会議を終えると、オリヴィアはミカエルたちと会話を楽しむこともなく、誰よりも先に席を立った。
その後をミカエルが追い、二人は並んで退室する。
(すごかった…)
圧巻だった。
高位の天使たちが集まり議論を交わす光景は、まだ下級の天使であるセラたちを圧倒するものだった。
そんな天使たちを目の前に、オリヴィアは胸を張って堂々と意見を伝えていた。
長年、神の補佐を務めていれば、度胸も身につくのだろう。
ほう、と感嘆の息をついていると、隣にいた先輩に肘で突っつかれ、セラは我に返る。
(セラ!何ぼーっとしてるの!行くよ!)
そうだった、と先輩に言われてまだ務めが終わっていないとセラは慌てて先輩に続く。
その際、ルシファーと目が合いウインクした。
口パクで『がんばれ!』と言われた気がして、セラはさらにやる気になる。
──セラはオリヴィアの管理する部署に入ってからは中堅の立場になったが、オリヴィア直属の補佐としての立場になれば新人に等しい。
今は先輩が彼女に資料を渡したり、その指示のもとで動く様子を見て学ぶのが務めだ。
それでもセラにも任されている務めはあり、新人といえど忙しい。
(えっと…次は…ミカエルとの打ち合わせだったわよね…)
なるほど、とセラはオリヴィアと話しながら並んで飛ぶミカエルの背中を見る。
厳格なルシファーをイメージしたいなら、ミカエルを見れば早い。
彼が不愛想というわけではなく、ルシファーが愛嬌ありすぎるのだ。
しかし、その愛嬌があったからアダムたち最初の人間と天国の架け橋に選ばれたと言えるだろう。
やはり、神は正しい――セラはそう思う。
ただ、ミカエルは軍事を担う天使でもあるので、その関係で厳しく見られるのかもしれない。
しかし、その厳しさも今は鳴りを潜めている。
「リア…空いている時間に私との食事を入れてくれ」
オリヴィアに休日という概念はない。
しかし、予定が空いている部分に個人の用事を入れることは可能だ。
例えば、ミカエルのように食事をする予定を入れるとか、ショッピングの予定を入れるとか。
そうしないとオリヴィアは休まないし、空いていたら空いている分だけ務めを入れてしまう。
なあ、と姉に甘えるような弟の声に、オリヴィアは考える素振りも見せず『そうね』と頷く。
頷いたオリヴィアに、ミカエルはぱっと顔を明るくした。
「最近はルーとばかり会っているから、久々に美味しいものを食べましょう」
オリヴィアは相変わらず無表情だったが、雰囲気が少し和らいだ気がした。
しかし、下っ端にすぎないセラがそう思うのは無礼かと思い、考えるのはやめた。
オリヴィアの言葉に、ミカエルはミカエルは不満そうに口を閉じる。
しかし、いつもの険しい表情ではなく、どこか子供のような拗ねた表情を浮かべ、立ち止まる。
「……なあ、リアは本当にあの女を許すのかよ…」
オリヴィアの傍にいて、多くの天使たちの意外な部分を見る。
セラは、軍事を担うミカエルがオリヴィアの前ではここまで表情をコロコロ変えるのかと、意外そうに彼を見た。
ムスッとするミカエルに、オリヴィアも飛ぶのをやめて振り返った。
彼が何を言いたいのかオリヴィアは察し、拗ねている弟の頭を撫でた。
「許すも何も…二人を許したのは神よ…神がお決めになったことに、私たち天使が口を挟むことではないわ」
「…あの女は…明星を汚したんだぞ…俺たちの星を…それだけでも腹立たしいのに…今度はリアまで…」
『あの女』とは、『リリス』の事である。
ミカエルはルシファーを慕っていたが、リリスと恋仲になることに未だに不服を感じていた。
神が許してしまったから、仕方なく受け入れたが、未だにリリスとは顔を合わせていない。
ルシファーがそれを気にしており、よくオリヴィアに相談しているのだが、オリヴィアはこればかりはミカエルが飲み込めるようになるまで待つしかないと告げるしかなかった。
オリヴィアとしてはリリスが天国にいようが、弟のように可愛がっているルシファーと恋仲になろうが、その結果、彼が堕ちてしまおうが―――特に思うところはなかった。
雛のように庇護下にあるうちは、保護者としての責任からそれなりに口出しもするが、すでに彼は学院を卒業し、その保護を離れて久しい。
さらには明星と呼ばれるほどの力と影響力を有している。
自分で判断し、自分で動ける相手に、オリヴィアは何も言う気はなかった。
リリスと会った事はあるが、神に創られた最初の人間の一人ではあるものの、特別な感情は湧かなかった。
ただ、長い時を生きる天使たちから見れば、リリスはまだ若い。
そんな彼女が、本当に自らの意思でその道を選んだのかと確かめたかったが、幸せそうなルシファーを見てしまえば、さすがにオリヴィアも口を出せなかった。
それはミカエルも理解しているのか、本人には決して言わない…が、態度が隠しきれないあたりは、まだ末弟らしい
「あなたはどうしたら納得するの?リリスを追い出したいの?」
「なかったことになってほしい」
「それは無理よ、ミカ…」
「分かっているさ!…でも…」
ぐっと口を固く閉ざした。
彼だって分かっているのだ。
ルシファーとリリスが愛し合ったのだって、きっとすでに飲み込むことはできている。
でも、心がそれを拒んでいる。
拗ねているだけだ。
それは、オリヴィアにはない感情だ。
視線を落とし、悲しげな表情を浮かべるもう一人の弟の頬に、オリヴィアの手が触れる。
その手にミカエルが顔を上げると、ミカエルとオリヴィアの視線が重なった。
「可愛い私のミカエル…あなたが優しい子に育って私はとても誇らしく思います」
「……からかってんのか」
「そう怒ってばかりいてはお父さまに笑われてしまいますよ…あなただって、お父さまの大切な子供の一人なのです…どうか笑って、私の可愛い坊や…リリスやルシファーのためではなく、私のために…」
「………」
ルシファーとリリスからすれば、ミカエルの態度は子供じみた意地のように見えるのだろう。
だが、オリヴィアはミカエルの優しさが見えた。
拗ねた態度を隠せないが、それでもルシファーの前では恋人のリリスの悪口を言った事はない。
先程の議題だって、ルシファーがリリスを庇っても口を挟まず、否定も肯定もしなかった。
ミカエルは『優しい子』と褒める姉に、からかわれているのかと不貞腐れてしまったが、オリヴィアはミカエルの優しいところも、ルシファーの良い所も十分知っている。
親指で頬を撫でれば、ミカエルの機嫌はあっという間に直っていく。
ただ議題が議題だっただけに、兄とその恋人の愚痴を姉に言いたかっただけなのだ。
そんなところも可愛いと、オリヴィアは内心では微笑ましく思い、目を細めた。
『さあ、行きましょう』とオリヴィアとミカエルが去っていくのを、先輩とセラは唖然としながらお互い顔を見合わせ―――
(す、すごいのをみちゃった…)
そう言葉にせず声を合わせて思った。
拗ねたミカエルも、それを甘い声で宥めるオリヴィアも、見ることのないプライバシーの部分だ。
一介の下っ端である天使が決して見ることができないやり取り。
「だから補佐役をやめられないのよねぇ」
先輩の呟きに、セラは『分かる』と、しっかりと、強く、頷く。
オリヴィアだけではなく、他の名高い天使たちの補佐として傍につくこの務めが、なぜ人気なのかセラは今理解した。
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