それから彩羽は数日後に退院し、家に帰った。
久々の家だが、出迎えてくれたのは春恵達の土下座だった。
恐らく彩羽の誘拐を許し怖い思いをさせてしまった事への謝罪だろう。
しかし返って早々土下座された彩羽は驚きしかなく、何とか春恵達を許すと答える事で事態は収拾した。
本当は彩羽も彼女達に謝罪すべきだと思っていたが、それよりも先手を奪われ謝罪する暇がなかった。
――そしてそのまた数日後、彩羽は家を離れある場所に向かっていた。
「ここが毛利探偵事務所?普通のビルだね」
「自宅もこのビルにあるようだからね、自宅と事務所と兼ねているんじゃないか?」
ここに来たのは、毛利が彩羽を探してほしいと依頼したという女性に会うためだ。
今回は事件ではないため、安静にと言われているキッドはお留守番である。
彩羽は改めて目の前に建つビルを見上げる。
一階は喫茶店になっているのか『ポアロ』と窓に書かれていた。
窓から見る限り中心街にあるおしゃれなカフェほどおしゃれではないが、居心地がよさそうである。
今日は二人のシフトなのか、髪の長い女性と褐色の男性が接客していた。
彩羽は現実逃避から『いいな〜あっちに行きたいな〜』と思う。
その上へ視線を滑らせれば同じく窓に『毛利探偵事務所』と書かれていた。
兄、高遠の言葉通り上は住居エリアになっているようだった。
彩羽は毛利の事はあまり知らなかったが、どうやら有名人らしく、事務所ももっと中心街で綺麗で大きなビルの中に構えていると思っていた。
しかし来てみればこじんまりとしたビルの中に事務所があり、正直拍子抜けした。
とは言え、やはり今から『母』と名乗る人物と会うので緊張しているのは変わらないが。
彩羽はその緊張を和らごうと息を吸い込み、吐き出す。
表情もどこか固く、そんな妹に高遠は苦笑いを浮かべた。
「緊張してる?」
「う、うん…今から会う人ってどんな人だろう…」
「それは私も分からないけど…でも、これだけは確かだよ…日和は近宮日向の娘である事だけはね」
これから会う『母』がどんな人かは分からないが、高遠はその『母親』は決して彩羽の『母』ではないと断言できた。
そうでなければ彩羽が高遠がずっと探していた異母妹ではないと言っているのだから。
だけどそれもないと断言できる。
今彩羽が付けているボロボロのリボンに、彩羽の部屋に飾られているウィル――この二つが彩羽が高遠日和だという証拠なのだ。
「さあ、そろそろ時間だ…もう行かないと…」
高遠はさり気なく彩羽が付けているリボンに触れた後、背中を押して事務所に向かうのを躊躇している彩羽に一歩前へ踏み出させた。
事務所は二階に構えており、彩羽が扉の前で深呼吸し震える手でノックをする。
彩羽のノックに男性の声が返ってきた。
彩羽は震えそうになるのを必死に耐えながら『し、失礼します』と零し扉をゆっくりと開ける。
この瞬間が緊張の最高潮だろう。
彩羽が扉を開け、中に恐る恐る入れば思ったよりシンプルな事務所が彩羽を出迎えてくれた。
「あ!お姉さん!」
中に入れば中央にソファが向かい合わせに置かれ、テーブルがそのソファに挟まれて置かれていた。
彩羽の姿に一人の少年――コナンが声をかけてきて駆け寄ってきてくれた。
顔見知りがいた事に彩羽の緊張は少し和らぎ、ホッと安堵の息をつき駆け寄ってきてくれるコナンにしゃがんで目線を合わせる。
「おはよう」
「おはよう!来てくれたんだね!ありがとう!」
『お兄さんも!』、とコナンは高遠を見上げ、高遠も屈んでコナンの目線に近づけた。
「勿論、君との約束だったからね…それに日和を一人にはさせるのも色々心配だったから」
そう言う高遠にコナンは嬉しそうにはにかみ『ありがとう』と約束を守ってくれたことにお礼を言う。
それに高遠は『どういたしまして』と笑顔で答えると誰かが立ち上がった気配を感じ顔を上げる。
「お待ちしておりました…改めてご紹介に預かります、毛利小五郎です…どうぞお見知りおきを」
