突然妹ができた場合

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 スモーカーは大抵のことをうまくやれる方だと自分では思っていた。
 まあ、何事も器用にこなせるわけではないが、海兵として必要なことは人並みには出来るし、そうでないにしても戦闘では優れている。これは海兵にとって最も必要とされる能力だし、それがあるから自分は海軍で昇進出来たのだろう。……上の方針とは合わない時もあるので、必ずしも肩書きが思うようについてくるわけではないが、仕方ない。
 その時、スモーカーはローグタウンで大佐の地位にいたが、特に不自由もなく力不足を痛感するわけでもなく必要な仕事をこなしていた。うまくやっていた。

 ……繰り返すが、自分ではそう思っていた。

「……お前、名前は?」
「…………リオネスフィリア」
 出されたお茶に口もつけない程少女は怯えきっていた。
 いや、この少女が普通の少女なら、海兵として迷子の保護には慣れているし、自分に心を開いてくれなくても愛想の良い部下に変わって辛抱強く家の住所を聞き出せばよかったのだが、現実はそうもいかない。

 リオネスフィリアは人魚らしい。正確にはおそらく半人魚で、父親が人間、母親が人魚。
 この世界には人間以外にも魚人や人魚といった種類の人間が存在していることは知っていたが、人魚は陸に上がることが珍しい上に、住んでいるのが赤い土の大陸レッドライン)にある聖地マリージョアの真下、海底一万メートルに存在する魚人島であるため、そもそも東の海イーストブルー)のローグタウンを拠点にするスモーカーがお目にかかる機会がないといえばその通りである。

 スモーカーはリオネスフィリアに突然引き合わされた。
 上に「お前の妹が見つかったからすぐに引き取りに来い」などと電伝虫を貰った時はついに上層部が正気を失ったかと思いつつ、緊急の呼び出しだったため「何か別の用件でもあるのだろう」と仕方なしに応じれば、目の前の人魚を指して「お前の腹違いの妹だ。今は能力者になってしまったため深海に戻れず、家がない。お前が引き取って育てろ」などと突然妹を押し付けられたのだ。ふざけるなという気持ちよりも混乱している間に、まともな情報も得られないまま追い返されてしまった。
 そもそも自分に腹違いの妹がいたなんて初耳だし、父親からの連絡は「その娘はお前が面倒を見ろ」だけだし、何度も自分の頭がおかしくなったのかと疑ったがどうやらここが現実であるらしい。

「リオネスフィリア……は珍しい名前なのか? 人魚の間では普通の名前なのか?」
 手探りの異文化コミュニケーションに彼女は目を伏せるため「別に怒ってるわけじゃねーよ、この喋り方と顔は元からだ」と情けない情報を付け加えた。
 その甲斐あってか彼女は恐る恐る目を上げると「名前じゃないの」と発した。
「“リオネスフィリア”は私の……遠い遠い、最初に海の森の歴史の碑文ポーネグリフ)を守るお役目をもらったご先祖様の名前。リオネス真なる)フィリア守護者)っていう意味で、私の一族の女性はみんな“リオネスフィリア”なので」
「……えっと、じゃあ、お前の名前は?」
「リオネスフィリア、しかないので、私個人の名前はないです」
 ……彼女が話した内容の全てを理解したわけではなかったが、海の森というのは地名だろう。歴史の碑文ポーネグリフ)のことは概要だけはわかる。その世界政府が存在を認めていない“それ”を守るのが彼女の一族の役目で、彼女自身の名前はない。
 それが彼女の種族や立場、育った景色では一般的だったのかもしれないが、どうにもその話はスモーカーにとって引っかかる話だった。

「お前は元々魚人島に住んでたんだよな?」
「はい」
「なんで陸に……? いや、人魚のお前さんが陸で海軍に保護されたんだ?」
「……………………」
 何か大きめの地雷を踏んでしまったらしい、ということをスモーカーは直感して「いや、言いたくないなら言わなくていい」とすぐに言い放った。

