使用人数人で抵抗する『主人の一人だった男』を摘まみ出した。
門の外でまだ何か言っていたが、暫くすると静かになった。
どうやら諦めてどこかへ行ったらしい。
静子は雪乃をトメに任せこの家で働いてもらっている者達を全て集め、先ほどの事、長男の勘当、今後長男が訪れたら他人として扱い問題を起こすのなら警察に連絡するようにと伝えた。
その後に夫である秋彦に電報を送り、親戚や姉達への報告は明日にし雪乃の元へと向かった。
「トメ、後は私が…」
雪乃の部屋へ入れば雪乃はトメが用意したのだろう座布団に座って俯いていた。
トメは傍に寄り添い、奥方の言葉に頷き出て行った。
トメが出て行ったあと静子は娘の隣へ腰を降ろす。
そっと手に触れるとビクリと娘の薄く華奢な肩が揺れ、手が震えているのが分かった。
静子はそれが痛々しく感じる。
「雪乃さん…ごめんなさい…」
静子は雪乃の怯えた様子に『あの男』の母親として罪悪感が強く感じていた。
嫡男だから、息子だから、血の分けた家族だから今まで強く叱る事はなかった。
遊び歩いているのだって忙しい親を試しているのだと分かっていたし、寂しい思いをさせているからと許していた。
秋彦と静子は長男が可愛くて、可哀想で、甘やかしてしまっていた。
だが、そのせいで可愛い娘を傷つけてしまった。
血の分けた息子と縁を切ったのも、娘のような存在の少女を傷つけたのも、全て秋彦と静子の自業自得である。
だからこそ静子は雪乃に謝らなければならない。
許してほしいと本当は思っている。
けれど謝って許してくれるとも思っていない。
―――雪乃は、幼い頃複数の男に強姦されたのだから。
例えそれが脅しや誘いをしただけとは言え、性的暴力を受けた人間からしたら冗談ではすまされない恐怖を味わっただろう。
しかし母の謝罪に雪乃は首を振った。
「お母様が謝る事はありません…お兄様は触れただけで組み敷いたわけではありませんから…」
「いいえ…それでも酷い事をしてしまった事に変わりはないわ…ごめんなさい、雪乃さん…私達がもっと早くにあの子を勘当していればあなたもこんな怖い思いをしなくてよかったのに…本当にごめんなさい…」
雪乃が首を振り気にしていないと言わんばかりに呟くその言葉に静子はズキリと胸を痛めた。
この子は私達に気を使っているのね、と母に縋りつくことさえできない雪乃に静子は悲しくなった。
幼い記憶とは言え、雪乃は強姦された。
それをたかが10年程度で吹っ切れるわけがなかったのだ。
あれから娘が本当の雪乃を自分達に見せてくれたから勘違いしていたのだ。
まだ雪乃の心の奥には深い傷があるのに。
怖がらないように背中にそっと手を置き優しく撫でると、再び雪乃に首を振られた。
「ち、がうんです……違います…た、確かに…怖かった……でも傍にはトメがいたし…"あの時"と違って叫べばお母様や使用人達が来てくれるから怖くはありませんでした…」
怖くなかったと言えば嘘になる。
股間を掴んだ時だって幼い頃無理矢理手淫をさせられた時を思い出しそうになったくらい怖かった。
だが、それ以上に怒りも感じていた。
父と母はとても優しくていい人だ。
孤児で、卑しい庶民であるはずの自分をこうして養女にしてくれただけではなく本物の愛情を与えてここまで育ててくれた。
使用人の人達もいい人ばかりだ。
そんないい人達を傷つけ、迷惑をかけ、反省するどころかそれが当たり前だと思っているあの男に雪乃は腹を立てていた。
恐怖より怒りが勝ったのだ。
きっとそれは川畑家の娘として愛してくれた両親達からの愛情のおかげだろう。
きっと保護されただけならばあの時恐怖で動けず本当にあの男に犯されていたかもしれない。
静子はまだ心の傷が癒せていないと思っているようだが、十分静子達の愛情は雪乃の傷を癒していたのだ。
ただ、癒すにはまだ時間がかかるだけ。
「謝るのは私の方です……私がもっと上手くお兄様を宥める事が出来たらお兄様が勘当されることもなく…お母様から子供を奪う事もありませんでした…勘当されるのは私の―――」
雪乃は最後まで言えなかった。
パシリと静子が両手で頬を挟んで言葉を切ってしまった。
驚き目を丸くして静子を見れば、静子はむっとした顔で雪乃を見つめていた。
「それ以上言えば例え雪乃さんでも母は許しません」
「でも…私は…私の血は…」
誰もが雪乃を川畑家として認めてくれたわけではない。
心ない人や雪乃の事を良く知らない人達から『たかが養女』やら『血が繋がってない癖に』やら心ない言葉を聞いたことが沢山ある。
そのせいもあって雪乃は川畑家とは一歩引いた距離を保っていた。
だからこそ雪乃は勉強し教師となって恩を返そうと必死だった。
本当は庶民の出の自分が鯉登と恋人になってもいいのだろうかという悩みだってある。
しかし、そんな雪乃の悩みを母、静子は笑顔で吹き飛ばしてくれた。
「あなたは私と秋彦さんの娘よ…あなたは誰がなんと言おうと川畑雪乃なの…血の繋がりが何ですか…本当の娘じゃないから何ですか…私達にとって娘は…私達の愛する子供はあなただけよ、雪乃さん…」
「お母様…」
「人の言葉よりも父と母の言葉を信じなさい…あなたを知りもしない人間の言葉など聞かなくてもいいの…あなたは私がお腹を痛めて産んだ子供ではないけれど…私はあなたの2人目の母よ」
静子の言葉に沈んでいた気持ちが軽くなった気がした。
そして気づく。
母とはこんな話しをしたことはなかった、と。
愛してくれるし、それを疑ったことはないが、やはりお互い過去の事を触れないよう気を使っていた。
だから母のその言葉を聞くのは初めてで…すごく、雪乃の心に響いた。
母の姿がぐにゃりと歪んだかと思うと雪乃の大きな瞳から雫がこぼれ落ちた。
静子は『雪乃の母親は私』だとは言わなかった。
勿論母親だと思ってくれるのだろう。
だけど雪乃の本当の親…生みの親を否定しないでくれた。
雪乃は静子達の前では本当の家族の事や村の事を話すのを避けていた。
今の生活に慣れるのに精一杯だったというのもあるが、話せば静子達からの愛情を失ってしまうかもしれないと思い怖かったのだ。
だけど、それは杞憂だった事を知る。
ポロポロと涙を流す雪乃に静子はふと笑みを浮かべ、額をくっつける。
「今度…あなたが落ち着いた頃…いつでもいいわ…私達にあなたのご家族や村の事を教えてちょうだい…あなたがどんなご家族に愛されたのか、あなたがどんなお友達とどんな遊びをしたのか、あなたがどんな村で過ごしていたのか……私達は知りたいわ…」
静子はずっと待っていた。
雪乃が前の生活や本当の家族の事を"笑顔で"話てくれることを。
秋彦と静子は感謝しているのだ。
可愛い娘を産んでくれた本当の両親に。
そして、二人は約束したいのだ。
あなた方や私達の可愛い娘を決して不幸にはしない、と。
雪乃は嗚咽で何も言えず、ただただ頷くしか出来なかった。
しかし母にはそれで十分で、静子は涙を流す娘の身体を優しく包み込むように抱きしめた。
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