※性的描写注意。
※胸くそ注意。
※オリキャラが親に性的虐待された方に対して人間性に欠けた酷い事を言います。
※苦手な方、被害者の方は引き返す事をすごくお勧めします。
※フィクションだと割り切れる方のみお楽しみください。
****************
母と妹の様子を見に吉平は久々に九州の実家へ帰って来た。
菊之丞が捕まり父が亡くなった際、家では色々とごたごたがあったが、早く対応したおかげで収拾ついた。
「旦那様お帰りなさいませ」
旦那様、と呼ばれる事にも、息子だった時に比べ使用人達の態度の違いにも、慣れた。
鯉登の態度は相変わらずだが、元々鯉登との仲もそれほどいいわけではないので、どうでもよかった。
「母さんと雪乃はどうしている?」
使用人に荷物を預けながらがそう問えば、いつもと変わらない返答が返って来た。
相変わらず川畑家の女性陣は引き籠っており、吉平は使用人達に気付かれないよう小さく溜息をつく。
義妹が閉じこもるのは分かる。
顔に傷をつけられた挙句、血が繋がっていないとはいえ兄や知りもしない男達に強姦されたのだ。
まだ19歳の義妹には辛い現実だろう。
だが母は被害者でもなければ加害者でもない。
菊之丞を育てたという意味ではある意味加害者ではあるが、あの愚兄は自業自得だ。
とはいえ、あれほど強かった母には義妹の事件と最愛の夫を亡くした事は吉平が思う以上に辛く重い事だったのだろう。
吉平は部屋で着替えた後その足で義妹の部屋へと向かった。
その義妹の部屋は吉平が使用人に近づかないよう言っておいたので静かだった。
足音がはっきりと聞こえるほど静まり返っているその部屋の前には、カナがいた。
母にはトメが、義妹にはカナが付き人として付いており、義妹はカナでさえ部屋に入れない。
あの鯉登でさえ入れないのだから相当のショックだったのだろう。
「カナ」
「あっ…き……旦那様…」
カナは吉平を名前で呼ぼうとしたが、しかし今はこの家の主人だと気づき言いなおした。
まだ主人になってそれほど経っておらず、他の使用人はともかくカナはまだ10歳である。
そこはあまりきつく注意しないようにし、吉平は聞こえなかった事にした。
「雪乃の様子はどうだ」
吉平の問いにカナは何も言わず無言で首を振る。
今日も雪乃からの反応はなかったらしく、それには小さい溜息を吐く。
「少し席を外しなさい」
「え…で、ですが…」
「雪乃に大切な話がある…雪乃と二人だけで話したいんだ」
「……………」
カナは悩む。
吉平は主人の義兄で、この家の主であるが…鯉登の恋敵かもしれない相手だ。
あの事件以来鯉登も傷心しており、以前のような憎まれ口を叩く仲ではなくなった。
雪乃を大切に想うのは二人とも同じで、だからこそこの状況では二人は協力者へと変化する。
その恋敵かもしれない人間と主人を襖を隔てているとはいえ二人きりにしていいのか悩んだ。
しかし黙り込むカナに吉平がもう一度カナの名を呼び、カナは身を引かせるしかなかった。
結局鯉登と協力しようが結託しようが、この家の主人である吉平にたかが使用人が逆らえるわけがなかった。
「…私は隣の部屋におりますので…何かあればお呼びください…」
「いや…暫く近づくな」
「!…しかし…私はお嬢様のお付きです…お嬢様のお傍にいることが仕事です」
「では新しい仕事をやる…暫く…いや、私が呼ぶまで近づかない事が今からお前の仕事とする…いいな?」
「ッ……はい…」
普段は雪乃の隣の部屋を借りて雪乃の傍に仕えていた。
いつでも雪乃が用件をカナに出せる様にだが、今まで一度もその用件は出されたことなかったし、カナに雪乃が声をかける事もなかった。
それでもカナは雪乃の傍にいたかった。
あの時、圧倒的な力で男達を地に伏せさせた光景はまだ思い出せるほど鮮明に残っている。
あの時…自分さえ捕まっていなかったら雪乃は一人で逃げ切れたかもしれなかったのだ。
雪乃に仕えている使用人なのにカナは雪乃の足手まといだった。
いっその事主人らしく見捨ててほしいとさえ思うほどカナは自分が足手まといになってしまった事に強い嫌悪を感じた。
だから雪乃が心を癒すまでそっと寄り添えればと思ったのだ。
だがそれさえ吉平は許さず、しかしかと言って逆らえるほどカナの使用人での地位は高くない。
祖母がこの家の使用人を仕切り、母が東京にある家の使用人を仕切っている立場ではあるが、カナ自身はまだ使用人"見習い"なのだ。
「ああ、それと母達にはまだ何も言うなよ…話が纏まれば私から言うつもりだからな……勿論お前の祖母にもだ」
下がろうとした時、カナに吉平が付け足した。
