唐松に寄り添って - 春風
衆目を集める一騎打ち

視点:真田弦一郎


蘭のあの試合を見た俺は、思わず言葉を失った。
優れた身体能力を持っている女だとは昔から思ってはいたが、女子とは言えまさか立海のテニス部部長を負かすまでだとは。

蘭が赤也のジャージを着て帰宅したあの時、俺は察することができた──蘭が俺に何かを隠している、と。案の定、蘭は女子テニス部部長である児島瑠理香との今回の抗争を、俺に伝えて来ようとはしなかった。


「…あ、弦一郎さん」
「!」


すると、何の因果であろうか。部活後、皆より一足早く着替えを終えた俺は、部室から少し離れたテニスコートを見下ろせる場所で幸村たちを待っていた。
そんな蘭のことを考えていた矢先に、俺の目の前に蘭が姿を現したのだ。


「何か、話すのは久しぶりっすね」
「……ッ!」


少し眉尻を下げて、あっけらかんとそう言う蘭。

もう、限界だった。


「ッ…こんの、馬鹿者が!!」
「!!いっ、た…」


持てる力の限りで、蘭の頭へと鉄拳を落とす。少し涙目になった蘭が抗議の視線を送って来るが、今はそんなことはどうだっていいのだ。
俺は、ここが学校敷地内であり、部活帰りの生徒らの目が多数あるということも忘れて、思うがままに蘭を怒鳴り付けた。


「本当にッ!本当にお前という女は…!!何故あのような理不尽な試合をそう易々と受けたのだ!!あの試合中の物言いもなんだ!あのような相手だったから無事でいれたものの、無暗矢鱈に敵を挑発してどうする!一体お前は何度言ったら分かるのだ!!」
「っ、弦一郎さん、声デカいよ…」
「そんなこと知るか!!それにお前は嫌がらせも受けていたのだろう!そんなことをされておきながら、何故俺に言わなかった!!」
「……気付いてたんスか」
「当然だろう!あれだけ髪が濡れたお前を見せておいて何を言うか!一体何年間の付き合いだと思っている!お前が俺に隠していたことぐらい、こちらとてとうにお見通しだ!!」
「……」

怒鳴り付けられてその身を竦めた蘭の漆黒の瞳が、気不味そうに俺を見遣る。


「あまり、心配を掛けてくれるな……心臓に、悪いだろう」
「……心配掛けて、すんませんでした」


すると蘭が、珍しく素直に頭を下げた。それだけ今回のこの一件が、俺や他の人間を動揺させたという自覚は、流石にこの女にもあるのだろう。


「その、ただ」
「……何だ」

まるで俺の顔色を伺うかのような。その大きな瞳で覗き込んで来て、蘭は言った。


「──怒られたことが嬉しかった…って言ったら、アンタはどんな顔をします?」
「……」


全く、コイツという女は。全然反省をしていない。そして、その顔に俺が弱いと分かっておきながら、この場でそれを使ってくるとはな。


「どんな顔も何もあるまい──これからも俺は、お前を怒鳴り続けてやる」

俺がそう言ってその頭をくしゃりと撫でてやると、蘭はその目尻を下げて小さく笑った。


そうだ。俺が何故、このように容易に蘭を許してしまうのか。反省もせずまた同じことを繰り返すであろう蘭を、許してしまうのか。答えは非常に感嘆だ。


──俺は昔から、蘭が極偶に見せるこの表情が、どうしようもなく好きだからだ。


「良いか。きちんと電話にも出ろ、夕飯もきちんと自炊をしろ、危険なことには首を突っ込むな。……言いたいことはまだまだあるのだからな、覚悟しておけ」
「…ウィッス」
「その返事もきちんとしろ!たるんどる!」


そう叱り付けていながらも、今の自分の顔はどんな時よりも柔らかい笑みを浮かべているという自覚が、充分にあった。しかし、それも悪くはないと思う自分がいることに、俺もまだまだたるんでいるぞと思うのであった。

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春風