12


俺の行動は早かった。
まず水回りを完璧に治した。それからキッチン周りもなんとかした。
調理器具の錆を取り除いて使えるようにして、お湯をバンバン沸かして、傷ついた刀剣男子の治療に使えるように清潔な布をバンバン量産した。

それはもうたくさん魔法を使ったせいで疲れたけど、この疲労は精神的なものだけだ。そもそも魔法を使うことが、直接疲労に繋がるわけじゃないし。マジックポイントとか、そういうのないし。
魔法界の科学文明が産業革命前後で止まってるのがなんでかって、それ以上進歩しなくても魔法の力でどうとでもなったからなんだよな。
色の違う視線が、品定めするように俺の頭の先から足先までも往復する。

「そのような力を持つ人間はあなただけですか?」
「うん」

俺はあたためた布を優男──宗三に渡しながら頷いた。

「生まれてから一度も出会ったことはないよ」
「…そうですか」

優男は宗三左文字と名乗った。
こいつは、俺が審神者のところへ殴り込んで行くのを目の前で見ていたらしい。つまり、審神者に囲われていた刀剣男士のうちのひとりってわけだ。
彼の中で審神者に性的に消費されていたことは、彼の中でとっくに折り合いをつけているようで、驚くべきことに俺の手助けを申し出た。
曰く、籠の鳥になることはただの刀だった頃から慣れているらしい。
これに俺は首を傾げた。

「それ建前じゃない?」
「はい?」
「単純に俺が信用ならないから、コイツやっぱダメだなって判断した時に、すぐブッスリ刺し殺す算段なんじゃないの?」

刀剣男子が己の刀を自在に出したり消したりできることは鶴丸によって把握済みだし。
宗三はなにも言わず、ただ美しく微笑んだ。鈍く光り、鋭く尖った刃を思わせる笑みだった。
大人しく黙って畳に向かってレパロを唱える作業に戻る。

「…欲深い人の業というものを」

宗三は背中を向けたまま呟いた。

「我々は、よく知っているつもりでしたよ。これでも」

気丈に言う宗三だって被害者であることを忘れてはならない。
俺は建物をひととおり使えるようにして、布団を量産して、最後にとんでもないことに気が付いた。

刀剣男子は人間の治療が効かない。

いや、気休めにはなる。
人間同様に流れ出る血はいずれ止まるし、縫合すれば傷を物理的に塞ぐこともできる。補うこともできる。
ただ癒えないのだ。
傷はいつまでもそこに残り続ける。快方に向かう兆しすらない。抜糸すればまた傷が開く。結局、審神者の手に依らなければ俺は彼らを治療することもできないのだ。
それがひどく歯がゆかくて、もどかしかった。

「………」

鶴丸をひとりで寝かせている部屋の襖を閉じる。
量産しまくったタオルやらシーツやらを宗三に渡して、鶴丸の身体に向き合った。ひどい状態だった。なんとかしようとして、治療できないという最悪の問題にぶち当たったわけだけど。
俺にできることは、せいぜい様々な汁で汚れた──殺意がやばかった──体を丁寧に拭っただけ。できうるかぎり清潔にして、血の滲む場所に布を当てて、固定したことくらいだ。両足の腱を切られていることが分かっても治してやれない。酷く殴られた跡があるのに冷やすことしかしてやれない。
ていうか、人間である俺が触っちまうことすら問題があるのかもしれない。
なのでこうやって、襖一枚隔てた空間に俺自身を閉め出したワケである。

「マジで嫌になる…」
「痛み入ります」

飛び上がった。
俺はドキドキしながら、日本家屋の縁側の下を覗き込んだ。ちんまいキツネがふにふにの耳をしおれさせている。
白い靴下を履いているようなむにむにの前足を拾い上げて持ち上げると、俺はキツネを隣に置いてやった。
キツネの毛並みはちょっとごわついていた。洗ってみたいけど、めっちゃビーム放ってたしめちゃくちゃ機械的なことを言ってたからもしかすると、近未来猫型ロボットならぬキツネ型ロボットなのかもしれない。洗うとまずそう。

「キツネくんって名前なんていうの?」
「管狐のこんのすけと申します」
「クダギツネ」
「こんのすけは審神者ひとりに対して一匹配置されております。審神者の歴史修正主義者との戦闘、本丸における生活、政府からの通達事項の授受などをサポートしております」
「ふーん」

つまりこんのすけは刀剣男士達の味方とはいえない立場だ。政府から派遣されているならば、どっちかというと、審神者寄りってワケだな。宗三と一緒に行動していたから敵ってわけでもないんだろうけど、まあ、居心地が良いわけじゃないんだろう。
尋ねておきながら後半を半分聞き流しながら顎と手のひらについておく。俺はあぐらをかいてこんのすけから視線を外して、どんよりとしたままの庭園を眺めた。

