学校が終わってからの準備だったため、日はあまり高くはない。
それでも夏目は大きな荷物を肩にかけながら妹が入院している病院へ向かっていた。
「む?この先にあるのは随分古めかしい病院しかないぞ?夏目。」
「なんだ、知ってたのか?」
「この辺は私の縄張りだからな!」
「………」
足元で歩く斑は得意げに鼻を鳴らす。
夏目は『縄張りって本当に猫だな…いや、縄張りは犬か?』とちょっと呆れたように半目で斑を見下ろしていた。
「その病院にいるんだよ、俺の妹は。」
「あのいつ崩壊しても可笑しくない病院にお前の妹が?なんでそこにしたんだ?もっと設備がいい病院などいくらでもあろうに…」
今から向かう病院は病院を経営しているのが奇跡と言わんばかりの病院だった。
都会とは違い木造の病院でまさに昭和やド田舎にあるような建物で、夏目は最初自分の学校ですらコンクリートなのに大丈夫か?ここ…と思ったとか思ってないとか…
夏目は斑の問いに苦笑いを浮かべる。
「小春が俺の傍にいたいって言ったからな…」
「…だがあそこにもしもの時に使える設備などありはせんぞ?」
「いいんだ……小春はあそこがいいと初めて俺に我が儘を言ったんだ…俺は小春の願いを出来るだけ叶えてやりたい…」
「………」
先ほどまで普通に笑っていた夏目だったが、突然表情を曇らせる。
その表情はまるで何かを悲しんでいる表情で斑は何かを悟り黙り込む。
「貴志くーん!」
「!」
重い空気が漂っていたその時、前方から女性の声がし、名を呼ばれた夏目は我に返りハッと顔を上げる。
斑も目線を人間の女性に移し立ち止まる。
「綾部さん!!」
斑と夏目の目に映る女性は看護士の服を着て紺色のカーディガンを羽織っており、年齢は大体30歳前後。
綾部と夏目に呼ばれた女性の手には車椅子が握られており、車椅子には黒い長い髪をくねらせる愛らしい少女が座っていた。
(…この匂いは……)
夏目が綾部に駆けていったため斑もそれに続くが、二人に近づいていくつれに鼻を掠める匂いに斑は立ち止まる。
(まさか……そんな…あいつが帰って来ていたのか…?)
斑は唖然とし夏目でもなく、綾部でもなく、車椅子に乗る少女を食い入るように見つめていた。
その少女の前に夏目がしゃがみ少女の手の平で何かを書くと、その少女は嬉しそうににこりと小さく笑う。
「――――!!」
少女の笑みを見た瞬間斑の体に衝撃が走る。
ドクン、ドクン、と鼓動の音が耳に響き息さえも止まったように感じる。
そして暫く少女を見ていた斑だったが何かに気付き息を吐き出した。
(違う…似ている…そう…似ているのだ…あいつに……………そうか…あの人間は………そういうことか…)
声に出さず斑は一人で納得し落胆する。
「どうしたんだ?先生…」
暫く呆然とし、無意識に顔を俯かせていた斑だったが夏目の不思議そうな声とキイキイとタイヤが回る音に我に帰り慌てて顔を上げる。
顔を上げると綾部の姿はなく、代わりに車椅子を夏目が引き、大きな荷物もなくなっていた。
斑は顔を上げたことで間近に見る少女に再び息を飲んだ。
固まった斑に夏目は再び首をかしげ、『おーい、先生?』と斑の前で手を振り、目の前で手を振られたことでようやく斑は現実世界に帰ることが出来た。
「な、」
なんでもない、と言おうとした斑だったがこの姿では姿は勿論言葉すら見えない人間にも聞こえるため猫の鳴き声を出して誤魔化した。
それに夏目は苦笑いを浮かべる。
「ああ、別に喋っても平気だよ、先生」
「にゃに?」
いつもなら人前で喋るなブタネコ!と文句を言われるのに、とつい鳴き声と人語を混じって喋ってしまった。
それに恥じる余裕は次の夏目の言葉に奪われてしまう。
「小春は耳が聞こえないんだ」
夏目が嬉しそうに駆けていったからこの少女が妹だということは察しはついていた。
しかし夏目の言葉にそれを確認する言葉も失われ、斑は苦笑いを浮かべる夏目の言葉に『そう、か…』と声を詰まらせながら呟くしかなく、声のトーンも低くなる。
別段人間に気を使うことはないと思っていた斑だったがその少女が知っている人間に余りにも似ていたため気にせずにはいられなかった。
するとそんな落ち込んでいる斑をよそに夏目は斑を抱き上げ小春の膝の上に置き、斑は突然の浮遊感に声を上げる。
「小春、猫だよ」
「な、なにをするのだ夏目!」
「ほら、触ってごらん?」
「…?」
斑を膝に乗せた夏目は暴れる斑を片手で抑えながら小春の手の平に指で何か書き始める。
手の平に書かれた文字を感じ取ったのか小春は不思議そうな顔から愛らしく花が咲き乱れる笑みを浮かべた。
夏目はそっと妹の手を掴み斑の体を撫でさせてやる。
少し違和感を感じ斑は顔を上げると小春は目を閉じ前を向いており、斑と夏目を見てはいなかった。
「夏目…?」
「……小春は…耳だけじゃなくて目も見えないんだ…」
「なに…?」
「その上声も出すこともできなくてさ…足も動かないんだ…」
「…だから車椅子に乗っておるのか……」
撫で方がとても優しく気持ちよくて斑は暴れることなく大人しくしているのだが、夏目の言葉に上げていた顔を下げる。
ゆっくりと撫でられる感覚とその懐かしい匂いに斑は目を閉じる。
