雪梛がいつものように窓辺で佇んでいた。
何もないときはただぼうっと窓の外を見つめるのが日課だった。
壁は灰色の冷たいコンクリート、部屋は天井の所々に蜘蛛の巣があるほど古ぼけている。フローリングの上には、無造作に赤いカーペットが敷かれており、テレビセットにソファもある。部屋の隅にモニターが3つもあるパソコンだけがなんだか真新しかった。
雪梛はこの古ぼけた家で一人の男、桐也とともに暮らしている。
年頃の娘が十も年の離れた男と暮らしているので、よくあらぬ疑い――駆け落ちした教師と教え子だとか、借金取りから逃げてきた若夫婦だとか――をかけられるが、雪梛はいちいち否定するのも面倒だ。人の噂は七十五日というし無視しよう、と決め込んでいる。
部屋の奥から音が聞こえた。
(珍しい、こんな朝早くから先輩が起きてくるなんて)
雪梛は内心驚いた。
「ふわぁあぁあ、おはようせつな……」
大きな欠伸をしたあと、起きたばかりのまわらない舌で、桐也は雪梛の名を呼んだ。
「先輩おはよう、いつも昼に起きるのに今日は早いね。いつもこの調子ならいいのに」
「うるせえ。毎朝起きてられるか」
雪梛は桐也のことを先輩と呼ぶ。
桐也は「俺のことはボスと呼べ」と口をすっぱくして言ったのだが。雪梛からすれば、夜は遊楽街で遊び呆け、昼に起きたと思ったら街へナンパしにいく。
そんな男をボスだなんて呼べるはずもない。
(先輩がここの責任者だなんて)
と雪梛はいつも呆れてしまうのだ。
高身長でモテる桐也なのだから、ネオン街を歩くことと、面倒くさがりで他人任せなその性格をなおせば……、と刹那は頭を抱えた。
「にしても先輩、なんでこんな朝早くから起きてきたの?」
桐也は思い出した、という顔をしたあと
「そうだよそれ。本部の“パパ”から直々の命令さ」
(そうか、だから先輩はもう髪も服装も整っているんだ)
雪梛は納得した。
桐也は普段パジャマ姿で髪もボサボサのまま起きてくる。なのに今日はくるくると癖の強い黒髪をくしでとき、防寒着もオシャレにきこなしている。
(先輩も、黙っていればなあ……)
そう思いながらも、その願いは無駄であることを知っていたので
「“パパ”から?」
と雪梛が聞き返すと、桐也は髪をかきあげて携帯をみながら
「ああ、どうもあの組織の施設が日本で見つかったらしい。いまから出て、乗り込むぞ」
と答えた。
「分かった。ちょっと待ってて、準備するから」
雪梛はそう言うと、必要最低限のものをポーチに入れ、ノートパソコンと周辺機器をリュックサックにつめた。そして、弾数を確認してから、銃を忍ばせた。
――この世界の法は、拳銃の携帯を禁止していない。
なぜなら、武器を携帯していないと、殺される可能性が高いからだ。
外に出るとき、雪梛のような年頃の娘でもスタンガンぐらいは持ち歩く。
そうせざるをえないのだ。
「この辺みたいだな」
「入口を探そう。どうせ『施設』は中にあるよ」
もし、地上にあり、住民に騒がれたりすれば大事になってしまう。
今、雪梛達が追っている組織はそれほど「騒がれたら困るようなこと」を行っているからだ。
座標で示された電子の地図を見ながら、2人は入口になっていそうな場所を探した。
そして、マンホールの蓋によく似た入口を見つけた。足元から吹く風が不自然だ、と桐也が気がついたのだ。
案の定、蓋を開けると、下へと続く階段があった。
「行ってみようか」
「うん、十分に注意して進もう」
慎重に慎重に、2人はしたへと降りていった。
***
すんなりと施設を見つけた上、簡単に侵入することができてしまった。
あまりにもセキュリティや見張りの配置がずさんだったので、罠かと疑いながら降りた。
「もしかしてここ、廃棄処分されるところなのかも」
「俺もそう思っていた」
警備がずさんすぎる。
雪梛と桐也は、自分の考えが確信に近づいていくのを感じた。
***
扉を桐也が蹴り壊しながら、2人は下へ下へと進んでいくと、雪梛達の目の前に銀色の厚い壁が現れた。
「なんだこれ? 壊れねえ」
「待って、私が解読してみる」
雪梛は持ってきたノートパソコンを急いでつないげ、扉を守っているセキュリティへのハッキングを試みた。
5分もすると暗証番号が分かり、厚い壁は開いた。
雪梛はノートパソコンをさっとしまい、銃を構えなおすと桐也の合図で突入した。
***
「使われていない施設……というより、廃棄するところだったのかしら」
「そんな感じだな」
桐也は部屋を注意深く観察して、奥にもう1つあった隠し扉を見つけると、雪梛に合図して、2人で入っていった。
もし、桐也がこの隠し扉を見つけていなければ、2人の運命は大きく違っていただろう。