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バリバリ、メキメキとものすごい音がした。足元から吹き飛んで壁に激突した男の体がズルズルと床に崩れ落ちる。俺は突き出した右手もそのままに、呆然とそれを見つめた。男の頭からたらりと一筋、血が流れる。
あんまりな光景で、さすがに頭が冷えた。

「……え…」

バリバリメキメキだぞ。バンとかガンとか、フィクションでも聞かないような音がまだ木霊しているような気さえする。俺はごくりと生唾を飲み込んで、腕を上げたまま汗びっしょりで脳みそをフル回転させた。

「(いや…殴っただけなんだけど…)」

そう。殴っただけ。されど。
魔法使いが我を忘れて、怒りの感情を拳に乗せて、全力で。霊力だかなんだか知らないが、魔法使いからみれば“マグル”──つまり、ただの人間に殴りかったらどうなるか。
カラカラになった喉で喘ぐ。
おそるおそる、亀裂の走った壁を見上げた。伸びている男を中心に伸び上がった亀裂は四方八方に散らばり、その爪痕は深く、天井まで届いている。
圧迫骨折、破裂骨折。椎骨損傷に後遺障害。脳内にヤバい単語があふれた。

えっ、死んだ?

ザッと血の気が引く。それはやばい。やばいやばいやばい!
俺は慌てて殴り飛ばした男のもとへ駆け寄った。口の端からぼたぼたと垂れている血。閉まりそうにない顎。関節を外してしまったらしい。
頭も背中も強打しただろうし、審神者がどれだけ丈夫なのか知らないけど見た感じ鍛えてる風でもないから、受け身もとれてないだろう。
きっと衝撃もまともに食らったに違いない。普通の人間が受け身を取れるはずがなかろう。脳内で某魔法薬学教授がツッコミを入れた。はいすみません。

「いや鶴丸!」

俺はシャウトした。たった今肩に回そうとした男の腕を地面に落とす。クラウチングスタートの体勢で畳を蹴り、転がるようにして鶴丸に駆け寄った。俺が殺人未遂まがいのことをしでかそうがしでかしていまいが、そんなことはどうでもいい。何よりも優先すべきなのは、鶴丸の現在の容態を確認することだ。怒りに我を忘れたことすら、医療従事者の一人のとった行動としては許しがたい。
むき出しの肌を覆いながら気道を確保する。呼吸、弱いけどあり。脈拍、遅いけどまあ許容範囲内。痛々しい、できたばかりの傷のひとつひとつが嫌でも目について、歯を食いしばった。精神面も心配だけど、本当に──ああ、考えるのはよそう。今は医療従事者としてとるべき行動をとるんだ。いち個人として考えるのはそれからだ。
すると、バチンと大きな音がした。

「…あ?」

何かと何かがぶつかったような、大きな音。この部屋の中で聞こえたというよりももっと近くで、けれど響き渡るような音量であったような気がする。反響の余韻はなかったから分からない。
バチン、バチンバチン。何かが遠くで、再び鳴る。わけが分からなくてしばらく手を止めてしまっていたので、頭を振った。繰り返すけど、今は呆けてる場合じゃない。
ドタドタと、誰かが走り去る音がした。そういえば鶴丸とこいつだけじゃなくて、見目麗しい美少年達がいたな。足音が遠ざかっていく。

「(どうしようか)」

たとえば鶴丸をきちんとした場所で治療するとか、たとえばこいつに最低限の治療だけしてどこかで拘束しておくとか。何かひとつするにしても、俺はこの場所を知らなさすぎる。よく土足で勢いだけで入り込んだよな。ドラマや映画とかみたいな、罠だらけのニンジャ屋敷みたいになってなくてよかった。どうにかしてみせるけどな。ここで小さくドヤ顔。

「…追いかけてみるか」

俺以外の全員意識がないので返事はない。
鶴丸の下に引いてあったシーツを思いきりはたいて、汚れを飛ばす。スコージファイスコージファイ。
審神者の方は容態をざっと確認してシーツで簀巻きにして転がしておいた。どうせしばらく起きないだろうし。

「よいしょ」

シーツでくるんだ鶴丸を抱っこして、男が鶴丸としけこんでいた部屋を出る。美少年達はどこにもいない。さっきの足音はやっぱり、彼らのものだったようだ。仕方がないので、開け放たれていた横開きの戸から屋外に面している廊下に出た。外は相変わらず、薄気味悪い空気が漂っている。

廊下を歩く、歩く歩く。曲がって中庭らしきものを通りすぎて、また曲がって。しばらくいくうちに、灯りを見つけた。おかしいな、ここに上がり込んだ時は灯りのひとつも見当たらなかったのに。
不思議に思いながら、数歩だけ進んだ次の瞬間だった。
何の前触れもなく胸を押される。
突き飛ばされた、と認識する前に俺は尻餅をついていた。
ガキン、と鈍い金属音が反響する。扉を切り裂いて、刃が俺に向かって振り下ろされていたらしい。凶刃を防いだのは、なんとさっきまで固く目を閉ざしたままで大人しく俺の腕の中に収まっていた鶴丸だ。お前その右手に握ってる刀どこから出したの?持ってなかったよね?

