(181 / 274) 原作沿い (181)

食事も終え、暇な子供たちは外に遊びに行ってしまった。
ここに訪れてから白石もどこか遊びに行っているのか姿が見えない。
白石に関したらいつもの事なのでアシリパも水城も気にしていないが。
水城は鯉登の肩にもたれながら焚火を見ていた。
空腹が満たされ暖かさもあってかウトウトと舟を漕ぎかける。
しかしふと呻き声が聞こえ、そちらに視線をやる。
そこには尾形が寝台に寝かされていた。
気を失っているものの痛みは感じているのか痛々し気な声が小さく出ていた。


「…雪乃?」


水城は鯉登から離れ席を立ち、尾形の方へ歩み寄る。
鯉登が後ろから呼んだが気づかないフリをした。
尾形の寝台に座り、彼を見下ろす。
見下ろした先にいる尾形の顏には汗がにじんでいた。
寒いはずなのに、身体の異変を脳が感知して対応しているのか青白い顔をしながらも汗がにじみ、水城はその汗を看病のために傍に置いてあった布で拭ってやる。


(死ぬな…今死ぬなんて許さない…)


ギシ、と寝台が軋む音が聞こえる。
尾形は生まれつきなのか肌が白い。
だが今は血の気がなく白い肌というよりも青白かった。
このまま放置すればいつ死ぬか分からないほど弱弱しく見える。
水城はアシリパが原因で尾形を死なせるつもりはない。
尾形の死はアシリパが理由ではならないのだ。
顔全体の汗を拭ったり、毛布から除く首筋の汗を拭ったりと介抱をした。


「雪乃」


水城は尾形の介抱をしていると鯉登に呼ばれた。
そちらを横目で見えば鯉登がいた。
鯉登は水城を見つめており、静かに水城に向けて手を差し出す。


「戻ってこい、雪乃」


水城は鯉登から、鯉登の差し出された手を見つめた後、鯉登へと視線を戻した。
水城は尾形をチラリと見た後、鯉登に呼ばれたので戻ろうとした。
しかし、そんな水城を阻む者がいた。


「、…!」


水城は鯉登の方へ戻ろうと腰を上げかけた時、手首を掴まれた。
驚いて手元を見れば毛布から覗く男の手に掴まれているのが見えた。
ハッとさせて尾形を見る。
彼の両目には布が巻かれ目が覚めているのか分からない。
しかし反応からして目覚めてはいないのだろう。


(無意識…?誰かと勘違いしているのかしら…)


気絶していながらも無意識の行動なのだろう。
自分の手首を掴むその手の力は弱っている身体には不釣り合いなほど強く、振り払っても簡単には振りほどけないほどだろう。
水城の意識は鯉登から尾形へとすり替えられていた。


「雪乃!」


何となく誰と勘違いしているのか気になって、じっと尾形を見つめていると鯉登の声が水城の耳に届く。
その声に水城はハッとさせ鯉登へ視線を戻せば、彼は明らかに不機嫌そうに水城を見つめていた。
その顔に『ああ、また嫉妬してる』と思いながら水城は鯉登に気づかれないように自分の手首を掴んでいる尾形の手を毛布で隠す。
水城の体で鯉登からは見えないとはいえ…なんとなく、見られたくないと思った。


「まだ安定してないから傍で見てないと…」

「その役目はお前でないと駄目なのか」

「……ごめん、音之進…」

「………」


鯉登が尾形に対して他の人間以上の嫉妬を向けているのは水城も聞いていて分かっている。
本当なら裏切り者の尾形よりも恋人である鯉登の手を取る方が人間として正しいというのも。
だけどどうしてか水城は尾形の手を引き離すことはできなかった。
謝る水城に鯉登は舌打ちを隠さずに打ち、無理に引き離す気はないのか水城からそっぽを向いた。
水城が鯉登に謝ると微かだが水城の手首を掴んでいる手の力が強くなった気がした。
水城は気のせいだということにした。



(冷たい手…)


浅い息を繰り返しているので生きてはいるのだろう。
水城は尾形を許してはいない。
だけどここで、アシリパの手で、尾形が死ぬことは望んでいない。
尾形はまだ生きていなければ困るのだ。
そのためならば水城はなんだってする。
しかし、尾形の手から感じる異様な冷たさに水城は眉を顰めながら汗を拭ってやる。
この手の冷たさは寒さからか、はたまた命の灯の儚さからか。
その場の空気は一転して悪くなった。
主に鯉登からの空気だが、その一因である水城が全く鯉登を気にも留めず尾形ばかり気にしているからだ。
水城が尾形に構うのが気に入らないからだろう。
黙っているのが辛い中、谷垣が耐えきれずポツリと呟く。


