初めて会ったのは、あの子が3歳の時だった。
小さな体には似つかわしくない立派な着物。
今では見慣れて似合っている着物姿も、来たばかりの頃は、着物を着ているというよりは着物に着られていた。
一般家庭で育ったためか、浴衣と違い重ねて着て動きにくい着物も嫌がる節があった。
その頃、僕があの子に向けていた感情は、無感情と同情、そして大人達への嫌悪だった。
さとるさま
名前を教えた時、呼ばれた。
元々興味はなかった。
特級呪物を"食べた"人間。
呪術界にとって、呪物を食べる人間に対して持つ感情はあまり好意的ではない。
しかし、僕には呪霊を取り込んで使役する人間が傍にいた事があったから、周囲よりは受け入れることができた。
聞いた生い立ちに同情して、気まぐれで優しくした子だけど、あの子の何も知らない純粋さと行動を起こそうともしない愚かさや周囲に押しつぶされている哀れさが滑稽で、あの頃の僕には丁度良かった。
かえりたい
あの子は泣きながらそう言った。
まだ今よりも幼い小さな体を丸めて、味方一人いない屋敷で独りぼっちで泣いていた。
最近ホームシックが強まったのか、きかん坊になって屋敷の人間達を困らせていた。
勿論説得を押し付けられ…いや、任された僕の言う事も聞きやしない。
面倒だなと思うこともあったが、そもそも、この子がホームシックになって泣くのは仕方のないことなのだ。
だから、できるだけ傍にいてやった。
寂しくないように、泣かないように、家族の代わりに傍にいてあげる、というのは建前だ。
本音はこれを機に僕に縋ってくれればいいと…依存してくれればいいと思った。
それを真っ先に硝子に見破られた時は流石だなと思ったが、あの子の話題を出すたびにゴミを見るような目で見ては『このロリコンが』と唾を吐いてくるのには物申したくなった。
たべたくない
また、きかん坊が始まった。
今度は食事を拒否し続けているらしく、泣きつかれた。
それくらいコントロールしろよ相手はガキだぞ、とは思わなくはないが、最近任務続きで会いに行けなかったから、屋敷の人間の無能さには心の底から感謝した。
布団に丸まって泣くあの子の顔が見たくて、剥ぎ取ればさらに泣かれた。
それを硝子に言うと『当たり前だ』と冷たく言われた。
更にびえぇと泣き出してしまって困ったが、あの子の泣き顔が見れて満足したから慰めた。
だけど今回のきかん坊は頑固だった。
屋敷の人間が言って聞かないのは当たり前だ。
だって、あの子に心から信頼されているのは僕だけなのだ。
あの子は僕の言う事だけは聞いてくれていた。
だけど、その僕の言葉でもあの子は食事をしようとしなかった。
限界がきたんだろう、と硝子に相談したらそう答えた。
なぜ、と聞くと呆れた目で見られた。
お前はあの子の事になるとほんっとポンコツだな、と言われムカッとしたが、まあ、当たっていると自分でも思ったので何も言わなかった。
精神が限界を超えたのだろう…そうポツリと呟いた硝子の声には同情や憐れんだ色が含まれていた。
しんでもいい
あの子が食べなくなってもう4週間経った。
最初はお腹が限界まで空けば諦めて食べるだろうと思って傍にいるだけだったが、日に日に弱まっていくのを見て焦った。
戦いでの焦りとは違う感情。
人は水3日、食料3週間を欠いたら死ぬと言われている。
だがあの子は4週間も食料どころか水さえも拒んでいた。
それでも死なないのは"彼女"が何とか繋ぎ止めているからだ。
食べないと死んじゃうよ、と言えば、そう返してきた。
死んでもいい、死にたい、帰りたい…かえりたい、かえりたい、ともう涙も出ないのに泣いた。
帰りたいと言うがどこに帰るのだろうかと思ったが、流石の僕も起きる体力もなくなったあの子に追い打ちをかけるようなことは言えなかった。
本当にどこに帰るのだろうか。
帰っても今のあの子では元の生活に戻れるはずがない。
みんなに気持ち悪がられて、家族にさえ見捨てられて、どうせここに戻ってくる事になるのだからホームシックなんて意味がないのに。
涙も出ず泣くあの子の体は、一日寝たきりだったせいか日を超すごとに細くなっていく。
栄養を取らないため、痩せていき、肌色も悪くなっていく。
目を開けるのも怠いのか、半分瞼が閉じていた。
気を引こうと色々話してもだんだんと反応がしなくなった。
ああ、死ぬんだな、と思った。
このまま食べないとこの子が死んでしまう、と思った。
だから、無理矢理食べさせた。
普段は汚いなと思うソレを鷲掴みして、嫌がるあの子の口の中に入れ込んだ。
今まで拒絶してきた分、やっと与えられる栄養に、あの子の心に反して体は嬉々として受け入れた。
口周りだけではなく、胸元まで真っ赤に染めながらあの子は嫌だと言いながらも咀嚼してゴクリと細い喉を通して体内へと飲み込んだ。
きらい、だいっきらい
口を真っ赤にさせ、涙を溜めながら睨まれた。
普段温かいお日様のような目で見てくるのと違い、本当に言葉通り嫌っているような目だった。
その頃にはもう僕はあの子に心を許していたから、普段なら傷つくのだが…
でも、胸が痛むことはなく、むしろ濡れた目が美しいとさえ思った。
だから、もっと食べさせた。
ドMじゃないから睨まれたいと思っていない。
死んでしまったら寂しいと思ったのだ。
きっともうあんなお日様のような目で見られることもないだろう。
笑顔だってもう見せてくれないだろう。
僕の姿を見て駆け寄ってもくれないだろう。
むしろ会ってくれなくなるかもしれない。
唯一の太陽が消えてしまう残念さはあったが、何よりあの子は生きている。
死んでいない。
それだけで十分だった。
どうせあの子が僕にどんな感情を抱こうが、あの子の体は僕の物なのだから。
さとるさま、ありがとうございます
だけどあの子は笑みを向けた。
食べたくないソレを無理矢理食べさせた僕を、許したのだ。
自分のためにしたことなのだと、あの子は幼いながらに気づいたのだ。
それでも食べさせた物が物だから、理解はしても許してはくれないと思っていたのに、笑顔でお礼を言われた時は、嫌われるのを覚悟して会いに来たから拍子抜けした。
だからだろうか。
それ以来、僕の目に映るあの子は前よりももっともっと眩しく輝いて見えた。
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