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・企画より
・いきなり始まる
・漏れ鍋居候時代





「ワイズ・ゲルテナ展?」

ある日の昼下がり。漏れ鍋の常連客であるマダムから手渡されたのは、ロンドンで名前なら聞いたことがある程度の、小さな私立美術館のチケットだった。ちょうど二枚ぶんあるチケットには、暗い青の海の背景に深海魚のような鯨のような魚が描かれている。
…なんか怖いんだけど、目が。これはあれなの?ピカソみたいな、あの、シュールレアリスムとかいうやつなの?俺美術には全く明るくないんだけど。
どうやらマグル好きらしいマダムは、ふくよかな体を揺らして笑った。

「私の妹夫婦のものなんだけど、別に予定が入っちゃって行けなくなったのよ。二週間前のものだからもうすぐ期限切れちゃうし、お休みの日にでもどう?」
「はあ…」

美術館に行った記憶ははるか昔に遡っても、そう機会がなかった気がする。ただ単に興味がなかったから。
料金を置いて初夏の日差しが差し込む外へと出ていったマダムを見送って、休憩の時にレグルスにいきさつを話してみた。

「ゲルテナか…、聞いたこともないな」
「最近の人なんじゃないの?よく分かんないけど」
「こんな小さな美術館でやるなんて、たかが知れている気もするが」

ぶつぶつ言う割に乗り気なレグルスに連れられて、俺はゲルテナ展が催されている美術館へとやって来た。


室内には絵画や彫刻に使われたらしい絵の具の、ツンとした臭いが満ちていた。
色とりどりの作品を際立たせるかのように、白や銀で統一されたや壁やポール。無機質なのに色がばらまかれている、隔離された空間。なんだか独特の空気を感じて、俺は自然と背筋を伸ばす。
俺とレグルスは互いのスピードがあるだろうという事で、別れて展覧会を回った。
艶かしい肢体の上に顔のない黒い人形の作品『無個性』、顔が額縁の向こう側からこちらを見ているだけ、ぶっちゃけ顔文字の「(´・ω|壁」に見えなくもない作品『心配』、などなど。タイトルを聞けば納得するような作品群は、なんていうか、起伏が激しいと思った。

「(すごく綺麗なやつもあれば、子供のらくがきって言われても違和感ないやつもあるな)」

こんなんでも分かってる奴は傑作だ、と言うんだろうか。芸術ってやつがよく分からない俺としてはなんとも言えない。つーか西洋ルネサンス期の作品で埋め尽くされた学校で学んでたら、近代美術のセンスが分からなくなってもおかしくないんだけど。
まあ、魔法界の美術品は生きてるから、見た目の割に現在のトレンドに詳しいやつらもいる。ホグワーツっていうか、魔法界全体が保守的だから、少ないけどね。

「っ、」

かちり、と天井の照明が瞬いた。それがちかちかして、思わず袖を目に押し当てる形で光を遮る。もう一度目を開けると、美術品は変わらずそこにあった。
美術品は、だけど。

「…え?」

最初に消えたと気付いたのは、雑踏だ。人が気を遣いつつも喋っていた音、たくさんの足音が歩き回る音。音とかいう以前に人が、気配がまるごと消えたような感じだ。そのくらい音が無い。

「…え?え??」

俺は小走りになりながらも、美術品の合間を見て回った。けっこうな人がいたはずなのに、誰もいない。
誰もいない。

「…レグルス?おーい」

ワンフロアいっぱいに飾ってある巨大な絵画の間にも、小さな絵が飾ってあるフロアにも。床に深海魚のような絵が描いてあるフロアにも、誰もいない。
二階の階段を滑り降りると、受付にいたはずの老人もいなかった。目に飛び込んでくるのはどこを見ているかも分からない絵画の住人の顔だけ。…動いている絵画に慣れたからか、動かない絵の住人達は気味が悪かった。
…いやいやいや。

「う、わっ!」

階段の中腹で突然視界が薄暗くなって、階段から足を踏み外しかけた。薄暗い視界の中は少し先までは見えるが、奥の方は見えづらい。
ゴツ、ゴツ、ゴツ。誰かが歩いている音が聞こえてくる。姿は見えないのに、誰かが裸足で、フローリングの床を歩いているかのような。本当にすぐ近くをあるいているように、足音が誰もいないフロアいっぱいに響き渡って、ごくりと唾を飲み込む。下に進むのを本能が拒否したので、俺は無言で二階に戻った。
…いやいや、いやいやいや。

「…なんだこれ」

昼下がりだったはずの外からは太陽の日差しが差し込んでこない。ハンドル開閉式の窓にくっきりと白い手形が残っていたり、オレンジの木の実が果汁を撒き散らしていたり。どこぞのホラゲのような展開に、さすがの俺も動揺せざるを得なかった。
…いやいや、まじでおかしいだろこれ。なんでみんな全員消えるんだよ。来館者が全員魔法使いだったとか言うなよマーリンの髭。
冷や汗を拭いながら『テーブルに置かれた静物』が飾られている角を曲がった先で、思わず息を呑んだ。

■■      で
■■   い    よ  
■■お           ヴ
■■         イ

「…おいおいおいおい」

床に大きな文字で、そう書かれていた。本格的にホラゲじゃねーか。つかイヴって誰だよ。
とりあえず杖を取り出した時、巨大な絵画の下に青いインクか何かで文字が書かれているのに気が付いた。

“したに おいでよ イヴ
ひみつのばしょ おしえてあげる”

「…下ぁ?」

下ってあれだよな。一階だよな。
ていうかこのイヴってのまじ誰だろう。俺の名前はケニーであって、イヴじゃない。
つーことは、俺の他にここに誰かがいて、それでその誰かはこのメッセージに従って階下に降りたという事だろうか。
…さっき誰もいなかったよな。いなかったよな?

