多くの海兵や白ひげの海賊たちが命を散ったあの戦争が終わり、それから1年…白ひげ海賊団と海軍との戦争が終戦した後、ミコトは赤髪のシャンクスに拾われ傷を癒していた。
身体の傷は勿論…心の傷もである。
弟を亡くし、腹心の部下を目の前で亡くし、ミコトの心はボロボロになっていた。
「ミコト」
ミコトはシャンクス達の停泊している島にいた。
ザザ、と海の音を聞きながらミコトはただ何をするでもなく引いては向かって来る波を見つめていた。
すると背後から声を掛けられ、ゆっくり振り返ればそこにはシャンクスが立っており、シャンクスはミコトに笑みを向けながら隣に立つ。
隣に立ち止まったシャンクスにミコトは何も言わず再び海へ視線を戻し、シャンクスも視線を外したミコトに釣られるように海を見る。
海は相変わらず穏やかで、ここが新世界とは思えない。
「明日…」
2人の間には会話はない。
それでも気まずさはなく、むしろ心地良かった。
沈黙だけが流れていた時、ミコトが不意にポツリと小さく呟いた。
シャンクスはミコトの呟きに海からミコトへと視線を戻すもミコトはシャンクスを見ず真っ直ぐ海の地平線を見つめていた。
それでもシャンクスは何も言わずミコトの次の言葉を待った。
「……明日、わたくしはあなたを愛する女ではなく……あなたを憎む海兵へと戻ります」
「決めたのか…」
それは海軍に戻るというものだった。
シャンクスは初めて聞くが、驚きはなかった。
シャンクスも今の状況が続くとは思っていなかった。
ミコトはもうただの一般兵ではないのだ。
『黒蝶』という肩書きを持つ最高戦力の1人の女海軍。
その黒蝶という名の意味を、シャンクスも十分知っていた。
だからミコトに傍にいてくれとは言えなかった。
ミコトがどれほどガープやセンゴク、クザンを慕っているのか…離れ離れだったシャンクスでも知っている事である。
ミコトはシャンクスの呟きに頷き、シャンクスは"ある記事"を思い出し無意識に眉間にシワを寄せた。
「…新聞、見たんだろ?」
「ええ…」
「……もうあそこにはお前を理解してくれている人間はもういない…それでも、行くのか…」
「…………」
シャンクスの問いにミコトは頷き、続けられた言葉に口を閉ざす。
"ある記事"とは元帥であったセンゴクと祖父であるガープの辞任、同じ大将の地位にいる青雉であるクザンと赤犬であるサカズキとの決闘、そして元帥の座にサカズキが就いたことである。
それらは新聞に書かれており、ミコトは同じ将校であり海軍だというのに全て新聞で知った。
最初こそ戸惑いがあった。
慕っていたセンゴクが職を下り、その後祖父も海軍を辞め、そしてクザンとサカズキの決闘に…ミコトは戸惑いが隠せなかった。
この1年…ミコトがシャンクスの世話になっている間に、瞬く間に全てが変わっていった。
本来ならばミコトもまた候補にあがり下手したらクザンではなくミコトがサカズキと決闘していたかもしれない。
それはミコト以外の誰もが考えたことだろう。
シャンクスでさえも考えたくらいだ。
しかし、ミコト本人がそれを否定した。
確かに、センゴクが候補にあげるなら、ミコトか、クザンだろう。
世界政府からも、世間からも、ミコトだってそれなりに信用がある。
だが、ミコトが海軍のトップになるのを――五老星が拒むだろう。
五老星は気づいている。
ミコトが転生した人間だということを。
ミコト自身がそれを否定したから、それに合わせて泳がせているだけで、彼らはとっくの昔に気づいている。
だからミコトに転生者か転移者かと聞いたのだ。
五老星と転生者がどういう関係かは分からないが、転移者や転生者を保護させたがっているようなので、元帥になるのを許さないだろう。