 深海一万メートルに住んでいて滅多に見ることがない希少生物が、何の因果か海軍に保護された。
 なんでも、泥まみれになっている状態で「迷子だ」とだけ放り込まれたらしい。保護者に話を聞こうにも「おれはこいつを拾ったから迷子を届けに来ただけだ」と言ってすぐにいなくなったとか。本人は憔悴した様子で、かろうじて悪魔の実を食べてしまったから、おそらく海には潜れないため故郷に帰れないということだけは話したらしいが……。
 人魚という種族の希少性を考えるのであれば、彼女が今ここにいる経緯は大方ロクでもない理由だろう。

「リオネスフィリア、か……じゃあリオだな」
「?」
「お前の名前だ。リオと呼ばせてもらう、おれのことも好きに呼べばいい」
 そうスモーカーも名乗れば、リオは少し首を傾げてから

「じゃあお兄ちゃん……?」
 彼女が凛と鈴のように透き通る声で呟いたので、スモーカーはその手があったかと言わんばかりに顔を歪めて「まあ、それでいいか……」と、今日からここに住む妹に部屋の間取りや使い方を説明し出した。


 おれはどうやら、今日からお兄ちゃんになったらしい。

 どこの三文小説だ。


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「お兄ちゃんはここに一人で住んでいるんですか?」
「そうだ」
「私と一緒ですね」
「……一緒ってことは、お前も一人だったのか?」
「はい、母が死んでからは海の森の家で、一人で住んでいました」

 ……この年齢の少女が? 一人で?
 歳を多く見積もっても、スモーカーより一回りは下だろう。
「あっでも、よく王家の方や親分が……母の知り合いだった人達が気にかけて様子を見に来てくれたんですよ。母が死んでから寂しかったと言えば嘘になるけど、私は十分に気にかけてもらっていました」
 スモーカーが言わんとしたことを察したのか彼女はそう話を終わらせたけれど、彼はどうにもモヤモヤとした感情を抱えてしまった。いやまあ、そんなことを彼があれこれ口出しする権利はないのかもしれないが。


 陸では思う通りに動けないのか彼女がほんの少しの移動でも前に進むことができずにパタリと倒れてしまうので、スモーカーは彼女の許可を取ってから横に抱き抱えた。以降スモーカーはちょっとした移動でも彼女を抱き抱えるようになる。


 何がリオの生活に必要なのだろう? 大きな水槽? 海水? は能力者だから必要ないか……砂場もいらない? じゃあやはり、大きな水槽だけは用意したほうがいいのだろうか? それもいらないのなら、彼女は普段どうやって移動する? ここは海中じゃないため思うように動けないことは確認済みだ。では必要なのは車椅子だろうか? この狭い部屋でむしろ車椅子は邪魔になるのではないか。そうなれば、松葉杖はあったほうがいいんじゃないか。そもそも魚人島に松葉杖が存在するかは分からないが、彼女は使い方を知らなさそうだが提案はしてみよう。上半身は自分たち人間と同じような洋服を着ているが、下半身を覆う布のようなものが必要なのか? 乾燥してしまわないだろうか……何かボディクリームなどはあったほうがいいかもしれない。人魚は寝る時何をどうして寝るんだ? 人魚はどうやって生活している? 図書館にでも行けばわかるのか、いや、魚人島にも行ったことがある上司に相談してみるべきだろうか。それとも女性の同僚に相談したほうがいいのか。

 スモーカーは結局は考えても結論が出ないため聞くしかないかと腹を括って
「リオ、何か必要なものはあるか?」
 と聞いた。
 彼女は彼女で陸に何があるか分からず、まだ兄への警戒心も解けきれず、人魚と人間の生活の違いも分からず、そもそも今でさえ保護してもらっているだけで申し訳ないので遠慮が働いて
「特に何もないんです」
 と申し訳なさそうに呟き
「別に、おれに遠慮しなくていいからな。おれ達は兄妹なんだ」
 と言われても、リオは申し訳なさそうに尾ひれを左右に振るだけで、それ以上は話そうとしなかった。


 数ヶ月後にはスモーカーが両腕を差し出すだけで、リオも両手を広げるようになった。そして、スモーカーがリオをすっぽり抱き抱えるのがこの兄妹の通例である。
 お姫様抱っこを当たり前のものとして過ごす仲の良い兄妹を見て、彼女が初めの頃陸で思うように動けなかったことを知らない者たちは「スモーカーってそういうことするんだ……」という目を向けていた。




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