―――ツェッドが振られた。
それはライブラのメンバー(鈍いクラウス以外の)全員が知っている事だった。
何故、知っているのか…それはツェッドが言ったわけではなく、見て分かるほどツェッドが落ち込んでいるからクラウス以外の全員が『あ、これ振られたな』と心を一つに思ったという訳である。
今日も仕事を終え、ソファに項垂れるツェッドをレオナルド達は遠巻きに見ていた。
どんよりとした空気に誰もフォローも慰めも出来ない状況だったのだ。
「ツェッドさん…思いっきり落ち込んでますね…」
「そうね…水槽に戻る気力すらないくらい落ち込んでるわね…」
「ツェッドがあれほど落ち込んでるのは初めて見るな…」
「ですね……でも落ち込んでても仕事はちゃんとする辺りあの猿とは大違いですね」
『仕事も出来て優しいのに振るなんてその人見る目ないのね』、とK・Kが呟きそれをチェインとレオナルドが頷く。
スティーブンは『あの子も恋をして振られてああやって落ち込むのだろうか…』と溺愛している愛娘が見知らぬ男に恋をすると勝手に想像して勝手に傷つき、『そうだ、僕以外の全世界の男を滅ぼそう』と勝手に結論付けた。
約1名全く別の事を考えながらも4人は落ち込むツェッドを心配そうに見つめていた。
だが、そんな空気を読まない人間という者はどこにだっているモノである。
「ツェドくぅ〜〜ん!」
猫撫で声に4人は『ゲッ』と思わず顔を歪ませた。
4人の顔を一瞬にして歪ませた人物―――ザップがニヤニヤ顔で項垂れるツェッドの隣に座りソファの背に腕を回す。
普段いがみ合っているはずの二人が自分の意志で隣に座るなど、それも親しそうに密着しソファの背とはいえ腕を回すほど彼等の間に親しみはない。
それなのにザップがツェッドの隣に座りニヤつき猫撫で声でツェッドの名を呼ぶという事は―――そういう事である。
ツェッドは猫撫で声の兄弟子に普段なら『気持ち悪いです、寄らないでください』と拒絶するのだが…今のツェッドはそんな余裕はなく項垂れたままだった。
それでもザップはにやけながら続ける。
「君振られたんだってぇ〜〜?え〜?なに〜?もしかして童貞拗らせて急かしたから振られたのかなぁ〜?駄目だよ〜、ただでさえ童貞は嫌われるっつーのにがっついちゃそりゃ気持ち悪がられるっつーもんだよ〜!」
ザップは完全に弟弟子で遊ぼうとしていた。
失恋した人物をおちょくり遊ぶ最低人間―――それこそクズと書いてザップと読む男である。
そんな男に振られたと気づかれたツェッドの落ち度ではあるが、今そんな余裕がないためいつもは苛立つどころか殺気しかないその腹が立つ言葉にもほぼ無反応だった。
流石に傷口に塩を塗るどころか殺しにかかっているザップにK・Kやレオナルド達はやりすぎだと止めようとした。
だが…
「……か」
「は?」
「…やっぱ、嫌われたんでしょうか…」
ツェッドはいつもなら流せるザップの言葉を流しきれず、真に受けてしまった。
黒いモヤのようなものの色が深くなるのを見てレオナルド達はザップを止めようとしたが、ツェッドがポツリと呟き、レオナルド達はツェッドへと目をやる。
「確かに初めてで迫られるままだったけど…それが嫌われたんでしょうか……自分から触れた事ないしされるままだったですけど…それが駄目だったんでしょうか…だから旦那さんのところに行ってしまったんでしょうか…」
「お、おい…魚類?」
黒いモヤを背負いながらツェッドはブツブツと呟き、その姿が流石のクズ先輩でも揶揄えなかったのか戸惑いながら声をかける。
するとツェッドは『すみません…ちょっと外の空気吸ってきます…』と呟き出て行った。
その場は静まり返った後4人の目線がザップに集中する。
ザップは非難という名の殺気に似た目線(特に女性陣)に顔を引きつらせることになる。
****************
ツェッドは歩いてはいるが目的はなかった。
あれからツェッドは手紙を受け取った後、すぐに出て行った。
リィリンとの思い出があるあの場所で、一人で2日も過ごす気はなかった。
はあ、とここ数日数えるのをやめるくらい零した溜息をまた吐き出す。
肩も落としトボトボと歩くその姿はきっと哀れに違いないと思いながらもどうしでもシャキッとできないでいる。
それほどリィリンの事を引きずっているのだろう。
(レオ君たちにも随分と心配を掛けてしまったな…今度何かお詫びしないと…)
某クズとは違いレオナルド達は落ち込む自分を気を使ってくれた事に改めてお礼やお詫びをしようと考える。
外に出て闇雲だが歩き回って少しだが周りを見る余裕が出来た。
そのお陰か、ツェッドの耳に何かが届いた。
