(36 / 37) 黒死蝶殺人事件 (36)

蝶が舞い空を彩る光景を少女は何も言わず見上げていた。


「彩羽」


ぼうっとしたように蝶を見上げる様に空を見上げる少女に声をかける人物が現れる。
振り返ればそこには少年が立っていた。
少年と少女は違う学校に通っているのかそれぞれの学校の制服に身を包んでいた。


「…はじめちゃん」


少年…金田一は、少女…彩羽に歩み寄り隣に並んで先ほど彩羽と同じく空を見上げた。
まだ日が高い空は彩羽や金田一の曇った心に対し、晴れ晴れとした青空が広がっていた。
金田一が空を見上げていたので彩羽も金田一の横顔から空へと視線を戻す。
今日は初音、蓮、隼人の葬式だった。
彩羽は初音はともかく、巴川家の跡取りを殺し事件を起こした隼人の葬式はしないつもりだった。
母と共に火葬しそのまま墓に入れるつもりだった。
しかし、巴川家を継いだ千里が初音と隼人は巴川家の籍にいたからと一緒に同等に蓮と一緒に葬式をしてくれた。
事件が事件だから遺体が帰ってきたのは事件が解決した数週間後で、死亡解剖などで傷だらけだったが、それでも巴川家を騒動に巻き込んだ身内としては2人の葬式もあげてくれただけで十分すぎる対応だ。


「隼人の言う通りだった」

「え…?」


2人は会話もなくただ空を見上げていた。
金田一はどのタイミングで彩羽に声をかけようか探っていると、彩羽がポツリと呟き、金田一はその呟きにキョトンとさせる。
彩羽は金田一の反応をよそに空を見上げながら続けた。


「お母さんの部屋から日記が出てきたの…その内容は全部隼人の言う通りだった」


彩羽は葬式前に母の部屋を片付けるために、母の部屋に入っていた。
ウィルが置かれていたベッドサイドテーブルの一番下が鍵がかけられており、鍵を探して開けてみれば、数冊の日記が入っていた。
それを見ればまさに隼人の言う通りの内容が書かれていた。


「お母さんは私を愛していたの…自分のお腹を痛めた子供だって思いこむほどにね…」


彩羽は養子である。
それは戸籍を調べればわかる事だが、初音は彩羽を本当に自分の子供だと思い込むほどに彩羽を愛していた。


「お父さんを見殺しにしたのはさ…私を苦労させないためとか書いてあったんだ…お父さんが死んで貧乏になって私に贅沢をさせれないから別の人を夫にしようって…」


『ふざけてると思わない?』と問われた金田一だが、頷くことも否定することもできなかった。
反応を期待しているのではなく、ただ誰かに聞いてほしかったから金田一が無反応なのは気にせず彩羽は悲し気に笑った。


「この家に嫁いだのもね、私のためって書いてあったんだ…私に贅沢をさせるならこの家じゃなくてもよかったんだよ…前妻の人が亡くなったからお母さんはここに決めたんだって」


母は巴川家に執着しているわけではなかった。
金持ちならどの家でもよかったと書かれていた。
丁度修蔵の前妻が亡くなり、自身の美貌に引っかかったからこの家にしただけだった。
しかし、修蔵は元々彩羽狙いだったのが後の日記に怒りと共に書かれていた。
初音は彩羽が修蔵に性的虐待を受けているとは気づかずにいたらしい。
何らかのきっかけで気づき、そして修蔵を階段から落として殺した。
隼人の言う通りあれは事故ではなく他殺だったのだ。


「隼人を産んだのも、あの子の言う通り巴川を継げるのが男だからだけ…隼人のためじゃなくて、私のために隼人は生まれたの……婚約者を蓮さんのままにしなかったのは完全に私に巴川家を…巴川家の財産や地位を与えるためって書いてあった…」


巴川家が何をしたでもない。
ただ丁度良かっただけだった。
巴川家の血を絶やし、その地位や財産を全て彩羽に与えるために、巴川の血を受け継いでいない隼人は生まれた。
そのためだけに母は加川を誘惑し、好きでもない男の子を産んだのだ。
金田一は想像以上の初音の狂いように言葉さえ浮かばない。
そして、隼人のあの異常さは完全に母親譲りだと思った。


「…そんな愛、いらなかったのに……貧乏でもお母さんと一緒にいられれば…それでよかったのに…お金なんていらなかった…」


父がいればもっと幸せだっただろう。
だが、父が亡くなっても母さえいてくれれば彩羽は幸せだった。
それが例え貧乏になっても、お金がなくたって母と二人で慎ましく暮らせればそれでよかった。
お金が不必要とは言わないが、お金ばかり大事にした結果がこれでは笑えない。


