ウナスがハヅキを抱き上げ、メンフィスのいるもとへと急ぐ。
ウナスもメンフィスを心配しているのか、ハヅキを揺らさないように気を付けながらもその歩みは自然と速くなっていた。
「お兄様っ!!」
近づけば近づくほど、騒ぎは大きくなる。
医師がまだ来ていないのか、ミヌーエが「医者は何をしている!」と怒鳴り声を上げていた。
その騒動の中、ハヅキの声にミヌーエはハッとし、姿を見た瞬間、青白い顔からさらに血の気が引いた。
「イリス!ウナス!なぜ姫様をこの場へお連れした!!」
病弱な末姫に、兄の危機に立ち会わせるなど考えられない。
しかも兄王はコブラに足を噛まれている。
ミヌーエは諦めてはいないが、コブラに噛まれた者の末路を知っているからこそ、なおさら二人の行動は仕える者としてあってはならないことである。
「ミヌーエ!私が無理に連れて来てと言ったの!二人を責めないで!お兄様が苦しんでおられるのに眠ってなどいられないわ!」
「姫様…」
謝る二人をハヅキは庇った。
ハヅキだって今も高熱で苦しいはずなのに、兄が毒に苦しんでいると思うとじっとしていられなかった。
ウナスは兄であるメンフィスの傍にハヅキを連れて行く。
「お兄様っ!お兄様!しっかり!!」
降ろしてもらい、ハヅキは苦しんでいる兄の手を取った。
苦しみの中でも妹の声は分かるのか、毒に耐えて瞑っていた瞼を開け、その瞳に可愛い妹を映す。
「ハヅキ…大丈夫、だ……私、が、コブラごときに…負けるもの、か…」
『だから泣くな』と、ぐっと妹の手を握り返した。
メンフィスは、泣き出す妹に安心してほしくて、力を入れる。
その手の力は毒に侵されている体にしては力強いが、普段の兄の手を知っているハヅキには弱弱しく感じた。
兄が励ましてくれているのに、自分は泣いてばかりではいられない、とハヅキは何度も頷く。
「はい…!はい!そうです!お兄様はコブラなんかに負けません!」
毒で呼吸が苦しいのに。
それなのに妹を不安にさせないよう声をかける兄の姿に胸を締めつけた。
そうしている間に、侍医が急いで駆けつけたが―――手だてはないと言い出した。
同じく、現場でコブラに噛まれた二人の兵士が息を引き取ったという知らせが、コブラの毒の強さと絶望感を引き立てた。
「お兄様!!」
ハヅキは、兄が死ぬのだと簡単に認めて諦めたくはなかった。
必死に励ます妹の声もむなしく、メンフィスの呼吸は少しずつ浅くなっていく。
そんなハヅキの周囲からは王の死後の声が聞こえはじめる。
(メンフィス様は結婚されておらん…世嗣がない)
(では次の王は誰に…)
(順当にいけばハヅキ様だが…ハヅキ様は病弱であることが気がかりだ…)
(やはりアイシス様か?)