「あっ…私は…えっと…」
「巴川の方で構わないよ」
「う、うん…私は…その、知っていると思いますが…巴川彩羽です…よろしくお願いします」
毛利は彩羽とは初対面だが高遠とは二度目の対面であり、改めてあいさつをする。
彩羽は渡された金箔の名刺に一瞬固まったが、すぐに我に返り自分も挨拶と自己紹介をしようと思ったが…彩羽と日和のどちらを名乗ればいいのか分からず兄に助けを求める。
上目使いで助けを求める妹に高遠は今戸籍で登録されており、テレビでも名前が公表されている新しい名前の方を名乗らせた。
頭を下げる彩羽に一人の少女が歩み寄る。
「私、娘の毛利蘭です…この子はご存知かもしれませんが、今事情があって家で預かってる江戸川コナン君です」
知っているも何も、今初めて知りました…と彩羽は内心そう返しながら『よろしくお願いします』と答えた。
コナンも少女――蘭に紹介され自分が彩羽達に名乗っていなかった事を思い出す。
「それで毛利さん…この子の『母親』という女性は今どこに…」
「ああ、それならあちらに…」
挨拶も人通り終え、毛利に依頼主である『彩羽の母親』という女性はどこにいるのか聞く。
高遠も忙しい身…次の仕事もあり時間も限られており早く会って用事を済ませ早く帰りたいのだ。
高遠の問いに後ろへ振り返る。
その視線に釣られ彩羽達もそちら――ソファの方へ見れば、そこには立ち尽くすように立ちあがっている女性がいた。
前髪や左右の髪にクセがあり、その容姿は彩羽の母である近宮日向にも負けないくらい整っていた。
その女性はまっすぐ彩羽を見つめており、彩羽はその女性と目が合うとなぜか離せなかった。
「あの…」
「おい、何突っ立ってんだよ…巴川さんが困ってるだろ?何か言ったらどう…―――」
「日和ちゃん!?日和ちゃんなのね!!!」
じっと見つめられ逸らせないその目に戸惑いを見せていると、それに気づいた毛利が助け舟を出してくれた。
だが毛利の言葉はその女性の大声に遮られ、更には猪突猛進の如く真っすぐ彩羽に駆け寄る女性に押し退けられた。
床と仲良くする父に蘭は苦笑いを浮かべるしかなかった。
突進してくる美女に驚いていると、彩羽と美女の間に高遠が割り込んでくるように立って彩羽を庇う。
その壁という名の高遠に流石に美女も気づき慌てて止まった。
「すみませんが、あなたはこの子の何なんでしょう?この子の『母親』だと言っていたようですが、この子の母は『近宮日向』であってあなたではありませんが?」
「あら、ごめんなさい…私は工藤有希子と言います…日和ちゃんのお母さんとは親友でしたの」
彩羽との対面に我を忘れていたのか、高遠の言葉にハッとさせ慌てて名前を名乗った。
しかし工藤有希子と名乗る女性が『自分が母親だ』と名乗る事はなく、何故か『母』ではなく『親友』と言った。
それに彩羽も高遠も…更には毛利や蘭も首を傾げて見せ、まず声を上げたのはコナンだった。
「親友って…母親じゃないのかよ!!」
「違うわよ〜!でも私は日和ちゃんのお母さんって思ってるわよ?本当なら日和ちゃんは私の娘になるはずだったんだもの〜」
息子の言葉に有希子は呑気な声で否定した。
彩羽は『私の娘になるはずだった』と聞きますます分からなくなる。
そんな彩羽に気づかず、有希子は『あっ、今は彩羽ちゃんだったわね、ごめんなさい』と名前の訂正をする。
彼女の言葉が嘘か誠かは分からない。
だが、名前すら憶えていなかった自分に与えてくれた養父達が付けてくれた彩羽という名前ではなく、本来の日和という名前を呼んでいたという事は、全てが嘘というわけではないようだ。
日和という名前は流石にメディアでも入手できなかった名前だ。
それを知っているという事は母の知り合いというのもありがち嘘ではないのだろう。
「あの…私の名前…」
本名を知っていることに彩羽は驚く。
巴川彩羽、明智彩羽、という名前は既に全国に顔と共に知れ渡っている。