「どうして尾形はキロランケと組んでいたのか…この男が少数民族の独立に共感するとは思えないが…」


気まずい中、静まり返るトラフの中からも外にいるアシリパ達子供達の笑い声が聞こえる。
水城は尾形を介抱しながらも谷垣の呟きに彼を横目で見る。
谷垣は尾形の行動を不審に思っている。
それはきっと谷垣だけではなく水城も、鯉登も、月島もそうなのだろう。
争奪戦には癖の強い男達が多くいるが、特に尾形はその中でも何を考えているのか分からない男だった。
なぜ縁もゆかりもないキロランケ側についたのか…一応彼と肌を重ね合った仲である水城も分からない。
彼の思考を読めれたら、今こうしてここにはいない。


「本当に純粋に金塊が欲しいだけなんだろうか…」


谷垣の呟きに鯉登も続けた。
鯉登の呟きに水城は尾形へと視線を落とし…


「そうあって欲しいわ…気兼ねなく殺せるもの」


彼の顏に浮かぶ汗をぬぐいながらポツリと呟いた。
その小さな呟きは幸か不幸か、谷垣や月島には聞こえなかった。
しかし水城の呟きに鯉登はじっと尾形の介抱をしている水城の横顔を見つめていた。


『スヴェトラーナ』


重傷を負った月島は尾形とは別の寝台に寝かされながら燈台の老夫婦の娘であるスヴェトラーナに声を掛ける。
スヴェトラーナはキロランケ達を追った水城を探している最中に見つけた。
吹雪を避けるように氷を壁に蹲っていたところを見つけ、保護した。
最初は連れ戻されるのを嫌がったが、諦めがついたのかここまで大人しく着いてきた。
着いて行ったロシア兵と強盗し捕まっていたらしく、逃げていたが行き場がなかったのもあったのだろう。
スヴェトラーナは月島に名を呼ばれ月島へと視線を向ける。


『岩息について行って大陸へ渡れ』


月島の言葉にスヴェトラーナは目を丸くする。
月島に『家に帰るんだ』と言われ『どうしてそんな残酷な事ができる』と両親を心配させたことを叱られたため、このまま両親の元へ連れて帰らされると思っていた。
だが、月島はスヴェトラーナの島を出たい気持ちと、両親の無事を知りたいという気持ちの両方を理解していた。
だから無理に連れて帰っても同じことが起きないとは保証が出来ない。
ならばせめて一人ではなくボディガードのような人間と共に旅をさせた方が安全かと判断した。


『だが手紙を必ず書け…俺が帰りに届ける……生きていることさえ分れば真っ暗な底からは抜け出せる』


そう月島は呟きながらチラリと水城を見た。
この言葉はスヴェトラーナと、死んだ事にされた水城に向けた言葉だ。
水城にはロシア語は通じないが、それでも気持ちは水城にも向けられた。
月島の言葉にスヴェトラーナは頷いて返す。


『分かった…約束する…』


スヴェトラーナは月島と出会い考えるようになった。
この島から逃げる事しか考えてこなかった日々で出会ったソフィアという強い女性。
その女性に憧れていた。


『あたしもソフィアみたいに強くなって首都サンクトペテルブルクで成り上がる!金持ちになって両親を呼び寄せるわ!!』


月島はその言葉に『そうか』と返した。
前向きになったのはいい事だ。
月島は報告のために持ってきていた紙をスヴェトラーナにやり、手紙を書かせる。
スヴェトラーナは最初こそなんて書いたらいいのか迷っていたが、書きだせばその迷いを吹き飛ばしたようにあっという間に手紙を書き終えた。


「谷垣、岩息を連れてきてくれ」


手紙を書き終えたのを見て月島は外で子供達を相手に遊んでいる囚人を連れてくるよう指示し、谷垣はそれに従って外に出た。
連れてこられた岩息に月島は説明する。
岩息はそれに二つ返事で頷き、準備が整い次第二人は出発することになった。