俺がなぜ縁側で眠い目を擦っているかというと、刀剣男士達を慮ってのことだ。
審神者と俺は縁もゆかりもない他人だけど──なんなら生きてる時代だって違うけど──人間だ。彼らにとっちゃどうしたって、あのクソ審神者と同じ形をした生きものに見える。
仮に構わないと申し出があったとしても、一定の距離を置くべきだ。鶴丸にしてるみたいに。
それが、土足で踏み込んできた『他人』のせめてもの線引きっていうか。

「魔法使い殿は」
「ん?」
「魔法使い殿は、なぜ本丸にいらっしゃったのですか?」

俺は目を白黒させながらこんのすけを見下ろして、そういや名乗ってなかったなと思い至った。

「ごめん、言ってなかったけど、俺」
「本丸で名を名乗ることはお控えいただきますよう!」

こんのすけはぴんと尻尾の毛を逆立てて警告した。

「申し訳ありません。仮初めですが、ここは人と手を結んだ神の領域。真名を掴まれることは魂を掴まれることを意味します」
「あ、はい」

思わず敬語になった。
神様はともかく魂とか、そういうスピリチュアルな話をされると古い記憶が刺激されてやまない。占い学とか神秘部とかそっち系。
こんのすけの、巨大な宝石をはめ込んだような両目に頭をバリバリと掻いた俺が映っている。

「俺は、鶴丸を追いかけてきただけだよ」
「鶴丸…鶴丸国永殿を」
「ちょっと前、友達があいつを見つけてさ…」

セドリックやレグルス、ダンブルドアにフリットウィック。
関わったみんなの名前を口にしないように気をつけながら、なんとか事情を説明した。
鶴丸を拾って介抱して、鶴丸がここで酷い扱いを受けていたのを知って、審神者マジ殴ると決意を固めたはいいもののどうやって殴りに行くかが問題になって。
なんやかんやここに来て、審神者をブン殴って目的を果たすことはできたけど。俺の中の目的はもう、審神者を殴るだけじゃ済まなくなっている。
鶴丸を追いかけてきただけなのにね。

「なあこんのすけ」
「はい」
「答えられる範囲でいーからさ…そっちの事情も教えてくんない?」

こんのすけは少し耳を垂らして、尻尾を力なく揺らした。

「こんのすけも主電源を落とされてしまったので、落とされる前のことしかお話しすることができませんが…」
「主電源」

いちいちツッコミしてたらキリがないので、流して、耳を傾けたところによると。審神者の倫理とモラルがぶっ飛んでしまったのは、そんなに昔のことでもないらしい。
こんのすけは審神者がここに来た瞬間からあいつのことを知っているから、つまりあいつが「まとも」であった頃を知っていた。しかし、なぜぶっ飛んでしまったのかまでは知らなかった。
そりゃそうだ。キツネ型ロボットにでも心の澱みをぶちまける余裕が残っていたら、こんなことしでかしちゃいないだろう。ひとりで抱え込んじまったから、こうなったんだ。
ボタンをかけ違ってしまうように、どこかで何かが違ってしまった。
それを知ろうと思わない。つか知りたくねえ。知ったところで何かが変わるわけもなし。
どんなに苦しくてもつらくても、道を外れてしまったら差し伸べる手も届かなくなっちまうんだよなあ。誰の手も振り切って、ひとりで遠くに行っちまった魔法使いを思い出しちゃうね。

「そっか」

俺はちょっと悩んで、ひとつだけ、どうしても確認しておきたいことを尋ねておいた。
自分の常識と、未来の常識が異なっていないかの確認だ。

「一応聞くんだけど」
「なんなりと」
「政府と、召喚される刀剣男士との契約にさ──審神者に同意のない行為を強要されても反抗しちゃいけませんなんて書かれてないよね?」





夜が明けた。

「あ」

宗三は掛け布団を蹴っ飛ばして跳ね起きた。
まだ誰も起きていない。すぐ横で寝息をたてている物吉も、幸運にも目覚めなかったようだ。
それもそうだろう。今までずっと、審神者の閨に招かれていないときは畳の上でみなで身を寄せ合っての雑魚寝だった。それが今は、各々敷き布団と欠け布団に身を委ね、ふわふわの枕に頭を預けているのだし。
昨夜何が起こったのかすぐに思い出せなくて、思い出した宗三は足音を消して布団の間をまたいだ。畳のへりを踏んでしまったが、今は細かいことは言っていられない。
宗三は音をたてないよう極力気をつけながら襖を横に滑らせた。

「歌仙」
「ああ、宗三」

柱のひとつに身を預けていた歌仙兼定がこちらを向いた。彼は寝ずの番を買って出てくれていたのだ。

「あの青年はどこに?」
「少し前に覗きに行ったけれど、こんのすけと短刀部屋だった場所で寝入っていたよ」
「こちらには顔を出しましたか」
「いいや。一度も」
「そうですか」

歌仙は首を傾げて眉を上げた。

「彼は何者だい?彼と話をした男士は君だけなんだろう。僕ら第二部隊は遠征から帰ってきたらこの有様で、話を聞きたくてね」
「いえ…僕もまだすべてを把握しているわけではなく…」

