(35 / 37) 黒死蝶殺人事件 (35)

金田一の言葉の中にあったその名に、高遠と明智以外の誰もが驚きを通りこし唖然とさせその場は静まり返っていた。


「ま…待ってよはじめちゃん!!隼人が犯人って…お母さんは隼人を産んだ母親なのよ!?それにそんな…蝶がばたついたぐらいで隼人を殺人犯だなんて……」


隼人が名を呼ばれビクリと肩を揺らして姉に縋る様に彩羽の服を握りしめた。
それに気づいた彩羽が隼人を庇うように抱きしめ守ったが、金田一は神妙な顔つきで彩羽と隼人を見つめていた。


「…以前…美雪が初音さんの遺体発見現場にいた『見たこともないような蝶』の事を知りたがったてた時…加川が『コノハチョウ』という和名じゃなく『カリマイナチウス』という学名を教えた事、覚えてるか?」

「ええ…でもそれは加川先生がコノハチョウだと気づかれたくなくてわざと学名を言っただけでしょ!?隼人が犯人だという証拠にはならないわ!」

「…思い出してくれよ彩羽…加川が学名だけではなくコノハチョウの説明をしていた時…誰がその話を止めた?」

「…!」


加川がわざと学名で教えたのは、コノハチョウという名を隠したかったからだ。
コノハチョウと教えると先ほどのトリックが気づかれるから慌てて学名を言ったのだろう。
だが加川は焦ったのか要らない事まで話そうとした。
ペラペラと喋る加川から情報が漏れないよう…あの時隼人が話を強引に遮ったのだ。
あの手の震えは隼人の怒りを恐れてのものだった。
彩羽もその場面にいたため、覚えており、しかしまだ弟が犯人だと思いたくない彩羽は弟が犯人ではない証拠を思い出そうとするも、中々見つからない。


「そ、そもそも…なぜ隼人が実の母を殺さなきゃいけないの!?」

「初音さんを殺したのは隼人じゃない…加川が初音さんを殺害し…そしてあのトリックを思いついたのは隼人なんだ…隼人は蓮さんを加川と協力して殺害し、そしてその罪を加川に全てかぶせるつもりだったんだ」

「ッ――だとしても…!だとしてもよ!!どうして母を殺した人に隼人が協力して助けなきゃいけないの!!どうして蓮さんを殺さなきゃいけなかったの!?」


隼人は7歳。
誰も隼人を疑うことはなかった。
子供が殺人を犯す可能性がゼロではないこの世の中ではあるが、その疑いはほとんど大人に向けられる。
疑われている間、姉が弁解しようとしている間、隼人は怯えるよう体を震わせ姉に抱き着き顔を埋めていた。
金田一は弟を守る彩羽にあるものを取り出し見せた。


「それ、は…」


その金田一の手の中にあるものを見て彩羽は言葉を失い、唖然とした。
金田一の手の中にある物…それは―――


「花のネックレス?」

「!――そのネックレスって…」


花のネックレスだった。
美雪は金田一の手の中にあるネックレスを見てハッとさせた。
美雪だけではなく、いつき、フミ、明智、高遠も同じく気づく。
ハッとさせ気づく彼らに金田一は頷き、青い顔の彩羽を見る。


「これは蓮さんの死体が見つかった近くに落ちていたんだ……なあ、彩羽…このネックレスが何なのか…お前なら分かるよな」

「……それは…私の誕生日に隼人が贈ってくれたネックレス…」

「そう…そしてこのネックレスを持っているのは彩羽と…―――隼人だけしかいないんだ」

「…………」


金田一の言葉に彩羽はもう弁解する言葉さえ見つからなかった。
この場所にいる全員の中で、このネックレスを所有しているのは彩羽と…そしてそれを贈ってくれた隼人しかいない。
何を言われるか分からないからと隼人は内緒にしてようと、秘密事を楽しんでいたからこの屋敷の人達は彩羽と隼人がお揃いのネックレスをしているなど知らない。
誰もが黙り込む中、明日香が金田一に異論を唱えた。


「ちょっと待って…それを持っているのが二人だけなら…彩羽さんが犯人かもしれないってことでしょ?」

「ちょっと明日香!」

「何よ…悪いけど意地悪で言ってるんじゃないわよ…正論を言ってるだけじゃない」


彩羽を犯人だという明日香に千里が注意するように名を呼ぶ。
確かに明日香は正論を言っているが、日ごろの行いが行いなため、正論を言っているようには聞こえない。
しかし明日香の言葉に金田一は『それはない』と断言し、彩羽を見た。


