尾形百之助。
古風だが、今では珍しい名前を持つ彼は、大企業に就職し20代にして課長の席に座っている、女性がしっぽを振る程度のしがないサラリーマンである。
仕事ができ、管理職として地位を確かなものとしており、更には顔は勿論のこと草食系が流行る世の中でも、一般男性に比べても体格もいい。
完璧と思いつつも、この説明文のように、性格は厭味ったらしい男である。
だが、年収と顔に女は引き寄せられる。
顔が良ければ性格が悪かろうが異性が引き寄せられるのは、男も女も変わらないらしい。
そのため、尾形は女に困った事がなかった。
今まで女を切らした事がないと噂されるほど、尾形の陰には常に女がいる。
それこそ同じ会社の人間であろうと、部下であろうと、手を出す……と、噂されている。
噂噂と、さきほどから噂ばかりではあるが、全て真実ではないが、全て嘘でもないのを記しておく。
「はあ…」
最後のキーボードをタップし、尾形はやっと今日の仕事を終えた。
仕事が出来るとはいえ、流石に疲れたのか、ため息交じりに深い息を吐いた。
キィ、と音を立てて大企業のわりには安いオフィスチェアの背もたれに、その役割通りもたれる。
窓に目線をやれば、すでに日は落ちていた。
時計を見れば定時はとっくに過ぎていた。
本来なら定時に帰れるはずだったのだ。
しかし、部下が単純なミスをして、こちらが尻を拭わなければならなくなった。
難しい部分でのミスならば、仕方ないと思えた。
だが、ミスした部分は新人ですらしないであろう単純ミスだった。
そのせいで機嫌が悪くなるのも無理はない。
元々、周りに気を使うタイプの人間ではない。
社会人程度の気は使えるし、仮面だってつけれる。
だが、尾形は百年経っても、尾形だった。
百年…そう、尾形には他の人間にはない秘密がある。
それは、前世となる記憶が残っていることだ。
明治と呼ばれる時代に生きた前世の自分の記憶が、尾形にはあった。
前世では散々の業を背負ってきた。
あの時代はほとんどの男はそうだ。
戦争で沢山の人間を殺してきた。
しかし、その他にも尾形は金塊を巡る戦いに身を投じて罪もない人間を殺してきた。
更には、実の両親と異母弟を殺した。
その際に実父には呪いをかけられた。
その呪いなのか、前世と同じ境遇で生まれ育った。
愛人の子供として生を受け、母は父に捨てられ、母子家庭の貧しい家で育った。
これも呪いなのか、母親も父親も異母弟も前世と同一人物だった。
幸いなのは、三人には前世の記憶がないことと…母はまだ生きて元気で働いているというところだろうか。
明治に比べて女性進出も当たり前な現代にもなれば、母は父に捨てられても狂うこともなく、元気にパートに勤しんでいる。
今は別々に住んでいるが、時々電話や会いに行ったりと、親子仲は良好だ。
尾形が中学生の頃あらゆる手を使い、立場のある父親を脅し、慰謝料と教育費をもぎ取り復讐を果たした。
本当は今世でも母子を捨てた男にもっとえげつない復讐も考えたが、母が狂わず父を忘れ前に進んでいるので、金で解決するだけで許してやった。
ここまで聞けば、呪いとは父親に恵まれなかったことを指すと思うだろう。
だが、尾形にとって父親には元々期待していないので、前世と同じ運命であろうとも何とも思っていない。
尾形にとっての呪い…それは、
(今世に生まれて20余り…面白いほど会わんな…)
会いたい人物に会えない日々である。
それは人が同情するであろう出生よりも、尾形にとって地獄と同等だった。
いや、だからこその呪いなのだろう。
脳裏には一人の女の姿が浮かんだ。
前世で唯一狂うほど愛した女。
不死身と呼ばれ、周囲は彼女に魅入られ自分同様執着した。
(水城…)
疲れているためか、声に出さず彼女の名前を呼ぶ。
ここ最近考えないようにするため、いつも以上に仕事に没頭していた。
そのせいか、部下が悲鳴を上げていたが、尾形は気にもしない。
むしろ、出来る男の腕を間近で見れるいい機会だ、勉強しろ…そう思っていた。
ただ、仕事に没頭するのは、そうしないと嫌でも脳内は彼女…水城の事ばかり埋め尽くされるからだ。
尾形は水城とまだ再会できていなかった。
しかし、それは水城だけではない。
(…あいつらが生まれ変わっているのかも怪しいな…第七師団の連中さえ会った事がないんだ…実は俺だけが生まれ変わったんじゃないか…?)