流石に五老星の事をシャンクスには言えず、シャンクスにはルフィの姉を理由に誤魔化した。
そして、クザンとの勝負勝ったのは、サカズキ。
クザンは詳しくは知らないがどうやら海軍を辞めているようで、祖父達は隠居してはいるが相談役として海軍に残っているようだ。
だが、残っているとはいえ、現役を退いた海兵であるのは変わりない。
よって、ミコトは今海軍に帰っても親しい人間がいないことになる。
シャンクスはそれを一番に恐れていた。
ミコトは力が強い。
海兵としても、能力者としても…ミコトは強者だ。
強者であるが故にミコトは人を頼る術を持っていない。
だからこそそんな彼女をフォローし、守るべき相手が必要だとシャンクスは思っていた。
今までは祖父であるガープも、溺愛していたセンゴクも、猫可愛がりしていたクザンがいたから彼女はここまで上り詰める事が出来た。
しかし彼らはもういない。
残っているのはミコトと折り合いが悪いサカズキと、そのサカズキの正義の元で再建されつつある海軍だけ。
サカズキに比べてまだ友好的な黄猿であるボルサリーノも…ミコトを信頼しているようには見えない。
ミコトとサカズキの水と油の関係をシャンクスも知っているからこそ心配になっているのだ。
そんなシャンクスの思いをミコトも気付いていた。
ミコトは心配そうに見つめるシャンクスの言葉にくすりと微笑を浮べた後、まるで目線の先に海軍本部があるかのように海を見つめる。
「行きますよ…行きます……例え味方がいなくてもわたくしの居場所はもう、あそこしかないのですから…」
ミコトの表情は美しく微笑んでいた。
しかし、シャンクスからはその笑みが悲しく、泣き出しそうに見えて仕方なかった。
だからだろう。
シャンクスは考えるよりも手が動き、ミコトの腕を掴んで自分の方に無理矢理振り向かせた。
ミコトはシャンクスの行動に目を丸くさせた。
「シャンクス…?」
「もし、おれがお前を海軍に渡したくないと言ったらどうする」
「え…」
「おれの女になれと…言ったらお前はどうする…」
「…………」
自分を見据えるシャンクスにミコトは戸惑いを感じた。
シャンクスの言葉にミコトは『何を馬鹿な事を言っているのです?』、と笑って流そうとした。
しかしあまりにも自分を見つめているシャンクスの目が真剣で、笑って流すことが出来なかった。
ミコトはシャンクスに返す言葉もなく、何も反応もできず、ただただシャンクスを見つめ返すしか出来なかった。
ミコトは何も言えなかった…だが、シャンクスの言葉に頷ければどれほどいいか。
シャンクスがミコトを愛してくれているように、ミコトもシャンクスを心から愛している。
だからシャンクスの言葉は本当は頷きたかった。
『あなたのモノにしてください』、と言いたかった。
しかし言えない理由がミコトにあり、シャンクスもミコトが頷けない理由があるのを知っている。
ミコトが海軍に縛られ身動きが出来ないこの状況でこの言葉は戯言でしかないと知っていた。
ずっと一緒にいてくれと、言えないと分かっているフリをしていた。
しかし、知っていたが、いざミコトと離れるとなると言わずにはいられなかった。
言葉を詰まらせるミコトにシャンクスは目を細め笑みを浮かべ、腕を掴んでいた手を解きミコトの頬へと伸ばし愛しげにミコトを見つめる。
「安心しろ…おれもお前にそれを言っても頷かないと知っているさ……―――だからおれはお前を殺す…次に会ったときはおれとお前は敵同士……なら、殺して永遠とおれのモノにするだけだ」
「シャンクス…」
「おれは海賊だ……欲しいモノを力ずくで手に入れるのが、おれ達のやり方だ」
愛しげに見つめてくる男の言葉にしては物騒で、そんなシャンクスを初めて見るミコトは戸惑いを隠せなかった。