「彩羽…あのさ――」


ポツリと呟かれた彩羽の声はとても寂しそうで泣きそうだった。
悲しそうな横顔に金田一はズキリと胸を痛め、何か声をかけようとした。
しかし…


「ねえはじめちゃん…―――はじめちゃんはさ…後悔してる?」


それを遮るように彩羽が金田一に声をかけた。
その問いに金田一は目を瞬かせ、空から金田一を見る。
金田一はきょとんとしていた。


「え…?」

「この事件の謎を解いたこと…後悔してる?」

「………」


その彩羽の問いに金田一は言葉を失くしたように黙り込んだ。
考えていたのだ。
後悔しているのか、と問われ、自分は後悔しているのかを考える。
友人の弟を追いつめたのは自分だ。
そしてそのせいで高遠に友人の弟を殺させてしまった。
高遠に気付きながらも放置していたのも自分だ。
あの後高遠には逃げられた。
警察は逃走中の殺人犯を再び逃がし、結果石川県警と明智は怒鳴られたらしい。
しかし明智もただでは転ばず、高遠がいるかもしれないという報告を無下にされたと上手く取り成したお陰で石川県警と明智自身も重い処罰は回避した。
そして、この事件で彩羽は二人の大切な人間を失うことになった。
加川に殺され息子に裏切られた初音。
姉への歪んだ愛情故に人をも殺し、そして自分自身も殺害された隼人。
母は仕方ないにせよ、自分が暴かなければ隼人が…最愛の弟が殺人犯だと知らなくて済んだはず。
それも目の前で高遠に殺されなくて済んだはず。
それら全てを後悔しているのかと問われた。
彩羽は真剣な目で金田一を見つめていた。
だから、金田一は誤魔化さず―――


「後悔はしてない」


本音で答えた。
この事件は確かに彩羽の友人として悲しい結果となった。
だけど犯人を突き止めた事には後悔はない。


「後悔はないさ……だけど…俺がもっと強ければ隼人は死ななかったんだろうなって…」


ぽつりと呟かれる金田一はまた空を見上げる。
その横顔は悲し気で、彩羽も釣られたように金田一から空へと視線を移す。


「気にしなくていいって言うのはきっと偽善だと思う…でも……はじめちゃんのせいじゃない…隼人が人を殺すほど異常に育ってしまったのは、私のせい…」


青々とした空は見ていて気持ちがいいが、気持ちが晴れることはない。
追い詰められた時の隼人の言葉がまだ頭に残っていた。
隼人の言う通り母は隼人を愛していなかった。
どんなに母に捨てられても子供がまず一番愛してほしいと思うのは親である。
だから望んでも決して母に向けてもらえない愛情を彩羽を愛すことで代わりに満たしてたのだろう。


「あの子には寂しい想いをさせてしまった……お母さんを憎むあまりあの子を構っているようで私もあの子を放ってしまっていたのよ……あの子は私に懐いて…いいえ…愛してくれていたけど……でも…あの子の我儘は聞いた事がなかったわ…きっと私が離れるのを恐れたのね…私には健悟兄さんがいたけど…あの子には私しかいなかったのに、私はそれさえ気づかなかった…」

「彩羽…」

「―――だからね、私…はじめちゃんには感謝してるの」

「え…?」


自分を責める彩羽に金田一は何か彩羽にかける言葉を探していた。
だけどどんなに探しても結局『彩羽は悪くない』というありきたりの言葉しか思い浮かず、でも言わずにはおけなかった。
だけどそれを狙ってか狙わずか…彩羽がまた金田一の言葉を遮った。
しかし金田一は彩羽に突然お礼を言われ呆気に取られる。
思わず彩羽を見ると、彩羽は金田一を見つめにこっと笑顔を向けていた。


「はじめちゃんのお陰で隼人の本音が聞けたもの…三人も亡くなっているんだからこんな事言っちゃいけないんだけど……この事件とはじめちゃんがいなかったらきっと一生隼人の本音を聞けずにいたと思う…だから、お礼を言わせてね―――ありがとう、はじめちゃん」

「……っ」


彩羽の言葉に金田一はグッと言葉を呑み込んだ。
何か喋ると瞳から涙が零れそうで、言葉を呑み込むことで耐えた。
何とか金田一は笑い返すしか出来なかったが、彩羽も笑みが深まりそれが正しかったと分かった。


「これからどうするんだ?」


彩羽にも笑顔が戻り、ホッとしたのもあるからか、金田一はこれからの事を彩羽に聞く。
彩羽の表情もそれ以上沈むことなく『そうだなぁ』と考えるように空を見上げる。


「籍は巴川のまま外さなくていいって明日香さんが言ってくれたんだ」

「へえ、さすが明日香さん………―――ってあの明日香さんがそれ言ったのか!?」


金田一は明日香ではなく千里が言ったのだと思い込んでいた。
言葉としては明日香ときちんと伝わっていたが、明日香の印象は最悪だったらか余計に思いもしなかったのだろう。
金田一の反応は想像通りなのか彩羽は愉快そうに笑みを浮かべながら『そう、明日香さん』と答える。


