「だ、旦那様…これは…一体…」
メイドに扮した眷属は主人の首にある青色の首輪に言葉を詰まらせる。
その問いにベイジルは機嫌を悪くするでもなく、機嫌を良くしながらリィリンにつけられた首輪を目を細め笑っていた。
「これは首輪だ…それも分からないのか?」
「も、もうしわけありません…あの…なぜ…首輪を奥様につけられたのですか?」
首を傾げてくるベイジルに眷属は慌ててメイドとしての態度を示す。
頭を下げるメイドにどうでもよさそうに対応しながらその問いにニッと笑みを深めた。
「躾だ」
たった一言の言葉が眷属に重く圧し掛かる。
言葉を失うメイドなど他所にベイジルは首輪に繋がっている紐をグイッと引っ張った。
紐を引っ張れば繋がっている首輪も引っ張られ、リィリンは車椅子から落ちてしまう。
唖然としていたため受け身も取れず、リィリンはうつ伏せのまま強く体を打ってしまう。
眷属はリィリンが床に落ちた音で我に返り、慌てて主人であるリィリンに駆け寄りベイジルを見上げた。
見上げたベイジルの表情は笑みを浮かべてはいたが、その目は冷たく物を見ているようだった。
その目に化け物である眷属も流石にぞっとさせてしまう。
「だ、旦那様ッ!!一体なにをなさっているのです!?奥様は立てないのですよ!?そんな奥様を車椅子から落とすなんて…!いくら旦那様でも酷すぎますッ!!」
「酷い?酷いとは人の留守を狙い男と密会しあまつさえこんな家を借りてまで一緒に生活する女ではないか?」
「そ、それは……ッ―――あ、遊びではありませんか…!今までだって奥様は遊ばれて…」
「今までは私の命令だから、だ…でなければコレは私以外に触れさせるわけもないだろ……コレは私の妻だという認識が薄いようだから、私が直々に"躾"してやろうとしているのだ…感謝されるべきであり、責められる云われはないな…―――それとも、メイドごときが主人である私に意見か?お前は私ではなくその遊び相手の方がコレの夫としてふさわしいと?そう思っているのか?」
「…それは…」
今までリィリンはベイジルの命令で男と遊んでいた。
だが、ツェッドとこうして密会しているのはベイジルの命令ではない。
それがこの男の怒りに触れたのだろう。
何も興味を持たなかったリィリンが初めて興味を持ったのが自分ではなく他の、それも半魚人の男だった事が逆鱗に触れたのだ。
ベイジルもリィリンに何も想われていないのを自覚しているからこんな行動に移したのだろう。
それは負け犬にも等しいが、それでも主人への対応があまりにも酷く眷属は噛みついた。
だがベイジルの言葉にグッと言葉を呑み込む。
別に今ここでベイジルを殺したって構わないのだ。
ルゥルゥの事で行動に移しにくい事はあるが、3人を今この瞬間この場所で殺せば屋敷や男の駒たちに男の死はしばらく勘付かれることはない。
その間に眷属達で動けばルゥルゥの心臓は取り戻せるくらいは出来るだろう。
そう思い怒りのままにグッと拳を握りメイドの殻を破ろうとした時―――眷属の握られた拳にそっと白い冷たい手が添えられた。
その手に眷属はハッとさせ頭に上らせていた血が引いた。
ハッとさせその手の主…リィリンの方へ目をやれば、俯いているため髪の毛で表情までは窺え見ることはできなかったが、肩が震えているのだけは見えた。
怯えているのか、悲しんでいるのか…それも分からないが眷属が声をかけようと思ったその時―――リィリンの笑い声が家中に響いた。
「リィリン…?」
噴き出したような笑い声を上げ、笑いすぎてお腹が痛いと言わんばかりに腹を抱えてい笑う主人に、眷属は思わずメイドの演技も忘れてしまう。
戸惑う眷属をよそに大声で笑い出すリィリンにベイジルが片眉を上げて機嫌のよかった表情が険しくなっていく。
「…何が可笑しい、リィリン…」
「何が可笑しい!?何がって…!たかが人間風情が御立派に嫉妬をした挙句に拗らせるだなんて傑作じゃない!!妻!?夫!?躾!?いつ私が人間ごときの妻になったのかしら!!いつ私が人間ごときであるお前のモノになったのかしら!?くだらな過ぎてお腹がよじれるくらい笑っちゃうわ!」
「――――ッ」
リィリンはベイジルの病んだその想いを思いっきり笑った。
ずっと我慢していたのが溢れ出たのだろう。