この後静子とトメに報告するつもりだったカナは吉平の言葉にギクリとさせる。
しかし少し怪訝とした表情でを見上げた。
「お嬢様に何をおっしゃるつもりですか…」
「使用人のお前に言う必要はない」
「お嬢様はまだお心が傷ついておられます!酷い事をされただけでなく最愛のお父様まで亡くされたばかりなのです!放っておいてあげてください!」
何を話すか分からないが、医者から無理強いだけはしないように言われている。
その医者は吉平が連れてきたのだからそれは吉平も承知のはず。
それに吉平が何を考えているか分からないが、雪乃は養子だ。
後ろ盾の父親も死に、雪乃を敵視する理由はない。
雪乃が邪魔であれば、世間体を考えても追い出して捨てるよりも、鯉登と結婚させればいいだけの話だ。
吉平は両親とは違い、鯉登家との繋がりをそれほど重視していないのだから、別に邪魔者を鯉登家に放り捨てても、吉平にとっては差し障りはないはず。
しかし、それは吉平が雪乃に興味すら持っていない事が前提だ。
以前に鯉登から聞いた、吉平が雪乃に恋心を抱いているという話をカナは思い出す。
牽制したらしいが、それが恋敵だからかも、ただ妹を思う兄心かも、今でも分からない。
分からないが、吉平が何を考えているか分からない以上、カナは吉平が弱みに付け込んで無理矢理結婚を迫ったり、鯉登以外の人間と結婚させようとするのは絶対に阻止したかった。
主人には幸せになってほしいのだ。
家の主に噛みつくカナに吉平は冷たく見下ろす。
「言ったはずだ…使用人のお前に言う必要はないと……聞こえなかったのか?その耳はただの飾りか?」
「……っ」
吉平は機嫌が悪かった。
雪乃と話をするためになぜ使用人なんかに理由を尋ねられ答えなければならないのかと、機嫌が悪くなった。
睨むように見ればカナは肩をすくめ何も言えないのが悔しいのか顔を顰めた。
『申し訳ありません』と謝り、カナはその場を去っていく。
その後ろ姿を見送り、吉平はカナの姿や気配が消えたのを確認し雪乃の部屋の襖に手を伸ばした。
雪乃の部屋には鍵はない。
だから誰もが雪乃の部屋に入れたのだが、皆遠慮して部屋に入るどころか襖を開ける事さえなかった。
しかし吉平は無遠慮に襖を開け中に入る。
部屋には布団が敷かれており、膨らんでいるところを見ると雪乃は布団の中にいるのが分かった。
吉平は襖を閉め、布団へと歩み寄って座る。
「雪乃、話がある…起きなさい」
そう声を掛けてみるが、雪乃からは返事はない。
それどころか身動き一つしなかった。
しかし吉平は気にもせず掛け布団を捲った。
雪乃は横向きに眠っていたらしく、布団を捲られたのに兄である吉平に背を向けたままやはり指一つ動くことはなかった。
それは予想していたのか吉平は気にせず、話を雪乃に伝える。
「一か月後、お前を娶る事にした」
しかしそれは雪乃にとって信じられない言葉だった。
今まで身動き一つしていなかった雪乃は目を瞬かせ、ゆっくりと兄に寝返りを打つように振り向いた。
目を丸くしながら瞬かせる義妹の驚く表情に吉平は満足そうに笑う。
「…な、ぜ…」
「お前を誰にも渡したくはない…誰にもな」
誰にも、と言うが敵と成り得るのは鯉登だけだろう。
雪乃はずっと鯉登だけを見続けたから他の男の目など気にも留めていなかった。
この兄にも。
雪乃は信じられず呆然としていた。
そんな雪乃の顔に吉平は触れる。
そっと愛し気になぞる様に触れたのは残った傷だった。
「こんな醜い傷を残しておいて今更嫁に行けるとでも思ったのか?」
「…………」
「体もすでに清らかではないのだ…汚れた女を誰が愛する」
雪乃は言い返そうと口を開いたがすぐに閉じた。
鯉登は気にしないと言ってくれるだろう。
傷を含めて愛してくれるだろう。
その自信はあった。
だが…
「鯉登家は気にしないだろう…だが、他の者達はどうだろうな……将校の家に嫁いだ女が穢れた傷物だと知って何を思うだろうな」
この言葉に雪乃は、悔し気に唇を噛む。
鯉登だけではなく平二もユキも傷や穢れた体を気にはしないだろう。
息子があれだけ望んだ女なのだ…息子思いの二人は雪乃を歓迎してくれるだろう。
だが、周りはどうだろうか。
使用人も昔から顔見知りの者達は歓迎してくれるだろう。
だが雪乃を知らない人達はどう思うだろうか。
同情はいい方だろう。
下手をすれば兄の言う通り穢れた女呼ばわりだ。
最悪『穢れた血を入れるなんて』と言われるかもしれない。
昔は鯉登さえいれば周りなんて関係ないと思っていた。
鯉登さえ愛してくれれば周りからなんて言われても平気だと思っていた。