(しかし、アイシス様の母君は身元の知れぬ愛人…血筋だけ見れば、外交的できぬほど遠い国の姫君であった母君をお持ちのハヅキ様だろう)
エジプト王家は血筋を重要視する。
その為、女王も誕生する国だが、姉ではなく正妃から生まれたメンフィスが王となった。
その王が死んだ後、次いで王位継承権を持つのはハヅキである。
ハヅキの母はエジプトと外交が不可能なほど遠い国の王女だった。
国を出てエジプトで父王と出会い、この地でハヅキを生んだ後、妃として迎えられた。
血筋を重んじる王家としては、外国の血とはいえ、王女の母を持つハヅキがメンフィスに次いだ王位継承権を持つことになる。
皆、まだメンフィスは息絶えているわけではないのに、次の王の話題ばかりが上がる。
王になったばかりのメンフィスには、王妃も子もいない。
そのため、継承の話が出るのも無理はなかった。
しかし、だからと言って、メンフィスやハヅキがいる場でする話ではない。
「お兄様!ハヅキがお傍にいますっ!ハヅキはここにいます!」
顔色が悪くなる兄の呼吸が少しずつ弱くなっていく。
ハヅキもコブラに噛まれた者の末路は知っている。
だが、だとしても、すぐに兄の死を受け入れることができるほど冷酷にはなれなかった。
ぎゅっと兄の手を握り締めるが、既に兄は手を握り返してはくれない。
動きもしない手に、ハヅキの瞳は涙が止まらず溢れていく。
「ハヅキ!これ!これを飲ませて!」
ハヅキが兄に縋りついて泣く。
そこに、騒ぎに気づいたキャロルがハヅキに何かを差し出した。
それはコブラの毒に効く解毒薬だった。
ハヅキが古代へ帰った後に、キャロルはアイシスによってコブラに噛まれた。
それによって父が亡くなったが、キャロルは解毒薬が効き生き残ることができた。
心配性のライアンが新しく別の解毒剤をキャロルに持たせていたおかげで、古代エジプトに連れて来られたキャロルの手にコブラの毒に効く解毒剤があったのだ。
「キャロル!王に何を飲ませるつもりだ!」
王が口にするものは、薬でも慎重にならなければならない。
侍医の処方した薬ならいざ知らず、王の寵愛を受けるとはいえ、どこの国の何者かも分からない奴隷の娘が持っていたものを簡単には飲ませるわけにはいかない。
ハヅキが手を差し出して受け取ろうとするのを見たミヌーエが、キャロルの手首を掴み、止めた。
「これは解毒剤なの!私、前にコブラに噛まれて…!!その時ライアン兄さんから持たされてるものよ!怪しい物じゃない!」
「信じられぬ!お前は王に恨みをもっているはず!」
王の寵愛を得ても、キャロルは常にメンフィスから逃げ出そうと反抗していた。
そんな娘が飲ませようとするものなどに警戒するなというほうが無理だろう。
手首を掴まれたキャロルは必死に、この手にあるのはコブラの毒を中和する薬だと言っても誰も信じなかった。
この時代では、コブラに噛まれた者はまず生きられない。
奇跡的に生きられた者はいるだろうが、そのような者、本当に奇跡と奇跡を掛け合わせた確率の低い奇跡ゆえだ。
ミヌーエはキャロルに対して悪い印象はないものの、やはり、王に反抗的な態度を見ていたせいか、キャロルの手にあるものが毒だと勘違いしてしまう。
「待って!それをお兄様に飲ませて!!」
「し、しかし!キャロルは王に寵愛されているとはいえどこの国かも分からぬ身!調べもせず王に飲ませるのは危険です!」
「私が許します!飲ませなさい!!」
メンフィスの身体は少しずつ死に向かっている。
コブラの毒は神経毒だ。
呼吸筋の麻痺や意識障害などが起こり、自分で呼吸ができず死に至るものである。
ミヌーエ達はキャロルを知らないが、ハヅキはキャロルを誰よりも…それこそ、兄であるメンフィスよりも知っている仲である。
キャロルが嫌いだからと、危険なものをメンフィスに与えるような人間ではないことは誰よりも知っているのだ。
ミヌーエたちはいくら王女の命令でも、すぐには頷けなかった。
しかし、王女の命令を強く出されてしまえば従うしかない。
ミヌーエは渋々キャロルの手を放し、ハヅキはウナスに支えられながら場所を譲る。
「キャロル…お願い…お兄様を助けて…」