「見せてくれ、彩羽…」


金田一の言葉に彩羽は黙って服の中に隠していた――ネックレスを金田一達に見せるよう取り出した。
それは今金田一が持っているネックレスと同じ形をしていた。


「ここに来る前に明智さんに彩羽にはお揃いのネックレスを付けてくるようにと頼んでいたんだ」

「………」


二つのネックレスの内、一つは彩羽が首から下げ、そしてもう一つは金田一が現場で拾った。
たったそれだけだが、全員が隼人を信じられないような目で見た。
その目線を受けながら黙り込み姉に顔を埋めていた隼人だったが…


「あーあ…バレちゃったか…」


静まり返る中、その静けさを破ったのは隼人だった。
隼人はくつくつと笑い声を零し、まるで悪戯が見つかった子供ように軽い口調を零す。


「隼人……どういうこと、なの……あなたが蓮さんと加川先生を殺したの…?」

「うん、そうだよ姉様」

「…っ!」


彩羽は隼人の様子に唖然としながら問うと隼人はニッと笑って姉を見上げて頷いた。
頷く弟の笑みがあまりにも場違いで罪悪感もなくただ楽し気に笑っていたたいめゾッとさせ、離れようとした。
しかし隼人は子供の力とは思えないほどグッと強く彩羽の服を握っており彩羽は隼人からは離れる事はできなかった。


「どうして…母さんを…殺した相手の手助けを…したの…」


喉がからからに乾いていた。
ショックだったのだ。
隼人を可愛い弟だと本当に思っていたから…
そんな弟が母を殺した人間の手助けをしていたというのがショックだった。
もしかしたら脅されて手伝わされたのかと淡い期待をしていたが…それをコテンと小首をかしげる隼人の言葉によって一瞬に散ってしまう。


「だって丁度いいかなって思って」


その言葉は何の感情もなかった。
ただ淡々とした声だった。
しかし隼人はまるで拗ねる様に唇を尖らせてみせる。


「僕だってさ、まだ時期じゃないって思ってたんだよ?あいつがあんな事くらいで母様と揉み合って殺さなきゃこんなに大勢のいる時にこんな事思いつかなかった」

「あんな事って…あんた知ってる口ぶりね」


明日香は目の前にいるのがあの異母弟だとは信じられなかった。
明日香から見た隼人は頭がよくて大人しく静かでこうして拗ねる素振りさえ見せない子供らしくない子供だった。
だが、目の前の隼人は拗ねたり笑顔を浮かべたりとまさに子供だった。
…そう、子供なのだ。
明日香の言葉に隼人は明日香へ顔を向け『ね、知ってる?』と問いかける。


「僕ね、あなた達とは血が繋がってないんだよ」

「……は…?」


隼人の言葉に全員が呆気に取られる。
ぽかんと呆ける大人たちをよそに隼人は続けた。


「僕の父様はね、あなた達の父様とは違うんだよ…ね、僕の父様は誰だと思う?」

「…まさか」

「そう!僕の父様は加川なんだ!」


『すごいでしょ!』と言わんばかりに答える隼人に誰もが唖然とし、耳を疑った。
異母弟と思っていた隼人は、実は半分どころか全く血が繋がらない他人だと知った明日香と千里は誰よりも言葉を失っていた。
しかし二人だけではなく、彩羽もまた同じく言葉を失うようなショックを受けていた。


「母様はね、この家を自分の物にするつもりだったんだ…だから邪魔なあなた達の父様を殺して、遺言書にも細工して僕を継がせた…僕はまだ子供だから後見人を母様にして、時期を見てあいつと結婚して巴川家を乗っ取るつもりだったんだって」

「お父様を殺して…ですって…!?」

「お父様は事故死のはずじゃ…」


巴川修蔵。
彼は死んだ。
彼は階段で足を踏み外し転げ落ちて首の骨を折って死んだ。
そう警察から届け出があった。
それを信じていた明日香達修蔵の娘たちの驚きの言葉に隼人はクスクスと可笑しそうに笑った。