ひとまず彼を起こしにいこうという具合になり、すると起きてきた乱が「ボクも」と言い出した。
室内戦で有利となる短刀を連れて行くのは賛成だが、彼もまた宗三と同じく審神者の閨に招かれていた一振だ。宗三は顔をしかめた。

「いいんですか?」
「大丈夫。歌仙さんも一緒だし…あの人は、あるじさんってわけでもないし」

乱が己の本体をしっかりと握りしめながら言うので、歌仙、宗三、それから乱を殿にすることとなった。
歌仙と乱が本体に手をかけ、宗三と顔を見合わせる。しっかりと頷き合うと、宗三がまず先頭に立って部屋を覗き込んだ。

どんより曇り空でも人工の朝日はぼんやりと部屋に差し込む。
畳のへりを背中で押し潰したまま、人間がゆるみきった顔で眠っていた。

「………」

青年は、ふわふわした頭をこんのすけの尻尾を枕代わりにしてすやすやと寝入っている。室内戦に有利の刀剣男士である打刀が二振り、短刀が一振り、刃を光らせていることなど露程にも感じていない様子である。
しばらくそうしていて、これは起こさないと起きないな、と思った宗三が青年の傍に腰を下ろした。
宗三のすぐ後ろには、気配を殺した乱が鯉口に手をかけたまま息を潜めている。

「もし」
「………」
「もし。起きなさい」
「………。んん」

青年はもそもそと動いて、顔を皺くちゃにしたまま起き上がった。起き上がったものの目は閉じたままで、どう見ても脳みそのほとんどが覚醒していない。

「あに…?」
「あなたと話をしたい者がいます。朝食の席を用意しますので、支度をしてほしいのですが」
「…あとにして…」

ヒラリと手をそよがせた青年は、もにゃもにゃとそう呟いて、こんのすけを抱きしめるとそのままごろりと寝返りをうって背中を向けた。
宗三はギョッとして、色の違う目を限界まで見開いて驚きを顕わにする。

えっ。
寝るんですか?この状況で。

当然だが、驚いたのは宗三だけではない。
乱なんて本体に手をかけたまま宗三の背中越しに青年を覗き見ているし、部屋の外に控えていたはずの歌仙だって、気配を殺すことを忘れたまま部屋の中に踏み入っていた。

「え。ちょっと」
「………」
「ね、寝ないでください。困ります。ちょっと」
「刺すかい?」
「待ってください」

カンストして久しい打刀が物騒な提案をするので、宗三は慌てた。焦って滑りかける頭で、冷静に、最短で状況を打破する手段はこれしかないと決意を固める。

そうして。
早朝の本丸に、乾いた破裂音が響き渡ったのであった。






「あのさ」

青年は腫れ上がった頬を氷水で冷やしながら訴えた。

「俺もひとのことは言えないんだけどさ、腕力を考えろよ。俺、生身の人間。そっち、付喪神。頬骨が砕けなかっただけ奇跡じゃない?ねえ」
「あんなタイミングで寝入るそちらの方がどうかと思うが…」
「数時間しか寝てないのに!?俺、限界ギリギリ攻めてる社畜じゃないんだけど!?」

べっと舌を突き出している様は実に幼い。
歌仙は顔をしかめたけれど、青年の言い分は間違ってはいないので何も言わなかった。実際問題、宗三が本当に頬を張り倒し、頬骨が砕け散っていたら話もできなかっただろうから。

「そんで、話ってナニ?」

青年があぐらをかいた足の間にはこんのすけがいて、震えている。耳をぺったりと伏せて、こちらに背をむけているのを、青年はあやすように撫でている。
それを一瞥して、歌仙は短刀部屋だった一室を見渡した。
青年の目の前に宗三。隣には歌仙。そして、部屋の隅の入り口に、乱が控えて座っている。事前に話し合った結果、やはり乱は話に参加しないことになった。

「いろいろありますが…まずは、そうですね。常人のあなたが、どうやってここに来たのか知りたい」
「それこんのすけにも聞かれた」

青年はぴるぴると動く黄色の三角を指の腹で撫でながら答えるのを、歌仙はじっと観察した。
やはり青年は丸腰だ。神通力とは異なる、奇妙な力を持つと聞いたが、どうにもそういった力は感じられない。ごく普通の人間だ。時間遡行軍との戦いの中で、戦場となった時代に生きる人間と言葉を交わす機会がないわけでもないが、彼らとなんら変わらない。

「(魔法、だったか)」

付喪神の魂を励起する能力を持つ人間がいるのなら、摩訶不思議を操る人間がいてもおかしくはないけれど。
思考に耽っていた歌仙は、青年の言葉でふと顔を上げた。

「タイムスリップって今でもそう簡単にできないもんなんだね」
「なんだって?」
「かくかくしかじか」

青年が口にした言葉に、歌仙も、そして宗三も──乱も。
度肝を抜かれることになるとは露知らず。




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