第一話

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「何がそんなに不満なんだか……俺を疑っているのか?」

 二十代後半の男は癖の強い黒髪をかきあげて、イラついた様子である。

『違う、そうじゃない』

 そう返したのは男とテレビで会議をしている別の男だ。
 黒髪の男より少し年上らしい。灰色の髪を後ろにひとつで束ねており、長い前髪の間から覗く金色の瞳はさながら鷹のようである。
 そんな鋭い容姿とは裏腹に手に抱えているのは太った三毛猫だ。
 三毛猫は緊張感がないのか大あくびをしている。

「じゃあ何かミケ、お前まで“仮面の一派”に染まっちまったのかよ」
『その“仮面の一派”という呼び方はなんだ。我々の組織は一枚岩だぞ』
「どこが」

 灰色の髪の男――ミケと呼ばれたが、そう呼ばれてあからさまに機嫌を悪くしたようだ。

『俺の名前はミケじゃない……レインハルトだ』
「あーはいはい、知ってるよ」

 黒髪の男はどうでもいいと言わんばかりに、ミケ(ここではそう呼ばせてもらうことにしよう)の答えを流した。

『組織の内部情報を何者かが流しているのは事実だ。疑いたくはないが……情報収集に励むのは悪いことじゃないだろう』
「まあな。だがこれ以上、何も報告することはない。俺だけじゃなく、雪梛もそう言うはずだ。まだまだ『あいつ』にはわからないことがある以上……日本支部で預からせてもらう」
『“パパ”には会わせられないと』
「むしろそっちの方がお前らにとっても『安全』だろうが」
『そうだな』

 そう言うと納得したのか。ミケは黒髪の男に追及することをやめ

『じゃあまた』

 そう言うとテレビ会議を終わらせた。
 黒髪の男はふう、とため息をついた。

(堅苦しい報告も終わったな)

 と苦手なことが終わってほっとしている様子である。
 しかし、休もうとした男のもとにまた新しい「苦手なこと」を持ってきた少年がいた。

「なあ、きりや。たいせつなようじはおわったのか?」
「ああ終わったよロク」

 黒髪の男――桐也はまだ小さいロクの頭をなでた。

「そっか、おれ……ちょっと、きになることがあって」
「何だ?」

 ロクは桐也に心配そうな表情を見せる。
 ロクの外見は非常に変わっている。肩までとどく白髪はそとはねがつよい。
 また、それだけではない。ロクからみて右目は金色、左目は青色というとても珍しいオッドアイの持ち主――おそらく後天的にオッドアイになったのだろうと桐也は睨んでいる――なのだ。

「せつながいないんだ。いえじゅうさがしたんだけど、いなくて」
「は? 買い物に行ったんじゃないのか?」
「ううん。せつな、かいものにいくときは、かならずおれにこえをかけてくれるんだけど。おれ、そんなのきいてなくて」

 桐也はそこまで聞くとはっとした。
 急いで窓の方を見ると今日は珍しく雨が降っている。

「ロク! 俺は雪梛を探してくるから……いい子で待ってろよ。家の外には絶対に出るな。男同士の約束だ、わかったか?」
「わかった! おれ、いいこでおるすばんしてるよ!」

 ロクがにっこりと笑ったのを確認してから、桐也はコートを着て傘と財布を持つと急いで家から出ていった。

「雨か……嫌な予感しかしねえよ。まったく、面倒かけさせやがって。家にいてもロクなことがねえじゃんかよ」

 桐也はそう思いながら滅多に降らない雨を睨みつけた。

(なんでまた、雨なんか降るんだか)

 雨は滅多に降らない。
 その理由は地球全体が間氷河期から氷河期へ突入しようとしているからだ。
 降るとしても普段は雪やみぞればかりなのに。比較的暖かい今日は雨が降っている。川も増水してよどんでいる。

 桐也は心当たりのある場所へ、電車を乗り継いで駆けつけた。


 ***


 市街地から電車を乗り継いで一時間ほどの小さな町。そんな家からは遠い町の川原に桐也は足を運んでいた。
 そして予想通り、彼女はそこに佇んでいた。

 丁寧に手入れされていることが伺える、黒く艶のある髪。薄く桃色に染まるほお、長いまつげに通った鼻筋、ふっくらとした唇。見慣れた桐也には「この小娘が」と吐き捨ててしまうのだが、一般的に言わせれば彼女は美人の部類だろう。

「……雪梛! こんなとこで何してんだ馬鹿野郎」
「ああ、先輩」

 彼女――雪梛は悲しそうに振り返った。
 普段は気が強く毅然(きぜん)としている雪梛にしては珍しい表情だ、と桐也は少し驚いた。

「ロクが心配してたんだぞ。せつながいないー! ってな」
「そっか……ごめん」
「で、なんでこんなところに来たんだ?」

 答えをうっすらと予想できていたが、桐也はあえてこの質問をぶつけた。

「ごめんなさい……データを何度も見て理解はしているのに。どうしても……気持ちが追いつかなくて」

 桐也も雪梛も黙り込んでしまった。だが、重い口を雪梛はあけた。

「ロクは、私たちと同じ、人間なのに……!」

 雪梛は泣きながら手に持った資料をぐしゃっと握りつぶしてしまった。

「ロクは……人間なのに、私たちと同じ、人間なのに……!」

 普段は毅然として凛々しい雪梛がくちびるをぎゅっと結び、声を殺して泣いていた。


 この世界に春は来ない。もうずっと、何年も。




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