「水城!岩息達が旅立つらしい!私達も見送りに行くぞ!」


外で遊んでいたアシリパだったが、岩息達が旅立つのを知ってトラフに顔を出し見送りに水城を誘う。


「え、もう?ちょっと待ってて、すぐ行くから」


水城はアシリパの言葉に尾形から視線をアシリパに向けた。
アシリパは水城が尾形の傍にいることになんら疑問も思わず水城を待つ。
水城は尾形の手が外せるか分からなかったが、アシリパを待たせたくないと、尾形の手に触れて外そうとした。
しかし水城が思ったよりも尾形の手は簡単に外せた。
水城は簡単に外せた尾形の手に彼を見る。
相変わらず起きているのか眠っているのか分からないが、恐らくこの手は鯉登の時も簡単に外せたのだろう。
だが誰でもない水城が勘違いして鯉登の声に答えることはしなかっただけなのだ。


(本当は起きてるんじゃなかろうか…)


水城は思い込みとはいえ尾形に騙された気がした。
チラリと鯉登を見れば案の定不機嫌MAXを通り越したような顔をしていた。
大方自分の声掛けには応じなかったのにアシリパには応じた事に嫉妬しているのだろう。
あとでご機嫌取りだな、と思いながら水城はアシリパのところへと向かおうとした。


「音之進」

「…なんだ」


アシリパの元へ行く前に鯉登へと水城は近づき、名を呼ぶ。
名前を呼ばれた鯉登はブスッとしながらも返事を返す。
不機嫌になりながらも返事は返してくれる律義さに水城は思わず笑みがこぼれる。


「行ってくるね」


そう言って水城は鯉登の頬にキスを送り、アシリパの元に向かった。
谷垣にも『ちょっと行ってくる』と言って出て行った。
谷垣は水城の声掛けに『ああ』とだけ返して手を振り見送った。
水城の姿が消えるとチラリと鯉登を見る。
鯉登はキス一つくらいで機嫌は直らなかったが…機嫌ゲージがちょっと下がった程度の感情の変化があった。


(インカラマッ…怪我は無事に治っただろうか…)


バカップルを見ていると時々ふとインカラマッに会いたくなることがある。
遠い目でインカラマッがいるであろう方向へを向けながら、彼女を思う。



◇◇◇◇◇◇◇



水城とアシリパはニヴフ族の防寒服を羽織って外にいる旅立つスヴェトラーナと岩息の見送りをしていた。
短い間だが共に行動をし見送ってくれる水城達に手を振り、水城達も応えるように手を振って姿が見えなくなるまで見送った。


「アシリパさんもお婆ちゃんに元気な姿を見せなきゃね」


二人の姿が豆粒ほどになっているのを見ながら水城がポツリと呟いた。
アシリパは水城の呟きに顔を上げて小首をかしげる。


「鶴見中尉は許さないんじゃないのか?私がコタンに戻るのは…」


やはり協力すると言ったとしても、相手がすぐに信用するとは思えない。
逃げられる可能性も十分にあり、アイヌ全体がアシリパを渡さないと言ってきたら『平和的解決』は難しい。
あちらもアシリパの機嫌を損ねるような事はしないだろう。
そう思い水城は『お婆ちゃんに会って安心させるくらいなら大丈夫じゃない?』と言ったが、心からそう言える訳ではなかった。


「確かに…刺青人皮の暗号を解くまでは監視は厳しいだろうね…でも奴らにとってアシリパさんが必要なのはそこだけ…土方歳三達よりはマシさ」


アシリパ奪還に鶴見が力を貸してくれたのは、水城のためではなく、アシリパのためでもない。
全ては金塊のため。
謎を解く鍵がアシリパだからだ。
そのために軍艦を使用してまで樺太に水城達を送った。
その鶴見がアシリパを自由にさせるとは水城も思わなかった。
だが、土方達よりはマシなのは確かだろう。
まあどちらも厄介な相手だから、本当は関わりたくないのだが。
水城の呟きにアシリパは首を傾げた。


「どうして?アチャは土方歳三と協力させるために私に金塊を託したのでは?水城…あの時アチャから何か聞いたか?」

「…………」


アシリパの言葉に水城はアシリパの父であるウイルクとの会話を思い出す。
彼は水城に言った。
娘に狩りを通して戦い方を教えたのは、アイヌを導く存在にするためだと。
それをアシリパは知らない。
だからこその疑問だった。
そんなアシリパの問いに水城はスッと静かに目を細め…