だけど鯉登は士官学校を卒業すればそれなりの立場を用意され、本来なら令嬢と結婚しなければならない立場だ。
しかし、雪乃は川畑家の養女だが、いくら容姿がいいと言っても顔のど真ん中に横線の傷痕があり、強姦された過去を持つ。
とても良家の嫁に相応しいとは思わない。
だが、
「それを言えばお兄様も同じでは」
川畑家も同じではないか…雪乃は兄にそう問う。
川畑家も鯉登家と同じ良家だ。
同じ良家の当主であるのに『傷物』の雪乃が相応しいと言えないのではないかと雪乃は疑問に思った。
だがその言葉に吉平は笑みをそのままに傷に触れていた手を頬へと滑らせ義妹の顔を覗くように近づいた。
「川畑家は犯罪者を産んだ…今更傷物の女一人二人娶ったって変わらないさ」
うっとりと呟くその表情と言葉のギャップに雪乃はゾクリとさせた。
目の前にいる兄は何を考えているのか分からないところがあった。
兄が嫡男としての役割に無関心だったからしっかりしていたし、鯉登に夜這いしようとした時に言った言葉から次兄であるが川畑家の事を考えているように思えた。
しかし、それにしてはあまりにも軽い。
次兄に対し雪乃は初めて違和感を感じた。
しかし兄の頬に触れる手が傷端に触れ、意識がそちらに向けられる。
傷に触れる手を不快に思い兄を見上げれば、うっとりとした兄の目と目が合った。
まるで愛しい人に触れる様に、まるで愛しい人と話すように。
「鯉登家に穢れた人間の血を入れてはいけないよ」
兄のねっとりとした目がとても不愉快だった。
だが何より兄の言葉に雪乃は不快感を強く感じた。
まるで自分の意思は鯉登家や世間の言葉だと言わんばかりの言葉に雪乃は腹が立った。
確かに周りの事を考えれば身を引いた方がいいだろう。
本来なら養子と言えど、この時代で庶民の出である雪乃と良家の鯉登との恋を良家の両親が認めて迎え入れてくれるのは奇跡にも等しく、本当なら反対されることである。
鯉登の将来を考えれば雪乃はそれ相応の身分の男と結婚すべきだ。
けれど…それでも鯉登を忘れられる自信はなかった。
「私は……音之進と一緒になります……周りがなんて言おうと関係ありません…私にはあの方しかいないのです…」
身を引いた方がいいと思っていても鯉登以上の男性が現れるなんて考えられないし、きっと現れたって好きにならない。
その人は鯉登音之進じゃないからだ。
雪乃は彼しか愛せない。
そう思っていた。
真っすぐ見つめる義妹の瞳に迷いがない事に吉平は目を見張った。
しかし断られた吉平は『ふむ』と考える素振りを見せ…
「でははっきりこう言おうか…―――川畑家当主の命令だ、従え」
兄の言葉に雪乃は睨むように兄を見つめる。
そして、
「お断りします!」
雪乃は断言した。
もう後ろ盾になってくれていた父はいない。
だけど兄に嫁ぐことでしか保てない地位なんていらなかった。
命令に背いた事で家を追い出されたとしても雪乃は兄を受け入れる事は出来なかった。
だが吉平も長く雪乃と鯉登を見てきた。
断られる事は分かっており、キッと睨む雪乃に吉平は愉快そうに笑い…―――雪乃の上に覆い被った。
雪乃は自分の上に覆い被る兄に目を丸くし、その隙に吉平に胸元を開かれてしまう。
露わになった胸に呆気に取られていた雪乃はやっと我に返り、兄のしようとしている事に顔を青ざめた。
「ぃ、や…ッ!な、にするんですか…ッ!!」
菊之丞達や山賊達のように、またあの時のように犯されるのかと思うと目の前の兄が恐ろしくてたまらなかった。
抵抗しようとする雪乃の手首を掴んで吉平は雪乃の手を布団に縫い付ける。
組み敷くのも軍人らしく抵抗できないようにされ、雪乃は菊之丞のように抗う事が出来なかった。
まだ19歳の少女と20歳越えの現役軍人では力の差があり、雪乃は逃げ出したくても逃げ出せなかった。
全身で逃げ出したがっている義妹に吉平はにっこりと笑う。
「俺との間に子供さえ作っておけばお前はあいつのところへ逃げ出せなくなるだろう?」
『流石に他人の子供ごと囲うほどあいつも良い奴じゃないしな』と続ける兄が何を言っているのか雪乃は理解できなかった。
否、理解したくはなかった。
兄は言った。
――自分との間に子供を作る、と。
その言葉があまりにも衝撃的すぎて雪乃は兄の一人称が『私』や『僕』ではなく『俺』になっている事にさえ気づかない。
青ざめた顔から更に血の気を引かせ雪乃は叫んだ。
やめて、と。
誰か、と。
しかし誰も来てくれなかった。
普段カナしか寄りつかない場所であったし、そのカナも追い払ったため雪乃の悲鳴を聞く者は誰一人いなかった。