マスコミは根掘り葉掘りテレビの視聴率のために今話題の彩羽の過去を電波によって無責任に流す。
それでも、養子になる前の情報は得られなかったようで彩羽が実は記憶喪失だったのも、彩羽という名前が本名ではなかったことも、イギリスに三歳までいた事も、兄が殺人鬼だという事も、兄以外誰も知らない。
もう日和という名前を口にしてくれるのは、兄しかいなくなってしまった。
そもそも、彩羽の人生を歩む前でも日和の名前を呼んでくれる人間と言えば、兄と養父だけだったが。
養父が死んでしまった今、兄しかこの名前を知る人間はいなかった。
だから、そんな廃れたような名前を呼んでくれる人がまだいた事に彩羽は驚く。
戸惑いの色が隠せない彩羽の呟きに、有希子は笑みを向けて頷く。
「あなたのお母さんから聞いた名前よ…でも、今は彩羽っていう名前を貰ったのね」
「引き取ってくれた今の両親がつけてくれた名前です……あの頃は私…記憶もなくて名前も分からなかったので…」
「そう…大変だったのね…でもとても良い名前だわ」
有希子の裏表のない言葉に彩羽は嬉しくなってしまう。
彩羽は産みの親はテレビや紙でしか知らないが、嫌いになる要素はなかった。
父親は嫌いになる以前に情報量が少なすぎて嫌いにもなれない。
育ての親がつけてくれたこの名前だって好んでいる。
だから養父と養母がつけて愛してくれた名前を褒められるのは彩羽も嬉しい。
素直に『ありがとうございます』とお礼を言えば、有希子は眩しそうに目を細め笑った。
笑い合う二人に、様子を見守っていた毛利は『とりあえず』と座って話す事を提案する。
それには彩羽達全員が同意しており、彩羽と高遠がソファに座り、その向かえに毛利と有希子が座り、蘭がお茶を用意に奥へ消えた。
その際コナンも毛利の隣に座る。
彩羽は物珍しそうに事務所を見渡した。
窓側には社長机が配置されており、傍には何故かテレビが置かれていた。
こまめに掃除をしているのか、埃っぽくなく綺麗だった。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
今日は休日で学校は休みなため、蘭も事務を手伝っていた。
奥から帰っていた蘭が彩羽と高遠の前にお茶を出し、それをお礼を言うと蘭に微笑まれた。
彩羽も笑みを返していると高遠が本題に入る。
「それで…一体どういう事か説明してもらえませんか?」
高遠の問いに有希子は全て話した。
「私と日向ちゃん…近宮日向さんは仕事仲間なんです」
「仕事仲間って事は…」
「ええ、そう…私もね、女優だったのよ」
『今は辞めちゃったけどね』と笑う彼女を彩羽は目を瞬かせた。
最初『母』だと聞かされていたから緊張していたが、それが実は『母』ではなく『母の仕事仲間』だと知りつい体の力が抜けていく。
「そのこの子の『母親』だと名乗ったのはなぜですか?」
「私と日向ちゃんはとても仲が良くて、大親友だったの…私は夫と出会って女優の仕事を辞めちゃって、日本で暮らしていたけど…それでもテレビ電話やメールや手紙なんかでやり取りをして関係が続いていたの…私達は『大親友』だってお互い公言していたほど仲が良くってね…彩羽ちゃんは覚えてないけど私、あなたに会いにイギリスに行ってたりしてたのよ」
有希子の言葉にコナンは意外そうに目を丸くして有希子――母を見上げた。
工藤有希子はコナンの…工藤新一の実母である。
新一の父であり、有希子の夫でもある工藤優作と母である有希子は新一がコナンだと知っていることを知っている数少ない協力者である。
そんな母から意外な彩羽との繋がりを聞かされコナンは驚くも、それは彩羽も同じだった。
2人の驚く様子にくすくす笑っていた有希子だったが、すぐ沈んだ表情を浮かべる。