もしかしたらこのまま口説かれれば強かった決意が揺れたかもしれない。
だが最終的にはミコトはシャンクスを選ぶ事はない。
戸惑いを見せるミコトにシャンクスは目を細め愛しげに親指でミコトの頬を撫でる。
「ミコト……おれが、他の男のモノになるのを許すと思ったか?」
目を細め笑うシャンクスを見上げミコトはゾクリと背筋に冷たい何かが走った。
ミコトは初めてシャンクスを怖いと思った。
シャンクスの笑っているが、目が笑っていないのだ。
ミコトは体を小さく震わせる。
実力がどうであれ、敵対する人間としてなら彼と対峙し負けて死ぬのが分かっていたとしても怖くはない。
だが、女として目の前の男と向かい合うのがこんなにも恐ろしい。
目を泳がせるミコトに、シャンクスはふと優し気に笑いミコトを腕に閉じ込める。
ミコトはシャンクスに抱きつかれびくりと肩を揺らし、シャンクスは腕の中にいるミコトの怯える仕草に抱きしめる力を強めた。
「…怯えさせてすまない……だが、これがおれの本心だ…」
「…………」
「体だけでも…ミコトを手に入れたいんだ…本当は誰にも渡したくない…」
ミコトはシャンクスの表情は見えない…見たくなかった。
しかし声でいつものシャンクスに戻った事が分かり、強張っていた体の力を少しずつ抜けていき、ミコトもシャンクスに体を預ける。
不思議なことで、海軍と海賊の敵対関係であったのに、ミコトはこれまで海賊としての彼を見るのは初めてだった。
口説かれてはいたが、冗談なのか本気なのか分からない時があったから本気になったシャンクスに箱入り娘であるミコトが怯えるのは当たり前だ。
しかしミコトが知るシャンクスに戻った事で余裕が出たのか安堵の息をつきながら目を瞑る。
「…わたくしは、誰かの妻となります…あなた以外の男のモノになるのです…海兵として生きるのを決めたわたくしはもうあなたの手には戻らない…―――だから殺してください…敵であるわたくしを殺し、恋人であるわたくしを奪ってください…」
シャンクスに抱きしめられているミコトの声は小さかった。
声が小さかったのはシャンクスに聞こえても聞こえなくてもどちらでもいいからだ。
しかし、ここは新世界にある孤島。
周りはシャンクスとミコトに気を使って二人でいる時は近寄らないようにしており、その為、雑音はなく痛いほどの沈黙が落ちている。
だから、小さくしてもミコトの声は、ミコトの言葉は、シャンクスの耳に届いていた。
シャンクスは答える代わりにミコトを抱きしめる力を強めた。
(だけど簡単に殺されてあげない……わたくしはわたくしのまま貴方の傍にいたいもの…)
シャンクスの抱きしめる力が強くなったのを感じたミコトは目を瞑り、声には出さず呟いた。
ミコトはシャンクスの気持ちを受け止めた。
しかし簡単に殺されはしない。
ミコトだってシャンクスを愛しているただの女である。
ミコトだってシャンクスを閉じ込めたいと思う狂った想いを秘めている。
だからこそシャンクスに簡単に殺されてたまるかと思ったのだ。
ミコトはミコトのまま彼の傍にいたいと思った。
海兵に戻ると決めたミコトの矛盾ではあるが、それがミコトの本心だ。
体だけというのも数ある愛の1つであろうが、それでは自分の気持ちはどうなるのだろうか。
死んでは気持ちなどないも等しいが、もし、共にいるのならシャンクスに愛を与えられるばかりではなく、自分もシャンクスに愛を与えてあげたい。
それが他の男性を愛したとしても。
でも、
ミコトはシャンクスの愛を捨てた。
それはミコトにとって、身を引き裂かれるほど辛い決断だった。
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