唐松に寄り添って - 春風
鳴り響く警告音

視点:柳蓮二


パタンッ


仁王が勢い良く飛び出して行った部室の扉が、軽い音を立てて自然と閉じられる。それを区切りに、レギュラーはそれぞれが帰り支度を始めた。
しかし。


「…ねえ蓮二。君、一体どういうつもりだい?」

そんな中俺を待ち受けていたのは、まるで地を這うような精市の低い声だった。しかし、これも全て予想通りである。


「まあ落ち着け精市。…たった今、俺たちには急ぎの用事ができたじゃないか。ほらお前も早く着替えた方がいいぞ」
「…ひょっとして、まさか」
「ああ、そのまさかだ」


そう、あの仁王の浮かれようは尋常ではなかった。俺とて気になることには違いない。
そんな俺の言葉の裏を読み取った精市は、さっきまでの苛立ちは何処に行ったのやら、困ったように眉を下げて苦笑してみせた。


「全く、参謀の名は伊達じゃないね。あの詐欺師を騙すだなんて…恐れ入ったよ」
「だが精市、まだ油断は禁物だ。何せ相手はあの仁王…何か気付いているかもしれないし、気付いていなかったとしても、奴ならば咄嗟に俺たちを撒くくらいのことは容易にやってのけるだろう」


「さぁ、急ごう」なんて言っている自分が柄にもなく生き生きとしている自覚は、十分にあった。

つまり、今から俺たちは、仁王を尾行する。





部室の戸締りを上手いこと言いくるめて真田に任せ、精市と二人着替えて校門へと向かう。二人揃って物陰に隠れて待っていると、足音と共に目当ての人物である仁王が現れた。


「!あれは…」
「成る程な。アイツの機嫌が良かったのはこれが理由か」

その仁王の隣にいたのは遠山蘭。何てことだ。
対する仁王はだらしなく目尻をデレデレと下げている。…もう一度言う、何てことだ。


「ふーん…そういうことか」

それを目の当たりにした幸村は、薄っすらとした笑みを浮かべた。当然のことながら、その瞳は明らかに笑ってはおらず、静かに仁王を見据えている。…敢えてもう一度言う、何てことだ。


精市の微妙な空気を敢えて無視をして前方にいる二人へと目をやる。すると二人はスーパーへと入って行った。ふむ、恐らく遠山の買い物に仁王がついて行ったということだろう。
スーパーから出て来た二人は、やはり買い物袋を提げていた。しかし、その大きな方を仁王が持ち、遠山は小さいそれを持っている。恐らく仁王はこれを対価に遠山と一緒に帰ろうと提案したのであろう。

しかし、やはり仁王は浮かれているのか、俺たちの尾行には気が付いていないようだ。…明らかに殺気を飛ばしまくっている精市がいるのだから、少しは勘付いても良いものを。
そのまま歩いていると、マンション──恐らくここが遠山の家なのだろう。これは新しいデータだ──に辿り着いた二人が、ゆっくりとその足を止めた。
すると仁王は遠山へと向き直り、妙に真摯な瞳をして言った。


「俺な、正直蘭ちゃんがむっちゃ好みなんじゃ。見た目は勿論やけども、その性格も中身も大好きじゃ。でも俺、まずは蘭ちゃんと仲良うなりたいねん」
「……」
「…あ、あかんかの?」
「…別に、話くらいはしますけど。でも私、何も面白い話なんてできませんよ」
「ッ!!それでええ!ありがとさん!蘭ちゃん大好きぜよ!」


そう言って感極まりガバッと遠山に抱き着いた仁王を見た幸村の顔と言ったら…言葉では表現し得ぬくらいにまで恐ろしいことになっていた。


「…あの、離して下さい」
「んー、どーしよかのう。俺のことまーくんって呼んでくれるんなら離しちゃる」
「私やっぱりアンタとは金輪際話をしません」
「わああ!嘘じゃ嘘じゃ!」


何だか楽し気な二人とは裏腹に、まるで氷河期に陥ったかのような極冷気をその身に纏う精市。
嗚呼…きっと明日の部活での彼の機嫌は見れたものではないだろうな…。仁王は言わずもがな、主に八つ当たりされるであろう弦一郎や赤也が気の毒だ。因みに明日俺は生徒会会議がある為に部活には遅れて行くことになっている。…俺は何も悪くはないが、何だか罪悪感があるのは否めないな。





