行こうか?それが安心だ。きっとお互いに。

「おやすみ、ナナシ」

ダンデはその考えに蓋をしてナナシをベッドへ運び布団をかけた。
意思を尊重してやりたい。目の届く範囲に置いておきたい。
双方のせめぎ合いは続いているものの、旅が始まってもない現状での行動は得策でない。

「よい夢を」

音を立てないよう注意しながら静かに部屋を後にする。
今回ばかりはキスをしなかった。
横たわるお姫様への口付けは、目覚めさせるためのものだと相場が決まっているのだ。



2021.11.23