「明日香さんね、私への態度を反省したんだって」

「あの人が反省ねぇ…」

「明日香さんはただ八つ当たりしてたんだって…舞踊も私の方が上手いらしくてさ…それで嫉妬もあったんだって……でも、あの時私がお母さんの復讐への気持ちや、お義父さんからの性的虐待を聞いて自分が子供だった事に気付いたんだって……あの事件の後、明日香さんがさ…謝りに来てくれたんだ…ごめんなさい、って…私、びっくりしちゃった…明日香さんは私の事嫌っているって思ってたから」


彩羽の顔を見ると笑顔を浮かべており、嘘をついているようには見えなかった。
彩羽は母と義父への復讐に夢中で周りからの嫌がらせに感けている暇はなかった。
あの彩羽の母と義父に対しての告白を聞いて明日香も使用人たちも自分達はただ彩羽に対して八つ当たりをしていただけだと気づいたのだ。
それから彼らの彩羽に対しての態度が和らいだ。
彩羽は正直謝られても動じる事はなかった。
憎しみには母と義父への感情の方が強かったため、明日香や使用人たちの態度は気にする程度ではなかった。
驚きはあったが、謝られても『そう』としか思えなかった。


「健悟兄さんもね、兄さんの養子として籍を移してもいいって言ってくれたの」

「……ということは…明智さんと…」

「義理の親子になるのかな…もしかしたら兄妹かもしれないけど…」

「…………」


金田一は彩羽の言葉に複雑そうな顔を見せる。
明智の彩羽への想いを聞いて知っているから、明智がどんな想いで彩羽にそう告げたのか想像できない。
明智は彩羽を愛している。
心から、一人の女性として。
でも彩羽を養子として受け入れるということは、下手をすれば彩羽からは一生身内にしか見られない可能性が大きい。
だが、明智はそうだとしても彩羽を手元から放したくなかったのだろう。
同じ男として好いた女性の傍にいたいと思う気持ちは理解できるが、傍にいながらも告白もできず他の男に好いた女を取られる覚悟をしている明智の気持ちは理解できない。


「どっちの籍に入るかはまだ決めてないけど……でも…多分明日香さんの言葉に甘えることになるかもしれない」


両者は『ゆっくり決めるといい』、と言ってくれたが、そう長い間は待たせられない。
それに彩羽は明智と明日香に言われた時にすでに決めていた。


「東京には戻らないつもりなのか?」


金田一の言葉に彩羽は首を振った。


「巴川家の籍には入らせてもらうけど、東京に戻るつもりだよ…健悟兄さんが一緒に住まないかって言ってくれたから」


籍は巴川だが、住居は東京に移る事にしたらしい。
それを聞いて以前より会う機会が増えるなと嬉しく思ったが、住む場所を聞いて金田一は目を瞬かせる。
彩羽は明智を兄として慕っており、金田一達も東京にいるから、ここにいるよりは精神的にも安定するだろう。
明日香達巴川家も、住居も好きにしていいと言っていたから、住居を東京に移しても問題ないはず。
金田一も彩羽の精神状態を考えれば明智が傍にいた方がいいと思えるが……明智の心情を想うと素直に賛成が出来ない。


(彩羽はやっぱり明智さんの事頼れる兄だとしか思っていないのだろうか…)


彩羽の顔を盗み見ても彩羽が明智に対してどんな感情を抱いているのか分からない。
ただ嫌悪はないのでそれが恋慕か兄への親愛かは読めない。


「あの、さ…彩羽…」


第三者が二人の問題に首を突っ込むことが正解かは金田一も分からない。
だけど、見てられないのも確かだ。
金田一は人の恋路に首を突っ込む趣味はない。
だが、彼の脳裏には一人の男が浮かぶ。
その男こそ、彩羽の最愛の弟を殺害した人物――高遠遙一。
最後の最後で逃げられたが、彼と過ごした中で彩羽に向けられたあの視線は偽りではないと金田一は思っている。
高遠は彩羽に好意を持っている。
それは鈍い金田一にも分かるほどだ。
だから余計に彩羽の気持ちが聞きたくなった。
しかし…


「はじめちゃん!彩羽ちゃん!ここにいたんだ!」

「美雪…」


美雪が現れ金田一は問おうとした言葉を呑み込んだ。
そんな金田一に気付かない彩羽は美雪の声に振り返る。
金田一も同じく振り返れば美雪だけではなくフミ、いつき…そして明智もこちらに歩み寄っていた。


「もう、探してたんだよ二人とも!」

「探してたって…何かあったのか?」

「そうじゃなくって…千里さんがお茶を淹れてくれるから私達もどうかって誘ってくれたの」


美雪達は千里がお茶を淹れてくれるというので彩羽と金田一を探していたらしい。
あの事件以来、千里や明日香、巴川家の雰囲気は良くなった気がした。
何かが吹っ切れたというべきか。
隼人を入れて4人もの犠牲者を出してしまったため素直には喜べないが、金田一はこれはこれで良かったのかもしれないと、明智と話している彩羽の笑顔を見てそう思った。


【完】
あとがき→

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