ハヅキは静かに眠りから覚める。
寝ぼけているのか、目を覚ましてもしばらくはぼうっと天井を見つめるだけだった。
「姫様!目を覚ましたのですね!」
声がした方へと視線を向ければ美しい女性がいた。
後ろにも何人かの女性がおり、皆、心配そうにハヅキを見つめていた。
「……イリス…」
自然と口がその女性の名を呼んだ。
それと同時にここがどこなのか、彼女が誰なのか思い出す。
ハヅキは"帰ってきた"のだ。
「姫様…お辛くはないですか?」
イリスと呼ばれた女性は何の反応もないハヅキを心配そうに声をかける。
ハヅキは反射的に頷きかけたが、首を振る。
熱もあるが特に片足がジクジク痛むと伝えるとイリスはすぐに傍にいた侍女に侍医を呼ぶよう指示を出す。
「今侍医が来られますからご安心ください…喉は乾いておられますか?」
優しい声で話しかけ、ハヅキに安心させる。
イリスは心配で胸が張り裂けそうになったが、それを気取られないよう微笑みを浮かべた。
ハヅキは少し考えた後、コクリと頷く。
それを見てイリスはハヅキを足に負担を掛けないよう抱くように少し体を起こし、侍女からコップを貰いハヅキの唇に当てる。
「ゆっくり…少しずつお飲みください」
体調が思わしくないためゆっくりと少しずつ飲ませる。
言われた通りコクコクと少しずつ水を飲む。
喉が潤ったのか、飲むのを止めたハヅキの身体を静かに寝台へと戻し掛布を掛けてやる。
すると限界が来たのかハヅキは瞼を閉じ眠りつく。
「イリス」
眠りについたことに安堵していると、少年が側近数人と共にハヅキのいる部屋へと入って来た。
その少年の姿にイリス達侍女は彼のために譲り平伏した。
「メンフィス様…会議はよろしいのですか?」
メンフィスと呼ばれた少年はこの国、エジプトの第一王子であり、ハヅキの兄である。
次期国王として望まれている彼は今日、教育の一環として父王と共に会議を行う予定だったはず。
「会議などどうせハヅキが心配で身が入らん」
どうやら妹を心配するあまり父との会議をサボって来たらしい。
相変わらず妹想いな王子に苦笑いと共に微笑ましく感じる。
メンフィスはイリスから侍医をすでに呼んでいると聞きながら、妹を起こさないよう気を使いながら傍に寄り添いハヅキの額に手を当てる。
乾燥帯であるエジプト国にいながらも手から伝わる熱さにメンフィスは整った眉を顰めた。
その後すぐに呼ばれた侍医が現れ、ハヅキが眠ったまま診てくれた。
「容態はどうだ」
メンフィスは診察を終えた侍医に問うと、礼をしながら侍医は答えた。
侍医の診断にメンフィスは眉を顰める。
「足の捻挫…?」
やっと熱が下がりベッドから降りることができたハヅキだったが、水に落とされまた熱がぶり返した。
それだけだったはずだ。
だが、先ほど目を覚ました時ハヅキはイリスに足が痛むと言った。
怪訝とさせるメンフィスに侍医は『はい』と頷く。
「恐らく落とされた際に挫いてしまったのでしょう…ですが軽度なので薬を飲み安静にしていれば痛みも熱も引きましょう」
侍医は水に落とされた際に手足をバタつかせた時に捻ってしまったのだと診断した。
熱を冷ます薬と、痛み止めの薬を出し数日安静にしていれば治まるだろうという侍医の言葉にメンフィスは安堵する。
痛み止めの薬も新しく処方し、侍医は退室する。
「イリス…また寝ずにハヅキの看病をしていただろう…何度も申すが短時間でも構わぬゆえ体を休ませろ」
妹の容態が悪化していないと安堵しながら、メンフィスは傍に控えているイリスを見る。
イリスの目の下には濃い隈が出来ており、彼女の美貌が台無しとなっていた。
あれから寝ずの看病をしてくれたらしいイリスにメンフィスは休むよう言ったが、イリスは首を振った。
「いえ、メンフィス様…姫様が苦しんでおられるのに私が怠けるわけにはいきません…」
「ハヅキを看病するために休むことが怠けになるわけがなかろう…侍医もハヅキは快復に向かっていると申しておった…他の者も、私もハヅキの傍にいる…少しは休みを取りハヅキが目を覚ました時、傍にいてやってくれ」
ハヅキの事になるとイリスは自分を蔑ろにするきらいがある。
それは幼い頃からハヅキに仕えているためだろう。
イリスは昔から体の弱かったハヅキのために身を粉にして尽くしてくれる1人だ。
そして、同時にそんなイリスだからこそ妹を溺愛している兄であるメンフィスの信頼を勝ち取ったともいえる。
「…分かりました…休ませていただきます…」
王子にそこまで言われては反論することもできず、イリスは一礼し数人の侍女と共にハヅキの部屋を出て行った。
渋々と言わんばかりのイリスの背中を見送りながら、メンフィスは苦笑いを将軍ミヌーエに向ける。
苦笑いのメンフィスに対して、イリスの兄であるミヌーエは苦虫を噛みしめたような表情を浮かべていた。
その反応もまたメンフィスの笑いを誘う。
「そなたの妹は変わらずだな」
「も、申し訳ありませんメンフィス様…妹にはきつく言っておきますので…」
