(2 / 2) 深い春、まだ遠く (02)

依都は兄とは違う道を歩むことにした。
兄である利吉は父が務める忍術学園には通わず、父とは別の道で忍者を目指すことにしたらしい。
だから、依都は父が通う忍術学園に通うことにした。
父の傍に居たい―――というのは違う。
忍術学園で学ぶ方が自分には合っていると思ったのだ。


「依都ちゃん、申し訳ないんだけど、先に行っててくれる?」


忍術学園にはクラスや授業の他にも委員会が存在している。
1年から6年の生徒達がそれぞれの委員会を通して社会勉強を目的として活動していた。
それはくノ一も同じで、くノ一は忍たまよりも生徒数は少ないが忍たまと同じ委員会がある。
依都はその中の保健委員会に入った。
理由は勿論、薬師を目指すからだ。
それに、幼い頃から薬草の知識や実践もあるため、当然だと思って入った。
だが、やはり上には上はおり、先輩や先生たちの知識は依都の知識を凌駕していた。
調子に乗っていたわけではないが、ショックだったのを覚えている。
今日は忍たまとくのたまの『保健委員会の意見交換会』が開かれる日。
先輩は先生に呼び止められ用を言い渡されてしまい、依都は1人で忍たまにある保健室に向かう羽目になった。
正直にいって、困る。
依都が委員会に入って意見交換会は初めて開催されるため、忍たまにある保健室の場所を知らないのだ。
しかも、くのたまの保健委員は先輩と依都の2人だけ。
それもこれも、忍たまの保健委員が悪い。
先輩もそれは重々承知なため、先生に用を言い渡された時に忍たまの方から迎えに来てもらうよう頼んだらしい。
それに安堵して依都は、先輩が指定した場所で迎えに来てくれるのを待っていた。
しかし…


「………こない」


待てども待てども迎えが来ない。
1時間は経ってはいないだろうが、30分を優に超えている。
忘れられたか、先輩の連絡が届いていないのか。
―――後者でも驚かない。
忍たまの保健委員は『不運』として有名で、彼らの『不運』が発動して先輩の連絡が届いていないのではないかと思った。
そう、彼らは『不運』なのだ。
その『不運』はくのたまの保健委員会をも巻き込むほど強力で、その『不運』に巻き込まれたくはないからと、くのたまの保健委員会は毎年人手不足となっている。
5年の先輩も依都が委員会に入るまで先生と殆どワンオペだったと、依都に泣きながら感謝していたほどだった。
そう思うと、忍たまであろうとくのたまであろうと、保健委員は『不運』なのだろう。


(仕方ない…職員室に行けば父上とお兄ちゃん……山田先生と土井先生がいるだろうし…生徒たちもいるだろうし…1人で行くか…)


まだ忍たまの不運を経験したことがない依都は例えあちらに非がなかろうが、遅刻している忍たまの保健委員にフツフツと怒りがわいてきた。
だが、待っているだけなのも仕方なく、最悪教師に保健室を教えてもらえばいいかと思い、普段固く閉じられている忍たまとくのたまを区切っている扉を開けて、人生初の忍たまの領域へ足を踏み入れる。

―――そこで依都はある少年と出会った。


「…………」

「…………」


お互い顔を合わせて見つめるだけ。
一方――先輩に頼まれた、先方に渡す資料を抱く少女。
一方――下半身から上半身の半分まで泥で染まり、体中葉っぱと小枝がくっつき、髪には見事な鳥の糞を落とされている、転んだ少年。
どちらも反応が出来ずただ見つめ合うだけだった。


「えっと…大丈夫、ですか?」


先に動けたのは、依都だった。
少年の着ている忍たまの制服は青色に染められていた。
明るめの青色と、依都とそう変わらない少年の体から、2年生なのは読み取れる。
1年差とはいえど、先輩は先輩。
案外、忍術学園は年功序列を重視しているため、先輩に声をかける。
手も差し出せば、2年の先輩はハッと我に返り依都の手を取って立ち上がる。
体に付いている砂や葉っぱを叩いて落とす先輩に、依都も手伝う。