それでも雪乃は叫んだ。
鯉登以外の男の子供なんて産みたくなかった。
菊之丞たちに散々注がれたが、幸いにも子供は出来なかった。
だけど吉平との行為にもその幸運が続くかは分からない。
もしかしたら本当に子供が出来るかもしれない。
それが鯉登との子供ならば雪乃は喜んで産んで育てよう。
だが、鯉登とは体の関係は一切なく、今身籠ったのなら確実に義兄の子供だろう。
雪乃は首筋に顔を埋める兄に叫ぶ。
「穢れた傷物の女をあんたは抱けるのか!!!」
もう言葉遣いに気をやる余裕はなかった。
普段気を付けている乱暴な物言いだがこの状況では仕方ないだろう。
吉平はその叫びに首筋に唇を押し付けていた顔を上げる。
しかし兄は笑っていた。
うっとりと、愛おし気に。
その表情に雪乃は息を呑んだ。
そんな雪乃をよそに吉平は雪乃の顔にある傷に口づけを落とし恍惚とした表情で言った。
「俺はね、普通の女は抱けないんだよ」
雪乃はその言葉に怪訝とした。
普通の女は抱けない、と聞き普通ではない女とは一体何を指すのかと考える。
普通に考えれば自分のような女か、特殊な趣向か、少し癖のある性格の女を指すだろう。
訝しむ義妹の表情を読んだのか吉平は続ける。
「昔から俺はお前のような傷のある女や体が穢れている女に惹かれるんだよ」
吉平の性癖は少し普通とは異なっていた。
男は体に傷がない綺麗な女性を好むものだが、吉平はその真逆…体に傷がある女にしか性欲を感じなかった。
それでいて雪乃のようにレイプされた女だと尚いい。
しかもその理由が穢れた体を自分の愛で清めたいとかではなく……誰とも分からない男に滅茶苦茶にされた女を愛する事への優越感と、穢れた体を更に穢すという背徳感に吉平は興奮する体質だった。
だから今の雪乃はうってつけの相手だった。
むしろ運命の相手とも言えるだろう。
「だから俺はお前を抱けるんだよ」
その言い方はまるで雪乃に『喜べ』と命じているようだった。
ニィ、と笑う兄の言葉は雪乃にとって死刑宣告と同じに聞こえた。
まだ菊之丞のような真っすぐ向けられる憎しみの方が心地が良いと思う程次兄の愛情は歪み、そして気味が悪かった。
雪乃が黙ったのをいい事に吉平は行為を再開しようとした。
雪乃の口を己の口で塞ぎ、口づけを落とす兄に雪乃は抵抗し顔を逸らそうとした。
しかしそれさえ許さないと吉平は雪乃を追い、今度は逃がさないよう深く唇を奪う。
ぬるりと口内に舌が侵入し歯を舐める様に滑らす。
それは口を開けろという命令だった。
舌を絡ませろと吉平は言っていた。
しかし好いてもいない相手との口づけほど気持ち悪いものはなく、雪乃は抵抗する。
吉平も意地なのか角度を変え何度も雪乃の口内に侵入しようとした。
いつまでも平行線な争いに雪乃は苛立ったのもあるのだろう。
そんなに口の中に入りたければ入ればいいと口を開けた。
それに喜々として吉平は舌を雪乃の口内へ入れた。
しかし、その瞬間―――吉平は突然痛みが走り、咄嗟に顔を離した。
「………」
長く口づけをしていたため、はあはあ、とお互い息を切らしながら静かに睨み合う。
吉平は冷たく雪乃を見下ろすように睨み、雪乃はしてやったと笑いながら見上げる様に睨む。
吉平の口端から血が垂れた。
雪乃が拒絶し噛んだのだ。
雪乃は口の中に入り込んだ桔平の血を唾液と共にペッと吐き捨てる。
「それほど嫌か」
雪乃が血を吐き捨てるのを見下ろし吉平は垂れる己の血を舌で舐め取りながら問う。
無理強いしている自覚はあるが、吉平は女など事に運べば堪忍すると思っている。
今まで抱いてきた女は誰もがそうだった。
どの女も押し倒し少しまさぐれば体の力を抜く。
一度穢れた女は諦めつくのが癖のようにすぐに股を開く。
いつもそうだった。
だから雪乃も一緒だと思っていたため、ここまで抵抗されるのには驚き、そして心が冷めていくのを感じる。
そんな冷たい兄の目を睨み返しながら雪乃は鼻で笑った。
「あんたと一緒になるくらいなら戦争に行った方がマシだ!」
そう叫ぶ雪乃に吉平は目を見開いだ。
その顔を見て雪乃は『ざまあみろ』と思う。
もうこの際、逆上されて殺されたって構わないと雪乃は覚悟していた。
それほど雪乃は吉平と夫婦になるのが嫌だった。
しかし、吉平は雪乃の言葉にすぐに考えを巡らせるように視線を雪乃から外し、そしてまたすぐに雪乃へと向ける。
本来なら雪乃の言葉に顔を真っ赤にして怒り散らすだろうが、吉平は雪乃の想像とは違う反応を示した。
兄は怒るでもなく…―――笑っていた。
目を輝かせ、楽しそうに。
その笑みに雪乃はぞっとさせた。
そして、吉平はうっとりと笑いながら雪乃に言う。