「でもあなたを産んですぐ日向ちゃんが通り魔に……日向ちゃんはね、両親の反対を押し切って海外で女優になって…でもそのせいで両親には勘当されちゃってね…旦那さんは周りは勿論私にも内緒にしていたから日向ちゃんが亡くなった後、彩羽ちゃんをどうするんだろうって私や他の友人達も心配していたし、日向ちゃんは大女優だから海外メディアも大注目していてね…でも親類もいないしこのままじゃ彩羽ちゃんは施設に預けられる方向に向かっていたの…それを聞いて『じゃあ私達が彩羽ちゃんを育てよう!』って思ってね」
「その『じゃあ』ってなんだ…なんで『じゃあ育てよう』ってなるんだ?」
「だぁって!1人育てるのも2人育てるのも一緒かなぁって!それに2人育てるのは二倍の苦労があるけど、その分二倍の楽しさがあるじゃない?」
毛利の呆れた言葉に有希子は『女の子も欲しいなって思ってたし!』と呑気な声で告げる。
そんな母親にコナンも毛利同様呆れた目を向け、蘭は相変わらずな幼馴染の母親に苦笑いを浮かべていた。
育児ノイローゼの母親達が聞いたら文句言いそうな言葉ではあるが、有希子は本気だった。
有希子の性格は明るく楽観的ではあるが、無理だと思う事は言わないし行動に移さないしっかり者である。
経済面にしても夫の稼ぎでもう一人増えたって問題なかったし、家も大きな一軒家を購入していたので問題はない。
愛情だって大親友の子供をぞんざいに扱う気なんてなく、血の繋がった息子と血の繋がらない娘を比べる気だって毛頭ない。
「優作…夫とも周りともちゃんと話し合って決めた事だったんだけど…でも、弁護士って名乗る人が日向ちゃんが残した遺言書に彩羽ちゃんは知り合いの方に預けるって書いてあったみたいで…私も優作もガッカリしたものだわ…」
『その時、新ちゃんも楽しみにしてたのにって大泣きで大変だったのよ〜』と告げる母親にコナンは頭痛がしてきた。
母は子煩悩だが、その愛情はコナンも受け止めてはいるが、思春期のコナン(新一)には少々気恥ずかしさがある。
「…あの…遺言書って…どういう事ですか?母は通り魔に襲われたって聞いてるんですけど…何か重い病気でもしていたんですか?」
彩羽は有希子の話を聞いて色々聞きたい事が増えた。
しかしそれ以上に聞き捨てならない言葉を聞き恐る恐る有希子に問う。
彩羽の問いに有希子は困ったように眉を下げ首を傾げる。
「それはないわ…もし命に関わるような病気に掛かっていたのなら見れば分かるもの」
「演技って事はないんですか?近宮日向は実力のある女優だと聞いています」
「ええ…日向ちゃんは演技が上手くてきっと本気を出せば私にも…いいえ、誰にも日向ちゃんの演技を見抜けないと思うわ…でも、演技だけならの話…病気となればいくら化粧をしていたって痩せ細ったり見た目で分かるものでしょ?でも……葬儀の時…見た日向ちゃんは健康そのものの体をしていたわ……棺に入ってさえいなければ眠っているように見えるくらいにね…」
その時の記憶を思い出しているのか、有希子の瞳は涙を浮かべ悲し気に伏せられた。
その言葉を聞いて高遠は『そうですか』と小さく呟く。
「じゃあなんで母は遺言書なんか残してたんだろう…」
彩羽の呟きに近い問いに誰も明確な答えは出せなかった。
有希子の言葉が正しいのなら近宮日向は命に関わる病気には掛かっていなかった。
ならなぜ遺言書を残したのか。
本来遺言書は死ぬと分かって書く事が多いが、財産を持っている人は健康体でも事前に決めておく人も多い。
大女優として名が広まり、富と名誉も若くして手に入れていた近宮日向が遺言書を残すのは不思議ではないが、有希子の言葉通りならば近宮日向はまるで彩羽を残して死ぬのが分かっているかのようだった。
(恐らく…近宮日向は分かっていたんだろう…―――自分が何者かに殺される事を…)
高遠は何となく気づいてしまった。
それは高遠が普通とは違う人殺しを生業としているからかもしれないが…近宮日向は薄々気付いていたのだろう。
自分の死期を。
だから幼い愛娘を残し、悪い人間に娘が利用されないよう遺書を残したのだ。
それが正しいかは分からないが、どうしてもそう思えて仕方なかった。
