(4 / 4) まだ名のない果実 (04)

天国へ帰還したオリヴィアは、ルシファーを連れて執務室へ移った。
自身のデスクに腰を下ろし、傍に置かれているソファにルシファーは勝手知ったるように腰を下ろす。
そんなルシファーを気に留めず、オリヴィアは神への報告書を書きはじめ、ルシファーは仕事を始めた姉天使に、勝手に飲み物を淹れてあげた。
オリヴィアは仕事が早く、ルシファーが淹れた飲み物を彼女のデスクに置く頃には、オリヴィアの手は止まっていた。


「あなたはなぜ、アダムに固執するの?」


ついでにルシファーの報告書も書いて渡してやれば、弟は大いに喜んだ。
喜んだ弟の顔は何度見ても心穏やかになるが、それよりも、オリヴィアは疑問を弟に投げかける。
その問いに、ルシファーは目を瞬かせ、キョトンとした顔を姉に向けた。
しかし、すぐに噴き出したように笑い出した。


「おいおい!リア!やめてくれよ!私がアダムに固執してるって!?真面目を絵に描いたような君でも冗談を言うんだな!」


『ミカに教えなければ!』と腹を抱えて笑う弟を、オリヴィアはただ静かに見つめる。
満足したルシファーは笑いすぎて滲んだ涙を拭いながらソファに座り直し、落ち着くように飲み物を口に入れた。


「アダムに固執なんてしていないさ」

「その割にはリリスだけではなく、イヴにも興味を示したわね」

「何度も言うがね、リア…私はアダムではなく!父が創った新たな生命に興味があるんだ!しかも、イヴはアダムの骨から創られたのだろう?傲慢ちきな男から生まれた人間がどんなものか、気にならないわけがないじゃないか!」


『あの男から生まれたにしては純粋で可愛らしい子だった!』とイヴを思い浮かべて微笑む弟を、姉は胸の内で目を細めた。
あくまでルシファーはアダムではなく、父たる神が創りし人間自体に興味があると通しているようだ。
オリヴィアからしたら、ならばなぜリリスを寝取ったのか疑問に感じたが、それを追求しても返ってくる答えは同じだろうと思いやめた。


(無意識の構ってちゃんも困ったものね…本当にこのままルーを楽園の管理者に戻してもいいのかしら…)


上機嫌で喉を潤している弟を見つめながら、オリヴィアは不安を覚える。
ルシファーは他の天使と比べて明るく、好奇心旺盛で、その分、何事にも深入りしやすいところがあった。
その明るさや軽さを好ましく思う天使が多いが、それが逆に鬱陶しいと思う天使もいる。
神もオリヴィアも、楽園を作り、アダムをそこに置く際に、楽園の管理者をどの天使に任せるかで悩んだ。
結局、色々な物に興味を示す性格のルシファーに決めたのだが、それが仇となったとリリスの件で気づいた。
しかし、かといって、ルシファーのような天使は他にはおらず、神の一言でルシファーは楽園の管理者として戻された。
オリヴィアが不安要素を告げても、神はお気に入りの天使には弱い。
それに、ルシファーを復帰させた理由に、お気に入りの天使と、お気に入りの人間が楽園で遊んでいる姿(神視点)を見て癒されたいという(オリヴィアからしたら)どうでもいい理由もあった。


「まあ、なんでもよいのだけれど…次に問題を起こしたら、いくら私でも庇えないから慎重に行動なさい…アダムの出した願いは絶対に破らせないわよ」

「分かっているさ…あいつの願いというのが気に入らないが、父にも釘を刺されているのだから破りようがない」


肩をすくめる弟を、オリヴィアは『本当に分かっているのかしら』と目を細めた。
しかし、これ以上詰めてもルシファーが本当に理解しているのか、オリヴィアには確認しようがない。
ルシファーの言葉を信じることにして、次の仕事に取り掛かった。
ルシファーはここで休憩をするつもりなのか、席を立つ素振りはないが、それはいつものことなのでオリヴィアは注意することもない。


