小春は無我夢中で走っていた。
「どうしよう…!どこに逃げればいいんだろう…!」
とりあえず外には出たが向かえばいい場所が思い浮かばない。
先には森があるが、森の中に入るのが正解かも分からない。
小春は走りながら腕に抱いているタマを見る。
タマはぐったりとしており、小春は余計に捕まれないと強く思った。
「どうしたの、タマ…こんなに痩せちゃって…どうして食べなくなっちゃったの…?」
抱き上げて走っても重さは感じられない。
だけどタマが小春の服を握るその強さは感じられた。
ギュッと握るタマに小春は落とさないよう強く抱きなぜ食べないのかタマに問う。
小春も答えを期待していない独り言だったため静けさしか返ってこない事にはどうでもよかった。
まずはネズミから逃げるのを優先したかった。
小春は人のいない林へ移り、身を隠せる場所にとりあえずは隠れる。
こんなことくらいで妖であるネズミから完全に逃れられるかなんて思っていないがそれでも斑や夏目と合流できる時間くらいは出来るだろうと思った。
荒れた息を整え小春はネズミが来ないのを確認し、腕に抱いていたタマをそっと降ろす。
「タマ…もしかして大きくなりたくないの?…大きくなってここから旅立つのがいやなの?」
そう問いてもやはりタマは答えない。
タマが食べなくなった理由…それは小春にも分からない。
だけど、もしかして…と思った。
成長すればタマは夏目や小春や斑と別れてしまう。
それが嫌だから食べずにいる、と…小春は妄想かもしれないし自分がそう思いたいからかもしれないがなんとなくそう思ったのだ。
見下ろすタマの顔色は悪く衰弱しているのが目に見えて分かった。
ただまだ立っていられる気力はあるらしくそこは安心できるが、だがこのままではいずれ死んでしまうかもしれない。
タマはトテトテと弱弱しい足取りで小春に抱き着く。
それが喋れないタマの答えである。
「もっと一緒に居たいって…そう思ってくれたのね…」
抱きつくタマを抱き上げて小春はタマに頬を寄せる。
それにタマも答えるように小春にすり寄った。
タマの気持ちをようやく理解した小春だったが…
「見つけたぞ、小娘!」
「…!!」
ネズミに見つかってしまった。
僧侶の姿をしたネズミが横に立ち小春はタマを抱いたままネズミから離れる。
ネズミはタマを庇うように抱きこちらを睨みつけてくる小春をただ見つめていた。
「この子はあなたには渡せない!」
「渡さぬというのなら奪うまでだ」
ネズミは小春の言葉に鼻を鳴らす。
渡さないというのならそれまでなのだ。
渡さないというのなら、奪ってでも手に入れるまでの事。
ネズミは主が辰巳の雛を欲しているからそれを叶えたいと思っているだけ。
妖にとって雛はただの食糧でしかなかった。
ネズミは一瞬にして小春の目の前に迫り、突然目の前に現れたネズミに小春は目を見張る。
「いいのか?小娘…非力な人の子よ」
「…っ」
こちらを見下ろすその目に、そして迫ってくるネズミに、小春はジリジリと後ろに下がっていく。
だが途中で石に躓き転んでしまう。
「所詮非力な者にとって辰巳など災いにしかならん…さあ、渡せ…たかが妖一匹の命…お前には大して関係のないものだろう」
尻もちをつく小春を見下ろしネズミはなぜそこまで人が妖を守るのか不思議に思った。
人という物は非力で、人にとって妖は災いにしかならない厄介者。
それを目の前の娘や共にいた男は好んで辰巳の雛を育て守っている…ネズミにとってそれは不思議な光景でしかならない。
小春はネズミの言葉に言い返そうとしたその時…先ほどまで大人しく抱かれていたタマが暴れ出した。
「タ、タマ!?落ちちゃうから暴れたら駄目…っ」
タマはネズミの言葉に反応して暴れた。
タマは『人にとって辰巳は災いだ』という言葉に小春から離れようとしたのだ。
それを察した小春はタマを宥めながらそっとタマの頭を撫でる。