リィリンにとって愛した男以外の生物は全部見下す対象でしかなく、同情もくそもない。
それに加え自分を支配しているつもりでいる男に対しての感情はもはや生物だと思っていない。
リィリンは人魚として品のあるよう心掛けていたが、我慢できず下品ではないが物語に出てくる美しい人魚のような気品のある笑い方が出来ないほどベイジルの病んだその想いを笑った。
それがベイジルには耐えられなかった。
ベイジルは腹を抱えて笑うリィリンの頭を思いっきり蹴り飛ばす。
ガッ、と蹴られたリィリンは弾かれたようにうつ伏せから仰向けにさせられた。
その音に呆気に取られた眷属はハッと我に返ったが、今庇えば余計に拗れると思い黙って見守るしかできなかった。
仰向けにさせられたリィリンは痛さや屈辱や怯えなど感じず先ほどの大笑いではないが嘲笑めいた笑みを浮かべベイジルを見上げていた。
屈辱を感じたのはリィリンではなくベイジルだった。
ベイジルは嘲笑めいた笑みでますますプライドを傷つけられ先ほど蹴ったその足でまた頭を蹴り、今度は怒りに任せたためリィリンの額の皮膚が切れ血がたらりと垂れる。
それだけじゃ気が収まらずリィリンの顔、体をベイジルは何度も何度も蹴った。
「き、さまは…!貴様は誰にものを言っている!!」
「妄想癖のある自信過剰男」
「――――ッ貴様ァ!!!貴様!貴様は…!!誰のお陰で食っていけていると思ってるんだ!!誰のお陰で贅沢できていると思っている!!誰のお陰でお前らが生きていれると思ってるんだ!!魚ごときが人間様と同等に扱ってやってるだけでありがたいと思え!!お前ら魚は食料でしかないくせして私と同じ空気を吸っていられるだけ幸せなんだぞ!!」
ベイジルは今までリィリンに対して手を上げることはなかった。
それはリィリンが美しく、そして愛していたからだが…それがリィリンに笑われリィリンの本心を聞いて粉々に砕け散った。
ベイジルは貧乏からここまで上がりつめた。
その間、ベイジルは高すぎるプライドが出来上がり、そのプライドをリィリンが侮辱し崩したのだ。
ベイジルにとって女とはただの消耗品であり、ただの見栄のための道具だった。
その道具から受けた侮辱に対しての怒りは収まりきれず、嘲笑を浮かべるリィリンの顔を何度も何度も叩きつけるように蹴った。
それは後ろに控えるSPさえも顔が引きつるほどで、リィリンの血が辺りに飛び散っていた。
肩で息をしながらリィリンの長く美しい青い髪を鷲掴みにし顔を上げさせた。
その顔はすでに美人の影もなく、鼻や口端から垂れる血が床を汚す。
ベイジルはリィリンの顔が泣いているか怯えていると思ったが、リィリンはまだ嘲笑めいた表情を浮かべ怯える素振りも泣き出しそうな素振りもなく強い眼差しでベイジルを睨むように見つめ―――ベイジルの顔に唾を飛ばした。
「貴様…ッ!!」
血が混じったリィリンの唾が頬につき、ベイジルの怒りは頂点を超えた。
髪を掴んだままリィリンの頭を思いっきり大理石の床に叩きつけ、そしてまたそれを繰り返す。
ガ、ガ、ガ、と床に何かがぶつかる音やぐちゃぐちゃという水音や何かが潰れるような音だけが家に響く。
****************
「た、ただいま帰りました」
ツェッドは緊張した面持ちで帰宅した。
それは誰かが待つ家に帰る、という事自体初めてだったからだ。
それも相手は初めて恋した美しい女性となれば緊張してしまうのも無理はなかった。
仕事も終え、あと2日しかないためその2日は彼女と過ごそうと思っていたツェッドだったが、返事がなく静まり返る家に怪訝とさせた。
少なくともメイドのエリザがツェッドの帰宅に迎い出てくれるはずなのだが…それがない。
電気も消されているため電気をつけば相変わらず綺麗に整えられたモデルハスのような部屋が広がっていた。
(出掛けているのか?)
リィリンとエリザがいない事に疑問に思っていたがツェッドの目にある紙が映り、テーブルにある1枚の紙を手に取った。
その紙にはこう書かれていた。
―― 夫が恋しいので帰ります。この家は期限まで使ってくださって結構です byリィリン ――
それを見たツェッドの肩は思いっきりガクリと落とされた。
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