(1 / 8) 16話 (1)

その日は夏という季節の中でも一段と暑い日だった。


「夏目レイコ様ですね?」


小春は友人達と別れ1人帰っていると前方からの声に立ち止まった。
季節は夏。
ミンミンと蝉の声が小春の耳に響き、太陽から照らされる暑さに小春は少しばててもいた。
そして『暑い…』、と俯いたその時、声を掛けられたのだ。
小春は固まった。
夏目レイコ、という言葉はほぼ人間が零す名ではないからだ。
小春は顔だけではなく身体という身体の全ての血の気が引いていくのを感じる。


「夏目レイコ様ですね!」

「――、ひ…っ」


恐る恐る顔を上げればそこには一つ目の大きな体を持ち白い着物を身にまとい長い髪を無造作に伸ばしている妖がおり、小春はその妖を視界に映した瞬間固まっていた体が更に硬直てしまった。
返事のない小春に痺れを切らしたかのように妖は目にも止まらない速さで小春へと迫り、小春はあっという間に距離を縮められ迫る妖の顔と気配に思わず小さな悲鳴を上げてしまう。


(よ、妖怪…っ)


小春は目の前の妖に息を呑んだ。
否、息ができなかった。
窒息、とまではいかないがいつも無意識にしているように呼吸ができない。


(こわい…ッ)


小春はギュッと目を瞑って妖から目を逸らそうとしたが、恐怖に強張る身体が言う事を聞かなかった。
小春は目の前の妖だけではなく、他の妖に恐怖を覚えている。
それは以前、多軌という少女と出会った時に一緒に戦った妖に襲われてから妖に対して恐怖の感情を覚えた。
妖に襲われるのはあの妖以前にもあった。
しかしあんな意味で襲われた事は初めてである。
あんな意味…性的な意味で見られたこと自体が初めてだった。
斑は嫁にすると言いつつも小春を見る瞳はとても暖かくて優しく、セクハラ紛いな事をしたって冗談が前提で、セクハラ発言だって冗談が前提。
だから今まで夏目も小春も笑って過ごせた。
だが、あの妖は本気だった。
本気で小春を女と見、本気で小春を襲うとした。
小春はまだあの妖の恐怖が忘れられなかった。
あの後目を覚ました小春は身体がずっと震えていた。
どんなに兄に手を握られても、どんなに斑に抱き付いても…どんなに……あんなに暖かいと思った藤原家に帰り2人に迎え入れられても…小春は身体の震えが止まらなかった。
夏目はその原因を知っていた。
だから出来る限り傍にいてやろうとした。
しかし人間のルールで生きるためには今のように離ればなれにならなければならない時だってある。
夏目には夏目の世界が。
小春には小春の世界があるのだから。
夏目も友人の奈々達が一緒ならと少しだけ安心していたのだ。
それが…今に限って妖は夏目ではなく小春の元へとやってきた。
小春は目の前の妖に凍り付いた。


「夏目レイコ様!!」

「ち、ち…ちが、い、ます…夏目、レイコは、祖母、です…祖母は亡くなっていて――ッゔ!」


確認するように声をかけるも、どうやらレイコの事は噂でしか知らないようで、祖父に似ている小春をレイコと勘違いしている様子だった。
小春は答えなければ、誤解を解かなければ、と隠し通せない震える声で首を振った。
しかし妖は聞く耳など持っていなかった。
小春が首を振っているのに妖は聞かず否応なしに小春の身体を大きな手で掴む。
妖の手は片手だけでも小春の華奢で小さな体がすっぽりと入ってしまう。
小春は両手で締め付けられ苦しげに声を零す。


「友人帳を渡せ!でなければ食ってやる!!」

「ぅ、ぐ…っ、ぁ…」


首も絞められ小春は息ができなかった。
だから友人帳が手元にないことも、レイコではないことも言いたかったが言えなかった。
友人帳は主に兄である夏目が持っている。
だから名前を返せと言われても寄越せと言われても名前を返すこともあげる事も出来ない。


「ゃ、め…て、っ」



何とか震える声で訴えても友人帳を奪おうとしている妖はやはり力を緩ませる事はなかった。
首を小さく振る小春にもう殺してから奪った方が簡単だと思ったのか妖は更に力を入れ来る。
顔が真っ赤に染まりはじめ、息も次第に弱くなっていく。
小春は次第に意識が朦朧としはじめ数分も経たず気を失うであろうその時――



「ぎゃああ!!」



妖の悲鳴が辺りに響いた。
それと同時に小春を締め上げていた手や力が一気に抜け、小春はコンクリートの地面に落とされたが痛みよりもいきなり入ってきた酸素に身体が対応できず咳き込んでしまう。


「っげほ…ッけほ…」

「大丈夫ですカ?」


朦朧としていた意識はそう簡単に戻ってくれず、道のど真ん中で太陽に照り付けられ熱せられているという事も気にせず倒れたまま今は息を整えようとしていた。
暫くして息も整いはじめ倒れていた体を起こし座り込んでいると前方から声を掛けられ小春は思わずビクリと肩を揺らした。
妖の事もあったため小春は怖がったのだ。
しかし俯く小春の視界の端に手の指先が見え、それがあまりにも人間に似ていたため恐る恐る顔を上げる。
そこには妖ではなく、人間が立っていた。


「あの…立てまス?」


その人間は男だった。
男は小春を心配そうな表情で見つめ、小春に手を差し出している。
小春が視界の端で見た指先はこの男の手だったようで、どうやら倒れている小春を心配して手を差し伸べてくれたようだった。
小春はその手を恐る恐る取り立ち上がり、男を見上げる。
男は20代のようで、黒に近い赤色の太い縁の眼鏡を掛けており、小春と目と目が合い『ん?』と微笑みを向ける。
青年の笑みに小春は戸惑った。


「あの…」

「大丈夫でしたカ?危ないトコロだったデスネ。」

「ぇ…」


小春は青年にどう言い訳をしようか悩んでいた。
小春と夏目は普通に人を見るように妖が見えるが、一般の人は妖など空想のキャラクターだとしか思っていない。
名取や的場のように見える人はいるようだが、同じ系統の人間に出会うのは極稀である。
しかし言葉通りそれはほぼないに等しい遭遇であり、小春は一人芝居のように苦しむ姿を見られ、どう説明をしようかと思っていた。
ここで見られたのが兄で傍に自分がいたのなら小春は冷静に言い訳が出せた。
そしてその逆もまた然りで被害が自分で傍に兄がいたのなら夏目が冷静に言い訳が出せた。
しかしここには自分1人しかおらず、小春が妖が苦手だと分かってから護衛の意味で一緒にいてくれるようになった斑もすれ違いでここにはいない。
小春は悩んでいたが、青年の言葉に目を見張り思考が停止する。
考え事をし少し、俯いていた小春が顔を上げキョトンとさせるのを見て目を細める。



「アナタも、妖怪が見えルんですネ」


青年の言葉に小春は大きく開いた目を更に大きくさせる。
その目を見て青年は『オメメが零れてしまいそうデス』と呟き笑った。

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