「大丈夫だよ、タマ…いかなくていい…タマはここにいていいんだよ…だからご飯もちゃんと食べて…いつか旅立ちの日が来てもそれはきっと別れの日じゃないんだから…だから…その時までここにいていいんだよ…」
タマは小春の言葉にひっくとしゃくりあげる。
言葉は喋れないが通じてはいるのか、暴れるのを止めた。
縋る様にぎゅっと服を握りしめるタマを抱きしめ、宥めるように頭を撫でてあげる。
そうするとタマが落ち着くのを小春は知っていたのだ。
タマは大人しくなり小春の温もりや心臓の音を聞き安心したのか体の力を抜く。
タマが力を抜き、小春も安心したように息を吐いた。
だが、その隙を狙いネズミが持っていた棒を小春に向けた。
「…ッ!!」
それに気づき小春はタマをギュッと強く抱きしめ、タマを守るためにネズミに背を向けた。
タマは小春の腕の中に守られながら…小春に向かって棒が向けられ小春を傷つけようとしているのを見ていた。
小春が痛みを覚悟したその時――――辺りが光りに包まれた。
「タ、タマ…?」
光りが収まったのと同時に獣のような声が辺りに響く。
小春はその声にハッとさせ腕を見たが、タマの姿がなかった。
タマを探そうとした時バサリと羽音がし顔を上げれば巨大な鳥がネズミを咥えているのが見えた。
小春はその鳥がタマだとすぐに分かった。
姿形が違うのに、なぜだかタマだと分かったのだ。
タマに咥えられているネズミは苦し気な声を零しゴキリという音と共に腕がダランとさせる。
それを見て小春は慌ててタマに声を上げた。
「タマ!!やめて!タマ!!もう放してあげて!!」
タマ、と呼んでもタマは反応しない。
小春の声が届いておらず、首を振ってネズミを振り回す。
小春が聞く耳を持たないタマにもう一度名前を呼んで叫んでもやはりいう事は聞いてくれなかった。
「タマ!!死んじゃうからやめて!!タマ!タマ!!」
「よせ小春!成長の衝撃で我を忘れてるんだ!」
何度も何度もタマの名を呼ぶもタマは一向に正気に戻らなかった。
駆け付けた斑の言葉を聞いても小春はタマを呼び続け、近づこうとする。
だが斑の言う通り、成長の衝撃で我を忘れているタマは小春を認識できず鋭い爪を持つ足で追い払おうとした。
巨大な体を持つタマの足が小春の体を吹き飛ばし、斑はギロリとタマを睨み煙と共に本来の体へと戻る。
「小春!!」
小春が地面に倒れたのと同時に夏目が到着し、倒れる妹に駆け寄る。
夏目も姿を変えてもタマだと認識しているのか、小春を抱き起しながら『タマ!よせ!!』とタマを呼び続けた。
だが、やはりタマは正気を取り戻すことはなかった。
その間もネズミの体からミシミシと音がし、危険な状態が続いていた。
タマを奪い食べようとしたネズミだが、それでも見殺しには出来ず小春と夏目は何とか助けたいと思った。
斑も小春と夏目を思い攻撃はしないが、その睨みあいはいつまでも続かないだろう。
斑はすでに腹をくくっておりあちらが襲ってくるのならば返り討ちにさせる勢いでタマと睨みあっていた。
「駄目だよ…!タマ…っ!タマ…駄目…!!」
兄に抱き起こされた小春は立ち上がりふらつきながらタマに近づく。
夏目はそれを止めたかったが、夏目も小春の気持ちは十分に分かり、タマを止めれるのは母のように愛情を注いだ小春だけだと見守る事にした。
小春はそっとタマに近づき手を伸ばす。
嘴に振れたその瞬間、タマの動きが止まり、口に咥えていたネズミを放した。
小春はタマの焦点が合わない目を見つめ…
「帰ろう…タマ……帰ろう…」
そう呟いた。
その瞬間、焦点が合わなかったタマの瞳が初めて小春を見た。
大きな目に移る小春は優しく微笑んでいた。
****************
小春達は正気を取り戻したタマの背に乗って帰っていた。
斑の背に乗るのとはまた違ったようなその光景に小春も夏目も思わず笑みがこぼれる。
下を見れば妖力の強い小春と夏目にしか見えないタマの影が見える。
「すごいな!タマ!鳥みたいだ!」
夏目の言葉にタマは嬉しそうに羽ばたいた。
