Agapanthus
レッドスピネルのような .2
大きな湖だったので明るいうちに見てみたいということで花火が始まる前に湖に来た。観光には遅い時間だったからか人は全くいなかった。
「そこのおふたりさん。ボートに乗っていかないかい?」
近くの船乗り場からひょっこりと顔を出した男性が私たちに話しかけた。
「観光に来たんだろう? もう終わる時間だけど、せっかくだから乗っていきなよ」
スワンボートは漕ぐから大変だとイメージがあったが、ここのボートにはエンジンがついているようで少しの力で進むようだった。それなら楽しそうだねとせっかくなので乗ることになった。
「少し、窮屈」
一般的な大人では問題ない大きさなのに対し、脚が長い彼は脚が延ばせず密度が高くなっていた。窮屈さから眉間に皺を寄せている彼が可愛らしくてツボに入ってしまった私はお腹を抱えて笑ってしまう。きょとんとしている彼は楽しそうに笑う私に満足したのか嬉しそうに微笑んでいた。
「凪砂くんには小さかったね」
「……うん。でも風が心地よくていいね」
「そうだね」
ボートが進むたびに波打つ水面とともに揺れる感触と風に打たれる感触とが気持ちよくて心が洗われるようだった。まるでアトラクションに乗っているような感覚で、大きく揺れるたび子供どうしのような楽しい心で顔を合わせて共に笑った。
「ありがとうございました。楽しかったです。ね?」
「はい、楽しかったです」
乗った後は二人ともよほど楽しかったのか、あからさまに興奮していたようで「伝わってるよ。楽しんでもらえてなによりだ」と言ってもらえた。大の大人がこんなにはしゃぐなんて恥ずかしいかもしれないが、周りに人は少なかったから許してほしい。
それから近くの喫茶店に入り夕食を済ませると花火が始まるまで時間をつぶした。
秋の夜は冷え込んでいて少しだけ肌寒かった。特に湖の付近は寒いため訪れる人も少ないのか、遠くに少しだけカップルや家族連れを見かけたが、ほとんどいないに等しかった。
「ふふ、貸し切りみたいだね」
二人で微笑み合っていると水面に大きな光が反射した。見上げるとどうやら花火が始まったらしい。
彼をちらりと盗み見ると彼の銀色の髪に花火の光が反射してキラキラと輝いていた。今目の前で花火を映し出している水面のようだった。
「綺麗……」
と声が漏れると、私が見ていることに気づいたのか、彼が私の方を向いた。
「……うん。とても綺麗だね」
彼は違う意味で言っただろうその言葉に変に焦った私は「だね」と目を逸らした。
「綺麗な君を見られて私は幸せ」
隣からそう聞こえた瞬間彼の顔を再び見る。真剣な表情で私の髪に触れて、梳かしながら頬を優しく滑らせた。そんな彼も綺麗で、言われた言葉も衝撃的で私の心臓は忙しなく動いていた。彼は私の何を見て「綺麗」と言ってくれたのか、私と同じことを思っていたのかな。そんな胸の疼きは彼の前では留まることを知らなかった。
花火を見る予定はなかったため、すっかり外は暗くなっていた。それでも夏に花火を彼と見ることはあまりないため、秋に見る花火は特別な思い出にもなった。
電車では疲れたのかお互い眠ってしまい、そのままあっという間に駅に着いていた。
「わぁ〜疲れたね」
「そうだね」
「お風呂入ってすぐ寝よっか」
帰宅するとすぐにシャワーを浴びて一緒に浴槽へと入る。彼の腕の中にすっぽりと収まり、私は彼に背を向けていた。
「今日は楽しかったね」
「……うん。こんなに君と過ごせるのも珍しかったね」
しみじみと語る彼は余韻に浸っているようだった。私もこんな風に過ごせる日があるとは思いもよらなかった。
「君と過ごす毎日は何とも変え難いものだけど、今日は特に忘れられない日になると思う」
こんなにも思い返しては満たされている彼を見ると私も行って良かったと改めて思う。
「君と共に今年も私の大切な日を迎えられて嬉しいよ」
「私もだよ。ありがとう」
ふふっと笑って指を絡めてお互いを確かめる。熱く火照ったお互いの体温が私たちの気持ちを代弁してくれた。
「凪砂くん、おいで」
お風呂から上がった後に冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを飲んでいた彼をソファに呼び出した。コードを伸ばしてドライヤーを片手に持てば準備万端だ。ぽんぽんと両膝の間を優しく叩いて座るように促した。
ゴーっと音を立てているとあまり彼の声は聞こえない。それでもかすかに聞こえる彼の声に返事をしながら彼の髪を乾かしていると嬉しそうにずっと話しているようだった。
しばらくすると静かになったので、どうしたんだろうと思い彼を呼んだ。
「凪砂くん? もしもーし。お兄さん、起きてますか〜?」
「……」
眠ってしまったのか彼の顔を覗き込むと瞼を伏せていた。その光景が愛おしくてドライヤーと止めて頭を優しく撫でる。
「……起きているよ」
「うわぁ!」
突然ぱちりと瞼を開いた彼に驚いて変に大きい声を出した。
「寝たふりしてたの⁉︎」
「君の解かすたびに触れる指と風が心地よくて、それだけを感じていたんだ」
もう、と言って口を尖らせると呑気に笑っていた。振り返った彼が私の目をじっと見た。
「それより、『お兄さん』て何?」
「冗談で言ったんだよ」
「ふふ、美容室の物真似?」
「そうだよ……って、わざわざ言わせないでよ。恥ずかしいから」
顔を隠した私の腕を取って「可愛いね」と言って顔が近づいた。
「……今日は何でもしてくれる日、だよね?」
首をコテンと傾げてそう言われたら私が何も言い返せないことを分かっているからズルい。うっと渋々腕を下ろして目を瞑る。顎をクイっと上げると満足そうに微笑んだ彼は何度も啄むようなキスを落とした。