(6 / 7) 罪の口づけに祝福を (06)

一つ目の提案は、天使たちが口を閉ざしたことでひとまず終わったとオリヴィアは判断した。
オリヴィアは何事もなかったかのように『次に二つ目は』と淡々と会議を続ける。


「問題行動や規律違反の基準を定めることです」


ぺらりと資料の紙をめくる。
それに合わせてミカエルたちもページをめくり、文字を目で追った。


「アダムとリリスの件でわかるように、人間は神の想定どおりの行動はしないことがわかりました……問題は、その行動をどのように判断するかです」

「判断?」

「問題行動や規律違反とは何か…どこからを看過できない事象とするのか…あらかじめ決めておくべきだと思いました」


神からは特に指示はないが、天使が人間と深く関わることは言われなくても予想できる。
突然『人間を創ったからよろしく』、と神に告げられた日のことを思い出し、オリヴィアはつい思わず手に力が入った。
しかし、それに気づく者はいない。


「しかし、それは神がお決めになることでは?」


資料から顔を上げるウリエルが口を挟み、その問いにオリヴィアは力を抜きながらコクリと頷く。


「最終的な判断は神に委ねます…ですが、我々が報告を上げる基準は必要でしょう」


『確かに』とウリエルは納得したのか、口を閉ざした。
神だって暇ではない。
いちいち人間が行動を起こすたびに神に伺っていては、天使の存在意義が失われる。
それに、オリヴィアの言う通り、基準などを最初から決めておけばある程度は楽だろう。
しかし、規則や問題行動と言われても、天使たちは常に善良な魂の傍に寄り添ってきた。
問題を起こすような人間の行動など想像できないのは無理もない。
難しい表情を浮かべる天使たちを見渡したオリヴィアは、気にも留めず続ける。


「そして、三つ目…問題が発生した場合の対応方針を決めておくことです」

「まあ、問題行動やら規律を決めるなら、それも決めなければならないな…」


納得したようにミカエルが呟く。
問題行動や規律違反を定めるなら、それを犯した者の処遇も決めるのが当然だ。
資料を見ていたミカエルが、オリヴィアへ視線を向けた。


「考えてはいるのか?」

「あらかたは…問題が確認された場合は本人への警告と指導を行います」

「指導?すぐに対応するわけではないのか…」


ミカエルの呟きは、その場にいた誰もが抱いた疑問だった。
オリヴィアが非情というわけではないが、務めに私情を挟まない。
規律が定められている事柄には、その規律に従い、それ以外はこれまでの経験に基づいて行動する。
そこに情はなく、いくらその魂に同情すべき事情があったとしても、規律によって悪と判断されるのなら、オリヴィアは容赦なくその魂を弾く。
それは天使として正しい判断であり、だからこそ神はオリヴィアに厚い信頼を置いている。
だが、完璧に創られた天使といえど、感情がある存在だ。
関りが薄いからこそ、オリヴィアを『血の通っていない天使』と評して、不信感を抱いている天使も多い。
オリヴィアは裁きの天使よりも裁きの天使らしかった。
だから、そんなオリヴィアが有無を言わさず裁かず、改善の機会を人間達に与えると聞いて、誰もが意外そうに彼女を見る。


「人間は未熟な存在です…何が正しく、何が誤りなのか…理解していない可能性があります…故意ではなく無知によるものであれば、正しい方向へ導くべきでしょう」


オリヴィアほどの立場で、神が自ら創り出した人間に関わらずにいられるわけもなく。
アダムとリリスが生まれた時からルシファーと共に二人と関わってきた。
リリスがアダムではなく、ルシファーを選んだのは、何もルシファーとリリスだけのせいではない。
周囲に無関心だったオリヴィアにも、気づけなかったという落ち度があった。
恋情というものを理解していなかった『無知』ゆえに、オリヴィアはリリスとルシファーが心を通わす可能性があると読むことはできなかったのだ。
その経験から、この案が浮かんだ。


「でも、それでも改善がなかったらどうするのです?人間の数が増える分、様々な人間が現れるでしょう」

「その場合は、隔離し観察対象とします」


オリヴィアの言葉に、平然としていたミカエルが、ぎょっと彼女を見た。
それはミカエルだけではなく、他の天使たちも信じられないと言わんばかりにオリヴィアを見つめ、それはルシファーもだ。
対してオリヴィアは変わらず表情一つ動かすことなく、自分を見る天使たちを見返す。


「てっきり、裁きを行うのかと…」

「……本当ならそうするべきだとは思います」

「ほら、やっぱり」

「ですが、いくら未熟な人間とはいえ…人間も神がお創りになった存在…我々に人間を裁く権限はありません」


―――今のところは。
とオリヴィアは天使たちには告げず胸の内に呟く。
神がアダムとイヴに子を授けるのを止めただけで、こうまで反抗されるのだから、言わない方がいいだろう。
管理しきれない程人間が増えたなら、それぞれの天使が判断できるようにすればもっと効率が上がり、いちいち話し合う必要もなくなり、管理もしやすくなるだろう。
無表情を崩さないまま密かに計画していると、ルシファーが書類に目を落としながら挙手した。
リリスの件以来、静かだった彼の挙手に『おや』と思いながら(それでもやっぱり表情は変わらない)、『どうぞ』と応じた。


「他者へ危害を与える行為がなされた場合はどうするんだ?その者も観察か?」


問題行動と言っても多種多様だ。
相手を不快にさせる程度のからかいから、盗み、暴言、裏切り。
その中で、他者に暴力をふるう者もいる。
ルシファーの脳裏には、恐らくアダムが浮かんでいるのだろう。
確かに彼は支配欲の強い性質を持って創られたが、リリスにもイヴにも今はまだその手が出されたことはない。
アダムとイヴの様子を見る限り、あの無邪気な娘が相手であれば問題は起きないだろう。
ニコニコと周囲に花を咲かせる妻に、アダムの鼻の下は伸び切っているのだから。
ただ、リリスへの行動をルシファーは許していないようだ。
私情ではあるものの、質問の内容は私情だと突っぱねるほどではない。


「その場合は隔離をした後に、神のご判断に委ねます」

「それも神に判断をゆだねるだけか…では、私達は結局何をすべきなのだ」

「報告し、見守り、導く…それが私たち天使の役目になります」


神は最終的な判断を下すだけ。
その間の面倒なことは全て天使の務めだ。
人間が生まれたばかりの今だってやることが多いが、オリヴィアが生まれた当時にくらべればまだまだ可愛いものだ。
当時は本当に天使の数も少なく、全員が自分の力量以上の務めをしなければならなかった。
だからこそ、同期の天使たちはほとんど前線から退いていた。
オリヴィアだって神のお気に入りという肩書がなければ、休日返上なんてしやしない。


「今回はあくまで提案です…最終的な決定は神がなさることですが…この件については今後も継続して議論すべきだと考えています…異論や反対意見がある方は次の会議で遠慮なく申し出てください…繰り返しますが、これは提案に過ぎません…決定事項ではないことを念頭に置いてください」


その言葉を締めに、会議は終わった。



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