「そういえば…近宮日向には姉がいたはずですよね…確か…近宮玲子というマジシャンが…」
それを彩羽に伝える気はなかった。
伝えたってもう過去の事であり、わざわざ彩羽を悲しませることもないと思ったのだ。
話を逸らす反面、高遠は気になった事を有希子に聞く。
それは自分の母であり、近宮日向の姉でもある近宮玲子の存在。
近宮日向と近宮玲子の関係は公表されておらず両者一度としてお互いが姉妹だという事は本当に親しい人にしか話していなかったため、高遠の問いに有希子は驚いた表情を浮かべた。
「あら、よく知ってるのね…日向ちゃん、そのマジシャンの方の妹だって事友人の中でも最も親しい人にしか教えてないのに」
「ああ、いえ…私も少し小耳に挟んだ程度なので詳しくは…その姉の方に娘を預けようとは思わなかったんですか?」
高遠は本心で思ってはいない。
もし彩羽を育てられたのなら、自分も母の手で育てられていたはずなのだから。
だが話を逸らすには十分で、先ほど親友の死に悲し気だった有希子も今では表情も戻り愛らしい笑みを浮かべながら首を振っていた。
「日向ちゃん、両親とは疎遠になっちゃったみたいだけどお姉さんとは仲良かったみたい…でも会ったら里心ついちゃうからってお姉さんとは連絡だけしかとってないみたいでお互い居場所は知らなかったみたい…でもお姉さんも有名な方だったみたいだからテレビや雑誌やネットなどでお互い知ってたみたいだけど」
有希子の言葉に高遠は納得したように頷いて返した。
彩羽は母親の姉…近宮玲子の名が出て驚き、そして兄への心配でそっと兄の手に触れ様子を窺うように見上げた。
そんな妹に気付き高遠はその手を握り安心させるように微笑んだ。
母の死は悲しいが、母を死に追いやったあの4人はすでにこの世にはいない。
左近寺の『事故死』によって復讐は果たされたのだ。
母の死は今も悲しいが、それでも以前のように辛い過去ではなくなった。
「私は以上です!それで?あなたと彩羽ちゃんのご関係を聞いてもよろしいかしら!?あなた、一体彩羽ちゃんの何なんの?彼氏かしら?あなたのご職業は?ご趣味はなんですか!?」
有希子は質問された事は全て答えた。
そして次はあなたの番だ、とズイッと机を乗り出して高遠に迫る。
彩羽は驚きの表情で兄に迫る有希子を見つめていた。
ただコナンは興味深いと言わんばかりに高遠を見上げた。
あの時感じた誘拐犯に向ける殺意…あれは決して普通の人間が出せる者ではない。
そう…―――黒の組織のような裏を知っている人間でなければ出せない物である。
だから母の質問はコナンにとって丁度良かった。
半目で睨むように見る有希子に高遠は微かに目を見張ったが、それ以上の反応はなく、表情一つ崩さず答えた。
「私は川口遙と言います…この子とは施設で兄妹のように育ち、お互い別の家族に引き取られたので音信不通でしたが、最近再会しまして…テレビでご存知かと思いますがこの子が困っているようでしたので家に匿っているんです…趣味はマジックを少々嗜んでおりまして…仕事は趣味のマジックを生かしてマジシャンをしています…まあ、専ら海外で活動しているので日本では無名ですが」
この設定は事前に考え彩羽や家の者やキッドに話を通している。
調べられる事を考え、戸籍も用意した。
彩羽と同じ施設育ちにしたのは、兄と呼ばれても違和感がないようになのもそうだが、実はあの施設はすでに潰れているからだ。
元々あの施設は叩けば叩くほど埃が立つほど影ではあくどい事をしてきた施設だった。
表向き手に負えない問題児を引き受ける同業者としては救世主であるが、その実、人身売買を行っていたあくどい業者である。
今どき人身売買と思われるだろうが、日本では珍しいものの治安の悪い国ではそう珍しくはない。
大国アメリかですら子供を攫い人身売買し儲かっている組織があるくらいである。
とは言え、ちゃんと子供を新しい家族に送り出さないと怪しまれてしまうため、施設としての機能はちゃんとしていた。
