(10 / 11) ミルクは人肌の温度で (9)
その線…雪の血を見て銀時は奥歯をギシリと噛み締め、神楽からは今すぐにでも殺さんばかりの殺意を送られる。
しかし岡田は2人の殺意をもろともせず平然とさせ、逆に気持ちよさげに笑いながら、2人が動かないと確認すると雪へと顔を向け、腕の痛み、そして首の皮膚を切られたチリチリとした小さな痛みに少しだけ顔を歪める雪に己の顔を近づける。
刀の位置を変え、岡田はまず雪の首筋へと顔を寄せた。
雪と岡田の距離はまさに首筋に唇を寄せるような程近く、2人の距離に銀時は岡田への殺意を更に強め、神楽は拳をグッと強く握りしめる。
それでもやはり岡田は雪を人質にし2人が動かないのをいいことに機嫌よく息を思いっきり鼻で吸う。


「ああ、やっぱり……あんた、あの時はあの侍の影で気づかなかったが…この匂い…やっぱりそうだ…」


岡田は雪の体臭を吸った。
雪はよく年頃の娘が使う香水など一切使ったことはない。
姉は仕事柄香水等は多少使用するが、どちらかと言えばあまり好きではない。
その姉の影響や真面目な性格や家庭環境から、雪も香水は好きではなかった。
だからと言って体臭に自信があるというわけではないが、一応は清潔にしているし食べ物だって気を使っているためそれほどの匂いはないと思っていた。
汗臭さや周りの外気の匂いや色々な臭いが移ってしまったというのなら分かるが…岡田は目が見えないのを補うために嗅覚もいい。
だから雪の体臭を嗅ぎ分けれたのだろう。
岡田は雪の匂いを確認するように…そして魅了されたように何度も吸い、雪は体臭を嗅がれているという気持ち悪さにぞっと寒気を走らせ、そして下手をすれば首が飛ぶという恐怖から体を震わせる。
銀時と神楽は雪の体臭を嗅ぐ変態行為に苛立ちが積もるが、ここで動けば雪が傷つくという事から動きたくても動けず、お房や長谷川も岡田の理解できない行動に固まっていた。
それでも岡田はまた何度か雪の匂いを嗅ぎ、少しだけ満足したのか笑みを深めた。
しかし首筋からは鼻を決して放さないところからまだ嗅ぎ足りないのだろう。


「侍の血に混ざった"清らか"な"花"の匂い…血の匂いに決して負けず混ざりきらないその匂い…血に飢えた男の心を癒し埋める匂い………危ない危ない…俺は危うくあんたを斬るところだったねェ…あんたを斬れば"あの人"は俺でも殺すだろうよ…あんたは"あの人"の"いい人"だからねェ…」

(……あの、人…?)


雪は岡田が何を言っているのか分からなかった。
岡田とは初対面だし、岡田の言う『あの人』という存在も知らなければ、雪は一度として人の物になった覚えがない。
人並に恋愛は出来なくても、初恋くらいはしたことはある。
だが、初恋は実らないという迷信通り、初恋の男性には好いた女性がいたため叶う夢ではなかった。
だから雪は岡田の言う言葉が一切理解できなかった。
怪訝とする雪を見て岡田は笑みを深め雪の腕を掴んでいる手を放し、顔も名残惜しそうにしながらも首筋から離れ真っ直ぐ雪を見つめ、放した手を雪の頬へ伸ばす。
腕を解放されてもまだ首に刀が押し当てられているため雪は逃げることができなかった。
まだ大人に成りきっていない少女のふっくらとした頬を岡田は指の背で撫でつけ愛しげに触れる。


「ここであんたを捕まえて"あの人"に"返せ"ば…"あの人"は喜ぶだろうねェ…あんたも、きっと"あの人"の元に"帰れた"事に喜びの涙を流すだろうよ」


岡田はそう言って指を滑らせるように雪の耳に触れる。
少女…そして女の皮膚はとても柔らかく、それを堪能するように岡田は触れ、その触り方が意味ありげな触り方だっため雪は気味の悪さに再び背中にぞっと冷たい何かを走らせる。
それは勿論敏感な岡田は感じ取っているが、気にもしていない様子でうっとりと雪を見つめていた。


