ここ数日体調が良かったのに、その日は熱がひどかった。
起き上がることもままならず、ハヅキはずっと眠り続けていた。
だが、ふとした騒がしさに気づき、瞼をゆっくりと開く。
体力はまだ回復しておらず、瞼は半分しか開かなかった。
「…どう、したの……」
息が熱い。
身体が痛い。
でも、騒ぎの中で兄の名を聞いたハヅキは、そんな体に鞭を打ち、イリスに問う。
朦朧とした意識の中でも、イリスたちの顔色の悪さに気づいた。
下手をすると、自分よりも彼らのほうが血の気が引いているかもしれないとさえ思った
「い、いえ…なんでもありません…どうかご安静になさってください」
「………」
ハヅキの問いに、イリスはハッと我に返り、笑みを浮かべて首を振った。
しかし、病に侵されていても、イリスのその笑みは引きつっているようにも見える。
気になり、肘を支えに起き上がろうとするハヅキに、イリスたちは慌てた。
「ひ、姫様!どうかご安静に!」
「お、兄様に…何か、あったのね…」
「――っ!」
小声で何かを話している時、兄の名があった。
イリスたちの様子から見るに、兄に何かあったのだと気づく。
ハヅキの言葉に、イリスたちは息を呑む。
それで自分の考えは当たっていると確信を得た。
「話して…でなきゃ…寝ない、から…」
兄に何があったのか、聞く権利は妹であり王女でもあるハヅキにもある。
ぐ、とシーツを握り締め絶対に横にはならないと意思表示すれば、イリスはハヅキの目の強さもあり、仕方なく侍女から上がった報告の内容を話す。
その報告に、ハヅキもイリスたちのように血の気を引かせた。
「お、お兄様がコブラに…!?」
コブラは猛毒を持つ蛇だ。
21世紀では血清があるため、すぐに対処したのなら助かる可能性はある。
だが、ハヅキがいる時代は21世紀から三千年も前の時代。
当時は血清がなく、コブラに噛まれた者は死を待つしかない。
そのコブラに、兄であるメンフィスが噛まれたという。
ハヅキはその話を聞き、身体を起こそうとした。
「姫様!お待ちください!!」
「放しなさい!お兄様のところへ行きます!!」
「な、なりません!!姫様!どうかご安静に!!」
寝台から降りようとするハヅキに、誰もが止める。
ウナスも顔を青ざめ、起き上がるハヅキを引き留めた。
ハヅキは高熱を出して寝込んでいた。
その熱はまだ下がっていないのを、引き止める者は肌で感じた。
それでもハヅキは熱で出ない力で必死に抵抗を見せる。
その瞳には熱にうなされていたのとは異なる涙で濡れていた。
「お兄様のところにいかせて!!お願いよ!お兄様のところにいかせて!!」
兄は、幼い頃からずっと守ってくれた家族だ。
病弱な王女など面倒な存在でしかないはずなのに、それでも父と共に愛してくれた。
そんな人がコブラに噛まれたと知って、熱があるからと寝ているわけにはいられない。
しかし、イリスたちに抗う力も、声を上げる気力も、兄の危機を思うがゆえに無理やり振り絞っているに過ぎない。
本来ならば、身体を起こすことすらできないほど、その身は熱に侵されている。
それをイリスたちは知っているからこそ、必死に止めていた。
「お願いと…!お兄様が…!おねがい…っ!!」
コブラに噛まれて生還できた者はいない。
いつ噛まれたのか分からない以上、兄の傍にいたかった。
それが後に病状が悪化することになっても。
ぽろぽろと涙をこぼすハヅキの姿に、誰もが胸を引き裂かれる思いだった。
イリスたちも、幼い頃から仲睦まじい兄妹仲を見てきたのだ。
ハヅキの悲痛な思いに気づかないわけがない。
「イリス…!お願い!連れてって!お兄様の傍にいたいの!!」
「姫様…」
ぐっとイリスの服を握り締める。
体調を崩して体力を消耗していたハヅキの力は弱い。
それ必死に握り締めるハヅキの手は震えていた。
恐怖か、強く握っているせいか。
涙を浮かべて必死に訴えるハヅキに、誰よりも彼女の傍にいて守っていたイリスが抗えるはずもなかった。
「分かりました……お連れいたします」
「!――イリス!姫様は高熱を出しておられるのだぞ!?今お動かしするのは危険だ!」
「ウナス…あなたは、コブラに噛まれて助かった者を知っていて?」
イリスの判断に周囲が反対をする。
ウナスがそう叫ぶも、次いだイリスの問いに黙ってしまう。
ハヅキに聞かれないよう、イリスは小声で話す。
「……もしかしたら、姫様にとってメンフィス様と過ごせる最後の時になるかもしれないのよ……私は…たとえこの後お身体が悪化したとしても――姫様に兄君様の最期に立ち会えなかった後悔は背負わせたくない」
「………」
コブラに噛まれたら―――死。
それは古代エジプトでは常識ともいえる。
ハヅキの前だからこそ聞かれないように小声で話すが、コブラに噛まれたメンフィスが助かる可能性はゼロではないが、血清がないこの時代ではほぼゼロと言っていいだろう。
ハヅキの体調を気遣い、無理に引き留めたとして。
メンフィスの最期に立ち会えなかったと後悔したまま生きてほしくはなかった。
ウナスたちもそれを理解しているからか、イリスには何も言えなかった。
「姫様…メンフィス様はコブラに噛まれました…その意味を知っていて、なお…メンフィス様の元へ向かう覚悟はおありですか」
ウナスは最後の確認として、コブラに噛まれた意味をハヅキに問う。
ハヅキを幼いと思っているからではなく、兄の死に立ち会う覚悟があるのかを問うものだった。
ウナスの問いに、ハヅキは―――
「あります」
熱に侵されながらも、強い眼差しでウナスを見つめ、ハヅキは頷いた。
もはや、その瞳を見て反対する者はいない。
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