「あ、ありがとう!」

「いえ…えっと、怪我はないですか?私、くのたまの保健委員なのでまだ簡単なものしかできませんが手当できます」


女の子に恥ずかしい姿を見せたからか、気恥ずかしそうに先輩は頬を染めながらも、一緒に砂を払ってくれたことにお礼を言った。
特にお礼を言われることをしたつもりではない依都は、先輩のお礼を軽く流しながら体をチェックする。
正直、忍たまとくのたまはそこまで関わりはない。
それは時代背景の男女観もあるが、男女10代の性欲と恋愛への拗らせを馬鹿にしてはいけない。
浮気、修羅場、寝取り寝取られ…はたまた、ストーカー、逆レ、強姦までエトセトラ。
忍者の三禁はどうしたと思うライナップだ。
同じ生徒だからと解放すれば、男女の縺れによって授業どころではなくなる。
そのための性別区分にして出入りを制限している。
転んだ先輩の体を一応目視でチェックするが、破れていたり、血が滲んでいたりはしていない。
しかし、服が破れていなくても怪我をすることもあるため、保健委員として怪我の心配をした。
ついでに保健室まで連れてってもらおうという下心もある依都の問いに、先輩は『あっ』と声を上げる。
体をチェックしていた依都は、その声に視線を先輩へ向ける。


「もしかしてくのたまの保健委員の1年って君のこと!?」

「はあ、まあ、そうですけど…」

「ごめん!ぼくもね、保健委員で、君を案内するよう言われてたんだ!」


先輩の言葉に依都は静かに目を細めた。
『こいつか…』と冷ややかな視線を向ける依都に気づかず、先輩はもう一度『ごめんね』と謝る。


「迎えに行くよう先輩に言われて行ったんだけど…その、ぼく、不運小僧って言われててさ…5年の先輩たちが喧嘩した時に掘ったまま埋め忘れていた落とし穴落ちたんだけど、その中には葉っぱと小枝と泥が入れられてて…何とか這い上がったんだけど生物委員が蜂を逃がしちゃって…運悪く怒った蜂に追いかけられちゃって…あっ!なんとか逃げ切ったんだけどね!…でも…鳥の糞が髪に落ちちゃったり…さっきも石に躓いてこけちゃって……それで…君を迎えに行けなかったんだ…そんなの遅刻した理由にはならないと思うけど…忘れてたわけじゃないんだ…ごめんね…」

「……………」


依都は理解した。
目の前の先輩の不運フルコースを聞かされ、依都は先輩くのたまの言葉を理解した。

―――忍たまの保健委員の人達を嫌わないであげてね、彼らもわざとじゃないから

まだ『不運』という言葉を聞いたばかりだった依都に、先輩くのたまは苦笑いを浮かべながらそう言った。
最初は意味が分からず、『はあ、そうですか…わかりました』と答えたが、依都は理解した。
こりゃあ、だめだ―――と。


「先輩…気にしないでください…不運は先輩のせいじゃないですし…それでも迎えにきてくれようとしていたんですよね?嬉しいです、ありがとうございます」

「う、ううん!こっちこそごめんね!!」


こりゃあ、怒れないわ。
くのたまは、基本的に忍たまに厳しい。
忍たまもくのたまを恐れている節がある。
お互い嫌っているわけでも、両者に確執があるわけではないのだが…まあ、あれだ――男の子よりも、女の子の方が心の成長が早いのだ。
くのたまの被害者の多くは忍たまだった。
それは依都の先輩くのたまもそうだ。
依都の先輩くのたまも多くの忍たまを実験台にして恐れられている側である。
そんな先輩くのたまが憐み同情を抱くのが――保健委員。
その意味を、依都は目の前の忍たまで理解した。


「あっ!ぼく、2年の善法寺伊作っていうんだ!君の名前、教えてくれるかな?」

「1年の依都です」


苗字は言わなかった。
昔は父と親子だと思われても何も感じなかったのに、最近の依都は父親と一緒にされることに強い抵抗を感じるようになっていた。
最近の依都は、父の洗濯物を一緒に洗濯されるのが嫌だし、お風呂だって父の後に入りたくないし、一緒に歩くのも恥ずかしく感じてつい『父上、離れて歩いてください』と言ってしまう。
父の事は嫌いではないのだ。
過干渉というわけでもないし、かといって放置されていたわけでもない。(家には中々帰ってこなかったが)
親としても先生としても、尊敬できる大人だとは思っている。
ただ、なんか……こう…………生理的に…無理なのだ。
それは世間でいうところの、反抗期であるのをまだ依都は気づいていない。
そして、反抗期になった娘の塩対応に山田伝蔵が毎晩枕を濡らしているのも、それを同じ娘を持つ同僚の教師たちに慰められているのも、気づいていない。
因みに、数年後、その反抗期は実兄と義兄にも向けられることになるのだが、当の本人達は何も知らず『大変だなー』と傍観しているのだった。