「それもいいな」
――と。
その言葉に雪乃は思考が停止する。
本心ではあったが、まさか兄が賛同するとは思っていなかった。
日本の徴兵は男が対象で、女性ではない。
それにもし女が軍人になれるとしても、審査の時点で気づかれるに決まっている。
高を括ったつもりはないと言ったら嘘になる。
どうせできないと雪乃も思いながらも拒絶した。
だが常識を外れた趣向を持つ次兄にとってその拒絶は屈辱ではなく、ただの面白そうな提案でしかなかったのだ。
雪乃が絶句している中、吉平は雪乃の上に馬乗りになるように体を起こし、考え込むように腕を組み視線を雪乃から外す。
「身分や書類は偽装すればいいし…そうなるとあの人達にも一枚噛んでもらう事になるな……まあ適当に金か女でも渡しておけばいいか…」
『ああ、忙しくなる』と口ではぼやいていたが、その声色は楽し気だった。
吉平は考えがまとまったのか、ついていけていない雪乃にニコリと笑いかけ自分が乱した胸元を整えてやり、上から退いてやる。
自分も荒れた服装を整えながら吉平は雪乃に言う。
「雪乃、言葉通りお国の為に働いてもらうよ」
その口調はまるでお使いを頼むかのように軽かった。
その言葉に雪乃は思わず『は?』と零してしまい、顔を引きつらせた。
「お前が言っただろう?僕と一緒になるくらいなら戦争に行った方がマシだと」
「い、言ったけど…私女だよ?女が軍人になれるわけがないでしょ」
「確かにね…でも男装すればいいよ」
「そんなのすぐにバレるでしょ!?だ、大体審査とかあるし…!怪我した時医者にバレるじゃない!」
「大丈夫、お前の場合僕の手が回ってある人間を担当にさせるから…それにあんな生死の境目みたいなところで男だ女だと疑う余裕はないさ」
普通ならここで『そんなに俺が嫌なのか!』と逆上するか、諦めるのが男だ。
戯言だとそのまま事に運ぶのもいるだろうが、吉平のように男装させてまで軍に入れようとはしない。
素振りだけを見せているかと思えばそうではなく、本気で言っているようだった。
雪乃は座り込み唖然とする。
しかし…心は軽かった。
(諦めたって事でいいのかな…)
戦争に行く事が決まったとしても、兄に嫁がなくていいのならこの身一つで敵陣に突っ込んだっていい気分だった。
死にたいわけではないが、兄と一緒になれば鯉登とはもう一生会えない気がした。
戦争に行っても女が生き残れるほど優しい世界ではないのは父が戦争を話たがらない事から知っている。
だから戦争に行っても死んでしまい、どっちを選んでもきっと鯉登とは会えない。
だが、そうだとしても、どう転んでも鯉登に会えないのなら、兄と夫婦になって一生飼いならされるよりも爆撃で死んだ方がマシだ。
「僕が諦めたとでも思っているのかい?」
ホッとさせる表情を読んだのか、吉平の言葉に雪乃は安堵した気持ちが一気に降下していった。
恐る恐る兄を見上げれば、兄は楽し気に笑った表情のまま義妹を見下ろし、雪乃の美しい傷のある顔に手を伸ばす。
「僕が諦めるとでも思ったのかな?…残念だけど諦められないよ……お前はとても美しいからね…容姿ではなく、その傷のある顔がだ…なんでだろうね、お前は傷が出来る前から綺麗な子だったが傷がつくと更に魅力的になる…やっぱり僕の見立ては正しかったんだねぇ」
傷がある女が好きなのは嘘ではないのか、思い返せば兄はこの部屋に訪れてから雪乃自身を見てはいなかった。
ずっと雪乃の顔にある傷に見惚れていた。
雪乃の顔は元々吉平の好みでもあったが、傷がない顔に興味はあっても欲情しなかった。
せいぜい観賞用程度にしか興味はなかった。
傷がなかろうとあろうと、元々自分を嫁がせる気だったらしい兄に雪乃は怪訝そうに見る。
「なぜ私なの」
顔がいい女なんて沢山いる。
庶民の出である雪乃を娶るくらいなのだから身分にはさほど執着はしないのだろう。
だったら身寄りのない綺麗な女や、貧乏な女を嫁に貰い、顔に傷を作ればそれでいいのではないか。
身寄りがなく、貧しかったのならちょっとやそっとでは逃げ出さないはず。
被害者には可哀想だが、雪乃を鯉登から横取りしてまで娶るメリットはあまり感じられなかった。
下手をしたら鯉登家だけではなく、親戚や母とまで亀裂が入ってしまうかもしれない。
兄の口ぶりからしてそれほど川畑家という家柄にはこだわっていないようだが、そうまでして雪乃を手に入れたがる理由が思い浮かばない。
その問いに吉平は笑みを深め、親指の腹で傷を愛でる様に頬を撫でる。