「違うよ!あれは母様が殺したんだ!階段を降りようとしたあれを母様が後ろから突き飛ばしたんだよ!」


『すごいよね!人間ってなんなに簡単に死ぬんだよ!』と興奮し大喜びする子供のようにはしゃぐ隼人の言葉に明日香と千里は罵倒や怒りを向けようとするが、グッと言葉を呑み込み、我慢する。
相手は子供。
しかも自身の母親を殺されても動じないどころか分かっているのかさえ分からない異常者な殺人犯である。
いくら子供でも何をされるか分からない恐怖があった。


「あいつは母様の夫になれると思ってたけど…でもね、母様は一切そんな気なかったんだ…巴川家の実権を丸々僕に継がせる気だったんだ…あいつは捨てられるはずだったんだよ…あの夜、捨てられていたんだよあいつ…」


母は元からこの家を乗っ取る気だった。
利用できる物は利用し、その為なら好いてもいない相手と夜を共にし、好いてもいない相手の子供を産み、義父の子供だと偽って育てた。
元々加川は捨て駒だったのだ。
そして彩羽と口論をした後、加川がやってきて彩羽と口論していた興奮についぽろっと本音が出てしまったのだ。
隼人が家を継いだら結婚するという約束を破られ、加川はカッとなって衝動的に初音を殺した。
しかしそれを隼人に見つかったのだ。


「最初あいつは僕も殺そうとしたんだ…まあ母様を殺したのを僕に見られたんだから当然だよね…でもさ、あいつ…僕が『父様』って言ったら手を止めたんだ…面白いよね!たった一言言っただけで殺そうとした子供を殺せなくなるんだもん!」


ケラケラと笑うその声に罪悪感はない。
そのたった一言も、恐らく分かっていて言ったのだろう。
隼人は大人達がどんな言葉を言えばどう動くか分かっていた。
母から隼人の父が加川だと聞かされているだろうと予想して答えたその一言はまさに当たっていた。


「あいつは『僕が父様を守ってあげるからね』って言えばコロッと落ちたよ!」


自分の子供は特別である。
どんなに子供嫌いでも、生まれた自身の血を引く子供は特別に可愛いという。
加川も例外ではなかった。
曲がりなりにも愛した女との子供を事情があるにせよ父として接する事ができない辛さもあったのだろう。
隼人を息子として見てしまった瞬間から、加川はもう隼人の操り人形となり蓮を言う通りに殺し、そして―――自身も息子に罪を被せられ殺された。


「蓮は……どうして…蓮を殺さなきゃいけなかったの?」

「―――蓮さんが彩羽に恋心を抱いていたからだろう?」

「…!」


初音が殺された理由は分かった。
だが、蓮…明日香と千里の弟はなぜ殺されなきゃいけなかったのか…それが分からなかった。
蓮は隼人に対しても優しく兄のように接していたのだ。
明日香のように辛く当たる事もなく、千里のように触れずにいることもなく…年の離れた弟を可愛がっていた。
そもそも蓮は人として少し気弱ではあるが優しくともて人に恨みを買うような人間ではない。
そんな蓮が殺される理由は見当たらない。
隼人は千里と明日香の問いにパチパチと瞬きをした。
その顔はなぜそんな事を聞くのかと思っているような顔だった。
答えてくれたのは分からない明日香が理解できないと言わんばかりの隼人が答えたのではなく…ずっと黙り込んでいた金田一だった。
彩羽は金田一の言葉にビクリと肩を揺らした。


「君は心から彩羽を愛していた…彩羽を姉ではなく一人の女性としてね……だから蓮さんが彩羽の婚約者となったのが…彩羽に恋心を抱いているのが許せなかったんだろう?」

「わあ、すごいや!お兄さんって推理だけじゃなくって人の心も読めるんだね!――――お前みたいな奴が一番嫌いだな、僕」


あれほど子供っぽさを見せていた隼人はすっと感情を失くしたように表情を消した。
金田一を見上げるその目は殺意に満ちており、子供のする表情ではない。
だが金田一は気づいていたのか、その隼人の表情も殺意も覚える事も怒りも覚えずただただ見つめ返す。


