水城達は岩息を見送り、村を出た。
岩息は殺さず逃がすことになった。
刺青は白石のように写し、水城が殺したくないと言うので鶴見から権限を任されている月島が逃がす判断をした。
「今日はこの樺太アイヌの村に滞在しよう」
この日は出発した村から少ししたところにあるアイヌのコタンに泊めてもらう事にした。
水城達の方がアイヌの接触に慣れているという事でアイヌの交渉は水城と谷垣が行い、泊めてもらうことになった。
「もっと移動すれば豊原という樺太で一番大きな街があるんだろう?立派な旅館があるだろうにな…」
「豊原は明日寄っていきましょうね…色々と買い物もありますから」
坊ちゃんである鯉登はこの旅に少し不満があった。
慕う鶴見に言い渡された任務自体は不満はないのだが、やはり泊まる環境が坊ちゃんにとって酷すぎるのだ。
ふかふかの布団もなければベッドもない。
唯一素晴らしいところは水城と一緒というところで、それ以外に得るものはない。
はあ、とわざと深い溜息をつく駄々っ子にお母ちゃん…否、月島は宥める。
(大きい街かぁ…サラシ買わなきゃな…)
2人のやり取りを聞きながら水城は胸に目線を落とす。
バイーンと効果音が出るほどサラシを巻かなくなったそれは強く主張をしている。
ワイシャツも無駄には出来ないのでボタンを外して着物を着てコートも羽織っているが、それでもお胸様の主張は止まらない。
恰好も恰好なため、人にはギョッとさせられ二度目三度目は当たり前だった。
誰も何も言わないし、これまでの道中サラシが売ってるほどの大きな街もなかったというのもあり放置していたが、そろそろ何か言いたげな視線や奇妙な物を見る目が鬱陶しくなったのでサラシを豊原で買いなおそうと思う。
そう思いながら鯉登の方へチラリと見ると、一応は仕方ないと納得はしてくれたのか、しかしまだ不満があるのか少しふてくされていた。
ふてくされている鯉登に水城は苦笑いを浮かべ、鯉登の腕へ手を伸ばして腕を組む。
自分から腕を組んできた水城に驚く鯉登の耳元で月島達に聞かれないよう小声で話す。
(えっちなこと出来ないけど、くっついて寝てあげるから機嫌治して?ね?)
「…っ」
水城の言葉に鯉登はカッと頬を赤らめた。
思っていた事を読まれたと思ったのだろう。
鯉登は宿を取り水城と二人きりになりたかった。
常にスケベな事を考えているわけではないが、夜はそういう事をしたいなと思うのはやはり男だからだろうか。
それに水城は無意識なのか、腕を組んでピッタリと鯉登にくっついているためサラシが巻かれていない水城の胸が、むにっ、と押し付けられ、それを意識してしまったのもある。
特に鯉登は白石のように常に女に飢えているわけではなく、その性欲は全て水城に向けられているのだ。
鯉登の場合は禁欲と水城への想いをずっと秘めていたのもあり、爆発してしまっているのだろう。
水城の言葉に『ば、馬鹿者!』と小声で叱るも、その顔は赤くなっているため威厳はない。
「…………」
女にゆるゆるな顔にされ手玉を取られている若い上官に月島は溜息をつく。
月島も仕方ないとは分かっているのだ。
何より彼は若い。
ずっと禁欲を強いていたのなら好いた女と和解して羽目が外れても仕方ないとは思う。
争奪戦ではあるが、月島が経験した戦争ほど殺伐としていないし、何よりも長い間離れ離れだった二人を咎める事も可哀想な気もした。
◇◇◇◇◇◇◇
お世話になる家にお邪魔し、歓迎されているとエノノカがチカパシにある物を見せる。
「チカパシ、この『ホホチリ』つけていい?」
その小さな手の平にあったのはビーズ玉のようなものを三角に繋いだ房状の物だった。
首を傾げるチカパシにエノノカも小首をかしげる。
「北海道のアイヌは知らないの?樺太の男の子は10歳位までつける…これ、私のオナハ(父)つけてたホホチリ…チカパシにつけてほしい」
そう言って父のホホチリをチカパシの前髪に付ける。
「クチリ(クズリ)撃ったの谷垣ニシパ助けたでしょ?一人で獲れたら切ってね」
水城が暴走した時、チカパシがクズリを撃って絶命させた。
しかしそれはサウナから駆け付けた谷垣のフォローがあってこその結果だ。
エノノカがチカパシに父のホホチリを付けたのも、1人で獲れるように成長するようにという願いも込められていた。
(なんともまあ…可愛い…微笑ましい…)
エノノカとチカパシのやり取りを見て水城は谷垣と目配せをする。