―――て…
それは声だった。
それも少女の声が。
ツェッドはその声に立ち止まった。
しかし立ち止まると声は聞こえず周りのざわめきしか聞こえなかったため気のせいかと思い歩き出そうとした。
その時…
だれか…たすけて…
また、ツェッドの耳に少女の声が届いた。
その声は先ほどの少女なのは間違いないのだが、少し違和感を感じた。
その違和感とは、覇気がないのだ。
少女の声は小さく、掠れていた。
しかもその言葉は助けを求める言葉だった。
正義のヒーロー気取りではないが、悪を倒す組織に身を置いているのと、生まれ持った真面目な性格にツェッドはその少女の声に耳を澄ます。
辺りを見渡せばどうやら少女の声が聞こえているのは自分だけらしく、助けを求める少女の声にツェッドは走り出す。
どこにいるかははっきりとは分からない。
でも何となく、どこにいるかは分かった。
その声に導かれるようにツェッドは落ち込んでいたというのも忘れその声の少女を助けるために無我夢中で走った。
「ここから…か…?」
街中を走り回り、辿りついたのは裏路地のさらに外れた場所。
人気どころかお約束のチンピラも来ないであろうそこはゴミしかなかった。
だが、そこには声の主の少女の姿はなく、しかしだからと言ってツェッドは別の場所へ移動しようとは思わなかった。
それは少女の場所がここではないのを知っていたからだ。
否、知っていたというのは誤解を招く言い方である。
ツェッドは少女の気配を感じ、この場所よりも下にあると何となく察していた。
そう…少女は地下水路にいるのだ。
マンホールを開け、はしごで降りて少女がいるであろう方へと足を運んでいた。
不思議と罠だとか怪しいなどとは思わなかった。
むしろその少女の方へ行かなければならないと思っており、それさえも疑問にも思わない。
奥へ奥へと歩いていると人影が見えた。
その人影は小柄で薄暗くてここからではハッキリと見えず、どういった風貌や容姿なのかは分からなかった。
しかしその人影は倒れているのか、横になっているのか分からないが蹲っており声の通り元気がないのだと人影でしか見えないがそれだけは分かった。
「大丈夫ですか!?」
怪しむよりも焦りが強く、ツェッドはその人影の少女へと駆け寄った。
しかし、近づいて影しか分からなかった少女の姿がはっきりと見えてツェッドはその姿に立ち止まって息を呑んだ。
「き、君は…あの時の人魚…!?」
ツェッドをここまで呼びこんだその正体とは、一度会ったことのあるあの時の人魚の少女だった。
暗くても分かるほど浮かぶ炎のような真っ赤な髪や目、そして何よりも人間(ヒューマン)ではありえない魚の下半身を忘れるわけがなく、薄暗くてもあの時一般人を襲っていた人魚の少女だと分かった。
しかもその人魚の体は傷だらけで、白い肌を血に染めており、見るからに負傷し息絶え絶えの虫の息だった。
そんな人魚の少女はツェッドの声にゆっくりと顔を上げる。
― たすけて ―
少女はツェッドを見上げるが、その真っ赤な目は濁って見えて虚ろ。
助けを求めているのだが少女は口を動かしてはいなかった。
だけどツェッドには少女の声がはっきりと聞こえた。
― まだ…しにたくないの… ―
ほろり、と虚ろな瞳から涙が零れた。
その涙に唖然としていたツェッドはハッと我に返る。
そして、敵対していた事など忘れ『助けなければ』と一心に思う。
しかし問題があった。
(助けなければ…!!でも…人魚である彼女を無防備に外に出すわけには…)
ツェッドは冷静に考える。
人魚が実在しているというのはあの時のクラウス達からの反応で知る者は極僅かだと考えていいだろう。
そして、そんな存在を無防備に外に出すのは危険だとも考えた。
それはほぼツェッドの中にある魚の本能だった。
例えツェッドが人(正確には血界の眷属)の手で作り出された唯一の存在とはいえ、人と魚の両者の血が流れている。
僅かでも魚の血が流れているのなら、人魚への敬意と恐怖は叩き込まれていた。
「あの…!あと少し…!あと少し待っててください!絶対戻ってきますから!!」
ツェッドはどうするべきかと考えた末に一度人魚の少女から離れることにした。
それは逃げたり誰かに報告するのではなく、必要なものを持ってくるためである。
意識も朦朧としている様子の彼女が聞いているのか分からないが、一言見捨てていないことを示して一度、ツェッドはその場を離れた。
「………」
その後ろ姿を少女は虚ろなその真っ赤な目でただ見送るだけだった。
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