「とりあえず…その服を着替えてから案内をお願いできますか?」

「え?」

「私たちはタマゴですけど、保健委員としては衛生面に気をつけなきゃいけませんし…それに…泥が染み込んだまま過ごすのって嫌でしょう?」


依都の提案に先輩忍たま――善法寺伊作は『でも…』と困ったように眉を下げる。
それに、依都は『まあ、気持ちは分かる』と思う。
忍術学園の教師や生徒は比較的優しい人達ばかりだ。
だから遅刻した理由を言えば分かってくれるだろう。
忍たまの委員長も厳しい人ではないようだが、先輩に頼まれた以上、もう遅刻したくない気持ちは理解できる。
だが、上半身の半分まで泥に染まっているその姿は…正直…痛々しいというか…憐れんでしまう。
それに、衛生の話は嘘を言っているわけでもない。
保健室を泥で汚したくない。
傷の手当をする場所なのだから不衛生でいるべきではない。
迷う伊作の手を依都が取ると、思考をあちこちへ向けていた伊作が驚いたように依都を見た。
依都はまっすぐ伊作の目を見つめる。


「善法寺先輩の部屋はどこですか?」

「あ、あっちだけど…」


『あっちですね』と言って伊作の手を引っ張って歩き出す。
伊作は『えっえっ』と困惑したまま、女の子だからか無理に振り払えずついて行くしかない。


「ま、待って!駄目だよ!」

「保健室に行ったってどうせ委員長に着替えるよう言われると思います…そんな手間を委員長にさせるべきではないかと思います…」

「わっ…すごいね、しっかりしてる…」


1年生なのにすごい、と呑気に呟く伊作に、依都は心の内で溜息をつく。
恐らく、彼は生まれながらの『不運』なのだろう。
だから、自身に降りかかってくる不運に慣れてしまっている。


(私…これからあと5年…いや、今年も含めて6年…こんな不運に巻き込まれるのかぁ…)


正直、保健委員を抜けようかと本気で思ってしまった。
薬の知識や治療などの技術ももっと上げたいので、そんな考え一瞬で消え去ったが。
それに、先輩くのたまの『ありがとう!本当!うちを選んでくれてありがとう!!!神!!!』とガチで感謝されてガチで泣かれた姿を思い出してしまえば…来年、委員会を抜けるなんて言えるわけがなかった。
もしも依都が委員会を抜けてしまえば、再来年の保健委員は保健の先生1人で回さなければならなくなる。
それが仕事だと言われればそれまでだが、忍たまよりも生徒数が少ないからといって楽なわけではない。
特に、くノ一は忍たま以上に強い毒慣らしという授業がある。
最悪死んでしまう授業だ。
薬草の補充や、包帯、ガーゼなどの備品のチェックや補充もある。
しかも、トイレットペーパーの補充だって保健委員の仕事だ。
いくら給料が出ているとはいえど、医療忍者の仕事量を超えている。
くのたまの保健委員は不運ではないが、それが忍たまが関わると忍たまの不運がこちらにも訪れるのだ。
依都は、仕方ない――と諦め、覚悟を決めた。
伊作と何でもない会話を繋げていると(基本依都は相槌だけ)、伊作の部屋にたどり着いた。
『ごめんね、ちょっと待ってて!早く着替えるから!』と慌てて部屋へ戻ろうとする伊作の背中に、依都は声をかける。


「先輩、井戸ってどこにありますか?」

「井戸?」

「先輩の髪に鳥の糞があるから…」

「あ…」


依都の言葉で、伊作は思い出したように声を零す。
いや、確実に忘れていたのだろう。
『ここまできたら、もうしょうがないですよ』と言う依都に伊作は『いい…の、かなぁ?』と小首をかしげながら井戸の場所を教えてあげた。
依都は頭を下げた後、井戸へ向かうため足をそちらに向け、伊作はそんな依都の背中を見送った。


「ぼくと1年しか変わらないのに…しっかりした子だなぁ…」


ポツリと、伊作が呟く。



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