「お前が父に保護された理由を聞いてから僕はお前しか見えなくなった…だってそうだろう?幼くして山賊に強姦された女なんて他に誰がいる?かと言って性的虐待は論外だ…悪いけど僕は親に性的虐待された女には欲情しないよ?親と寝る奴なんか気持ち悪いだろう?僕は見ず知らずの男に強姦され打ちのめされている女に興味があるんだよ…その男がゲスや畜生であればあるほどいい…穢されていれば腕や足の一本や二本失っていても構わない……そんな男の子供か僕の子供か分からない子供を産んで恐々育てる女を見るのもたまらない…誰の子か分からない子供を愛せず憎むのも惹かれるな…だが無関心なのはいただけない…誰の子供であろうと産んだのなら責任持って向き合うべきだ…たかが使用人であるカナを妹のように可愛がっている慈悲深いお前ならばそうならないと思ったから選んだんだ…愚兄の子か、乱暴した男の子か、俺の子か分からない子供をお前は無下にはしないだろう?」
ゲスが、と雪乃は心の中で兄に悪態をつく。
やはりこの兄は人間性が可笑しい。
普通性的虐待や暴力をされた人間に対して、気持ち悪いという感情は生まれない。
その感情や言葉は決して虐待された人に対して使う言葉ではない。
『慈悲深い』という部分に雪乃は馬鹿にしているように聞こえた。
雪乃は自分を慈悲深いとも思っていないし、特別優しいとは思っていない。
身内だけの優しさのどこが慈悲深いのだろうか。
慈悲深いというのであれば、それは赤の他人の庶民の子供を養女にした父と母の事を指すだろう。
自身こそが屑だと思いもしない兄は『それに』と雪乃の体に目線を落とす。
「お前はもっと傷をつけるべきだ…傷が顔だけなんて中途半端な魅力だと思わないか」
雪乃はもっと傷をつけるべきだと思ったから軍人になる事を認め、協力してやろうと思った。
露わにした雪乃の胸は大人顔負けのサイズで、兄、菊之丞の好みそのものだ。
あの兄が気を失っている雪乃に我慢できず抱いたのだから相当良かったのだろう。
だがそれでも吉平からしたら『綺麗すぎる体』だった。
顔だけでは勿体ないと思った。
顔だけでこれほど自分を魅了するのだから、戦争に行き体中に傷痕を残せばきっと雪乃はもっと美しくなるはずだと、吉平は信じて疑わなかった。
「…私が死ぬと思わないの」
戦争を経験したことのない雪乃からしたら、戦争は未知の領域で、想像以上の経験をするであろう。
戦争で帰ってこれなかった人間が沢山いるというのも知っている。
だから女の身である自分が生きて帰れる保証は他の軍人より低いだろう。
下手をすれば死体でもこの国に帰ってこれる保障さえないのだ。
だが、だからといってこの男の妻になりたいとは思わない。
それを問えばキョトンとしていただったが、ニタリと笑って見せる。
「そうなれば食べてあげよう」
「た、食べる…?」
「そうだ…俺は人の肉も好物なんだ……特に女の肉は柔らかくて好きだ」
肉の柔らかさを確かめる様に頬に触れている手でムニムニと揉むように触れる。
雪乃は本気なのかただの脅しか分からないが、兄の発言に背筋を凍らせ恐ろしくなり頬に触れる兄の手を叩き落とした。
「冗談だ」
そう言って笑うが、全く信用できない。
そもそも性癖の時点で信用は得られるものではなく、警戒を高める雪乃に吉平はフッと笑う。
「まあ、でも…お前なら食べるのもいいかもしれないな…」
「っ!?」
「それほどお前が愛おしいって事だ……死んだら燃やさず保存してやる」
『安心しろ』と言うが、その言葉のどこが安心できる要素があるのだろうか。
まだ強姦魔だが性癖が普通の菊之丞の方がマシだと雪乃は心底思った。
「私が断るとは思っていないの?もしかしたら隙をついてお母様に話すかもしれないよ」
吉平への印象は恐らく吉平自身が本性を隠すために被った猫なのだろう。
父や母でさえそれを見抜く事ができなかったのだから、吉平は強かな男である。
ただ優秀であってもその本性が屑ならば台無しではないだろうかと雪乃は思う。
なんだか吉平の性悪さに感覚が麻痺してきた雪乃はついぽろっとそう質問してしまった。
それを言って警戒されたらどうするのだと雪乃は言ってから気づくが、口を手で押さえる雪乃に吉平はあっけらかんに言った。
「言いたければ言えばいいさ」
「え…」
「母さんに俺の本性を話せばいい…そうなれば俺はきっと母にも親戚にも嫌われるだろう…しかし愚兄がいない今、川畑家の血は俺だけだからな…勘当はされはしないだろう……しかし俺は普通の女では勃たん…俺を勘当し、お前とあいつの子を迎え入れるというのも手だが……どちらにせよ結果、川畑家の血は途絶えるだろうな」
吉平は勘当されても構わなかった。