もうすぐ三十路になる。
まだ数年残っているが、もう30になるのだ。
気づけば周りの知人はほぼ全員結婚していた。
最初こそ水城を求め、他の女に目移りしなかった。
前世では水城を逃してしまったが、今世は逃す気などない。
しかし、かと言って、もしも水城も前世の記憶があったとしたら、マイナスからのスタートになるのは必須。
もしかしたら強行突破する必要があるかもしれない。
そう思うほど尾形は前世の水城に対して酷い事をしてきた自覚があった。
殺そうとしたのだ。
生きて自分の物にならないのなら、この手で殺して奪おうとした。
不死身ゆえの強運か…頭を撃ったというのにそれさえも失敗してしまい、結局は敵対したまま別れたきり水城とよりを戻すこともなく一人寂しく死んでいった。
そのためせめて誠意を見せるため、大学生、社会人になっても童貞のままだったのだ。
だが、何年経っても水城どころか顔見知りの気配すらない。
両親や異母弟はいるのだから水城達も居てもいいというのに、全くすれ違う気配すらない。
もしかしたら自分と水城達は別次元に生まれてしまい、一生会えないのかもしれない…と現実味のない考えが浮かんでしまうほど、尾形は追い詰められていた。
別に他の連中はどうでもいい。
水城なのだ。
水城だけが重要なのだ。
水城に触れることができないと意識してしまえばしまうほど、尾形の心は凍えるように冷たく、ひび割れていく。
そのひび割れの応急処置として、女を抱くようになった。
その女達を通して水城を見ることによって、前世の母のように狂うのを何とか回避したが、それも限界だ。
最近はもう女を通して水城を見る事さえ、辛い。
そのため今はもう女遊びはしておらず、最後に女と別れて以来、女を抱いてはいない。
そもそもだ。
そもそもその辺のモブ女共なんかよりも、水城の方が女として数倍…いや、それ以上に魅力的である。
体は勿論、傷があっても関係なく周りを魅了する顔は当然文句のつけようがない。
白石にはゴリラだとなんだと言われた、女には出せないような力だって惚れた側としては可愛く見える。
性格だって、軍人時代から鬼神と言われるほど恐ろしいくせに、女性らしい乙女なところがあるのがたまらなく可愛い。
あんな語尾を無駄に伸ばすような女や、香水で自分の体臭をごまかそうとする女や、清潔であろうと性格がクソな女や、自分の体を使って媚を売る女や、性格も良く清潔で完璧な女であろうと、水城ではない以上魅力すら感じない。
とはいえ、つい選ぶ女は水城に一箇所でも似ている女達だ。
そのせいで巨乳好きと知人たちには思われている。
(そろそろ限界だ…会社を辞めて水城を探す旅にでも出るか?…いや…アシリパを探した方が楽そうだ…)
尾形は固くなった筋肉を伸ばす。
肩を回せばゴキッと鳴った。
本当は、大企業の会社に入社したら第七師団の人間一人くらいは再会できると思っていた。
記憶の有無は問わなくとも、彼らと再会すれば、芋づる式に旅をしてきた連中に再会できると淡い期待を抱いていたからだ。
アシリパ…最低でも白石さえ会えば、水城と再会できると思っていた。
まずは周囲の人間を探した方が簡単だろうと思い、まずは白石を探した。
アシリパは今世でも北海道に生まれているだろうと、何となく証拠もないのにそう思い込み、白石の方が簡単だと思ったのだ。
どうせあのちゃらんぽらんは現世でもフリーターだろうと、パチンコや、居酒屋など通った事もあった。
その際、居酒屋に通った時惚れたとか言い寄ってきた体型が水城に似た女をつまみ食いしたが、結局白石は見つからなかったため、その女ともすぐに別れた。
よくある百貨店やB級グルメなどの北海道展などには積極的に訪れた。
結果、寄る度にお土産を母に渡したため、母には無類の北海道好きだと勘違いされてしまっただけで終わった。
旅をしたくても社会人となれば、学生の頃のように何か月もの休みなど取れるはずもなく…社会人になり水城を探したくても探せないストレスを仕事に向けていた。
そのせいで出世し、更に会社に縛られる人生となった。
もう限界だった。
何をしても辛かった。
女を抱いても得られる快楽がなくなった。
女を抱くことが面倒くさくなり、一人で処理するのも最近は面倒でしていない。
それもこれも前世の水城の具合が良すぎなのだ、とこの場にいない水城に八つ当たりをする。
仕事を辞めるにしても、その後の金はどうするかと考えてしまうと二の足を踏んでしまう。
趣味はもはや水城探しと言っても過言ではないので、探し回ってもまだまだ貯蓄はある。
辞めてもある程度は働かなくても過ごせるくらいはあるが…それは身軽な独り身だったらの話だ。
一人だったら辞めて北海道に行って日銭を稼ぎながら探すのも考えた。
