(2 / 43) その生命に恋う (02)

ガラル地方。
ある場所に一つの宗教団体があった。
その宗教団体に二人の男女が廊下を歩いていた。
固い床には、緩衝と装飾を兼ねた絨毯が敷かれ、二人の靴音を最小限にしてくれている。
捨てられた古城を再利用しているそこは電気は通っておらず、石で出来ている廊下の壁には、一定間隔に置かれている蝋燭の淡い灯りだけが廊下を照らしていた。


(寒い…)


今は雪の降る季節。
この古城は人が暮らせる程度には修復されているが、それでも長い年月放置されていたことや、古い建物であるせいか、どこにいても隙間風が入ってくる。
地位を得た今の自室ですらクーラーや暖房器具はなく、あるのは暖炉のみ。
それも暖炉は幹部のみが許されている。
下っ端たちは暖房器具も暖炉もない狭い部屋で、4人ずつ生活していた。
とはいえ、この寒さでは室内にいても人が凍え死にかねない。
流石に簡単に信者達に死なれては宗教団体として成り立たないというのもあるのか、毛布は勿論だがひと部屋に火鉢が配られている。
そのため、この季節は幹部であろうと下っ端であろうと、コートなどの防寒着は必須だ。


(ああ…やっと…やっと夢にまで見た教祖様のお世話係になれたんだ…!)


外は雪が降り曇っている。
しかし女の心は晴れ晴れとしていた。
興奮が冷めないが、それを目の前を歩く男に気取られてはならない。
やっとこの地位まで昇り詰めたのだ。
幹部もそうだが、これからはちょっとのミスも許されなくなる。
緩みそうになる顔を必死に抑え、気を引き締める。


(それにしても…前々から思っていたけれどよくこんな目立つ建物なのに誰にも見つからないわね…)


女はチラリと窓から外を見ながらそう心の中でぼやく。
この古城は森深い場所にあるため、その寒さは都会よりも厳しい。
しかし、だからこそこの宗教団体が栄えたというのもあるのだろう。
古城というだけあって、遠くからでも分かるほど立派で目立つ建物ではあるが、人間の目を欺くにも一役買っていたのだろう。
見いかにも打ち捨てられた古城の外観に加え、決決して外から見える場所には灯りを灯さず、周囲には高レベルのポケモンが生息している。
城へ近づくにつれて生息するポケモンのレベルも上がっているため、よほどの使い手でない限りこの古城にたどり着くことはできないようになっている。


(頑張らなきゃ…せっかくここまで来たんだもの…教祖様のお傍にいられるこの地位は絶対に誰にも譲る気はないわ)


女は自身が入信しているこの宗教団体の教祖の世話役として任命された。
たかが世話役。
されど世話役。
何といっても世話を任命された相手とは、宗教団体のトップである教祖様である。
その教祖は誰も見たことはない。
幹部の中でも指折りの地位までに昇りつめた女だって一目どころか、その気配すら感じたことはない。
目の前の男とあと数人しか、教祖と会ったことはないのだ。
だからこのお役目は誰もが憧れ、誰もが目標として掲げる地位である。
いわば選ばれた人間のみが就ける仕事なのだ。
天狗になっても仕方ないが、その傲慢さはこの仕事の足枷にしかならないため、女は必死に隠す。


(教祖様…一体どんな御方なのだろう…きっと優しくて気高くて…素晴らしい御方だわ…)


自分の想像は想像でしかない。
けれど、人間は自分の都合のいい方を信じるものである。
素晴らしい信仰を与えてくれているのだからきっとその頂点に立っている教祖は素晴らしい人間なのだろう…と。
する乙女のように胸を高鳴らせていると、目の前の男が立ち止まった。
男が立ち止まり、女もそれに合わせて後ろに控えるように立ち止まった。
ようやく目的の場所についたらしい。
男は静かに女に振り返り、その冷たい瞳で見つめる。


「この先で教祖様がお待ちになっています…貴女はこれまで多くの功績と教祖様への信仰を捧げました…貴女の事ですからくだらない失態などないでしょうが…よいですか、決して教祖様に失礼のないように」


先程ジト目で見られた視線以上に厳しい視線に、彼女は緊張で喉を鳴らしながら頷いた。
彼女の返答にヘマはなく、男はその決められたかのような返答に満足し、ドアを三回ノックする。


