(146 / 274) 原作沿い (146)

鯉登は沈んでいた意識が浮上し、目を開ける。
夢を見ないほど眠りについていたのか、いつの間にか太陽が顔をのぞかせている最中だった。
うっすらと明るい外を見た後、鯉登は傍へ視線を向け表情を和らげる。


(雪乃…)


そこには水城がいた。
水城は鯉登と向かい合わせに眠っており、鯉登の胸元に顔を寄せて眠っていた。
処理を終えたまま寝たのでお互い裸だった。
寝返りで露わになっている水城の肩に布団をかけてやり、水城の髪に触れる。
さらりとした髪が昔の…雪乃の記憶を思い出させる。
眠りが深いのか触れても起きる気配はなく、鯉登は顔を埋めていた水城の頭の天辺に顔を埋める。


(雪乃の匂いはなくなってしまったか…)


そのまま息を鼻で吸いながら水城の匂いを嗅げば雪乃の柔らかい匂いはしなかった。
サウナに入ったばかりなので白樺の匂いがし汗臭さはない。
しかしその中に微かに血の匂いと硝煙の匂いがしている気がした。
恐らく戦場や争奪戦などの戦いの中で染み込んだ匂いなのだろう。
だがそんな中でも雪乃を思わせる優しい匂いがあった。
見た目も中身も…雪乃ではなくなったが、完全に消失したわけではないのだと思わせる。
それに愛しさを感じながら頭の天辺に口づけを落とした。


(雪乃が腕の中にいる…触れる距離にいる…夢のようで夢ではないのだな…)


実感がないわけではなかった。
でも夢心地だった。
死んだと思っていた雪乃と再会した事も、一線を越えた事も…こうしてすぐに触れる距離にいる事も。
鯉登が夢にまで見るほど強く望んだから、現実だと分かっていてもまるで夢心地だった。
しかし、鯉登は幸せそうな表情で水城を優しく見つめていたが、ふと顔を顰める。


(気に食わんな…)


ずっと鯉登の胸には黒く淀んだどろどろとした感情が湧いてきていた。
今も水城を愛おしいと思うのと同時に、どうしても拭えない黒い感情がふつふつと浮かび、そう心の中でつぶやく。
気に入らないのだ。
全てが気に入らなかった。
あのアイヌの少女の全てが。
最初は水城との間に子供を儲けた尾形にその感情が向けられていたのに、いつの間にかアイヌの少女へと向けられていた。
尾形よりもあのアイヌの少女の方が強敵だと分かったのだろう。


(雪乃の中にはあのアイヌしかおらん…そこに私はいない……なら無理やりにでもねじ込んでやる…)


尾形とキロランケを恨み、アシリパと白石を心配し、それでも鯉登達の前では平気そうにしていたが…実際は上手く隠していたのだ。
岩息がサウナにいた時、尾形達がこの村に立ち寄った時の事を聞いた時。
白石とアシリパは水城が生きていることを信じていると偶然傍で聞いていた岩息から聞いた時。
水城の表情は鯉登も見たことがないような微笑みを浮かべていた。
安堵と喜び。
その感情はどんな人間にもある。
だけどその時の水城は心の底からの感情だった。
再会してから鯉登は見たことがなかった微笑みを水城は浮かべていた。
鯉登は水城と再会し話し合いを経たが、それはまだ表向きだということに気づく。
自分と再会し喜んでくれたのは確かなのだろう。
だけど水城はもう雪乃ではなくなっていた。
雪乃は死んだ。
そして水城が生まれ、自分の知らない人間関係を築き、本来自分の立ち位置であったであろう場所にアイヌの少女が立っている。
水城の全ては息子とアイヌの少女のためだけにある事を鯉登は気づいた。
分かっているつもりだった。
だけど分かってはいなかった。
だからこそ、少ない時間…限られた時間に自分という存在を水城の中にねじ込んででも入ってやろうと思った。


(名前を呼ばれる度に気持ちが高ぶった…あの時の雪乃は私しか見ていなかった…)


鯉登はあれからほぼ終わりまで水城に名前を呼ばせ行為を行った。
名前を呼ばれることで目の前に誰がいるのか水城に刷り込ませようとしたのだ。
しかし、水城の甘い声で名前を呼ばれるのは…それとは別に興奮の高まりを感じたのもあったが。
目を逸らせば視線を戻させ、目を瞑れば開けさせて自分を見させる。
そうすることで無意識に水城の心に自分という男を刷り込ませることが出来るかもしれないと思った。


(私はまた待たねばならないのか…雪乃と共に歩む事が出来るようになるのはいつになることか…)


金塊などに興味はない。
金に苦労したことがないからかもしれないが、金塊を欲してこの争奪戦に参加したわけではない。
全ては尊敬する鶴見のために鯉登は命を賭けている。
それは水城も同じなのだろう。
どんな理由であれ、水城はアイヌの少女のためなら命を失っても構わないのだろう。
鶴見や月島から『不死身の杉元』という話は何度か聞いたことがある。
不死身の名前に相応しい回復力を持ち、二人とも水城が死ぬなど考えていないようだった。
しかし、鯉登にとって水城は雪乃であり、一人の愛する女性だ。
不死身と呼ばれていても水城が人間である以上、いずれ死ぬ。
この争奪戦を続けていればその死亡率は普通に生活するよりも倍だ。


(私がやめろ、と言っても引かぬだろうな…)


そう、倍なのだ。
鶴見、土方共にそれぞれ組織で動いており、水城達とは火薬の量、銃の質、情報収集力、人員、支援力全てが違う。
鯉登は水城のしていることが無謀にしか思えなかった。
今度こそ本当に水城が死んでしまったのなら鯉登はきっとアイヌの少女を殺すかもしれない。
それが逆恨みだとしても鯉登はアイヌの少女を恨むだろう。
しかし、かといって水城が簡単に言ってやめるような人間ではないのを子供の頃から知っている。
昔から水城は頑固なところがあったなと鯉登は懐かしい記憶を掘り起こしながら水城を更に抱き寄せ腕に閉じ込める。


「…っ」


するとズキリとした痛みが体に走った。
そちらに目をやれば、水城に斬られた手の傷が痛んだらしい。
行為に夢中になり、無我夢中に水城の中に自分を刷り込ませていたため、傷が開いた事に気づかなかったらしい。
すでに血も止まっているらしいが、包帯は真っ赤に染まっていた。


(…明日、包帯を変えてもらうか…)


せっかく水城が手当してくれたのに自分の不安のため、自分の欲の為に無駄にしてしまった。
しかし『次がある』事に嬉しく感じてもいた。
きっと水城なら『だから言ったのに…しょうがないなぁ』と言って明日、もう一度怪我の治療をしてくれるだろう。
モヤモヤがまだ胸に残っているが、それを無視し明日の幸せを期待しながら短い二度寝をする事にした。

146 / 274
| 目次 | 表紙 |
しおりを挟む