「なあ、リア…あいつの願いが叶えられるなら、私の頼みも叶えてほしいんだが」

「…あなた、本当に分かってるの?あなたがリリスをアダムから奪わなければ、アダムはまだ落ち着いていたのよ」

「はいはい、分かっているさ!」

「…………」


分かっていないな、とオリヴィアはすぐに察したが、恋に恋しているバカップルには何を言っても通じないと、ここ最近で理解していたため何も言わない。
『それで、なんなの、頼みって』と聞くかは置いておいて、書類から視線を外さず弟の我が儘を聞くと意外な頼みが出てきた。


「イヴを気にかけてやってくれないか」


それまでの軽い調子だったルシファーの声が落ち、オリヴィアは書類から顔を上げて彼を見る。
ルシファーはまっすぐオリヴィアを見つめており、彼が本気なのが分かり、オリヴィアは書類を置いた。


「私たちが、イヴを気にかけていないと?」

「あの子は、我々天使がアダムだけを気にかけていることを当然だと言ったんだ…リア、あの子は…イヴは純粋無垢だ…アダムよりも、それこそ、リリスよりもね……そんな子が、天使たちが自分を視界にすら留めていないと気づいて、なおかつ、それを当然と言ったんだぞ…なあ、リア…君の仕事ぶりは非の打ちどころがなく、父の信頼が最も厚い天使と聞かれれば全天使が君の名を答えるだろう……だが、今回ばかりは君ほどの天使でさえ、目を曇らせていたのではないかと疑わざるを得ない」

「…………」


弟に『目が曇っている』と言われても、感じる感情はなかった。
オリヴィアからしたら楽園など興味の欠片もないし、アダムたちさえもどうでもいい対象だ。
それでも彼らと関わるのは、それが神からの指示であり仕事だからだ。
そうでなければ、オリヴィアは楽園になど足を向けることは一生なかっただろう。


(これよ…これだから、この子が選ばれたのよ)


今は不安を覚えるが、ルシファーが楽園の管理者に選ばれた理由を目の当たりにし、オリヴィアは表情に出さず機嫌よく目を細めた。
オリヴィアは楽園やアダムに興味がないため、楽園の管理者に名ざしされたが忙しいのを理由に断った。
ミカエルなど他の天使も名が挙がったが、どの天使も深く楽園やアダムたちと関わるような性質の天使はいなかった。
そこに、ルシファーの旺盛な好奇心に白羽の矢が当たったのだ。
何事にも興味を示し、それゆえに天国の長老たちには秩序を乱す厄介者と言われていても、神とオリヴィアが彼らの反対意見を押し切ってルシファーを指名したのは、その性格だからだ。
興味が尽きないということは、何事においても目が届くということ。
興味の薄い天使たちよりも、彼は視野が広いのだ。
こうして、アダムとの接触で仕事を終えて帰る天使たちでは気づかないことも気づく。
だからと言って、今の現状に不安が消えるわけではないが、少なくともオリヴィアが知る中でイヴを気に留めてやる天使はいない。
ミカエルやスピーカーでさえ……それこそ、創り主であるはずの神でさえも。


「では今後、楽園へ派遣する天使を一名追加し、当該者へイヴのケアを割り当てるものとします…人選は一任します…問題ありませんね」

「はは!誰に言っているんだい、リア!勿論さ!」


ルシファーはオリヴィアが、楽園やアダムたちに対して関心を持っていないことを知っている。
だからこそ、ルシファーの言葉を理解できてはいないだろう。
なぜ仕事上無関係なイヴを気にかける必要があるのか、彼女には理解できない…いや、理解しようとしない。
イヴに声をかけるのだって、単純な楽園の維持の情報収集にすぎない。
それでも彼女は、ルシファーや担当者が必要だと言えば、その判断を淡々と受理する。
ルシファーは処理の早い姉に感謝を込めて、とびきりの笑顔を送った。



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