最近、赤也と仲が良い(と、果たしてそう言えるのだろうか…?些か赤也からの一方通行な気がしないでもないが…まあいいか)女子生徒がいる。言わずもがなそれは勿論遠山蘭のことである。しかしまさかその彼女が、あんなにまで仁王のお気に召していたとは。昨日の仁王の浮かれ具合は尋常ではなかった。全く、部員同士での揉め事は余り好ましくないのだが。

……いいや、正直言うとこれがかなり面白い。やはりデータは日々進化するものなのだな。


「蘭!頼む、次の数学の宿題見せて!何か今日、宿題チェックされるってA組の奴らが言っててさー!」


ある日の昼休みの時間。昼食を食べ終わった俺は、赤也のクラスである一年C組に足を運んでいた。理由は勿論言わずもがな、二人を観察する為である。
するとそんな赤也の声に反応したクラスメイトらが、一斉にワイワイと騒ぎ立て始めた。


「げ!おい赤也、それってマジかよ?」
「そーそー、マジマジ!今日の結構量多いじゃん?けっこー平常点に響くらしーぜ!」
「やべっ、俺一問も解いてねーよ!」
「今から解いても間に合うか?!」


騒がしさを増した教室の中では、赤也がジッと遠山を見詰めている──あの犬のようなうっすらと涙を浮かべた目で。遠山はそれを横目でチラリと見ると、その口を開いた。


「…別にいいけど」
「やった!サンキュ!」

ニヒヒ、と癖のある声で笑う赤也。対する赤也へとノートを差し出す遠山は、相変わらずの無表情だ。この俺が言うのも何だが…もう少し表情筋を鍛えた方が周囲との関わりも持ちやすいだろうに。
けれど見た所この二人、一見噛み合わない水と油のように思えるが、案外中々に良い関係を築いているようだ。


「あ、そー言えば昨日幸村ブチョーがさー、蘭と一緒に昼飯食いたいって言ってたぜ?だから明日一緒に屋上で食おーぜ!」
「……幸村ぶちょーって誰」
「え、そこ?!この前駅の前で会ったし、っつーかお前話してたじゃん!俺の隣にいた人!」
「…あー。あの虫も殺さないような顔した人ね」
「その認識間違ってるから!あの人、あの見た目で神の子って呼ばれてるくらい強いんだぜ?!」
「ふーん」


……まさか、精市の顔と名前を覚えていないとは。これは予想外だ。この学校の女子であれば殆どが精市の顔と名前を覚えているようなものなのに、寧ろ精市目当てでこの学校へと入学を決意する熱烈なファンがいる程の時代であるのに、全く何てことだ。
新しいデータとして加えておこう──遠山蘭は顔覚えが異常に悪い、と。


「(これは精市も厄介な女に興味を持ったものだな…)」


正直なことを言うと、遠山は協調性に欠けていて、こういったクラスなどの集団という単位に身を投じることが苦手なのだろう。話し掛けられれば応答はするが、彼女は正直者過ぎる為にその会話も関係も大して長続きしない。故に友人と呼べる人間もおらず、だが一人を苦には思わない。まるで負の連鎖だ。
そんな中赤也は、それを断ち切る最初の刃となったのだ。こんなにも必死で(しつこく、と言った方が正しいか)話し掛ける者は、今までにはまず彼女の周囲にはいなかったのであろう。


──しかし、赤也は単純だ。故に、細かい所や女の社会の裏には気付かない。
二年の教室へと帰る際、女子生徒らとの擦れ違い様にとある会話を耳にし、思わず足を止めた。


「ねぇ。最近、ファンクラブでもない癖に、切原くんに馴れ馴れしくしているヤツがいるって噂、知ってる?」
「あ、私ソレ聞いたことある!確か、赤也くんと同じクラスの遠山っていう女らしいよ」
「ホント生意気だよね〜。赤也ファンの子かわいそう…」
「赤也くんっていつもそーゆーのストレートに断るのに、その赤也くんが断れないくらいにその女がしつこいってことだよね?それって最悪じゃない〜?」

「(──やはり、こうなるか)」


綻びが、生じ始めていた。


- 続 -

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春風