その中で言い方は悪いが『売れ残った』子供達を施設は人身売買に回していたのだ。
それを聞いて彩羽は全ての運をあの時明智夫婦の目に止まった時に使ってしまったのだと思った。
書類などもずさんすぎて潰れた今でも記録も殆ど残っておらず、残っていたとしても大半は偽りの書類ばかり。
調べても多くの施設の子供達がどの家族に引き渡されたか分からないだろう。
だからこそ高遠はそれを利用した。
勿論ある意味有名人だから変装しているが。
「…ご家族は?勿論その家にはご家族がいらっしゃいますよね?例えばご両親とか妹さんとか姉さんとか…奥さんとか!」
「いいえ…私を引き取ってくださった家族はすでに他界しておりまして…お恥ずかしながらこの年になるまで結婚は一度も…ですが家には三人の使用人がおります…勿論女性の使用人もいますよ」
「でも使用人ですよね?」
「ええ、使用人です…言っておきますがこの子にはご想像のような事など一切していませんよ…肌にふれるどころか肌を見た事がありませんから」
『ね?』と自分に同意を求める兄に彩羽は何度も頷いた。
内心『嘘つき!セクハラしたじゃん!』と叫んだ。
コナンは彩羽の首筋のガーゼを見た後高遠を見る。
なんかあの首筋の傷が気になって仕方ないのだ。
コナンの意味ありげな目線は気づいているが高遠は問われない限りは応える義理はないとコナンに目線を合わす事もしなかった。
ただまだ疑っているのか有希子はジト目で高遠を見つめながら、彩羽を見た。
「ねえ彩羽ちゃん…私と一緒に住まない?」
「「は?」」
また突拍子もない言葉に今度は彩羽とコナンが声を重ねた。
キョトンとさせる二人をよそに有希子は続ける。
「名案だと思うのよねぇ…正直、年頃の少女と若い男性が一つ屋根の下で暮らすなんて世間体が悪いと思わない?」
「私の他にも家政婦と庭師がいますし、私は大半海外にいるんですが」
「あらでも時々は帰ってくるのでしょう?まだ未婚の二人が同じ家に暮らすなんて…彩羽ちゃんの母として見過ごせません!」
(いつから母親になったんだよ!!)
有希子の言っている事も正しいことは正しい。
なんだかいつの間にか彩羽の母親代わりになってしまっており、正直今すぐにでも帰りたいと高遠は心底思う。
コナンも声には出来ないが、高遠と同じくいつの間にか自分の母親が彩羽の母親にもなっており、ツッコミをせざるを得ない。
そのコナンの突っ込みが別の方には通じたのか、高遠が同じツッコミを入れてくれた。
「いつあなたがこの子の母親になったんです?この子の母親は近宮日向ですよ」
「そんなの彩羽ちゃんと再会してからに決まってるでしょう!私決めたわよコナンちゃん!日向ちゃんが彩羽ちゃんと出来なかった事を私が代わりにするわ!!」
「代わりって…何すんだよ…」
「何って…ショッピングでしょう?遊園地や水族館も行きたいわねぇ…あっ海外旅行とかもいいわ!それにお泊まり旅行に、日帰り旅行!彩羽ちゃんの服も沢山選んであげたいし、可愛いもの沢山あげたいわ!あとあと私ね、娘と恋バナするのが夢だったのよ〜!」
コナンに何をしたいのか問われた有希子は一つ一つ指を折って数えて告げる。
親友が娘と出来なかった事を代わりにすると言いながら自分の希望しか言っていない母親にコナンは溜息をつき、高遠は相変わらず表情は変わらないがどこか雰囲気は不機嫌そうだった。
彩羽はどう反応したらいいのか分からない複雑な顔をしており、それを見たコナンは『なんか…ごめん…』と心の中で謝った。
施設で育ったというのだから新しい家族が――という疑問はない。
それはテレビでも何度も彩羽が施設に預けられ新しい家族に引き取られたが、その家族はすでに亡くなっている事を取り上げていたのだ。
そして無神経にもテレビは巴川家の事件をわざわざ掘り下げ特集を組んでいたのだ。
だからテレビを見ていた国民(下手をしたら外国人も)は彩羽の生い立ちも全て知っている。