「失礼いたします」


ノックをしたが返事はない。
しかし男は気にした様子もなく、どうやら返事がないことはいつもの事らしい。
男はいつものように扉を開け、部屋に入る。
その後ろを女も少し遅れて続く。
扉を開けると、そこはカーテンで仕切られていた。
カーテンはしっかりとした作りで、赤い布に金の糸で美しい模様が描かれている。
そのカーテンに合わせるように、絨毯も赤を基調としており、金糸でカーテンとは別の模様を施されており、壁は一面カーテンよりも深い赤色に染められており、この部屋は赤色で統一されていた。
さりげなく部屋を見渡している女を置いて男は進む。
カーテンの奥に進む男に気づき、女は慌てて追いかける。


「…!」


部屋の奥へと進むと女は驚いたように目を丸く開く。
あの血のような赤い部屋とは対照的に、奥にある部屋は黒一色に染められていた。
チラリと一瞬だけカーテンの方へ視線を向ければ、赤いカーテンと同じ模様が金色の糸で描かれており、床は黒色の大理石が敷きつめられ、その上を赤の絨毯と同じ柄の黒の絨毯が敷かれている。
天井も黒一色に染められており、置かれている家具も黒色で統一されている。
窓は黒のカーテンが引かれており、雪の舞う昼時ですら強い遮光性の高いカーテンが光を拒むように閉ざされていた。
明かりといえばいくつものろうそくが灯っているだけで、恐らくこの部屋は古城の中で最も暗い部屋なのだろう。
部屋の奥には、セミダブルほどのベッドが置かれている。
古城に合わせたような天蓋のついているそのベッドは、まさに王族の寝台を思わせる気品を漂わせていた。
勿論、そのベッドも黒に統一されている。


「教祖様…本日から教祖様のお世話をさせていただく者をお連れいたしました」


男はベッドの傍に立ち止まり、その場で跪き、女もその背後に控えるように跪く。
しかし、待てど返事はなかった。
俯いていた女はそれに違和感を感じながらも、顔は決して上げることはない。
男が言い終えると静まり返ったその場に、小さな吐息が聞こえた。
その声からして、恐らく教祖は眠っていることが窺える。
教祖が眠っていることにも動じず、男は立ち上がった。
その気配を感じたと思えば名を呼ばれ、俯きながら返事をする。


「いいですか、貴女は今までの仕事を忘れ、これからは誠心誠意教祖様のお世話をしなさい…もしも教祖様に何かあれば貴女が命に代えてお守りすること…それが貴女の仕事です」


気配だけでも、男がこちらを見下ろしているのが分かった。
上司にあたる男は、女をゴミのように見下しているのだろう。
この男は教祖と自分以外を、人間とすら思っていない節がある。
この男の部下になり何度不快感を感じたか。
教祖の世話役とは、常に死と隣り合わせの役目だった。
もしも教祖に粗相をすれば用無し、それこそ教祖に何かあれば女はその命を散らしてでも守らなければならない。
やりがいがあるのと同時に、この命は幹部と言えど使い捨てでもある。
女は命を懸けて守るなど当たり前だと洗脳に近い教育を受けているため、男の言葉に違和感も否定もない。
ただこの男から解放されると思うと高揚してしまうのも否めない。
ありきたりな返事をした女に、男は訝しむこともなく、靴音を立てないよう気を付けながら静かに退室していった。
音もなく、黒と赤のカーテンが部屋を隔てた。


(さて、と…まずは部屋の掃除ね)


男から、世話役の仕事をすべて頭に叩き込まれた。
世話役の仕事はそれほど多くはない。
文字通り教祖の世話をするのだが、主な仕事と言えば部屋の掃除だ。
家具らしいものは、ベッドとサイドテーブルだけだった。
隣には、世話役用の小部屋が続いているだけだ。
異様な静けさの部屋ではあるが、教祖との会話を許可されていない以上、断りも不要だろう。
部屋には4つの窓があり、すべての窓とカーテンを開け、室内の空気を入れ替える。
これも勿論指示されている通りの行動である。
カーテンを開けると少しは外からの光が入るが、雪が降り曇っている空では大した光は入ってこない。
女は気配もない教祖を起こさないよう気を付けながら静かに掃除を開始した。

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