(12 / 12) 夜明けの抱擁 (12)

月子はこの日、部屋で大人しくしていた。
父は本格的にリハビリを行うため部屋にはおらず、暇を持て余していた。
終わったら本を読んであげると約束してくれたので、大人しく待っている所だ。


「…………」


そういう時は大人しく部屋で本を読むことにしている。
兄達も、初めて会ってから気を配ってくれるし、普通の兄と妹として接してくれる。
だが、兄達も忍者になるために勉めており、毎日構ってくれるわけではない。
外で遊ぶにも月子は遊び方を知らない。
本を読むしか暇を潰す手段がないのだ。
だが、月子の手元には捏造されていない正しい本が手元にいくつもある。
以前のように、本を読むことに苦痛を感じることはなかった。
だが―――月子はチラリとある方を見る。
そこには小蝶が静かに邪魔にならないよう控えている姿が見えた。
その姿を見て月子は『はあ』と溜息をつきそうになり、グッと飲み込んだ。


「月子様」


月子は小蝶に声をかけられ、本から意識を小蝶へと向ける。
まだ小蝶と顔を合わせて数日。
なのに、小蝶の子供とは思えない美しさに圧倒される。


「差し支えなければ気晴らしに御庭へお出ましになりませんか?」


そう問われ、月子は、はた、と本を読んですでに数時間経っているのに気づく。
矛盾もなく無理矢理終わらせる内容ではない、正しい本は見ていて子供心をくすぐった。
誰にも気づかれなければ、月子は、何時間どころか何日でも本を読みふけっていられるほど、本に夢中になっていた。
それを配慮して小蝶は声をかけてくれたのだろう。
庭、と聞いてまず考えたのは『なぜ?』だった。
月子は室内で本や勉強をすること以外に遊んだことがないため、庭に出るという選択肢自体が考えられなかった。
『庭?』と小首をかしげる月子を、小蝶は釣り目を優しく細め微笑んだ。


「読書もよろしゅうございますが、あまり根を詰めてはお疲れも出ましょう…よろしければお庭を少しお歩きになって気分をお変えなさってはいかがでしょう」


月子は考えるように視線を小蝶から逸らす。
庭に出るなんて、考えたこともなかった。
庭に出たいと思うことはきっともっと幼い頃にあったのだろう。
だが、侍女や婆や母たちに『はしたない』と言われて拒まれ、思うことすら減っていったのだろう。
庭に出るかという問いに、心が『出たい』と言った。
だが、今まで部屋で大人しくしていなければ叱られ頭から押さえつけられた。
その弊害が今、出ている。


「……お心遣い痛み入ります──けれど今はお庭へ出ることは遠慮させていただきます…」


心遣いが嬉しかったというのは、紛れもない本心だ。
だが、月子は小蝶を信じることはできなかった。
母の下に居た時、傍に控えていた女達は誰もが月子をないがしろにしてきた。
何人もうとうとと船をこぐ姿を見てきたし、話しかけても明らかに適当な回答ややる気のない声で返答しか返ってこなかったし、侍女というにはおざなりな態度だった。
気まぐれに気をかけてくれるように見せても、すぐに飽きて放置。
遊んでくれることもあれど、動かず面倒のない毬をただ相手に軽く投げ合うだけのもの。
しかし、それはその裏で婆が『余計な知恵を付けるな』と折檻するためだった。
だが、元々実家は実代程度の娘に付ける侍女達をあえて低レベルの者を選んで与えているため、侍女達に忠誠心はなかったのもある。
母たちは月子に男という存在を軽視してほしいと思い育てたのだろうが、逆に月子は母たちを見て育ったために女性に対する信頼はほとんどゼロに育ってしまった。
父から紹介されたので、悪い人ではないというのは分かってはいるのだろう。
だが、母から植えつけられた呪いが、素直にさせてはくれなかった。
気まずさから視線を逸らす月子に、小蝶は驚かさないように、そっと、静かに、近づいて膝の上に置かれた小さな手をそっと取った。
その手に月子は小蝶を見ると――小蝶は微笑んでいた。


「月子様…私はあなた様のお友達になりたいと思っております」


その言葉に、月子は目を丸くした。
固まった月子に、小蝶は釣り上がった目尻を柔らかに下げ、優しく微笑んだ。


「すぐに信用していただこうとは願っておりません…あなたの置かれた境遇を思えば会って間もない私を信頼するのは酷なお願いかもしれません……ですが、どうか忘れないでいただきたいのです…あなたを害する女ばかりではないことを…私は心からあなたのお友達になりたいと願っております…どうか、その思いだけはお忘れにならないでください」