「鶴丸!?」

鶴丸はやっとの様子で、両手で刀を握りしめていた。刃はカチカチと震えて、その体にほとんど力が入っていないのが嫌というほど伝わってくる。立ち上がれてすらいない。鶴丸は俺に返事をせず、尻餅をついた俺を見下ろしている男を見上げていた。男かどうか見紛うほど美しい容姿をしていた。
長いピンクのふわふわした髪。美しい容姿。バスローブみたいな布一枚で体の線が分からなきゃ、マジで女かと思ったかもしれない。薄いけどガタイはよかった。などと観察している場合じゃない。
線の細い男は俺に、というよりも鶴丸に怒鳴って、鶴丸は弱々しくも何か反論していた。こんな状況でも言葉が分からずひとり置いてけぼりになってる俺というイギリス人。おかしいな、さっきは鶴丸の言葉がちゃんと分かったのに、なんで今はさっぱり聞き取れないんだろう。不思議ワールドに足突っ込んでたせいかな。自動翻訳?
話はついたらしい。不承不承という様子で、線の細い男は刀を下ろした。ガシャン、と大きな音がする。鶴丸が刀を落とした音だった。

「鶴丸!」

不意に傾いだ体はスーパーキャッチしてみせたので鶴丸と床板がぶつかる事態は防ぐことができた。しかし鶴丸の体は支えを失ったかのようにぐらぐら揺れる。やっぱりまた意識を失っていた。さっきの何?火事場の馬鹿力!?俺のことはいいからマジで安静にしてくれマジで頼む。
チキ、と金属音。視界の中、俺と鶴丸の間に割り込む刃。顔を上げる。男は変わらない厳しい表情で、俺をねめつけるように見下ろしていた。
男から目を離さずに鶴丸をぎゅっと懐に庇う。やんのかコラ。

「宗三様、お待ちください!」

一触即発の空気の中、第三者の声が割り込んだ。ころんと何かが飛び出してくる。目を丸くした。
小さなぬいぐるみだ。薄汚れちゃいるが、大きな三角の耳とたっぷりした尻尾。だいぶデフォルメされているけど、ひと目でキツネのぬいぐるみだと判別できる。大きな黒い目の周りや顔に、赤い紋様が描かれていた。

「キツネがしゃべった」
「キツネ!いえ、キツネといえばキツネですが、こんのすけは管狐でございます」
「うわっ!?」

ぱちぱちと瞬きしたぬいぐるみはなんと、目からビームを放った。

「"プロテゴ!"」

俺のつくり出した盾の呪文がビームを遮る。しかしビームは放射線状に広がっていたようで、部屋全体、それから廊下の奥まで包み込み、充満していった。

「うん?防がれては困ります。こちらが言葉を理解できてもあなたが理解できないと、翻訳プログラムの意味がありません。コミュニケーションが成立しません」
「え、なに?プログラム?」
「日本語は話せますか?」

そういえばこのキツネ最初から英語喋ってるな、とか不思議に思いながら首を横に振ったら二発目のビームがなんの予告もなく放たれてまともに浴びてしまった。ちくしょうマーリンの髭!

「ぐああああ目がーッッ!!」
「視力にはなんの影響もないですよ。聴力ですから」
「…ん?」

さすがに目が眩んだので世界一有名な大佐の真似をしたら、優男っぽい声が降ってきたので顔を上げた。あの細い男と目が合う。

「助かりました。こんのすけ」
「いえいえ」
「ん?あれ?言葉めっちゃ分かる」
「ええ、とてもね。知性のかけらも感じられない喋り方が、とても」

心がキュッとなった。こいつ本場のイギリス紳士並みにキレッキレの嫌味言うじゃん?

「あなたが目覚めたということは、やはり先ほどの異音は」
「はい。システムが再起動されたようです」

瞬きした。いや言葉はちゃんと分かるけど、理解できるかと言われるとね。聞いたことのない言葉めちゃくちゃに並べられて、思わずめちゃくちゃに瞬きしてしまう。
ていうか今不穏な単語聞こえた。審神者の生命反応がなんだって?いややっぱなんでもないです。