「あんた、"あの人"の誰も聞いたことのない甘い声をこの耳で聞いたんだろう?それも何度も何度も…飽きるほどに。」


指の背で触れていた岡田はそう呟きながら雪の触れていた耳を覆うように手を当てる。
覆うように当てられた手からはごうごうという音が聞こえる。
これは血液の流れる音と言われているが、実は筋肉の動く音だったはずだと雪はどこか頭の端で思い出す。
それは一種の現実逃避なのかもしれない。
雪がそんな事を思っているのとは気づかず、岡田はうっとりとさせたままそのまま頬に手を当てるように移し、目へと親指を持っていく。
反射的に瞑った雪の片目の瞼を親指の腹で擦るが、その触れ方はやはり愛し気だった。


「この目にはきっと"あの人"の優しい……"あの人"本来の顔が残っているんだろうねェ…誰も見たことのない…"あの人"の"いい人"であるあんただけしか見る事が許されない…"あの人"の顔が…いくつもいくつも…なあ、あんた…目を瞑ると浮かびあがったりするのかい?あんたを見る"あの人"の愛し気な顔…優しく切ない表情を…今でも思い出すことはあるのかい?」


雪は答えない。
答えれるはずがない。
恐怖からという意味でもそう。
だが何より雪は本当に"あの人"という人物が分からなかった。
愛し気、いい人…と言うからには雪と"あの人"というのはそういう間柄だったのだろう。
だが、雪の思い当たる人は見つからなかった。
……否。
思い当たるであろう人はいる。
しかしその人物からはそういう意味合いの目線を貰ったことはなかったし、そういう行為をいたことは……数えるなら一度だけである。
しかしそれは単なる"キス"である。
一度、そういう意味で告白?のような物をされた事もあったが、それはその行為含め、その人物の性格を考えればただの気紛れでもあったはずだ。
それにもし思い当たる人物が当たっているのなら、裏を知っているとはいえ成り上がりの賀兵衛でさえも知っている岡田を雪が知らないわけがなかった。
全てではないが、その人の部下とは多少顔見知りだったのだから。
答えない雪など気にも留めず、岡田は思わず力を入れて雪の目を潰す前に下へと滑るように手を動かし、今度は鼻に到着する。


「この鼻で"あの人"の匂いを嗅いだかい?…いや嗅いだだろうねェ…あんたが"あの人"のモノだという証拠を付けるために"あの人"はわざと匂いを付けるだろうしねェ…あんたも…いや、あんただけは知ってるんだろう?"あの人"の嫉妬深さ…俺の思う以上に嫉妬深いだろうねェ、"あの人"は」


嫉妬深いのはどっちだ、と雪は思う。
そろそろ"あの人"が誰なのか…それを考えるのも億劫になっていった雪はその思考を端へとやったおかげで岡田の行動の意味が少し理解した。
岡田は嫉妬しているのだろう。
雪が知らない、身に覚えのない、"あの人"は自分に熱を上げているらしいのだから。
嫉妬するほど、岡田も、"あの人"に熱を上げているのだから。
それは"あの人"を知らない雪からしたら八つ当たりでしかなく、いい加減雪の堪忍袋の緒が切れそうな雪の鼻を触るのに飽きた岡田は次は唇へ手を伸ばそうとした。
しかし…


「いい加減に手を放しやがれ!!この変態野郎がァ!!!」


堪忍袋が切れたのは、雪ではなく…銀時の方だった。
銀時は雪に夢中になっている岡田の僅かな隙を狙い素早く…そう、目にも留まらない速さで雪と岡田の間を斬り込んできた。
岡田がそれに気づき雪の首を切り落とす前に銀時は雪を押し退け、力加減のできない今の銀時に押しのけられた雪の体は簡単に吹き飛んだ。
雪の軽い体は雪よりも年下だがこの中で一番の力持ちな神楽に受け止められ怪我はなく岡田から解放される。
神楽のお蔭で怪我もなく衝撃に目を瞑っていた雪は恐る恐る目を開けると、雪の目に見慣れた男の背が見え、先ほど好き勝手に触れていた岡田の姿は少し離れた場所にあり、見慣れた男…銀時と睨み合っていた。


「銀さん…!」

「こっちが手も足も出せねェことをいいことに人のモンに好き勝手触れやがって…雪は俺の幼な妻だ!!人妻に手を出そうなんざ百年早ェんだよ!!慰謝料たんまり請求すんぞこの野郎!」