吉平は、自分の感情に素直な兄とは違い、冷めた感情を持って生まれた。
幼い頃から自分の歪んだ性癖と自身の異常さを、吉平は理解し受け入れていた。
だから父とは別のコネを作り、家族や家という足枷を自ら捨てた。
今や吉平は、川畑家に勘当され追い出されようが、吉平の今の立場に支障はない程度に自立していた。
コネも上層部にまで伸ばし、彼らは吉平を可愛がってくれている。
吉平にとって川畑家や両親や兄はそれほど重要ではなく、ただの教育場と寝泊りの場所でしかない。
幼い頃から育んだコネは今、川畑家を追い出されようが崩れるほど柔くはなく、むしろ自分から捨てても構わないほど川畑家の後ろ盾は吉平にとって今や必要のないものであった。
「…っ」
淡々と言う吉平に雪乃は口を閉ざす。
母に言うのは簡単だろう。
だがその結果、川畑家の血は父である秋彦の代で途絶えることになる。
母はそれでも雪乃を許してくれるだろう。
雪乃を娘として心から愛してくれる人だ。
血筋だの家柄だのこだわりはない母はきっと、血が途絶えても笑って雪乃を許してくれる。
しかし、それを誰でもない…雪乃が許せなかった。
雪乃は川畑家に恩義がある。
命を助けてもらっただけではなく、養子にしてもらい、実の娘に与えるのと変わらない愛情を与えてくれた。
ここまで育ててもらい、学校まで通わせてもらった。
本来なら許されない恋だって応援してもらった。
だから川畑家には返しきれない恩が雪乃にはあった。
その川畑家の血が途絶えるのは雪乃は望んでいない。
だからこそ、その吉平の言葉は雪乃の枷となる。
吉平は母を、川畑家を、人質に捕ったようなものである。
吉平はそれだけ言い、立ち上がり黙り込む雪乃を見下ろす。
「さて…雪乃、今すぐ荷物を纏めなさい」
もう母に言う気も鯉登に助けを求める気もなくなった。
だが、荷物を纏めろという兄の言葉に雪乃は首を傾げた。
「これから別の場所に移動してもらい、そこで入隊するまで過ごしてもらう…その家はお前にやるから軍に入隊してもその家を使うといい…秘密を明かさないのならあの家も使用人もお前の好きにしなさい」
兄は念には念を入れて雪乃を逃がさないよう別の場所に移すつもりだった。
隠れ家はいくつもあり、その中の一つに東京の家がある。
そこに雪乃を移し入隊の準備が整い次第軍人として生きてもらう。
雪乃は自分が言った事だから軍人になり戦う事は構わないが、何となく気になった事がある。
「ねえ…」
「なんだ…言っておくが逃げようとは思わないように…まあ、逃げ出せないよう見張りは付けさせてもらうが」
「お母様にはなんて伝えるの」
中々動かない雪乃に業を煮やしたのか、部屋からカバンを取り出し適当に詰め込み始めた。
その後ろ姿を見ながら雪乃は声をかける。
それに答えながら荷物を適当に入れていた吉平だったが、続けられた質問に一瞬動きを止め雪乃に振り返り、真っすぐ雪乃の目を見つめ答えた。
「母にはお前が精神病を患っていると伝える…お前は強姦され今まで引きこもっていたのだから誰も疑う事はないだろう…その後、お前は症状が悪化し自害したと伝えるつもりだ…戦争に出れば生きて帰れる保証はないんだ…母も娘の病気が治ると淡い期待を抱かせるよりもいっそ死んだと思わせた方が早く気持ちを切り替えれるだろう」
雪乃は男が部屋に入ってから、初めてこの男が兄らしく見えた。
決して受け入れがたい性癖を持つクズな男でも、家を捨てていようとも、やはり母親は特別なのだろう。
『そう』とだけ返す義妹に吉平は何も答えず、荷物の詰め込みを再開する。
(音之進は……信じるだろうか……信じて…すぐ別の人と一緒になるんだろうか……)
死んだことにされるということは、もうこの家には戻れないという事だ。
しかし、雪乃は悲しむよりも安堵した。
母が安心するのなら、自分が死んだことにされても良かった。
雪乃も兄同様、母の事が大切なのだ。
生きてるか死んでいるか分からず母がずっと悲しむのなら、いっそ自分が死んだ事にし過去の思い出として生きるのもいいかもしれない。
ただ、鯉登が自分が死んだ後どうなるのかは気になった。
(きっと私なんかよりも可愛くて血筋のしっかりした令嬢を貰うわ……傷のない、おぼこな可愛い子を…きっとその子との間に産まれた子供はとても可愛いのでしょうね…)
不思議と未練はなかった。
不思議と、悲しくもなかった。
鯉登の立場からして未婚のまま一生を過ごすのは無理だろう。
雪乃とは別の女性と結婚するのは考えなくても分かる。
鯉登はきっと恋人の死を悲しんでくれるだろう。
そして、その傷ついた心は新しい婚約者の令嬢に癒され、幸せな家庭を築くのだ。
