00.prologue- 1 -
「ただいまー……」
返ってこない返事にはもうすっかり慣れてしまった。
社会人三年目。私にとっては一人暮らし三年目と同義であり、知り合いゼロのこの街に対する寂しさを言い訳する理由にはならない。私はもう大人なのだ。ホームシックの期間はとうに過ぎており、いや寧ろそんな時期あったか?とすら勘違いできる程度の時間は経っている。酒の入ったコンビニ袋を無造作に置き、電気を点けるよりも先に鬱陶しい靴を脱いでる間のこの暗闇も、もはや親しい友人と言っても過言は無い。
──カチッ。あ、今朝出し忘れてたな。
蛍光灯に照らされた玄関横のゴミ袋をチラ見し、溜息を吐いた。
屋内だというのに、息は白い。
酒を冷凍庫に入れて暖房をつけ、風呂に入り一週間の疲れを洗い流す。
すばらしきかな、今日は金曜だ。個人的好きな曜日ランキング二位の華金。一位は土曜日。
髪を乾かし、丁寧にスキンケアを終わらせれば、もう部屋は程よく暖まっていた。
冷えた6%のチューハイと惣菜を取り出してテーブルの前に座った。惣菜はファミマのお母さん食堂だ。
少しでも引っ越しの初期費用を浮かせるため買わなかったテレビの代わりに、私はいつもスマホで動画を流している。YouTubeのおすすめから適当にタップした動画や、アマプラで無料公開中の観もしない映画を流しながらちびちびと飲むのが今や日課となっていた。
「はぁーーっ……」
出ていく溜息と入れ替わるように頭に浮かんでくるのは今日の出来事。
いやだいやだ、思い出したくないのに。きえたい。ミスした私が悪いのはわかってるよ。だからもういい加減頭の中から消えてよ!
ぐいっと缶の中身を飲み干し、脳内をフラッシュする場面を酒パワーで霧散させる。6%万歳! まだまだ沢山買ってきたのが残っているし、この華金に遠慮なんていらない。休日くらい仕事のことなんぞ放りださせてくれよ。
まだ二十一時だ。空き缶を捨ててから冷蔵庫へ向かい、いくらかある缶の一つを引きずり出した。
「向いてないなぁ……」
ぽつり、口から出た言葉は耳からゆっくり芯へと染み渡った。蓄積された6%の酒から引き出されたその言葉は、まるで知らないもう一人の自分に言われたみたいで思わず相槌を打ってしまいそうになる。
そうだよなぁ、やっぱ向いてないよなぁ。なんでこの仕事に就いちゃったんだろ。
思考が暗い方へと落ちていくのを自覚し、けれどそれに従った。酒臭い抽象的な情緒に抗う気力がない。
思い出していたのは尻の青い中学生時代。あの頃は良かったなんて月並みの感想が浮かんだ。何も考えずに、ただ遊びに浸っていた時代。
あの頃は何に一番ハマっていたっけなぁ。
真面目でもなんでもない中学生なんてゲームやごっこ遊び三昧の日々を送っているのが常だ。特に私は中二病だった。魔法を使ったり斬魄刀を使ったりして、それに付き合ってくれる悪魔の実の能力者達がいたことが救いだったな。私のお気に入りは火遁・爆風乱舞だった……。
そうだ、NARUTOだ。あの頃の私はNARUTOに一番ハマっていた。螺旋丸とか千鳥とかやってたやってた。廊下を走りながら『雷切!』とかやって先生に怒鳴られてたわー。女子なのに! 色んな術名とか、印とかも覚えてたわーーー。何の意味もないのに!
「っふ……」
くすくす、と思わず過去の自分に笑いが漏れた。
付き合ってくれる友達もみんな競い合うように印を覚え、術を掛け合っていたなぁ。女子とは好きなキャラとか語り合ったっけ。懐かしいなぁ。初めて好きになったキャラは誰だっけ? もう、あんまり覚えてないな。
でも。
「結局はオビトが一番大好きだったんだよね」
そこだけは、今でも胸の内にあった。
うちはオビト。神無毘橋の戦いで写輪眼を開眼し、半身を潰され、仲間に片目を託し死んだと思われていた男。ミナト班の一員。第四次忍界大戦の黒幕の一人。死ぬまで、いや死んでも尚……のはらリンを愛した人。
オビトが好きだ。仲間への篤い想いに、愛する人を親友に託すその固い信頼に、リンへの深い愛情に、私は心底惚れてしまった。通りすがりのおばあさんを助ける姿なんて特に。そりゃあ格好良いと思って然るべきである。
しかし、NARUTOももう随分と読んでいないな。あれほど熱中していたというのに、うちはオビトのこと以外を碌に思い出さないこのポンコツ頭め。仕事でそこそこのミスぶちかますのも無理はないな。
部屋の片隅にある小さめの本棚に寄ると、70巻強の並んだ背表紙がそれはそれは「なぜ今まで無視できたのか?」というくらい圧倒的な存在を主張してきた。背表紙をそろそろとなぞると、ああ、なんだかちょっとだけ思い出してきた。
イルカ先生に泣かされて、中忍試験でワクワクして、木の葉崩しからのサスケ奪還にハラハラして……あれ、イタチの初登場ってその前だっけ? 記憶から薄れている箇所だらけでもはや主要箇所以外ほとんど覚えていない。
ミナト班関連は覚えてるけど、また読みたくなってきた。この週末は久々に一気読みをしよう。
私は6%をぐいっと喉に押し下した。
徹夜してしまった……。今は土曜の朝だ。遮光カーテンの隙間から存在を主張してくる日光が心臓を抉ってくる。ええいやめろやめろ。
いや、馬鹿か?と言われたらはい、本当にそうですねとしか返せない。この場にサスケがいたらウスラトンカチという不名誉な称号を有難く頂戴していたことだろう。仕方ないじゃないか、NARUTOは面白いんだ。今まで気が付かなかった伏線や時系列を調べながら追っていたらいつの間にか時計が半周していたんだ。
ついでに、ネットで見つけたNARUTO時系列まとめ記事を見て新たな発見があった。
オビト達の運命が大きく変わった神無毘橋の戦いは第三次忍界大戦中の出来事。
世の中には70巻強の漫画の時系列をまとめる変態がいるもんだな。
そして気が付いたら覚える必要のない印をまた覚えていた……いやいや、楽しいから仕方ないじゃないか?
中学生の頃に覚えた印を、まだ手が覚えていたのがなんだか嬉しくて。NARUTOの名の下では極めて普通だと訴えたい。それまで見えていなかったものが見えてくる面白さ! 大人になってから読めば二度三度楽しめるんだぞ!
まー昨日出しそびれたゴミ出しついでにコンビニへ朝飯でも買ってこよう。あくびを噛み殺しながら徹夜頭でふらふらしながら外へ出た。
それが、いけなかったのだろうか。
「さむぅ……」
頭を撫でつける暖かい日差しに相反して、息が白くなる。
あ。今日、2月10日だ。
ふと思い至ったそれに気を取られ、角から静かに飛び出してくる車には気が付かなかった。
<<