夏目は斑を気に入りニコニコと笑いながら撫でる妹を見てふと微笑みをこぼし車椅子を引き始めた。
「小さいころ…何歳くらいだったかな……覚えていないほど幼い頃に小春は突然全てを失ったんだ…」
「…………」
「最初は病気かと思ったんだけど…どの病名にも当てはまらなくて検査しても至って健康だって言われた…」
夏目は静かに呟くように斑に話しだす。
小春が腕以外の全てを奪われたのはまだ小学生に上がる前だったか…でもその頃の事はショックで忘れちゃったんだけどな、と夏目は苦笑いを浮かべる。
斑はその苦笑いが悲しげに見えそっと目をそらした。
小春が全てを失った原因は医者にも分からないと言われ両親も夏目も毎日悲しんだのは覚えていると夏目話しその事を思い出すように目を伏せる。
「両親がいなくなって俺はたらい回しになったって言っただろ?」
「ああ」
「その時既に小春は病院に入れられていたんだ」
「…!」
「親戚達は手のかかる子供を2人も見たくないって小春が聞こえないのをいい事に小春の前で口論して…結局小春は病院に入れられ塔子さん達に引き取られるまで小春はずっと病院のベットに縛り付けられていた…」
あの時のことはハッキリと覚えてる…夏目はそう小さく呟いた。
本当に耳が聞こえないのだろう。
小春は悲しげな兄の声に気付かずただ初めての猫の感触を手だけで懸命に感じていた。
「ニャンコ先生、綾部さん…あの看護婦さん覚えてるか?」
「まあ、一応な。」
夏目に問われ斑は小春を見る前に見た看護士を思い浮かべる。
パッとせず余り記憶に残らないタイプの人間で別段美味そうとも不味そうとも感じない影の薄い人間。
多分明日になればすぐに忘れるだろう。
夏目は斑の頷きに初めて悲しげではない笑みで笑った。
「俺さ、まだ小さかったから遠い病院に1人で行くことも出来なくて…毎日1人でいる寂しさと妖の恐怖に耐えていたとき、綾部さんが俺に会いに来たんだ。」
その時を思い出しているのか夏目は懐かしそうに目を細めオレンジ色に染まりつつある空を見上げる。
「何だろうってビクビクしてたら綾部さんが小春の様子を教えに来てくれた。」
「ほう…わざわざお前にか?」
「ああ…毎日は会えないし、小春についていなきゃいけないからって手紙をくれるんだけど…その綾部さんの手紙を読む度に俺は人や妖からの恐怖に耐える事ができたんだ……綾部さん、ここに実家があるらしくてさ、俺達が塔子さん達の所に引き取られるって知ってわざわざ転勤までしてくれたんだ。本当、綾部さんには頭が下がるよ」
はは、と笑う夏目に斑は静かに耳を傾ける。
いくら妹が居たからとはいえ離れ離れでいれば一人には変わりなく、小春より辛いことを沢山経験している夏目。
だがそれでも少ないが理解者…とは違うが心許せる人間がいた事を知り斑は内心安堵の息をついていた。
自分が夏目を心配しているのに気付かず斑はただ黙って夏目の話を聞いていた。
笑っていた夏目だったが笑顔を引っ込め、真剣な声で斑に声をかける。
「先生、小春は俺にとって大切な妹なんだ…命に代えても守らなきゃ行けない存在だと思ってる…だから…お願いだ…小春も守ってくれないか?…いや、俺なんかよりも小春を守ってほしい……」
「………」
夏目の切実な願いに斑は無言で返す。
友人帳という物を持っている限り夏目を守るのは当たり前だ。
だが、一緒に暮らしているならまだしも離れている人間まで守る義理はない。
「…………」
斑はそう思いながらもずっと背中を撫でる小春の手を感じながらゆっくりと口を開く。
「……出来る限りだがな…」
「!…ありがとう…」
「だが!言っておくがお前の用心棒になっているのは友人帳を手に入れるためだからだ!そこんとことは忘れるでないぞ!」
決して撫で方が気持ちいいからじゃないからな!!、とまるで照れ隠しのように声を上げる斑に夏目は一瞬目を丸くさせるが次にはクスクスと笑みをもらす。
笑い出す夏目に斑は『何笑ってるんだー!!』と対抗しようするも急に動いた斑に小春が驚き撫でていた手を離してしまう。
それに斑は小春へ目を移すと小春は目が見えないながらも驚いた表情を浮かべ首をかしげていた。
そんな妹に夏目は優しげに目を細め車椅子を止めて小春の手を取って指で文字を書き始める。
「『大丈夫だよ』」
「………」
そう小春の手の平に書き夏目はまたゆっくりと斑の背に小春の手を置く。
兄が自分の手を使って斑を撫でさせているのに小春は怒っていないと安心したのか安堵の笑みを小さく浮かべながら再び優しく斑を撫ではじめる。
斑は気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らし、その喉の音に夏目は本当に猫のようだと笑った。
「小春、今日はどこに行こうか…」
「…………」
ずっと願っていた妹との時間に夏目はオレンジ色に染まる空を見上げながら一秒一秒大切に記憶する。
小春もまるで兄の言葉が聞こえたように夏目と同様空を見上げた。
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