唐松に寄り添って - 春風
衆目を集める一騎打ち

視点:幸村精市


部室で汗塗れのジャージから制服へと着替えていると、非常に迷惑極まりないくらいに大きな聞き覚えのある声が、建物の壁を震わせた。


「うわぁっ?!ちょービックリした!え、コレ何事ッスか?!」
「あの声は真田くんですよね?」
「こりゃまた…盛大に怒鳴っとるのぅ」
「つーか誰を叱ってんだ?ジャッカルか?」
「俺はここにいるっつーの」


すると、その怒鳴り声は収まることなく、暫く続けられた。そして、俺たちは皆納得した。
真田が怒鳴り付けている相手は、紛れもなく、あの蘭ちゃんだ。


皆で一斉に顔を外へ出してその様子を伺うと、そこには蘭ちゃんの頭を撫でる真田の姿があった。そして驚くことに、二人とも穏やかな笑みを浮かべている。
…何だか、気にくわないなぁ。

胸にモヤモヤを感じた俺は、着替えや荷物もその場に放り出したまま、二人の間へと一瞬で駆け付けてやった。


「やあ!二人で何を話しているんだい?」
「ッ、幸村!いきなりどうした?そんなことよりも、お前まだ着替えとらんではないか!」
「だって仕方ないじゃないか。真田の怒鳴り声、部室まで聞こえて来たんだもん」


そう言うと真田はハッと目を見開いて、部室の方を振り返った。その扉からは、レギュラー全員が顔を出してこっちを見ている。

俺は、蘭ちゃんへと向き直った。


「蘭ちゃん…。試合、お疲れ様。とても格好良かったよ、思わず見惚れちゃった」
「どもっす。……あー。何か、すんません」
「?何が?」

何で俺に謝るんだろう?まさか、蘭ちゃんをどさくさに紛れて壁ドンしちゃった時のことかな?いや、彼女の性格からして、あの時のことを今更謝罪するとは到底思えないし。
すると蘭ちゃんは、思いも掛けないようなことを言ったのだった。


「…女テニ部長って、あなたの彼女だって切原に聞いて」
「…あぁ、そのことかい」

自分でも驚くくらいに、酷くあっさりとした声が出た。これには蘭ちゃんも少し目をぱちくりとさせている。
他人との関わりは、俺の虚像である“優しい幸村くん”を保つ上での義務のようなもので、俺にとっては煩わしいものだということに改めて気付かされたのだ。


「そのことだけど、もう俺アイツのこと振ったから。最初から好きな訳じゃなくて、ただ惰性で付き合っていただけだしね。だから、蘭ちゃんは気にしなくていいよ」
「…そっすか」
「それに…俺も蘭ちゃんみたいに、正直に生きてみようかなって思って。皆の“優しい幸村くん”は、卒業するよ」
「…いいんじゃないっすか」


そう。蘭ちゃんに影響されて、俺は決心した──もう、“優しい幸村くん”を演じない。これからはなるべく、ありのままの自分で接することにしようと思う。


「あ、そうだった。あとひとつ、俺から言わなきゃいけないことがあるんだよね」


そう言った俺に対して、何だろう?という蘭ちゃんにしては珍しく無防備な顔をしている。
見上げられた漆黒と目が合った。俺はできる限りまでにっこりと微笑むと――


「馬鹿」
「ッ!」


──その額に、盛大にでこぴんをかましてやった。痛みに額を押さえる蘭ちゃん、彼女が抗議の声を上げる前に俺は話し出していた…言葉の節々に、少しの怒気を孕ませて。


「俺が言えた義理じゃないけどさ、一人で抱え込んで無理をしないで。赤也とか、酷使していいんだから。……蘭ちゃんが傷付いたら心配する人はたくさんいるんだよ。真田とか赤也とか――かく言う、俺、も」
「……」


そう言って、視線を落とす。こんなことを面と向かって言うのは初めてで、何だか少し恥ずかしくなる。


「…どもっす」

すると蘭ちゃんは、少し口元を緩めて微笑んでくれた。そんな蘭ちゃんに、俺と真田は顔を見合わせて、思わず笑ったのであった。


するとそこに、部室で着替えを終わった皆がワイワイと騒ぎながらこちらへとやって来た。


「ゆっきむーらくーん!はいコレ、落としてた制服な。着替え全部放っぽり出してこっち行っちまうんだもん、ビックリしたぜぃ!」
「あ、すまないね。苦労をかけた」
「ブチョーッ!部室の鍵閉めしちゃうッスよー!それともそこで生着替えしちゃいますかー?」
「フフ、赤也の癖に何生意気なこと言ってんの」
「ッ、ギャアアアアア!冗談ですって!笑顔でこっちに走って来ないで下さいってばあああ!」
「なぁ、今から皆で何か食いに行こうぜぃ!奢ってくれるってよ!…このジャッカルが!」
「俺かよっ?!」
「ならゴチになるっす」
「なら俺も俺も!ゴチになりまーっす!」
「男女とも後輩ズは遠慮ねーのな?!」
「大丈夫だよー!真田が奢ってくれるってさー!」
「おい待て、何故そうなるのだ幸村!!それに帰宅途中に寄り道するなど、言語道断に決まっとるだろう!」


嗚呼。こんな日常が、何て楽しいんだろう。

勝利のためならば、他に何もいらない。そう思っていた。けれど、今は少しだけ違うんだよね──蘭ちゃんを含めたこの九人、彼らと共に全国一になれたら、俺はもう他には何も望まない。


- 続 -

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春風