それを想像しても思う感情は『安心』だった。
ずっと雪乃に拘る理由は鯉登にはなく、そして、自分のために輝かしい未来を鯉登自身で断ち切ってほしくなかった。
カナも心配ではあるが、カナは元々川畑家の使用人としての将来がある。
たまたま川畑家に雪乃がいたから令嬢の付き人として年齢の近いカナが選ばれただけで、本来なら祖母と母の跡を継ぐために教育されてきた娘だ。
雪乃がいなくても使用人としての食い扶持はなくならない。
悲しませてしまうという事が心残りだが、カナには川畑家に残って静子を支えてほしいと思う。
これから静子は長男、夫と続いて娘を"亡くす"のだから。
(結婚して、子供を産んで…私はお母様に恩を返すつもりだったんだけど……その恩を仇で返す事になるなんてね…)
静子を悲しませるのが一番心が痛い。
思えば静子が一番傷ついてきたのではないだろうか。
自業自得とは言え長男は豚箱行き、夫は事故で亡くし未亡人になり、そして今度は娘を亡くす。
ここ数ヶ月で立て続けに大切な人達を三人も失う静子に雪乃は罪悪感で胸が苦しくなる。
幸いなのは吉平は母に危害を加えるつもりがない事だろうか。
雪乃は適当に義妹の物をカバンに詰め込む兄の背を見つめながら着物を整え、崩していた姿勢を正し―――
「お兄様」
雪乃は目の前の男を兄と呼ぶ。
吉平の本性を知ってから呼ばなくなった呼び名を突然呼ばれ、吉平は手を止め雪乃に振り返る。
振り返れば雪乃は正座をし背筋を伸ばし真っすぐ吉平を見つめていた。
その瞳は真剣で強い意志を感じられた。
てっきり戦争に行くと知り恐々としていると思っていた吉平は表情を崩さないまま内心驚いていた。
雪乃はそんな吉平をよそに静かな声で言った。
「取り引きをしませんか」
その言葉に吉平は訝し気な表情を義妹に向け、『取り引き?』と首を傾げた。
その問いに雪乃は頷く。
「満期まで私が根を上げれば私は大人しくお兄様の妻となりあなたの子供でも見知らぬ男の子供でも産み育てましょう…死んだ体もお好きにお使いくださって構いません……ただし…満期まで私がお役目を全うしたのなら―――私を自由にしてください」
雪乃のその提案に吉平は喉を鳴らし唾を呑んだ。
雪乃の言葉は吉平を興奮させた。
無理矢理男に乱暴される女が好きだが、雪乃のように自分から股を開く女は好きではない。
だが、何故か興奮した。
自分から首を絞め、その結果誰とも知らない男と寝る事を選んだ雪乃に吉平は心が踊った。
もしそうなれば誰の血か分からない子供を雪乃と共に鯉登に会わせたら面白そうだと考え、体が喜々として震える。
それか恋人を寝取られたと自覚させるために鯉登の目の前で妻となった義妹を犯すのもいいかもしれない。
それとも鯉登の子を宿らせるのも楽しいかもしれない。
雪乃の提案に吉平は断る理由はなかった。
「それはいい…とても面白そうだ……しかし、もしお前が耐え抜き自由になったら俺ではなくあいつと一緒になるつもりなのだろう?それでは不公平ではないか?」
不公平も何も、雪乃は戦地へ向かい生死の戦いに身を投じる事になる。
それも弱音を吐けば兄の妻として一生飼いならされるのは決定済みだ。
それのどこが不公平なのだろうか。
だが、雪乃は兄の不満げの問いに首を振った。
「庶民だけならいざ知らず…私は女の身で人を殺し手を血で染めます……人を殺した女を誰が娶りますか…私は鯉登家の嫁として相応しくはないでしょう……私はあの方とは添い遂げるつもりはありません」
雪乃は本気だった。
満期で生きて帰れるかは分からないが、もしも運よく帰れたのなら鯉登の前に現れるつもりはなかった。
そして、母やカナの前にも。
戦争に行き人を殺したくないから手を血で染めないというのは無理だ。
血で汚れた嫁なんて誰が迎え入れてくれるだろうか。
人を殺した娘なんて誰が愛してくれるだろうか。
幸い卒業はできなくなったが、学はある。
働きながら教員の資格を取り学校で働く事も可能だ。
雪乃はここには戻ってくるつもりはなかった。
雪乃の言葉に吉平は片眉を上げ義妹を見る。
その目は疑っているようにも見えたが、雪乃は決して表情を崩さず真剣な表情で兄を見つめ返した。
「……分かった…もしも満期まで生きていられたらお前を自由にしよう…川畑家とお前は何の関係もなくなる………その代わりその間は俺の命令に従ってもらう…それが条件だ…いいな?」
兄の言葉に雪乃は深々と頭を下げる事で返答をした。
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