「いえ、何も」


そう答えた。
水城の返答にアシリパは疑いもなく『そうか』と返した。
それに水城は突っ込まれなかったことに内心ほっと安堵の息を吐く。
アシリパは金塊を探して見つけることで父が殺された理由が分かるかもしれないと、このまま金塊を見つける度を続けることを決意する。
そして、それを水城に伝えた上で水城を見上げた。


「水城はどうするんだ?鶴見中尉に協力して刺青人皮を集めるのか?」


捕まったとはいえ、水城と谷垣は鶴見から捕虜扱いはされていない。
刺青人皮を全て鶴見に渡すことで協力を仰ぎ、ここまで来た。
ならば水城はもう鶴見の部下となっていても可笑しくはないだろう。
アシリパは不安からか、微かに視線を伏せた。


「まあね…私は鶴見中尉達に協力する代わりに金塊の分け前を要求してる…網走であの夜何が起こったのか…アシリパさんにもう一度会って伝えるにはそれしか思いつかなかったもの…」


手持ちの刺青人皮は全て鶴見に渡してしまった。
冷静に考えれば写させる手もあったが、あの鶴見に写しで協力を仰げるかと問われれば、恐らく半々だがNOに近い。
あちらだってたかが軍をやめた人間一人とは言え、警戒していないわけではないだろう。
しかしだからと言って鶴見の協力なしにここまで来れたかと言われれば、それこそNOだ。
鶴見という権限だからこそ、短時間でこうしてアシリパの隣に立てるのだ。
感謝はしている。
だが心からではない。


「従うつもりはないけど…刺青人皮を全部取られたし…現状で一番金塊に近いのは鶴見中尉ね…まずは金塊を見つけてやるさ」


水城達の刺青人皮を全て渡したことによってアシリパサイド、土方サイド、鶴見サイドの中で一番ゴールに近いのは鶴見になってしまった。
それに後悔はしていないし悔しさなんてない。
水城にとって、刺青人皮や金塊と比べればはるかにアシリパの方が優先事項だ。
金は欲しいが、アシリパは鍵の他にも水城にとってなくてはならない存在なのだ。
とはいえ、アシリパの問いに答えるとしたら本音はNOだ。
水城は鶴見に感謝こそすれど、月島や鯉登のように鶴見の下に付く気は今更ない。
水城の飼い主は鶴見ではなく、この隣に立つ少女でもない。
水城の飼い主はまだ、異国の冷たい土に埋まっている。
もうこれは否定できない事実であり、水城は否定し続けるのを…吉平がしっかりと握っているリードを外そうとするのも諦めた。
新しい飼い主を決めれない以上、水城は自分の望む道を進むまでだ。
刺青の数を考えれば鶴見に従った方が得だろう。
鶴見は強い力も持っている。
鍵であるアシリパにも下手な事はしないはずだし、あの男は自分を飼い犬として欲しているはずだから、彼の下にいて危惧する事としたら、自分とアシリパを引き離すくらいだろうか。
あ、あと白石の生死。
アシリパを人殺しの道具にしようとしている土方に比べれば、金塊にしか興味がない鶴見の下についた方がいいのは傍から見れば分かるだろう。
ただ、彼らを水城は信用していない。


「じゃあまだ道は同じだな…私達…」


アシリパは水城の言葉にホッと安堵の息を吐く。
そんなアシリパの言葉に水城は目を瞬かせたが、ふと笑みを浮かべた。


「そうね、相棒の契約更新ね」


水城の言葉にアシリパも強く頷いた。
鶴見に刺青人皮を全て渡し、アシリパを奪い返し、これから水城達は再出発となる。


(金塊を見つけて全て終わらせる…アシリパさんをこの金塊争奪戦から解放するんだ)


水城は笑顔の下でそうアシリパを見つめながら誓った。
アシリパの父親が何を思って娘に戦い方を教えたかは水城は興味ない。
樺太に向かう時、平二が言った通りだというのなら、なおの事土方から遠ざけなければならない。
アイヌに『戦って死ね』と言うのなら、自分の娘を先頭に立たせ血で汚させるなど…母となった水城には理解できない話だ。
いや、母だからではない。
相棒だからこそ、アシリパを守るならいざ知らず…血で染めるような未来など望まない。
血で汚れるのは自分で十分だ。
アシリパの手を血で染めさせるような事などさせない。
そう水城はアシリパの笑顔を見て心から誓った。

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