「誰が人のモンだ!!私は私のモノです!!」


自分達を背で守る銀時に雪は驚いたが、何より感激した。
自分が変態に触れられているのを我慢できなかった銀時が激情し庇ってくれたのだから感激もするだろう。
だが、しかし…場違いな銀時のボケに雪は本気で突っ込んだ。
『私の感激返してください!!』とも言われた銀時だったが、正直ボケ(と言えるかは不明だが)をかまさないとここで本当に岡田を殺しそうだったのだ。
しかし神楽や雪がいる前で銀時は人を殺したくはなかった。
人を殺すことは好きではないが、抵抗はない。
そんなもの攘夷戦争で捨ててきた。
だけど…やはり守るべきものの前で野獣には…獣にはなりたくはない。
ボケる銀時に突っ込んだ雪は呆れてしまったが……雪を背を向け庇い岡田を睨む銀時のその顔はまさに鬼であった。
今すぐにでも目の前の獲物を食い殺さんばかりの鬼。
その殺気は先ほどとは比べ物にならにほど強く、巧妙に隠してはいるが戦いに長けた神楽だけは気づいていた。
初めて見る銀時の本気の怒りに神楽は思わず雪の服を握りしめ怯える。
雪はそんな神楽に気づいたのだが、雪は変態に怯えていると思ってしまい、何に怯えているかまでは分からなかった。
その神楽さえ怯えるほどの殺気を一身に向けられている岡田は…いいところを邪魔され不機嫌そうにしながらも殺さんばかりの殺気を向ける銀時にニヤリと笑う。


「いいところを邪魔するとは…あんた、無粋だねェ」

「無粋で結構だクソ野郎…今度雪に指一本でも触れてみろ……その両手の指10本全部切り落とす」

「おお、怖い怖い…あんたもあの娘に惚れてる口かい?……結ばれない愛ほど燃える質なのかねェ…」

「てめェが雪の相手を決める権利はどこにもねェんだよ…そもそも雪が誰とくっつこうがてめェには関係ねェだろうが」

「関係、ねェ…いやいや、それがあるんだよねェ……なんせ、あの娘は"あの人"の"いい人"、なんだから……―――そうだろう?"清花"」

「――――ッ!!」


銀時は自分の怒りを紛らせていたのだが、そんな余裕は端からない。
岡田が余裕の態度を貫いているのもまた苛立ちを積もらせ、紛らせていた怒りが露わになっていく。
聞いたことのない銀時の低い怒りを表すような声色に雪は困惑した表情を浮かべていたが、岡田の言葉に息を呑んだ。
雪はその"名"を耳にし、目を丸くし絶句する。
銀時は岡田から目を反らせないため見たわけではないが、雪が息を呑み絶句した気配を背中で感じ取り、ピクリと眉を動かす。


「どうして…その名前を…なんで……」

「さてねェ…なんでかねェ………まあ、"あの人"から聞いたっていうのが妥当かねェ…」

「……っ」


雪の顔が歪むのを感じた。
それはきっと『清花』という名前が関係しているのだろうと銀時は思う。
そしてその名は雪が聞かれたくなかった名前であることも。
だから銀時は岡田の声を遮るように声を張り上げた。


「お前ら早くあのじじいを追え!!」

「!――銀さん!?」

「こんなところでうだうだやってると本当にあのガキ奪われるぞ!!こいつは俺が引き受けるからとっとと行けってんだ!!」


既に時間も長く経過していた。
一時間、とまではいかないが完全に賀兵衛が姿を暗ますには十分な時間である。
銀時の言葉で全員が我に返る。
無理矢理な話しの切り替え方だったが、上手く行ったようで、我が子を取り戻しにお房と長谷川が賀兵衛を追いかけるため姿を消し、雪はじっと銀時の背を見つめる。
しかしこれ以上何も言わない銀時に雪もあえて何も言わず…否、きっと今の心境から何も言えず、雪は神楽に一言声をかけた後銀時に背を向ける。


「神楽……雪を頼む」


神楽はまだ少女で、今のやり取りが何なのか、まだ分からない。
だが雪にとって、銀時にとって、そして自分にとって、あまりいい物ではないという事だけは理解した。
雪の事だから神楽は聞きたいと思ったのだろう。
終始、何か言いたげに雪を見ていた。
その目線をそのまま雪に向けたままだった神楽だったが、銀時の呟きともとれるその言葉にグッと表情を引き締め、強く頷き雪を追うように続く。
本当は色々根掘り葉掘り聞きたいのだろう本音をグッと我慢し耐え、銀時の願いを受け入れてくれた神楽に銀時は心の中で感謝しつつ、改めて岡田へと対峙する。
逃げられた岡田だったが、焦ることなく銀時を貫くように見つめていた。


「さァ……殺し合いといこや」

「そうさなァ……とっととあんたを殺してあの娘を"あの人"に献上しようかねェ…」


まるで雪が物のような言い方をする岡田に銀時は完全にキレる。
しかし…銀時が全力を出す前から―――勝負は決まっていた。


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