渋い顔の父を通じて、雑渡から末娘の教育係になるよう言い渡された時は驚いた。
本来、教育係は20代後半以上、30代から40代の女性がつくことになっている。
それなのに、雑渡から直々に10歳の小蝶が指定されたのは、教育係を望まれているのではない。
雑渡が小蝶に望むのは、教育ではなく――安息だ。
既に離れにいたタソガレドキの女達のおかげで月子の事は里に届いており、その境遇からみんな同情し受け入れてくれている。
だが、月子が安心できる存在といえば、忍軍しかいない。
それでも十分だが、贅沢を言えば、男ばかりでなく、心から信頼できる存在に女の姿もあってほしい――それが、父である雑渡の偽らぬ本心である。
その気持ちを、小蝶は汲んだ。
友人になりたいという小蝶の言葉に嘘はない。
だが、月子が望まないのなら無理に関係を築こうとは思わず、小蝶はすぐに身を引いた。


「…………」


『何かありましたらお声掛けください』と言って控える小蝶に、月子は何か言いたげに見つめたが、すぐに机に向かい直す。
正しい内容の本は面白い。
だが、今は内容が頭に入ってこなかった。


(ともだち…ともだち…ともだちって…なんだろう…)


室町時代には子供向けの本という概念自体ない。
月子が読んでいるのは殆ど大人向けだ。
その本の中に友達という単語をわざわざ入れるものはなく、月子は『友達』という言葉が分からなかった。
だが、月子は問わなかった。
――相手が、女だから。
これが忍軍の者であったり男性だったら、『お友達ってなんですか?』と持ち前の旺盛な好奇心ですぐに聞けるのだが、相手が女――離れの女達と同じだと思うと二の足を踏んでしまう。
――怖いのだ。
無視をされたら、適当に返されたら、面倒くさそうにされたら。
その恐怖は好奇心さえも殺す。


(でも…ちゃんと目を見てくれた人は初めてだった…ちゃんと私を見てくれた人も…)


嫌な記憶が過り、ぐ、と小さな手を握り締める。
最初に顔を合わせた時も、小蝶はちゃんと月子の目を見て丁寧に挨拶をしてくれた。
これが離れの女達なら目さえも見ず短くした適当な挨拶だけで終わる。
それに―――触ってくれた。
月子はチラリと拳を握り締める己の手を見た。
その手は先ほど、小蝶が触れてくれたものだ。


(触れてくれたのは、初めて…)


あの母に光に縋るように触れられることはあれど、離れの女達や婆でさえ月子に触れることは一切なかった。
頭さえも撫でてもらえなかった。
なのに、小蝶は何でもないように月子の手に触れた。
―――友達になりたいから、と。
分からない。
分からないから、知りたい。
だけど、怖い。


「…………」


本に向けているだけの視線を、月子は上へ――天井へ向ける。
そこにいる気配に視線を向けると、その視線の意味を察してくれた気配が、音もなく月子の傍に降りて来てくれた。


「月子様…いかがなされましたか」


現れたのは、小蝶の兄――陣左。
何も言わずとも来てくれた陣左に、月子は隣をトントンと軽く叩くようなしぐさを見せる。
それは、所謂『ここに来て』という意味だ。
素直に月子の隣に移ると、月子から『座ってください』と要望されたので、正座をした。


「―――ッ!?」


陣左は絶句し、小蝶は隠すことなく目を丸くした。
陣左の膝の上に『よいしょ』と言いながら月子が座ったのだ。
突然の推しの行動に、陣左は『ん゙ぐッッ』と変な声をが出そうになったが、手で口を抑えることで防いだ。
そんな兄を小蝶は若干冷めた目で見ていたことには、突然のファンサに感無量になっている兄、陣左は気づいていない。
『こんなんだったっけ…』と共に育ってきた兄の現在の姿を見て、小蝶が遠い目をしていると、月子が小蝶に手招きをしているのが見えた。
本当なら名前を呼んでもらいたいところだが、今の関係性では難しいだろう。
小蝶は素直に兄を椅子にしている主へと向かう。


「1つ、お聞きしたいのですが」

「はい、なんでございましょう」

「"おともだち"とは何でしょう?」

「…………」


何を言われるのか、と身構えてみれば、『友達とはなんだ』ときたものだ。
この年になれば『友』なんて一般常識となっているため、小蝶は釣り目を真ん丸にして月子を見つめていた。


「小蝶、月子様の質問に答えなさい」


唖然として主人を見つめる妹を、陣左が咎める。
陣左からしたら雑渡家(-1)の問いに答えないのは、不敬らしい。
過激派となった兄の言葉に、ハッと我に返った小蝶は慌てて居住まいを正す。
脳裏に、偏った教育をされていたという情報が過った。


「申し訳ございません、月子様…『お友達』というのは嬉しいときに共に喜び、悲しいときにはそばにいてくれる…大切な人のことでございます」


月子は小蝶を信用していない。
ならば、信用し信頼できる忍軍の者が傍にいてくれれば安心するし、聞く勇気が出る――そう思って屋根裏にいる今日の担当者を呼んだ。
高坂兄妹にサンドイッチされた月子の問いに小蝶は答えたが、月子はコテンと小首を傾げられた。