有希子も勿論知っており、息子は息子で可愛いがやはり娘も欲しかったのもあり想像は膨らんでいく。
そんな有希子に彩羽がおずおずと声をかける。
「あ、あのぉ…」
「なあに?彩羽ちゃん」
「お気持ちは嬉しいんですが…その…私お兄ちゃんと一緒にいたいので…ごめんなさい…」
頭を下げ謝る彩羽の手は兄、高遠の袖を握っていた。
有希子は一緒に暮らさないかと提案したが、答えは何となく分かっていた。
だから『いいのよ』と下げる頭を上げさせた。
「謝らなくていいのよ彩羽ちゃん…私の方こそごめんなさいね…彩羽ちゃんの気持ちを無視して…私、嬉しくって…日向ちゃんが言っていた知り合いの事私何も知らなくて調べても分からなかったしその弁護士さんも教えてくれなかったらずっと探していたの…だから彩羽ちゃんに会えて舞い上がっちゃって…本当、ごめんなさいね…」
突然母の友人が目の前に現れ、彩羽が口を挟む隙もなくトントンと話が進み、彩羽はさぞ戸惑っただろう。
さぞ困っただろう。
有希子は別に彩羽を困らせたくはなかった。
ただ親友が出来なかった事を自分が代わりにし、自分を通して亡き親友が感じてくれればなと思ったのだ。
彩羽を引き取って育てようとしてたのも本気だし、彩羽の母親代わりになろうとしてたのも本気だった。
でも肝心の彩羽を放って決める事ではなかったと有希子は反省した。
頭を下げる有希子に今度は彩羽が頭を上げさせた。
「い、いえ!私も嬉しいです!母の事は全く覚えてなくて…だから母の親友であるあなたに会えて嬉しいです!母の事も聞けて嬉しかったですし……だから…その…一緒に暮らすのは無理ですけど…たまに会ってくれませんか?」
「え?」
「時々会ってお茶して…旅行なんかもして…買い物も付き合ってください!ですから…私の知らない母の事沢山聞かせてください…母が私と出来なかった事を一緒に…―――有希子さん…」
「彩羽ちゃん…っ」
でも、彩羽は有希子の気持ちは嬉しかった。
母の温もりを知らずに育ち、養母からは異常なほどの愛情を向けられ、彩羽は普通の愛情をくれる母という存在に少し憧れていた。
だから有希子の申し出は内心嬉しく感じた。
だが、兄と一緒にいたいというのも嘘ではなく、一緒に暮らす事は無理だが母と娘のように過ごすことは可能である。
彩羽の言葉に有希子は嬉しくてつい抱き着いてしまい、高遠も最初こそ自分と妹間に他人が入る事に不快感を感じたが彩羽の嬉しそうな表情を見てその感情は吹き飛んでいき、仕方ないと言わなばかりに肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「あ、そういえば…」
感動にまとまって終わるはずが、毛利の一言で終わりを告げる。
ポツリと呟かれた毛利の声に全員毛利の方へ目をやる。
「横から失礼しますが…その、巴川さんの従兄の方が―――」
「「(兄さん)(あの男)には黙っていてください(!)」」
『従兄』と聞き、彩羽と高遠の脳裏には同じ人物が浮かんだ。
2人は同時にバン、と机を思いっきり叩き、机に乗り出して毛利に迫った。
2人に落ち着いた印象を持っていた毛利やコナンや蘭は2人の反応に目を丸くさせて驚く。
「へ!?え、えっと…黙っててくれっていうのは…」
「「言葉通りの意味です(!)」」
「は、はひ…了解しまひた…」
迫られた毛利は2人の勢いに押され、引きながらもその形相に何度も頷いた。
コナンも2人の剣幕に『こ、こええ…何があったんだ、一体…』とその従兄…明智を思い浮かべる。
印象は物静かで切れ者。
米花市の警視庁の女性警察でも明智は人気で、工藤時代からキャーキャー女性達が騒いでいたのを思い出す。
しかし2人の反応からして違うのかもしれないと思い始める。
―――同時刻、その従兄はくしゃみをした。
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