兄の姿が消え、小春はそっと斑の頭を撫でる。
自分が足手まといだというのは分かっているし、だからと言って兄の傍を離れるつもりはない。
だけどこういう時、痛いほど辛いと思うのだ。
兄や名取は自分を足手まといなんて思っていないだろう。
2人が手伝わせてくれないのは、心配しているだけなのだ。
女の子だから、というのもある。
だが何より名取も小春を妹として可愛がってくれている。
夏目と同じく心配なのだろう。
だから小春は我が儘を言わないように気を付けていた。
ちょっとした我が儘なら、兄も名取も聞き入れてはするが、こういう時は絶対に頷いてはくれないのを小春は知っている。
小春は斑を撫でていると、斑の傷に目を移す。
矢の傷が痛々しく、血もまだ出血しつるふからしい斑の毛並みが血で汚れて台無しになっていた。
小春はその傷を見て治せるかもと思った。
治せる傷の程度は軽傷だけ。
傷は治せるが病を治すことはできない。
ただ気分を楽にさせてあげるしかできない。
だから小春は苦し気に呼吸をする斑にそっと手を伸ばす。
その時、小春の耳に誰かが歩いてくる音がし、小春はハッとさせその手を引っ込めた。
兄との暗黙の了解で小春のその力は名取とはいえ人に見せないように決めているのだ。
入り口へ目をやれば的場が戻ってきており、その傍には七瀬もいた。
小春は2人を警戒し愛で追うも二人は小春に声を掛けることなく素通りして奥へと消えた。
それを不思議に思いながら薄暗い先へと消えてしまったため小春は斑と女へと目線を戻す。
すると大きな音がした。
その音に顔を上げ奥へ目をやれば嫌な気配が消えたのを感じ、小春は名取と夏目が封印に成功したのだと思った。
その時、女が目覚め、ふらりと立ち上がって奥へと進んだ。
「ま、待ってください…!駄目です!」
「放せ!」
小春は女の手を掴んで奥へ行くのを止める。
名取が夏目が封印したかもしれないというのは小春の憶測で、まだはっきりとはしていない。
だから下手に動くよりはここで夏目達が帰ってくるのを待った方が賢明と思ったのだ。
頼りになる斑は怪我を負って動かないから二人は自分が守らなきゃ、と何もできないなりに小春は思っていた。
だが、女はそれでも小春の制止を振り払いふらつきながら奥へと消えてしまう。
小春はそれを見て慌てて斑を抱き上げて女を追う。
しかしその途中に帰ろうとしているのか再び入口へ向かう的場と七瀬に鉢合ってしまった。
まあ入り口はひとつしかないので鉢合うのは当たり前ではあったが。
小春は緊張しながら女を追うことにしたが、何故か小春を視界に収めた的場は先ほどは素通りしたのにこちらに向かって歩いてくるのが分かり、小春は思わず立ち止まってしまう。
(こ、こっちきてる?なんで?)
先ほど何も言わず素通りしたのになぜ今になってこちらに向かってくるのだろう、と小春は軽くパニックになっていた。
焦っているのが顔に出ているのか、小春の様子を見て的場は目を細める。
「そう警戒しないでください、あなたに用があって来たんです」
「…何ですか」
警戒をしながらこちらを睨みつけてくる小春を見ても的場は笑っていた。
的場から見ても小春は可愛い少女でしかなく怖さはない。
それに年下の少女にビビるくらいなら祓い屋の頭首にはなれないだろう。
ぶすりとさせる小春に的場はポケットにある物を取り出し、小春の首にかけてやる。
近づき首に手をやる的場にビクリとさせた小春は首に掛けられたソレを見て目を丸くする。
「これ…」
「お預かりしていた管狐です」
ソレは、管太郎の管だった。
そっと手に触れれば小春の手から妖力が抜けていく気がした。
どうやら管の中にいる管太郎が小春の妖力を吸っているようだった。
しかしあの愛らしい管太郎の姿が出てこないのを小春は不思議に思い、首を傾げる小春に察した的場は答えてやる。
「どうやらその管狐はあなたの妖力でしか生きられないようですね」
「え…私の?」
「少しずつ弱ってきているのを見て試しに私や七瀬の妖力や部下やあなたに近い年齢の少女の妖力を分けようとしても拒否し最近はその管に引きこもって体力を温存しているようです」
『消滅する前に渡せてよかった』、と零す的場に小春は的場から管を見下ろす。
よほど弱っているのか小春の妖力を今も吸っているが出てこない。
的場の話からして弱まっているらしく、しかしそれは的場が悪いわけではない。
それでもずっと預かってくれた事に、そして弱まっていく管狐を見て妖力を与えてくれようとしていた事に小春は的場に『ありがとうございます』とお礼を言った。