「それならお父様やお兄様方とはどのように違うのですか?月子はお父様たちを大切に思っています」

「どちらも大切な存在ですが…成り立ちやつながり方が異なるという点で、それぞれに特別な意味がございます…"ご家族"はご自身が意識するよりも先に身近に存在されている方々であり…"お友達"は人生の途中で出会い心を通わせていく方々です」

「あなたは家族は自身が意識するよりも先に存在されていると仰りましたが…月子は最近になってお父様とお兄様方の存在を知りました…なら月子とお父様方は"家族"ではないのですか?」

「まさか!いいえ…いいえ、月子様…ご自身が意識しておられなくても長い間離れていても"生まれによって結ばれている"という特別な絆がございます…月子様は雑渡様の娘という繋がりがおありであり、それは誰にも崩すことのできない堅い絆でもあります…どれだけお二人が離れておられていても月子様も雑渡様もご家族なのは変わりません」


ジトリ、と月子の守護霊となった兄から圧が送られる。
それに耐えながらも父達とは家族ではないのかとションボリしている月子を必死に慰め、弁解する。
だが、同時に、小蝶は月子の頭の回転の速さに驚いていた。
月子は小蝶の言葉にしょんぼりとしていた表情をパッと明るくさせる。
月子が顔を明るくさせたのを見て高坂兄妹はホッと胸を撫でおろした。


「では…あなたは私と喜びを共にしたいと思っているのですか?」


友達と家族の違いは理解した。
そのうえで月子はその問いを小蝶に投げかける。
ジッと見つめるその瞳は小蝶を試しており、小蝶が信用できる人間かを無意識に確かめようとしていた。
それを察しながら、小蝶はコクリと本心で頷く。


「勿論でございます…私は月子様と喜びを共にしたいと思っておりますよ」

「では悲しいときも?」

「はい」

「つらい時も?」

「はい…悲しい時も、つらい時もお友達と分かち合えれば乗り越えることができると私は思っております」

「…………」


ついには月子は黙り込んでしまった。
恐らくは考えてはいるのだろうが、高坂兄妹はお互いに視線を向ける。
暫く見守っていると、考えがまとまったのか小蝶をチラリと、恐る恐ると言わんばかりに上目遣いで見つめる。


「…月子は…力のない、子供です……地位も、力も、立場もない、子供です…それでもお友達になれますか?」


月子の言葉に、小蝶は一瞬反応できなかった。
だが、小蝶は月子が歩み寄ってくれたこのチャンスを今逃がしたらもうチャンスはもう訪れないと思い、強く頷いた。


「もちろんでございます!お友達になるのに立場や力なんて関係ありません!私は何の利害もなくお友達として月子様と仲良くなりたいのです!」


これは勿論、小蝶の本心だ。
一歩月子に歩み寄り、決して利害関係のない友人関係ではないことを強調する。
立場における上下関係は、この時代では仕方のないことだ。
だが、幸いにも小蝶と月子の間に完璧な主従関係を望んでいる者はいない。
雑渡達が小蝶に望んでいるのは、月子が無条件に安らげる存在だ。
勿論、実代の件もあるため、雑渡達は両者の相性や意思を重視し、小蝶に無理強いはしていない。
月子が拒絶したとしても、小蝶が断ったとしても、小蝶にも高坂家にも咎めはないと約束してくれた。
立場関係なく、小蝶は月子と会って友達になりたいと思ったのだ。


「…小蝶殿…もし、よろしければ……その……えっと……月子とおともだち、に…なってくれませんか…」


緊張と不安からか、月子から奏でられるその声は小さく、そして、震えていた。
上目遣いでお伺いを立てるように見つめる月子の瞳には不安の色に染められている。
今、月子は父と顔を合わせる時の次に、緊張していた。
友達なんて作るのは初めてで、しかも、先ほど月子は小蝶を突っぱねてしまった。
それなのに、小蝶はそれでも自分と友達になりたいと言ってくれた。
月子はまだ友達の意味を全てを理解してはいない。
だが、父が紹介し、信頼している陣左が不審がる素振りを見せていないから、月子は彼らを信用し小蝶へ歩み寄ろうと思えた。
まだ小蝶を信用しきれてはいないが、彼女が母たちとは違うことは理解し、そんな彼女を受け入れた。
恐々と手を差し出す月子の言葉に、小蝶はその小さな手を取りながら何度も頷く。


「っはい!月子様!私とお友達になりましょう!」


嬉しさのあまり声を大きくした小蝶に、月子は驚きながらも手を取ってくれた小蝶に嬉しそうにはにかん
だ。
小蝶もその笑みに釣られるように笑みを返した。

―――陣左は号泣した。



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