だが、たった一人の母親がいると思うとどうも今の安定した地位を捨てることはできなくなった。
水城がいるという確信があるのなら、きっと母がいても仕事を辞めても探していただろう。
だが水城だけではなく、アシリパと白石さえ姿を見たことがない。
「あ、あの…尾形課長…」
首を回せばまたゴキゴキ鳴った。
『あ゙ー…』と言葉にせず、凝り固まった筋肉をほぐしていると、部下が恐る恐る声をかけた。
尾形は機嫌が悪いため、『あ゙?』とつい凄んだような声が出てしまい、声をかけた部下は『ひい!』と怯む。
前世に比べてこの世界は平和そのものではあるが、尾形は今、絶賛戦争中である。
なんの戦争をしているかといえば、先ほど冒頭で散々語った水城不足から起こる欲求不満と見つからない疲労である。
部下は尾形に凄まれ顔を青くさせながらも、同僚や先輩に急かされているのか引かなかった。
可哀想に…部下は今年入った新人である。
縦社会の会社の中で、地位も人権もありもしない存在である。
「あ、あの…飲みに行きませんか…?」
「いかん」
「ご、ご迷惑をかけたお詫びをしたいと…先輩が…」
「迷惑だと思うのなら凡ミスはするな…ミス一つでこの体たらくだぞ」
即答で返せば、部下は『うぅ…』と何も言えなくなった。
もっと攻め立ててもいいが、この部下がミスしたわけではないのでやめた。
ミスした奴を見れば、周囲に交じって尾形の目の前にいる部下にヤジを飛ばしていた。
尾形は疲れた頭で『そこはお前が誘いにくるもんじゃねえのか』と思ったが、来たら来たで面倒なのでやめた。
「あまり羽目を外して店に迷惑をかけるなよ」
早く帰って風呂に入って寝たい…そう考えながら立ち上がる。
すると、女子社員達がワッと湧いて出てきた。
誘いに来た部下を押しのけて、女子社員達は尾形に群がる。
早い者勝ちなのか、尾形の腕を二人の女子社員が抱き着き独占する。
「尾形課長!飲みに行きましょうよ〜!」
「山内君が奢ってくれるって言ってましたし!」
女子社員達はイケメンに参加してほしい一心だった。
普段は蹴落としあう仲だというのに、女はこういう場面の結束力は強い。
中には過去に関係を持った女子社員達がいたが、彼女たちはニコニコ笑顔を張り付けている。
恐らくこの飲み会で女達の戦争が始まるのだろう。
顔には笑顔を張り付けながらも、周りの女達を蹴落とし、イケメンで金も地位もある彼氏というアクセサリーが欲しいのだ。
(勘弁してくれ…これが水城ならいざ知らず…最近はもう付き合いすら面倒だっていうのに…)
最近の尾形は女の影すらないのを、女達は当然知っているだろう。
そういう事に関して、女の右に出る者はいない。
今、自分の腕に胸を当てて抱き着いているのが水城であれば、飲み会ではなくホテルに直行なのだが、もう今やそんな元気すらない。
爛れた女関係に疲れを感じていたどころか、同性相手の付き合いすら面倒になり、まだ30歳にもなっていないのに枯れたジジイのようだった。
「お前らで勝手にやってろ」
「まあまあそう言わないで尾形課長!久々に一緒に飲みましょう?」
「あら、私も久々に尾形課長と飲みたいわ…尾形課長が好きだったお酒って結構珍しい物だから以前一緒に通っていたお店に行きましょう?」
「え〜?でも尾形課長が一番頑張ってくれたんだもの、尾形課長が好きな和食料理を出してくれるあのお店にしません?ほら、以前一緒に行ったあのお店!」
ああ…、と尾形はげんなりした。
過去の自分を恨みたくて仕方なくなる。
見えない火花が飛んでいるような気がした。
傍から見て店の提案をしているようには見えるが、その実…牽制しているのだ。
その女性達は全て一度尾形が手を出した女達だ。
女達からしたら付き合っていたつもりだったらしいが、尾形からしたらただの繋ぎだ。
付き合ったのも一か月持てばいい方だが、実際は一か月どころか半月で別れている。
とはいえ、流石に同じ会社の部下に手を出すのはマズかったかと、今頃になって後悔した。
同じ会社の人間に手を出したのも、好きだったからではなく、ただ面倒だったのだ。
外でわざわざ待ち合わせしなくても、同じ会社にいるならそのまま退勤してホテルに行ける。
尾形は一度として自分のテリトリーである自宅に、女どころか友人達すら招いたことはない。
一度尾形の女となったのがステータスなのか、それとも選ぶ女全てが気の強い女を選んでいたからか…尾形は引っ張られるように飲み屋に連れていかれた。
(……とっとと飲んで帰るか…)
何だか今日は抵抗する事すら面倒だ。
満足に付き合った記憶すらない、元カノ(尾形からしたらセフレ?)達に引きずられながら尾形は会社を出た。
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