「そうさ…僕は姉様を愛している!姉様に汚らしい手で触れる奴らは全員僕が殺して姉様を守るんだ!」

「人を殺しても彩羽は君には振り返らない…君が本当に彩羽を想っているのなら殺人は犯すべきではなかった」


明智は血が繋がらないとはいえ身内から犯罪者が出た事に動揺はなかった。
金田一が確認のため、隼人のネックレスを見せた時から明智は覚悟を決めていた。
元々隼人と折り合いが悪かったというのもあるが、今は彩羽の安全を最優先にしたい。
だが彩羽は項垂れるように俯き、隼人も姉の服を握りしめており、彩羽を奪うタイミングは中々こない。
更には高遠も傍におり、高遠は隼人を殺さないかという注意も必要だった。
明智の言葉に隼人はカッとなりギロリと明智を睨む。


「煩い!本当はお前を一番に殺したかったんだ!お前は姉様の従兄だってだけで姉様から無条件に愛されて…頼られて!!母様に縁を切られたくせにうざいんだよお前!」


隼人が一番嫌いな人間は、明智だった。
明智は自分が生まれる前から彩羽を独占し、母が別の男と結婚し縁が切れても彩羽のためだと建前で彩羽を独り占めするこの男が心底嫌いだった。
だから殺すのは最後にしようと思っていたのだ。
金田一に暴かれて計画が無駄になってしまったが、それでも明智に対しての憎悪は消えない。
明智もこれ以上挑発すれば彩羽が危ないと思い、何も言わなかった。
元々隼人は彩羽の弟としか見ていなかったし親しくもないため嫌いだとかうざいとか言われても腹立たしさはない。
睨み合う二人の耳にくつくつとした笑い声が聞こえ、明智と隼人だけではなくその声の主へ全員が目を移した。
そこには英二…高遠がいた。


「失礼、まるで子供が地団駄踏んでいるようだと思いまして……ああ、すみません…子供でしたね」


まるで挑発しているようだった。
否、挑発しているのだろう。
そして本音でもあるのだろう。
金田一から見ても隼人の明智に向ける感情は子供そのものだ。
姉に懐かれているのが気に入らない弟そのものだ。
しかし、子供とはいえ隼人は人を殺しても平然としていられる異常人格者である。
あまり挑発するのは避けたい。
高遠に『高遠!あまり隼人を挑発するな!』と金田一は思わず叫びそうになるが、隼人が言い返そうとした時、彩羽がポツリと『どうして』と囁いだ


「どうして…隼人はお母さんが殺されたって知って平然といられるの…?お母さんはあなたを愛していたのにどうして殺した人の手助けができるの……どうして…私に恋をしたってだけで蓮さんを殺せるの……どうして…お父さんのはずの加川先生を殺せるの…どうして……どうして…そこまで…私を…」


彩羽は母を殺す事も考えたから人の事は言えない。
だけど、母は隼人を可愛がっているように見えた。
虐待なども受けているようには見えず、なぜ、自身を愛してくれていたはずの母を殺されても平然としていられるのか。
その上母を殺した相手に手を貸すような事が出来たのか…彩羽には理解ができなかった。
隼人は項垂れる姉を無表情で見つめ、無感情の声で答える。


「母様が僕を愛してる?そんなわけないよ…―――母様は僕を愛してなんかいない」


彩羽は目を見張り顔を上げて隼人を見た。
隼人は無表情で感情が読めないが、本当に何も思っていないように見えて彩羽は弟の言葉を信じられずにいる。
『なぜ』という声のない姉の問いに隼人は淡々と続けた。


「母様にとって僕はただの"道具"だったんだよ…この家を継ぐためだけの物だ…だから僕を産んだんだ…それだけ…僕は巴川家の当主になるためだけに生まれたんだよ」


信じられなかった。
彩羽は母が『弟が出来るのよ』と嬉しそうにしていたのをまだ覚えている。
名前は何にしましょうか、と義父と楽しそうにしていたのも覚えている。
隼人の服も笑顔で選んでいたのも覚えている。
産んだ時だって愛おしそうに隼人を見ていた。
その時ばかりは憎しみの心もなく、母と娘に戻れたのだ。


「そんなわけないわ…お母さんはあなたを心から愛していたの…あなたがお腹の中にいた時もお母さんは私に嬉しそうにあなたが蹴った事を報告してくれたのよ…あなたが生まれる前もお母さんは楽しそうにベビーベッドやオモチャや服を用意していたの…だから…」


――あなたはお母さんに愛されてないなんてことないの、と続けようとした。
しかし、それを遮る様に隼人が笑い声を上げた。
弟が突然笑い声を上げ、彩羽だけではなくその場にいた全員がキョトンと呆ける。