「よい…ハヅキは体が弱いが頑固なところがあるからな…強く言ってくれる者が1人くらいおらぬと私の寿命が削れる一方だ…だが、ハヅキのためを思うのなら己の体調管理を怠るなと再度伝えてくれ」
メンフィスの寛大な言葉にミヌーエは頭を下げ返事をした。
ハヅキは病弱だが、頑固なところが昔からある。
もっと遊びたいからと言って体調が崩れはじめているのを隠して倒れたことなど数えきれないほどあったし、調子が良いからとお忍びで街に降りては途中で体調を崩し倒れウナスに連れ戻されることも多々あった。
可愛らしく大人しそうな外見に反して頑として自身の意見を簡単に曲げない妹には兄であるメンフィスも父王ネフェルマアトもいつもハラハラさせられている。
勇猛果敢だが、気性が荒く残虐さも見せるメンフィスを唯一振り回せる人物と言っても間違いではないだろう。
メンフィスは妹へ視線を戻す。
熱が下がりはじめ、快復に向かっていると言う侍医の言葉通り、昨日よりも安らか寝顔を兄に見せてくれていた。
「快復しつつあるとはいえ…こうも熱が続くと心配だな…」
「はい…姫様はやっと熱が下がったところでしたから…」
ハヅキは幼い頃からよく高熱が出ては寝込んでいた。
溺愛している妹と長く遊べないことに不満を持ってはいたが、やはり可愛い妹が苦しむ姿はメンフィスでも見てられず、遊び足りなくても寝込む妹の傍にいてやっていた。
調子がいい時は少しでも外で遊べるし、寝込んでいても話すことができる。
思いっきり妹と遊びたいという思いはあれど、メンフィスは妹の傍にいられるだけで満足していた。
ミヌーエの言葉にメンフィスは眉を顰める。
「調べはついているのか」
「はい…姫様を暗殺しようとしたあの者は"反対派"の一員ということが分かりました…その者の独断というのも…」
『反対派』という言葉にメンフィスの表情は更に険しくなる。
反対派とは、王や王族の事を指すのではなく――ハヅキの事を指す。
正しくは、ハヅキとハヅキの母親だ。
「血が何だと言うのだ!ハヅキの身体には父上の血が流れているではないか!異国の血が気に入らないのなら姉上だって一族以外の血が流れている!!姉上とハヅキの何が違うというのだ!」
「姫様の母君であらせられるヤエ様は日本という国でお生まれになられた方…エジプトとは外交を結ぶこともできないほど離れていらっしゃいますから…あの者達にとって得体の知れぬ国だと姫様を恐れておられるのでしょう」
「くだらん…母上は姉上やハヅキと同じ王女であったというに…母上の血が穢れているというのであれば姉上はどうなのだ」
ハヅキの母は異国の人間だった。
それも、エジプトとは外交さえも不可能なほど離れている日本という国の人間だ。
エジプトの王族は昔から身内から妻や夫を取り、メンフィスの代まで繋いできた。
メンフィスは王妃から生まれた正式な世継ぎとして育てられてきたが、姉であるアイシスは身元も知らない愛人との間に生まれた子供だ。
反対派の言葉を借りるとすれば、姉こそ穢れた血が流れている。
姉は、母を亡くしたメンフィスを母のように愛してくれている。
ハヅキの母だって、メンフィスとアイシスを本当の子供のようにハヅキと分け隔てなく受け入れ、愛してくれた。
そんな優しい人を血が外界から入って来たからという理由で認めない者達などこの国の民ではない。
「ハヅキには私がつく…皆は下がれ」
無意識にグッと拳を握り締める。
しかし、妹の顔を見てハッと我に返り拳を解いた。
その手でハヅキの熱っぽい頬を撫でてやる。
メンフィスの言葉にその場にいる全員が一礼をし静かにその場から去って行った。
2人きりとなったメンフィスは熱で温くなった布を額から取り、冷たい水で冷やしてやる。
眠っていても熱に苦しんでいたハヅキだったが、額に冷たい布を当てられるとその苦し気な表情が和らいだ。
「ハヅキ…そなたのその苦しみを少しでも私に分けることが出来たらどれだけ良いか…不甲斐ない兄ですまぬ…」
ハヅキが病弱なのはこのエジプトの王宮で暮らすようになってしばらくしてからだった。
侍医曰く、王宮の暮らしが肌に合わないのではないかという。
だが、父王もメンフィスも、そしてハヅキも、だからと言って家族と離れるなど望んでいない。
ならば、出来る限りハヅキが安心できるよう父も兄も配慮し、ハヅキも兄達との暮らしを受け入れるように努力した。
しかし、その努力も実らず、ハヅキはいつも熱に魘されてしまう。
苦しむハヅキに時折メンフィスは、妹を手放した方がハヅキにとって幸せではないかと考えることがあったが、可愛い妹を今更手放せなかった。
自分のエゴで妹を苦しませていると思うと胸が痛いが、メンフィスはハヅキのいない生活など考えられない。
それほどハヅキを兄として深く愛してしまった。
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