涙を溢れさせながら縋るように見つめるハヅキに、キャロルは力強く頷いた。
息苦しそうなメンフィスの口に、キャロルはライアンから持たされた血清の薬を入れる。
「もう大丈夫よ!メンフィス!助かるわ!」
あれほどメンフィスを嫌って、メンフィスなど死ねばいいとさえ思っていたキャロルは、気づいたらメンフィスを励ましていた。
虚ろとしているメンフィスの目と目が合い、キャロルは彼の震える手をギュッと握り締める。
こく、と薬が喉を通ったのを確認したキャロルは彼の様子を見守り…しばらくすると、安堵の息を吐き、後ろへ下がる。
「顔色が少し良くなったわ……薬が効いている証拠ね…これで…助かるわ…」
キャロルの言葉に、ミヌーエたちはメンフィスを見る。
確かに、あれほど浅い呼吸をしていたメンフィスの呼吸が整い、顔色も良くなっていた。
苦し気な表情は変わらないが、キャロル曰く、それもじきに良くなるだろうとのこと。
ミヌーエはキャロルへ振り返り、頭を下げて謝罪した。
「すまぬ…あなたを疑ったりして…許してくれ…」
「ミヌーエ将軍…」
「どうか王を助けてくれ…手当を頼む…」
ミヌーエは臣下として、キャロルへの対応は正しいものだった。
だが、それでも、王を救った者を疑ったことを彼はキャロルに心から詫びた。
その心はキャロルに届いており、キャロルは手を取って看護を頼むミヌーエに戸惑ったものの、コクリと頷いた。
「私もコブラに噛まれたから手当は分かります…そろそろ解毒が効いて汗が出るはずよ…」
自分がコブラに噛まれて治療を受けていた時、家族から受けた看護を思い出し、まずは肌着などの指示を出す。
キャロルがメンフィスを救った姿を見てしまえば、どこの国の者かなどと反対する者はいなかった。
「姫様っ!」
場所を寝室へ移ることになった時、後ろからイリスとウナスの声が聞こえた。
振り返るとハヅキがその場に座り込んでおり、キャロルとミヌーエ、ナフテラが慌てて駆け寄る。
「ハヅキ!どうしたの!?」
「元々体調を崩しておられたのをご無理をされたので…熱が悪化したのです…」
ハヅキは今日、体調を崩しており、高熱が昨夜から続いていた。
それなのに、兄がコブラに噛まれたという衝撃で、熱も体調不良も吹き飛びここまで来たのだ。
兄の顔色や呼吸が回復したのを見て、緊張が切れたのだろう…体に力が入らなくなり、その場に崩れ落ちてしまった。
ハヅキの身体を支えるウナスの手には、焼けつくような熱が伝わり、心配そうにハヅキを見つめる。
「キャロル…ありがとう…本当に、ありがとう…っ!お兄様が死んでしまうと思ったわ!!お兄様がっ!!ありがとう!!」
「ハヅキ…」
重い顔を上げ、ハヅキは何度もキャロルにお礼を言った。
その漆黒の瞳からは涙が溢れ、その様子にミヌーエたちは必死に兄を励ましていながらも、ハヅキがどれほど兄の死に恐怖を感じていたのか気づく。
「ハヅキ…メンフィスは私が看ているから…あなたはちゃんと安静にして、回復したらメンフィスの看病を手伝って…ね?」
周りの言う通り、この時代のハヅキは病弱だった。
昨日は一緒に笑い合っていたのに、次の日には寝台から動けないほどの高熱に侵されてしまう。
元気な21世紀のハヅキしか知らないキャロルにとって、信じられないことではあったが、現にハヅキは触れても分かるほど熱に身体を侵されている。
今のハヅキはウナスに支えられないと、座ることさえもでいないくらい弱っているのだ。
コブラに噛まれたメンフィスも心配だが、動けない程の高熱に侵されているハヅキも心配だ。
キャロルの言葉にハヅキは泣きすぎて言葉が出ず、何度も頷いて返した。
「キャロル…お兄様をお願いね」
「ええ、任せて」
ウナスに抱き上げられたハヅキは、キャロルに手を伸ばす。
その手を取ると、やはりキャロルの手にハヅキの熱が移った。
その熱に思わず眉を寄せていると、兄を頼まれ、キャロルはハヅキが心配しないよう力強く頷く。
ぐっと力を入れて手を握ってみせれば、安心したのかハヅキの顔に安堵の笑顔は浮かんだ。
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