「ほんと、姉様って本当に母様が育てたのかってくらい純粋だよね……母様が僕に愛情を向けてないのは間違いでもないよ」

「何を言ってるの!お母さんは…」

「母様の愛情は全て姉様に注がれてるんだよ」


彩羽は言葉を失う。
母の愛が自分に向けられているとは思えなかった。
母から感じるのは自分を思い通りに動かそうとする感情のみで、そこに愛情は一切感じられなかった。
だから弟を信じきれずにいる。
そんな姉をよそに隼人はぎゅっと彩羽の手を握り笑みを浮かべる。


「僕ね、この世界が大っ嫌いだったんだ…母様が僕を愛してくれないって気づいてからは全てが敵に見えたんだ…でもね、姉様だけが僕を愛してくれてるって気づいてからはこの世界も悪くはないかなって思えるようになったんだ…姉様だけなんだ…僕を愛してくれるのは…だから姉様も僕だけを見て?僕だけを愛して?」


ぎゅ、と握る隼人の手を彩羽は振り払える。
隼人はまだ子供だから少女の彩羽でも払うことは出来た。
しかしそれをしてはいけない気がして彩羽は動けなかった。
隼人の目がそれを許さなかったのだ。
子供らしく笑っているが、その目は曇っており光りを宿していない。
いつも見る可愛らしい弟とは打って変わって恐ろしげだった。
彩羽は受け入れず、首を振って拒んだ。


「隼人…ごめんね…気づいてやれなくて、ごめんなさい…でも…私はあなたを愛することはできないの…いいえ…弟としての愛情はあるわ…でも…ごめんなさい…私はあなたを一人の男性としては見れない…」

「どうして?だって僕と姉様は血が繋がってないんだよ?結婚だってできるのに…何が駄目なの?」

「隼人……私は弟としてはあなたを一番…いいえ、世界一好きよ…あなたは私の可愛い弟だもの…嫌いにはなれない…でもね、あなたが私と結婚できる年になっても…私はあなたを異性としてではなく、弟としてしか見れないの…何が駄目だとか、どうしてとか…そんなんじゃなくて…私にとってあなたは"弟"なのよ…」


受け入れることは簡単だろう。
だがそれが隼人のためにはならないと彩羽は隼人を拒んだ。
ただ、きょとんとする隼人に彩羽はどう説明したらいいのか分からなかった。
隼人は賢くて『結婚』の意味も『彩羽への愛情』がどんな部類の愛情なのかは理解しているのだろう。
だが、『彩羽が自分に向ける愛情』が全く理解ができなかった。
けれど姉に拒まれたことは理解した。


「隼人…罪を償ってまた一から私と家族になりましょう…私待ってるから…だから、罪を償って、またやり直そう」


俯く弟の手を優しく握りしめて、言い聞かすように優しく言った。
まだ隼人は7歳だから刑事裁判にはかけられず、児童自立支援施設に入所することになるだろう。
だが起こした事件が事件。
そして隼人の残忍で冷酷な行動にもしかしたら死刑になる可能性だってある。
未成年でもその事件の残忍さに死刑になった少年もいるのを思い出し、弟の異常さも相まって死刑になる可能性はゼロではない。
しかし反省し罪を償う気があるのなら、きっと更生できると死刑は免れるかもしれない。
何年かかろうが、また弟と共に家族としてやり直せるなら彩羽はいくらでも待つ気だった。


「姉様は僕を愛してくれないの」

「弟としてなら誰よりもあなたを愛している…でも異性としては見れないの」

「…でも姉様は僕の事好きなんだよね…愛しているんだよね」


姉が自分を異性として愛してくれないのは分かった。
理由は未だ理解できないが、姉はもう手に入らないのだと理解した。
だけど、姉は弟としてなら誰よりも好きだと言ってくれた。
その言葉に少しだけ救われた気がした。
だから隼人は嬉しそうに笑みを浮かべ…



「じゃあ―――…一緒に死んで」



―――素早い動きで隠し持っていたバタフライナイフの刃を彩羽に向けて振り下ろそうとした。



「彩羽!!!」



彩羽は目の前の光景がゆっくりとスローモーションに見えた。
弟が笑顔を浮かべてナイフを自分に向けて振り降ろそうとしているのも、弟越しに見える明智の焦った表情とこちらに駆けこんでくる姿。
そして美雪やフミ達の悲鳴と、男性陣の焦りの声、金田一が名前を呼ぶ声……そして―――


