私の兄、スモーカー中将はなかなか気難しい男に見えて、その実単純な男だった。
「スモーカーくんって確かに単純っていうか、単調っていうか」
「単細胞とは言わないでくださいね、それ、ヒナさんが言ったとしても普通に悪口ですからね」
「分かっているわ」
そう言いながら彼女はカフェラテを混ぜてため息をついた。ヒナ憂鬱、とそんなところだろうか。
ヒナさんは兄の幼馴染といういうには近すぎて、恋人というには質が違いすぎて、ただそう、二人の言葉を借りるなら腐れ縁なのだ。お互いのことをよく知っているし信頼しているし、そして押し付けられた後始末の愚痴を妹である私を介して伝え合う。
今日は兄が何か心配で裏で海軍の秘密を探っているようだが、ヒナさんに仕事を振ってくる割に報連相が出来ていないという愚痴を聞かされていた。
「彼って考えているようで、そうでもなかったり。考えすぎて動けなくなって、自分で鎖を噛みちぎったりするでしょう」
「ええ」
「そういうところよって思うの。ほんっとうにどうしようもないっていうか、無鉄砲っていうか、真っ直ぐっていうか。……でもねリオちゃん」
はい、と突然名前を呼ばれたことに首を傾げれば、彼女はにっこり笑ってこう伝えた。
「彼って結構、無理しているわよ」
そうですね、と息を呑んだ。兄にとって、私はどこまでも可愛くて守り通すべき存在なのだ。
たとえそれが「ゴウゴウの実」の能力者で、海軍中将になろうとも。
それは午後の昼下がりにヒナさんが飲んでいたカフェラテのように、甘さとほろ苦さ、両方を備えたものとして私の身に重くのしかかった。
私は兄に拾われた助けられた身だ。
元々は魚人島、海の森でのんびり暮らしていたところを運悪く人攫いに捕まり、そこから逃げたい生き延びたいという一心から悪魔の実を食べて、能力者になった。
能力のおかげで幸いにも生き延びた私は、運良くゾロさんに助けられ、海軍を通じて腹違いの兄に引き合わせてもらえた。
『私、お兄ちゃんの役に立てるようになりたいの。人魚だからっていつまでもお兄ちゃんに守られているのは嫌。強くなって、お兄ちゃんが私を心配しなくていいくらい立派な海兵になるの! なんて、どうかな?』
『あのなあリオ、別におれはお前を海兵にするために引き取ったわけじゃねェんだ。それに、ガキなんて何も考えずに泥んこまみれになって遊んでりゃいいんだよ。また砂とスコップでも運んでこようか?』
兄はそう言いながら、暗に「外に出す気はない」と告げた。私の安全性を……正確にはこのローグタウンの治安を考えれば当然のことだ。
ローグタウンは
偉大なる航路への切符を求めたならず者たちが集うこの街で、「世にも珍しい若い人魚を外に出す危険性」を兄は重々理解していた。
過保護なくらい優しくて、ただその優しさが分かりづらい兄。
私の「ゴウゴウの実」が何か恐ろしいものではないのかと睨んでいた“勘”の鋭さといい、聡くて強い兄。
そして、そんな兄の元から迷惑をかけたくなくて、恩人であるゾロさんを探したくて出て行くことにした私。海兵になって解決するという漠然とした目標だけを抱えていたのは、無鉄砲で幼くて愚かだった。しかし、その選択がなければ私はずっと屋根裏部屋で兄にだけ微笑みかける「人魚」でしかなかったのだ。
飛び出した道だけれど、今は「運命」だと思えた。
振り返ってみれば、ローグタウンでの日々は確実に平穏ではなかった。いつも銃声と罵声と悲鳴が飛び交い、兄は怯えるだけの人々にできるだけ手を伸ばしながら、人魚のヒレをロングスカートで隠した私を担ぎ上げて逃げ続けた。
“殺伐とした”という言葉が大袈裟ではないほど、私たちが生きている隣には犯罪が溢れていた。
『何も気にするな。お前はおれの妹で、大切な家族だ。俺は当たり前のことしかしてねェよ』
兄の言葉にずっと甘えていられるほど、私は愚かでも賢くもなかった。
「ゾロさん、聞きたいことがあるんですけど」
「なんだァ?」
ゾロさんはウェイトトレーニングを続けながら、私の言葉に反応した。サニー号の展望室でゾロさんのトレーニングをじっと見て応援しているのは私にとっても彼にとっても取るにたらない日常の一コマだ。ウソップさんが初めてこの様子を見たときは「ずっと見てて暇じゃない??」と聞かれたし、ゾロさんも不思議そうに眉をひそめていたが「それが私にとって最高に最高な日々なので」と熱く語っているうちに放置されるようになった。
「私、いつまでもお兄ちゃんに心配される運命なんでしょうか? 私はお兄ちゃんの力に……なれないのでしょうか」
「フッ」
鼻で笑われてしまったが、ゾロさんにも心当たりがあったらしい。
初めて私が海軍を辞め一味に入った時に、真っ先に「家に帰ってこい!!」とたしぎさんと少数の部下だけで船に乗り込んできた兄だ。それから何度説得を重ねても「麦わらを捕まえる理由が増えただけだ」と話し、妹を捕まえてインペルダウンにでも引き渡すつもりかと問われれば深く眉間に皺を寄せて「んな事ァ知らん」と言ってのけた。
行く先々で出会うたびに「帰ってこい」と私の頭を撫でる兄を、ゾロさんは毎度なんとも言えない顔で見ていたし、ルフィさんは「いいんじゃねぇの、ほっとけば」とぼやくだけだった。
兄に守られるだけの存在が嫌で、海兵に……海に出たという話は一味の皆様に話していたが、私はいつまでも弱いわけではないのだ。それが少しだけ不満だった。
「いいんじゃねェの? ルフィも言ってたじゃねえか。ほっとけって」
「うう、でも」
「……お前はあいつにとって“妹”なんだよ。おれにとってルフィが“船長”なのと同じようにな。だから弱いだとか強いだとかあんまり関係ねェんだよ。……お前が女であることや半人魚なことと同じ様に変えようがないことだ」
「…………はい」
「だからほっとけ」
ヒナさんと話していた時の不安が嘘のように氷解していく。目の前がひらけてくる。
私にとってゾロさんの言葉は心に溜まる「ログ」であり、道を指し示す「指針」になっていく。自分だけでは整理できなかった海図でも、この人が指を指し示すだけでどうすればいいのかが見えてくる。
「それにな、“力になってない”なんて自惚れるのもいい加減にしろ。あの野郎、何度おれたちに『リオを船から降ろせ』と言ってきやがった思ってやがる。面倒くせェんだよ全く。自分の意思で乗ってきたって何回言や分かるんだ」
「ふふ……」
「お前は悩む前に、あのバカ兄貴を説得してこい」
「はい」
海軍の野犬相手に「お行儀よく説得する」なんて無理だろう、ということにゾロさんも気がついているだろうに、明らかに苦虫をかみつぶしたような顔で言うものだから笑ってしまった。
「お兄ちゃんって、私のことびっくりするぐらい大好きですよね」
「分かってンじゃねェか」