子供達のやり取りに大人二人は微笑ましく感じ、お互い笑いあった。
チカパシはこの旅で色々な事を経験している。
その経験が少しずつ彼の成長に繋がり、だからこそこの場に自分ではなくインカラマッがいたらなと思う。
しかし同時に子供達を見ていて水城の胸は痛いくらい締め付けられてしまい、水城は席を立ちチセを出る。
「………」
外に出て無意識に人気のない場所へと歩いて行った。
はあ、と息を吐きだせば温度差から白い吐息が吐き出され、その白い吐息が流れるのを目で追いながら顔を上げて空を見上げる。
空は水城の気持ちなど気にも留めないほど青く白い雲が水城の視界に映っては通り過ぎていく。
軍帽とコートを脱いだままの姿で出てきてしまったので寒さが身に染みるが、水城は気にも留めず空を見上げる。
(あの子もこの空を見ているのかしら…)
思い浮かべるのは息子の事だった。
アイヌのコタンに残してしまったというのもあり、どうしてもチカパシや子供達を見ていると息子を思い出す。
アシリパのコタンに残していった息子。
まだ物を言わない年齢だからと水城は何も言わず置いて行ってしまった。
だけど1歳児でも母と離れるのは心細く、寂しいだろう。
懐いているけれど、世話になっているアイヌの人たちは静秋にとっては他人だ。
唯一の家族とは引き離されたのも同然で、あの子はなんの説明もなく母を待ち続けている。
それが水城に罪悪感を産んだ。
(坊…坊、
母、どうしたらいいのかしら…あなたが幸せになれるのはどちらの人生なのかしら…)
目を瞑ると遠く離れてしまった息子の笑顔が浮かぶ。
どんなに長く離れていても息子の事は一度として忘れたことはなかった。
今、水城は選択を迫られている。
アイヌとしての人生を貫くか、母の元へ帰るのか。
鯉登に見つかってしまった今、どちらも不可能ではない。
しかし水城が悩んでいるのは勿論母の事もあるが、愛息子の事だ。
アシリパは水城と静秋をアイヌとして受け入れてくれている。
きっとあの優しい人たちがいるコタンのアイヌ達も水城達を受け入れてくれるだろう。
しかし、未来への道が二つに増えてしまい、水城はその分岐点の前で立ち尽くしている状態だった。
息子の事を考えれば自由のあるアイヌとしての人生を歩ませるのも悪くはないだろう。
アイヌの人達は行き場のない水城と静秋に居場所をくれた。
その恩を返したい。
ただ…自然と共に生きるから幸せだとは言えないのも事実だ。
アイヌの中でも物々交換では補えない物もある。
金である。
金で苦労させない選択肢は…母の元へと戻ることだ。
しかし、そうなればきっと周りの奇妙な目に息子を晒すことになる。
ただの父なしの子供ならば奇妙な目で見られるだけで済むだろう。
しかし息子の体に流れている血は複雑なのだ。
静秋の父親は妾の子ではあるが花沢家の血が流れている尾形だ。
当主と跡継ぎの二人が亡くなった今、花沢家がどうなっているかは分からない。
ただ、もしも今も幸次郎の妻が健在で、親戚もいて、彼らが諦めていないのなら花沢家という一族は途絶えていないのだろう。
(尾形と瓜二つだもの…花沢家の人間が見たら気づかれてしまう……そうなったらあの子はきっと花沢家に取られてしまうかもしれない…)
自分の腕から愛し子がいなくなるのを想像し、水城は顔を青ざめる。
空を見上げていた顔は少しずつ項垂れるように下へ向けられ、水城は己の手を見下ろす。
その手は愛息子を奪われるかもしれないという恐怖から震えているようにも見えた。
(駄目…駄目…そんなの…駄目よ…駄目だわ…駄目…あの子は私の子よ……妾の子さえ認知しようとしない人間がいた家になんてやるものですか…)
尾形を庇うつもりはないが、妾の子を母親共々無視するような男が当主だった家になんて可愛い息子を預けられない。
花沢家の当主だった幸次郎は中将にもなった男だ。
2人はすでに亡くなっており、恐らく花沢家は何としてでも復興しようとしているのだろう。
尾形がどういう立ち位置かは水城には分からないが、もしかしたらそういう話もあったのかもしれない。
それを尾形が蹴っているかもしれないし、尾形という男をどうしても花沢家に引き入れるのをあちらが拒んでいるかもしれない。
そうなったらもしかしたら静秋は奪われる可能性は低いのかもしれない。
(かもしれない、かもしれない…全て憶測だわ…)