「やれやれ…大人ぶってますが結局は子供ですね」


聞き慣れない声が耳元で聞こえた。


一瞬の出来事だった。


一瞬だったのだ。
弟が自分を殺そうとしていたのも
明智がこちらに駆けよってきている姿を見たのも
美雪や金田一の焦った声や悲鳴を聞いたのも

そして後ろから肩を抱かれたと思えば、"何か"が目を覆ったのも


―――そして、暗闇に包まれる瞬間、弟の首元から血が噴き出たのも


一瞬だった。


彩羽は、ひゅ、と喉が鳴る。


「ぁ…―――っ」


彩羽は目を塞がれながらも顔や体に生暖かい液体がこびり付いているのが分かった。
悲鳴を上げそうになったが、なぜか声帯が機能しないように声が出なかった。
目を覆う"ソレ"を払おうと"ソレ"に手を伸ばすと、"ソレ"は柔らかく暖かかった。


「……っ」


"ソレ"は手だった。
声からして英二の手なのだろう。
あの大きく綺麗な手で彩羽の目を覆っているのだろう。
それはなぜなのか。
それはその必要があるから。
彩羽の目の前には弟が死体となって転がっていたからだ。


「高遠ーーッ!!」

「そんなに怒鳴らないでください、金田一君…この子が怯えてしまいますよ」


『あと、動かないでくださいね』と彩羽は何かが破けた音が聞こえ、そして首筋に冷たい何かが押し付けられた気がした。
それと同時に悲鳴や金田一たちの声がピタリと止み、動く気配も止まった。


「高遠遙一…!彩羽を放しなさい!!」

「それは困ります…放したら捕まりますし」

「当然だ!!大体大人しくしていると言ったのはあんただ!!なぜ隼人を殺す必要があった!」


猪川が部下達に指示を出している声が聞こえる。
流石警部というところか…逃亡中の殺人犯にすぐさま我に返り部下にすかさず指示を出し高遠を包囲したのだろう。
先ほどの破けた音は高遠がマスクを剥ぎ取った音で、露わになる高遠の顔に猪川も我に返ったのだろう。
金田一の怒りの声が聞こえた。
彩羽はそれでもまだ呆然としていた。
弟が殺されたと金田一の言葉で頭で理解はしたが、まだ信じられなかった。
高遠は彩羽の首に血に染まったナイフを当てながらクツクツと笑う。


「殺す必要?ありますよ…あの子供はよりにもよってこの子を殺そうとした…私の手ではなく…他人の手で傷をつけられるのは心底不快だ」

「ふざけるな!それだけのために人を殺すなど許されると思ってるのか…!!」


猪川も怒鳴り声を上げる。
彩羽は視界が塞がっているからか、それを補うためか一時的にそれ以外が優れ、高遠が笑みを深める気配を感じる。


「私が付けた傷ならば愛おしい存在ですが…私以外が付けた傷など不愉快そのものだ…」

「彩羽は君の物ではありません!彩羽の身体は彩羽の物です!!勝手な事を言わないでください!!」


明智の怒りを表す声も聞こえた。
ただ違っていたのは高遠の気配。
明智とは気が合わないのか苛立った気配を彩羽は感じナイフが首から離れるのも感じた。
ひゅ、と風を切り高遠は明智へ向ける。


「その物言い…まるでこの子の全てを知っているかのようだ……実に不快ですね…」


彩羽は目が見えないから分からないが、恐らく従兄にナイフを向けているのだろう。
相手はマジシャンの腕は本物であり、それを利用した殺人もまた得意な殺人犯。
下手には動けないのだろう。
周りが息を呑むだけを感じ、彩羽は一言、言った。



「やめて…"――――"」



その声はとても小さく、囁くようだった。
その小さな声は金田一や明智達には聞こえなかったが、高遠には聞こえた。
明智を睨んでいた高遠はその囁きを聞き、目を見張り呆気に取られた表情を浮かべ、静かに明智から目を覆っている彩羽へ目線を移した。
呆気に取られるような高遠の表情があっという間に変わるのを金田一は見た。


「ああ…やっと…やっと帰ってきてくれたんだね……―――――おかえり…僕の"―――"」


高遠はそう呟き、彩羽の血で染まっている頬に唇を落とした。
金田一の耳にはその呟きはまるで感激したように…泣き出しそうな声に聞こえた。

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