ずっと一緒にいたからか姿が変わってもタマの表情が分かるようになった。
タマが嬉しそうに羽ばたくから小春も夏目も嬉しくなっていく。
そんなタマに夏目はタマの毛に顔を埋めるようにしながらポツリと呟く。
「なあ、タマ…聞いてくれ……俺も小春も…本当の親のことは知らないんだ…俺は親を亡くしてから親戚にたらい回しにされ、小春は病院で縛り付けられた…兄妹なのに…俺も小春ずっと一人だったんだ……そのことは…変かもしれないけど…あまり寂しくなかった気がする…でも…とても悲しかったんだ……それがこの街に来ていろんな人たちに出会って…もうあんまり悲しくなくなったんだ……君もそうならいいな…」
タマにその言葉が通じたかは分からない。
だけどタマは静かに聞いてくれた。
夏目はそっと妹の手の上に自分の手を重ね、もう離れ離れにならないようにギュッと握る。
小春も夏目の言葉に、兄の手を放さないように握り返した。
2人の体には同じ血が流れているが、両親が亡くなると二人は離れ離れになった。
夏目は親戚をたらい回しにされ、何もかもが失った小春は病院に閉じ込められた。
夏目は妖が見えるから気味悪がられ誰も相手にしてくれず、小春は一度として誰も見舞いに来てくれることはなかった。
だけど藤原夫婦に預けられてからは一変した。
滋も塔子も夏目だけではなくその妹である小春も引き取ってくれたのだ。
当時小春はまだ影鬼に全て奪われ不自由な暮らしをしていたのだ。
夏目がどれだけ手が掛かり厄介者か、そして小春が介護なしでは生きていけないのだと親戚からも散々言われてきただろうに…あの二人はそれでも自分たちを引き取って可愛がってくれた。
車椅子を乗っても押す事も出来なければ一人でトイレだって行くこともできない小春を嫌がることなく世話をしてくれた。
変な行動を起こしてもワンパクねと笑ってくれた。
次第に暖かい人達とも巡り合え、夏目も小春も友人が出来た。
田沼や多軌、名取などの秘密を知る人達とも出会えた。
夏目も小春も幸せすぎる幸せを彼等からもらっているのだ。
****************
タマの上に乗って空を飛ぶのはとても気持ちが良かった。
タマはちゃんと家を覚えており、暗く月明りに照らされながらタマは三人を藤原家の屋根に降ろしてくれた。
夏目と小春がタマに触れて別れの挨拶をする。
斑は一生懸命手を伸ばすも短い足によって届かず、それを見た小春は苦笑いを浮かべ斑に『おいで、先生』と言って手を差しだす。
それに斑は夏目の肩から肩へと移動して小春の腕の中に移り、小春は斑を腕に抱きタマに触れさせてやる。
それを微笑ましく見つめているとタマが小春にすり寄ってきた。
「また、おいで…タマ……待ってるから…」
最後に甘えてくるタマに小春は涙が溢れてしまう。
泣かないように我慢したのだ。
タマは食べない事で成長しないようし小春と夏目達の傍を離れないようにしていた。
だけどタマは小春を守るためとはいえ成長し旅立とうとしている。
タマは多分兄の言葉を聞いていた。
だから旅立とうと思ったのだろう。
夏目の言葉がタマの心に届き、タマは来るべく来た別れを理解した。
そんなタマに涙を見せないよう我慢したのだが…無理だった。
思い出すのはやっぱり可愛らしいタマの姿。
今の姿も可愛いけど、愛情を注いだタマがいなくなってしまうのは少し寂しい。
それでもタマは小春を…小春や夏目や斑を慕ってくれる。
寂しいとお互い思っても、この別れは最後の別れではないのを信じて小春もタマもいつか再会できる日を思い旅立つのだ。
すり寄るタマにそう言いながら小春もタマに頬を寄せた。
自分の言葉はタマにちゃんと届いているのだと小春は思う。
きっとまたタマと再会できるとそう願うとタマは小春から離れ、大きな翼を広げ飛び上がる。
タマは月に照らされるその空を飛び、小春達の元から飛びだっていった。
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