そう、全て憶測なのだ。
花沢家が静秋を奪おうとするのも憶測。
杞憂に終わるのも憶測。
全て水城の想像だ。
しかし、だからと切って捨てる事もできないのも事実だ。
段々と水城は周りが暗く淀んでいくのを感じる。
寒いのは冬だから当たり前なのに、それ以上に寒さを感じた。
その時…
「雪乃?どうした?」
その声に水城はハッと我に返る。
呼ばれた方へ振り返ればそこには鯉登がいた。
考え込んでいた水城は鯉登に呼ばれ振り返る。
するとあれほど夜かと思うほど薄暗かった周囲と寒さを感じていた気温も消え、青々とした空や冬らしい寒さが返ってきた。
鯉登は心配そうに水城を見つめ歩み寄る。
「先ほどからぼうっとしているが…何があった?」
そう声を掛けながら鯉登は立ち尽くすように立っていた水城の手を取ると、寒さから冷え切っていた。
それに鯉登は眉を顰める。
「こんな軽装で外に出おって…寒かっただろう」
水城はマフラーだけ防寒具を着用しており、後は着込んでいると言っても普通の軍服と着物である。
鯉登は冷たい手に水城の体が冷えてしまったとコートのボタンを外しそのまま水城の全身を包むように懐に入れる。
水城は突然の事に目を丸くする。
『え?』と若干混乱していたが、先ほどまで前を閉めていたということもあり鯉登のコートの中は暖かく、その暖かさからすぐにホッと水城の表情がほぐれていく。
「私では力不足か?」
鯉登のぬくもりや彼の匂いに安心し寄り添い目を瞑る。
すると呟かれた言葉に水城は鯉登へと顔を上げる。
鯉登も水城を見つめており、その表情は少し寂し気だった。
キョトンとさせて自分を見上げる水城の額と己の額をくっつけ痛くないようにぐりぐりとさせる。
額と額をくっつけた時瞑った瞳を開ければ当然鯉登の顔が近くにあった。
彼の切れ長の目に自分の顔が映らないほど近くにあり、それがまるでキスをするようだと思ってしまう。
そう一度でも考えてしまうと水城は場違いながらにも頬を赤らんでいく。
「私では相談相手にもならないのか?」
水城の変化に気づくことが出来る。
しかしその内容には気づくことができない。
水城が誰を思い、何を思っているのか、なぜそんな悲し気で寂し気な顔を見せるのか、それが鯉登には分からない。
何か力を貸してやりたいと言うのは建前なのだろうか。
やはりこれは醜い嫉妬なのだろうか。
水城に思われる相手への嫉妬で自分の目も心も曇ってしまっているから、水城の事が分からなくなっているのだろうか。
そう不安がる鯉登の言葉に水城は…
「…うん」
そう言い切った。
誤魔化されるかと思った鯉登ははっきり言われ落ち込むよりも一驚させた。
目を見張る鯉登から水城は目を逸らす。
「だって……今考えてたの息子の事だもの……流石に音之進には言えないよ…」
水城だって気を使うことくらいは出来る。
尾形と鯉登の関係が水と油というのは知っているし、お互い隠していないからきっと周知の事実なのだろう。
そんな尾形との子供の事で悩んでいると愛している男に言えるほど水城は無神経ではない。
そして同時に鯉登と結ばれることになった以上、この問題から目を逸らせないのも理解していた。
ただきっかけがなかった。
勇気がなかったのだ。
しかし、鯉登は唖然とさせ額を離し目を瞬かせて水城を見下ろす。
「なぜ私には言えないんだ?」
「え…?だ、だって…息子の父親は尾形だし…」
「それは知っている……だが、すでに私の子でもあるだろう?」
「え?」
「え?」
キョトン、とさせて答えた鯉登の言葉に今度は水城がキョトンと呆ける番となる。
お互いがキョトンとさせており、お互いが目を瞬かせていた。
水城は言葉の噛み合わなさに『んん???』と首を傾げるとそれに合わせるように鯉登も首を傾げた。
それを可愛いと思いながら水城は鯉登に問う。
「ごめん…一体何がどういうわけで坊が音之進の子供になるの?」
「ん??…―――ああ、言っていなかったか…」
鯉登も会話の噛み合わなさに怪訝とさせていたが、何かを思い出したように声をこぼす。
言っていなかった、という言葉に水城は『何を?』と返す。
その返しに鯉登は言い忘れていたことを水城に伝えた。
「私はお前の息子を迎え入れたいと考えている」
その言葉に水城は目を丸くする。
/ 注意 /
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