とはいえとりあえず立ち往生していても始まらないので、俺はしっかりと杖を構えながら階段を降りることにした。俺が色々やっている間にも、ゴツゴツという足音は止まない。
なんなんだよこの音。巨人族がゲルテナ展見に来てんのかよ。足音に気を遣えよなマーリンの髭!
一階に戻ると、思わぬ光景が目に入った。受け付けカウンターの向かい壁のあった場所に、下り階段ができていたのだ。

「…ちょ、待てよ。あれ行かなきゃダメなのかよ」

あまりの超展開に思わず天下のキムタクを真似る。
探索対象から外していた玄関をちらりと視界に入れて、とりあえず玄関の扉を引っ張りに行ってみた。案の定だが、がっちり施錠されている。
次に俺はダメ元で、扉の鍵部分に杖を突きつけてみた。魔法を使えば捕まるが、ここから出られるのなら使って捕まった方がマシだ。

「アロホモラ」

…はーい効果ありませーん!ばかー!!
苛立ちのままに杖をポケットに突っ込んだ瞬間、どろりという音と共に、受付カウンターの隣にあった窓から赤い絵の具のようなものが窓の上から下へと垂れた。暗闇でも分かるほどにテラテラと光っていたそれに、俺のとる行動はそのコンマ一秒後に決定する。

「っギャーーー!!」

回れ右をして思いっきり、伸びていた階段の方へと走った。どこに繋がっていようが知るもんか、とりあえず血みたいなのは垂れてこないはずだ。
長い長い下り階段をひたすら走って、俺はようやく足を止めた。左と右に道が分かれている。
まず左に行ってみると、ずいぶんと久しぶりに生きているものを発見した。

「…薔薇?」

陶器の花瓶に活けてあったのは赤、オレンジ、黄色のグラデーションの花びらがついた一輪の薔薇だった。棘は小さめで、握っても流血沙汰にはならなさそうな程度。
左手に薔薇、右手に杖を持った状態で、俺はしばし立ち往生しながらそれらを見比べた。ちなみに花屋へ寄った覚えはない。
右手に持ち替えた薔薇の代わりに、いつでも引き抜けるように軽く尻ポケットに杖を差した。
一方で、花瓶の活けてあった空間の反対側には何もなかった。正面には、扉がひとつある。そうっと扉をくぐり抜けると、すぐ右手に窓ガラスがあった。まずそちらへ向かうと、行き止まりの壁に青い服を着た女性の肖像画があった。こちらを見ようともしない、ぴくりとも動きそうにない絵画にはやっぱり違和感を覚えてしまう。
小さく息をついて引き返そうとした瞬間、またアレが着た。

どろり、
「っギャーーー!!」

またしても絵具が垂れてきた窓枠から思いっきり飛びのいた。バクバク言っている心臓を押さえながら、ガッチガチに力の入った肩を押さえる。
やめろよ、こういうのまじやめろよ。唐突に驚かすみたいなのまじやめろよ。どこの誰か知らないけど、俺の寿命が縮んだら責任とってもらうぞ!マーリンの髭!!
思いっきり溜息を吐きながら左側へ行くと、また花瓶があった。こんどは花は活けられていない。

「“バラとあなたは 一心同体
 いのちの重さ 知るがいい”…?」

博物館によくある感じの、学芸員による展示物の説明パネルのようなものに書かれた意味の分からないメッセージを読みながら、なんとなく花瓶に薔薇を活けてみる。
すると驚いたことに、しおれかけていた薔薇がみるみる元気になった。なんだか花びらも増えた気がする。
驚いて花瓶を覗き込むと、さっきまであったはずの水は無くなっていた。代わりに、さっき俺が入って来たものとは別の扉の、すぐ傍にあったパネルのようなものが目についた。

「…“そのバラ 朽ちる時 あなたも朽ち果てる”」

普通の人なら、今の光景を見て何をふざけた事をと思うだろう。しかし残念ながら、俺は普通の人ではない。
俺がこうしてここにいるという事は、もしかしたらあいつもここにいるかもしれない。

「…行くか」

気合を入れたはいいものの、扉を開けた瞬間に紫色のオネエと顔面を衝突させるまであと数秒。








「…どうしたの?」

赤い薔薇そのままの赤い瞳をした少女が、あどけない顔で自分を覗き込んでいるのに気が付いて、その場にそっとしゃがんだ。
昔から、子供は苦手だ。こういうのはあいつの方が上手なのに。

「なんでもないよ」
「…そう」
「薔薇はしっかり持って。君の命綱だから」

小さな手に自分の手を重ねながら、自分のティールグリーンからセルリアンブルーのグラデーションがかかった薔薇を握り締める。こんな人工物極まりないバラなら、せめて青色にしてほしかったところだ。その方が少しは今の状況に色が着くだろう。
そこまで考えて、自嘲した。自分はまだここが現実のものだと認め切れていないらしい。

「さあ、イヴ。手を出して」
「うん…レグルス」

血のように真っ赤なフロアの奥地へと、また一歩踏み出した。





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