「救援は?」
「先ほど政府のコンプライアンス室に向けて信号を送信しました。明朝には臨時ゲートが開かれるはずです」

動物の足がぺたぺたと歩み寄ってきたので、俺も身を固くした。無機物の、黒い目に俺の姿が映っている。

「お話を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」





話をする前に水場を貸してほしいと訴えたらあっさり了承してもらえた。俺とキツネと優男は連れだって歩きながら廊下を歩いた。その道すがら、聞き慣れない言葉のいくつかの説明を受ける。
審神者とか。刀剣男士とか、付喪神とか。未来の事情もろもろだ。
鶴丸は実に都合のいいところだけを拾い上げて、俺達に伝えていたらしい。目覚めたら傷に障らない程度にとっちめようね。

「審神者は本丸の生命線です」

キツネは言った。

「本丸は人間である審神者が不自由なく生活できるよう、常に万全の体制を整えております。万が一何らかの事故により審神者のバイタル反応が途絶えた場合、本丸の中枢システムが再起動されます。システムはこんのすけと臨時接続され、審神者が不在でも一週間は本丸の運営も可能となります」
「はーーん」
「貴方分かってませんね?」
「分かってるっつの」

それらしく頷いてみせたのに優男から鋭いツッコミを受けたので睨んでおく。

「俺があいつを命に関わるくらいの勢いでぶっ飛ばしちゃったから、その本丸のシステムってやつが再起動したんだろ」

殴ったり蹴ったりするだけじゃそうならない。殴りかかった相手と、打ち所が悪かった。その衝撃を機械が敏感にキャッチしてしまったようだ。そういえば、でかい音がしてたよな。今思えばブレーカーが落ちる音に似ていた。反省はしている。後悔はしてないけど。

「心苦しく感じる必要はありません」

優男が素っ気なく言う。

「きっかけは何にせよ、主の身勝手を止めることができたのだから」

優男が廊下の角を曲がって立ち止まったので会話が途切れる。暗い部屋だ。

「井戸は審神者の力で湧き出ていた水です。システムが再起動したことで停止しましたが」
「は?審神者ってなんでもありか」
「だから生命線なんですよ」

木製の蓋を開けると、水面が揺れているのがかなり深いところで見えた。

「…これって飲み水?」
「飲食に使うなら沸かした方がいいですよ」
「はーん」

機械は俺の生きてた時代よりもずっと進んでいるのに、いやに前時代的なところを残している。不便なだけなのにな。趣ってやつか?
傍に置いてある桶は傷んでいるし、鍋も錆びている。ずっと使われていないのは一目瞭然だ。

「お前ら飯とかどうしてたわけ?」
「刀剣男士ですから」

入り口にもたれていた優男は歪んだ笑みを浮かべた。

「刀剣男士は見目がそれらしくあるだけで、主の霊力があればどうとでもなります。食事も排泄も必要ないんです。人間と違ってね」
「じゃあこれからどうすんだよ。ん?」

一週間は審神者からの霊力供給は途絶えるのだとこのキツネが言ったばかりだ。優男は無言で目を反らした。
鶴丸を下ろして、それからキツネを見つめる。腕まくりをした。

「それじゃ──掃除からだな」

ドカーン。ぶるぶる震えて、“屋敷”が大きくくしゃみした。棚も襖もなにもかも、部屋の中にあるものをすべて放り出していく。吹っ飛んだそれはひとりでに浮かび上がると、下に滑り込んだ布の上にきちんと整列した。
目を丸くする優男とキツネを尻目に、踊るように腕を振るう。
パンと手を鳴らして、大声で叫んだ。

「一にも二にも掃除だ掃除!箒とちりとりはどこだ!?」

バターン。
納屋から大きな物音がして、風の動きを察したらしい一人と一匹が慌ててその場にしゃがむ。大小さまざまな竹箒にシダ箒、ちりとりが矢のように飛んできたからだ。こっちに来られても困るので、たった今家具を叩きだした部屋を指差した。我先にと向きを変えていく。一番小さなものだけがいくつか残って、厨房の掃除を始めた。

「湯を沸かさないと。ここには一体何人刀剣男士がいるんだ?」
「えっ、あ、四十振ほど」
「コイツみたいに立って動ける奴は?」
「十振強です」

ちょうど、井戸に飛び込んだ大鍋がいっぱいの水を抱えてジャンプしたところだ。
ガシャンバタン、ドタンドタン。バタタタタタッ。破れかぶれだった襖がきちんと修復されていき、畳が自ら震えて埃を吹き飛ばし、こぼれ出た塵や埃をちりとりがすくい取っていく。
ふきんがどこからともなく飛んできて、ぶ厚く埃の積もったザ・和風のキッチン周りを丁寧に拭いて回った。どう見てもガスコンロでもなく、電磁加熱式でもない日本の古めかしいキッチンの火の点け方なんて知るわけがないので、リンドウ色の炎を放り込んでおく。

「つい聞きそびれておりましたが」

黒い宝石が埋め込まれてような目の中に炎を踊らせながら、キツネが言った。

「あなた様は何者ですか」

朗らかに笑っておく。

「魔法使いさ」




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