失われたる伝説の、


「仙獣絵画展…?」
「よければ立ち寄ってみてください」
「おもしろそうだね」
「行ってみようぜ!」

依頼を終え、璃月総務司から謝礼と併せて渡されたチケット。
古くから現在に至るまで描かれた数多くの絵画を展示しているという場所に、早速二人は向かう。

「麒麟の絵だ」
「おお…綺麗だな…」

ありとあらゆる仙獣たちが時に神秘的に、時に荘厳に描かれている。
彼らに然程詳しくない旅人たちでも堪能するには充分だった。

「なあ、向こうにいるのって…」

パイモンが指した先には、見覚えのある後ろ姿。
こうした場に彼がいるのは当然のことだろう。

「鍾離先生」
「ああ。来ていたのか」

一言だけで挨拶を済ませた鍾離は、再び目の前に視線を戻す。
彼らもつられて見ると、そこには。

「え、これって…岩王帝君だよな?」

かつての帝君は、己が描かれた作品を眺めていたようだ。
しかしテーマは仙獣のはず。曲がり間違っても、岩神モラクスがそこに分類されるはずはない。

「それは仙狸の絵ですよ」
「センリ?」
「ええ。かつて存在した仙獣のことです。下の方にいるでしょう?」

ギャラリーのガイドに促され見ると、確かに、とぐろを巻いた岩神へしな垂れかかる何者かがいた。
真っ白な肌、真っ白な髪、真っ白な獣耳、真っ白な尻尾。
瞳を閉じてはいるが、それでも非常に美しい女の姿だ。

「彼女は仙狸。璃月における魔性と寵愛の象徴です」
「なんか怖そうだな…」
「そこまでじゃありませんよ。所謂悪女の祖と申せましょうか」
「どうしてそう言われているの?」
「彼女は非常に弱い仙獣だったそうです」

モラクスを取り巻く仙人や眷属と比較して、仙狸はまるで力を持たなかった。
しかしその美しさで、帝君の庇護を受けることができたのだという。

「だから彼女は、神をも惑わす魔性、権力者からの寵愛、と今でも伝えられています」
「すごいな…綺麗ってだけで、そんなに気に入られるものなのか?」
「経緯は不明ですが、彼女が特別だったのは事実です。唯一、帝君の膝元で甘えることを許されたのですから」
「へえ……」
「へえ……」

チラリと隣に立つ美丈夫を伺うが無反応。
色恋とは無縁そうな相手ゆえに、好奇心が膨らんでいく。

「仙狸というのは人間が付けた呼び名でして、“仙力を得た狸(山猫)”という意味なんですよ」
「そうなのか。てっきり岩神が付けたのかと思ったぞ」
「直々に授かった名前は別にあります。余談ですが、今でも璃月には『センリの影を追う』なんて諺があって」
「どういう意味?」
「忘れられない恋や愛を何時までも引き摺ることです。“仙狸”と“千里”をかけているんですよ」
「なるほどな〜!」

盛り上がる面々に反して、やはり鍾離は微動だにしない。
涼しい顔でただその絵を見つめ続けている。

「仙狸の美しさは絵にも描けない程と言われています。そのせいか、ほとんど作品が残っていないんです」
「うわーもったいない」
「最近の画家は描かないの?」
「仙狸がとうの昔に姿を消していますから。今やただの伝説で、本当に存在していたか疑う人も…」
「実在している」

沈黙を保ったままの男が、小石を投じる。
やはり視線も姿勢もこちらに向けず、再び口を開いた。

「仙狸は確かに存在していた。しかし、彼女に対するイメージはどれも曲解されたものだ」

『ただいま!』
『あのね、今日は港を回ったの。人がいっぱいでね…』

「仙狸は天命の悪戯により誕生した生き物だった」

魔神戦争により漏れ出た残渣。天を切り裂く雷鳴。
偶然が重なり、死を待つだけだった白い仔猫は仙力を手に入れる。

「あれは元々、脆弱な個体だった。自然の中で生き延びられぬと、親兄弟から見放される程に」

わずかながらの神通力を得たところで、事態は何も好転しない。
仔猫はただ己の生命を守るため、小さな小さな岩穴の中でじいっと蹲っていた。
飢えを凌ごうにも、狩りの仕方を教わっていない。
寒さを凌ごうにも、身を寄せ合う相手がいない。

「しかしどれだけ苦しんでも、生きることを諦めなかった。本能と言えばそれまでだが」

今でも思い出す。彼女を迎えに行った日のことを。

『安心しろ。もう大丈夫だ』

隠れ家に突如現れた人ならざる者、その神聖さに恐れ戦きながらも立ち向かってきた、小さい小さい山猫を。

『ぃ…ぅ……』

衰弱して声すら出せない、それでも敵を排除しようと、息も絶え絶えに己の腕を咬む、あの白猫を。

「仙狸の美しさは魔性ではない」

岩神は彼女を連れ帰った。
知恵も言葉も持たぬ彼女に、名前を与え、生きる術を教え、成長を見守った。

『モラクス、だ』
『もぉあ…うむ……ぅ』

『人の姿を取るようにしろ』
『どうして?』
『人の世に紛れられるからだ』

「眩しいほどの純真無垢。それが彼女の美しさだった」

『 あのね、今日は甘雨とお店を回ったの 』

「唯一、帝君の膝元で甘えることを許されたのではない」

『 今度はモラクスと一緒に行きたいな 』

「膝元で甘えることを好んだのは彼女だけだったという話だ」

『荒事はこの弟に任せておればよい』
『えへへ…うん!ずうっと一緒にいようね。モラクスも、若陀も。みんな、一緒!』


必要な元素力を自ら練ることもできない、虚弱な生き物。
他者から生命力を分けてもらうことでしか生きられぬ、脆い存在。

『 大好き! 』

それでも、彼女の纏う空気はどこまでも澄んでいた。



「なあ、仙狸ってほんとにいなくなっちゃったのか?」
「パイモン…」

聞きにくいことを。
旅人は言外で嗜めたが、鍾離の表情は変わらなかった。

「ええ。それについては色んな説がありますけど」
「色んな説?」
「璃月から出て世界中を旅しているとか」
「ふーん」
「帝君の逆鱗に触れて封印されたとか」
「え…い、いや!それは流石にないと思うぞ…!」

ようやっと自分の質問が突っ込んだものであると気付き、慌てて両手を振るパイモン。
元とはいえその神がすぐ隣にいるのだ。鈍い彼女でも流石に焦る。

「真実は誰にもわかりません。でも愛情が深い分、許せないことがあったら…」
「……」
「あ、しょ、鍾離!」
「すみません館内ではお静かに」
「ご、ごめん…」

無言で立ち去る男の背中を、パイモンは半泣きで見つめている。
隣にいた空も一言謝罪するかと踏み出そうとして足を止めた。

「そういえば、仙狸が岩王帝君にもらった名前って、どんな名前だったの?」
「ああ、彼女の本当の名前は―――」



「鍾離!」
「鍾離先生」
「どうした」

普段と変わらず優雅に闊歩する鍾離に追いつく。
なんとなく、の予感はあった。

「オイラたち聞いたんだ!モラクスが付けた名前を!」
「仙狸って、まさか西風騎士団の―――」
「あの絵を見ただろう」

二人の言葉を遮り、彼は遠くを見る。



「あれは、その魂に相応しい”真っ白”な猫だった」



いつかいつかの昔話