今回の事で印象は悪くなったが、それとこれとは違うと考えるようにした。
少なくとも管太郎を捨てずにおいてくれたのを小春は感謝した。
小春の真っすぐとした目で見つめられお礼を言われた的場は目を見張ったが笑みを浮かべた。
その笑みはいつも浮かべている人を食ったような笑みではなく、出会った時のような優し気な笑みだった。
****************
的場と別れ、小春は駆け足で奥へと進む。
そこには大きな妖はおらず、大量の灰のような物が地面に広がっていた。
それを見て小春は夏目と名取が封印したのではなく的場が払ったのだと分かった。
「――さない…許さない…的場…許さない…っ」
女の声が耳に届き小春はその声の方へと目をやった。
そこには灰をかき集めている女がおり、小春はその姿に胸を痛める。
「そうなってしまったらもうどうすることもできない…全て忘れるんだな…」
「お前達は…忘れられるのか…!?忘れられるのか…!」
名取は諦めるよう言うが、女の言葉に名取も夏目も、そして小春も何も言えなかった。
名取は分からないが、少なくとも的場がいると聞いて柊や他の式を置いて来たくらいの情は彼女達にはあるのだろう。
そして夏目も小春も、なんの関係のない妖一匹のためにここまで来た。
2人には女の気持ちは痛いほど分かっていた。
「ああ…っ!!」
そこに風が吹き、灰が舞ってしまう。
その舞う灰を女は手を伸ばし取ろうとしたが、駄目だった。
洞窟の天井に開いた穴から吹いた風に舞い、灰たちは散っていく。
それでも女は必死になってまだ床に散っている灰をかき集めようとしていた。
そんな女を夏目は見てられず目を逸らしたが、ふと女の傍に小春が歩み寄ったのを見て視線を戻した。
小春は斑をそっと傍に降ろして女の灰をかき集めている手に触れる。
女はその手に散っていく灰から小春へと顔を上げる。
小春の表情は悲し気だった。
小春はなにも言わず、女を抱きしめた。
「…っ」
女は小春に抱きしめられると女の耳に小春の心臓の音が聞こえた。
トクン、トクン、と聞こえるその音は女を落ち着かせるのに十分で、女は声を殺して涙を流し小春の背中に腕を回した。
そんな女の頭を小春は撫でてやる。
(小春…)
妹に縋る女が少しずつ落ち着いてきているのを夏目は見た。
それは祖父の力を継いだ小春が成せる業でもあるのだろう。
小春が意識して妖力を使っているわけではないが、小春は祖父と同じく人を落ち着かせることに長けている。
夏目も小春が傍にいてくれると落ち着くのだ。
夏目は声を殺し少女に縋る様に泣く女の背がとても切なく小さく見えた。
(あの人達には…見えないのだろうか……仲間を守るために奔走する妖怪や、失って心を壊してしまうほど妖怪と絆を持ってしまう人の痛みが…)
女がああなってしまったのは式との繋がりが深く、それを壊されたから。
夏目は仕えていたはずの女の式を簡単に斬り捨て女さえも切り捨てることが出来る的場と出会い強く心が揺らいだ。
「名取さん…あの人はこれからどうなるんでしょうか…」
「彼女は名取家が預かる事にするよ…彼女が望めば祓い屋を再開できるようにするし、祓い屋を抜けたいのなら出来るだけの事をするつもりだ…」
名取も少女に縋る女を見つめ、夏目の問いに答える。
夏目は名取の言葉にホッとしながらも、しかしどこか釈然としていなかった。
夏目が何を思っているのか…名取には十分すぎるほど分かった。
彼は分かりやすいのだ…彼…いや、彼と彼女は人と妖との間にある隔たりがないから余計に情が移る。
だからこそ的場のような祓い屋にショックを受けているのだろう。
名取は小さくなる夏目の肩に触れる。
「夏目…君があの人たちの事で心を揺らす必要はない…ああいう人たちもいる…それだけの事さ」
名取の言葉はすんなりと夏目の中に入った。
名取を見上げた後夏目は女と妹を見る。
その顔に釈然としなかった表情とは一変し、納得しているようにも見えた。
(そうだ…俺には小春や先生もいるし、名取さんや柊もいる…俺は…あの人たちとは違う…)
夏目は同じ物が見える人と出会ったらそれは素晴らしいものだと思っていた。
だけど同じ物が見える的場と自分の違いに愕然とした。
それを名取の言葉が一変させたのだ。
人は人、そして自分は自分なのだと…的場のような人もいるのだと、そう思うようにした。
そして、だからこそ、小春を守らなければとも強く思った。
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